○小学4年生の秋、転校
お風呂のあるアパートへ引っ越しします。
嬉しかったですね~
小さな子供がいつもまわりにいるアパート暮らしです。
おとなりの赤ちゃんを抱っこして一緒に遊んでました。
時には大勢で鬼ごっこも必死でしていました。
自転車を初めて乗れるようになったのも、
近所の子が助けてくれました。
運動はどんくさくてそれでもなんとか
かなづちで
スイミングスクールに通ったりしてましたね。
こんな思い出も出てきました↓
遊園地でポニーに乗り嬉しかったです。
この時の服装もお気に入りを着てます♡
好奇心旺盛です。
キティーちゃんの着ぐるみに出会った時も
喜んで握手しに行きます♡
人見知りもあまりなかったんじゃあないかな?
銭湯通いで他人に慣れたかもしれません。
両親共働きになってから、
留守番ができる長女でしっかりしていた私だと思います。
今も私がしなければ~と思うクセがあります。
○お裁縫箱がほしい
お小遣いやお年玉を貯めて、学校で用意する前に自分で買います。
ここで失敗があります。
小学4年生、
キキララのお裁縫箱を買いに出かけます。
なのに、
私は
駅で切符を買うのにお財布を置いたまま去り、、、
数分後、思い出して!
戻るも
お裁縫箱のために貯めたお金と
なかよしのふろくのお財布もなくなり、
悔しかったです!
再び、お小遣いを貯めて
キキララのお裁縫箱を手に入れるのでした。
お小遣いはたぶんひと月500円で
お裁縫箱は1500円だったかなあ?
その時の道具の残りです。
このころ手先が器用というより
母みたいなお裁縫箱やミシンを自分用に欲しかったのでしょう。
小学6年生で子供用のミシンをプレゼントにリクエストして
買ってもらいました。
足踏みミシンがあったことも記憶に残っています。
母と私とお揃いのスカートを作ってくれたのが嬉しかったです。
母が昔に編んだセーターを見せてもらったり、
かぎ針を持つのも小学4年ごろに始めました。
くさり編みが出来るようになりました。
母は働きに出るまでレース編みもよくしていたようです。
今も実家にはレース編みが飾ってあります。
私のまわりには手作りが身近にありました。
○ある日、母の友達がやってきて、
「里美ちゃん何がほしい?」と聞きました。
私は「お裁縫箱」と答えました。
するとこの赤い裁縫箱をプレゼントしてくれました。
うさぎのマスコットをつくり
大好きなお友達にプレゼントしました。
修学旅行の時です。
私は背が低かったのもあり、ほとんど前で写っています。
明るいおもしろいキャラクターで
女子から可愛がってもらってました♡
○父はお酒好きで暴言を吐くのに、
翌朝には記憶がない人のようでした~。
食事は父だけテレビの前のこたつで食べて、
私たち家族とは別です。
父は毎晩、暴言を吐いては、
テレビや電話にぶつけて壊していました。
ガラス戸を割ったり
幸い、家族に手を挙げることはありませんでした。
父のいる時間帯はテレビも見れません。
お茶の間の面白い番組もほとんど見れなくて、
諦めていました。
父が暴れている間は母はじっとこらえているし、
家族の団らんはほぼありません。
父がいない時間が平和で
穏やかに感じていました。
2kのアパートで
早々に布団にもぐって朝が早く来ないかと思ってました。
私はまともに宿題をしていたのだろうか?
覚えているのは
リカちゃんやモンチッチで人形遊びをしていたこと。
○父の優しい一面もあります。
出張先から父がお人形をお土産にくれました。
今も捨てられずあります。
彫刻刀が欲しい、
習字の墨がいるなど
父に言うと本格的なものを買ってくれました。
長くて太い彫刻刀なのです。
大工の父ならではです。
学校へ行くとみんなと違う道具を持っているだけで、
嬉しくなりました。
母が内職をしていたころ、
そばで手伝ってはおこづかいをもらって嬉しかったりしました。
+++++++++++
こんな状態の家でも
私はどこかで好きなこと見つけてたんでしょうね。
ゆりの花のちぎり絵は好きな色で表現できたり、
お人形遊びも私の居場所だったのかもしれません。
学校では仲良しのお友達がいて
楽しかったです。
屋根のある雨露しのげる場所で生活出来ていることは
ありがたいのです。
まだ続きます。
前回はこちらより
【あさぬい販売商品】
→お通帳またはお薬手帳ケースは3点あります。こちらからどうぞ