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目次)
((自分をも破壊する力。))
透き通った、冬の空。
六月のものとは信じ難い。
わたしは、走っている。
追い風が吹いているから、これといって疲れもしない。
にも関わらず、
「理咲ぁーーっ。」
後ろから聞こえてくる弱々しい“アイツ”を置いていかない様、
ゆっくりとしたペースを保ってるんだけども。
「無理! も、もう無理!!」
「叫ぶ力があるなら」
「無理無理!」
「もう其処だろ?」
隣を走っていたら、彼の頭を引っ叩いてる処だ。
「大体・・・何で、こんな早くっから連絡来たんだよ?」
「おばさんに頼んでたの。 “何時だろうと連絡下さい”って。」
「ふーん。」
振り返ると、漸くわたしに追い付いたヤスヒコが、退屈そうな顔をしていた。
また、焼餅。 大概にしないと、お餅だって焦げてしまう。
人の気持ちにまで意見する様な自分はお断りだから、思ったって口にしないけれど、
それが反って、ヤスヒコの感情を負に引き寄せている気がするのも、確か。
(でも、付いて来るんだよなぁ。)
何だかんだで、ヤスヒコも気になってるんだ。
“The World”の異変について、そして、ゆず自身についてこそが。
そう。
彼女がゲームで倒れてから、一ヶ月もの日数が経過していた。
CC社の意志によって、面会を断られたわたし。
彼らのやり方に納得のいかない、ゆずのお母さん。
“The World”内で調べを進めてくれた、ヤスヒコ。
それぞれが、それぞれなりに動いた。
でも。
今朝、ゆずは目を醒ました。
「そして」も「だから」も、相応しくない。
わたし達は絶対に空回りしていたし、
おばさん曰く、意識の戻る寸での処まで、容体には変化の一つも見受けられなかったらしい。
電話をくれた彼女自身が、誰よりも驚いていた。
無論、わたしだってそう。
だって、これというのは、つまり・・・。
「理咲ー?」
悪い癖だ。 考え込んでいると、他を疎かにする。
「うん!」
ずっと先で歩みを止めている、ヤスヒコの姿。
初めて、ゆずと一緒に、病院へ行った時みたい。
あの時も、わたしは。
「息切れ、直ったんだ?」
「あ、ほんと。」
気安い会話に乗って新里病院の正面玄関を過ぎ、裏へ回る。
何せ、早朝中の早朝だ。 病院全体が眠っていると思った。
でも、裏側に出て直ぐの第二駐車場には、黒い車と、啜り泣く声があった。
わたし達は身を隠すみたくして、裏口を利用した。
入って直ぐのエレベーターに飲み下され、やっと、緊張から自由になって。
ヤスヒコから訊ねられる。
「何階?」
「四。」
「おお、不吉。 らしいけど。」
どういう意味?
聞き返そうとして、辞めた。
切り替わってゆく数字のランプを仰ぎながら、別の問い掛けを練り直す。
「・・・ヤスヒコはさ。」
横っ面からヤスヒコの視線を貰って、続ける。
「ん?」
「その、ゆずの事、嫌いじゃないんだよね。」
「うん。 まあ、苦手ってのは、多少。
・・・アイツ、ああいう性格じゃん?
だから普通に話せんだけど、だから苦手みたいな、ね。」
「へ?」
「理咲はサッカーもやるけど、アイツとは違うし。」
それって
「ゆずは、男っぽ過ぎる?」
「そっ。」
ゆっくりと、ヤスヒコへ顔を向ける。
彼は罪悪感に欠ける表情で、引き続き、答えを並べている。
が、わたしには、その殆どが伝わらなかった。
右から左に抜けていくんじゃない。 最初から、音自体が無い様な。
失望に耳を塞がれてる、様な。
(何だ?)
不可解だ。 ヤスヒコの言葉一つ一つを裏返してやりたい。
出口を力いっぱい抑えていなかったら、こいつは今頃、表に流れ出ていただろう。
・・・ゆず本人ならば兎も角、どうして、わたしが。
渇いていく視界の中で、エレベーターが大げさに揺れる。
地震でも起こったのかと思いきや、これが此処の正常らしい。
目の前の壁が、四階のアナウンスと息を合わせ、二つに割れた。
今度こそ、ぼやっとしている場合じゃない。
「っ理咲!」
降りなくちゃ。
そう足を踏み出したわたしは、彼の呼び掛けに立ち止まった。
けれど“彼女”に、迷いは無い。
もしくは、小蝿の羽音も聞き取れない程、何かに集中していたのか。
その顔に険しい物を見た直後、わたしは結局、ドアの境界でぶつかった。
彼女と。
「気を付けてよ!」
モノクロームの欝の直後に、サイケデリックな怒りを目に入れた感じ。
わたしは開くばかりになる口を閉め、改めて動かそうとしたが、
「良いわよ!」
その鈍さを見限って、彼女はエレベーターへ、さっさと退場してしまった。
あまりのキャラクターっぷりに、後味の悪さより、爽快さが際立つ。
一方のヤスヒコは、
「あれ、同じ中学の。」
と、わたしより冷静。
未だに彼女を見ているのか、壁となったエレベーターから、視線を外せないままでいる。
実体は無い。
けれど、わたしもヤスヒコの真似をして、その背中越しに彼女を見た。
「そうだっけ。」
「ほら、オレらの教室見てくる、あれだよ。 がら空きになってもさ。」
「・・・ヤスヒコが見てるだけじゃない?」
「違うっ。 時事ネタだっ。」
「あんまりそゆのに敏感だと、女の子になっちゃうよ。」
「理咲。 河東とつるんでから、性格悪いぜ。」
「知ってる。」
ゆずとは、丁々発止とやり合うからね。
あれ?
「て、事は。 ゆずのお見舞いだったのかな。」
「ええ?」
「空き教室で見られるものっていったら、寝てるゆず位だよ。」
「・・・まさかあ。」
あらゆる念を込めて、ヤスヒコは否定した。
「お嬢様ぁな服装見たろ。 高飛車だし。 それで柚木に惹かれるか?」
「惹かれるってのは」
「惹かれないだろ。 あんなお下劣な野蛮人と接点なんか、まして。」
「ヤスヒコ。」
「何だよ。」
「聞こえる、ってな。」
ピシィッ。
なんていう音が、聞こえた気がした。
でも、久し振りだからかな。 ワクワクしているだけのわたしだ。
もし本気の制止をするなら、もっと早くに済ませていたし。
「御無沙汰。」
かくして、“本人”の気配を認めざるを得なくなったヤスヒコに、
正真正銘のゆずが笑った。
只、わたしの期待通りに、事は運ばないみたい。
彼女の連れてきた点滴が、ヤスヒコの眼を捕らえたから。
「・・・嗚呼。」
オプションだ。
そう囁いたゆずに、粒子レベルにまで磨り潰した声で、ヤスヒコが浴びせる。
「聞いて良いか。」
それは、けれど、質問じゃなかった。
「知ってるよな。 オレも、“The World”のプレイヤーっての。」
「ああ。」
「何、嗅ぎ回ってた。
昏睡状態になった奴ってのは、BBSで持て囃される。
消しても消しても話題になるからな。 管理もお手上げ。 でも」
「俺は徹底管理。」
「所謂、廃人から。 やっと、お前らしい情報貰った。
けど、その奴らでさえ、お前のPC名知らなかったんだ。」
「・・・。」
“何、嗅ぎ回ってた。”
言葉にされなくとも、再び宙を行き、ゆずを目指す。
「・・・解らない。」
「情報は良い。 只さ。」
「嗅ぎ回る、訳。」
「ああ。」
「否。 訳が。 自分でも解らない。」
「・・・え?」
「巻き込まれたのは確かなのに、俺がやらかした気もする。
・・・否、やらかした。 だから、収拾位はつけるつもりで居る。」
話し終えてから、ちょっとばかし睨みを利かせるゆず。
次の問いに備えてか。
しかし、ヤスヒコの面ときたら、既に戦意を失っている。
と言うか、下らない事に付き合わされ、うんざりしている。
例の探偵より控えめに頭後ろを掻いてから、彼は言った。
「ま。 オレはオレでやるし、お前はお前で、やりたいんだよな。」
初めてかもしれない。
ヤスヒコの一言に、ゆずが顔色を変えたのは。
「でも、必要なら言えよ?
折角リアルで知り合いなんだし、これでもオレ、顔は広いんだからさ。」
「・・・ああ。」
紐がするする巻き取られる。 ゆずをぴんと、巡っていた紐。
さっきのわたし達二人を縛っていた緊張と、その紐とでは、ちょっとばかし造りが異なる。
思い出した風に。 少し遣り辛そうに、そして、ゆずが沈黙を切った。
「入れよ。 帰るには早いだろ。」
つられて、へらりと、ヤスヒコも。
「来るんにだって、早過ぎたけどね。」
「良かったな。 割かし元気で。」
何の気も無しに、ヤスヒコは溢した。
何の気も無い。 現実をアバウトに眺めて、心が、
「こんなもんだろう」と、声に差し出したまんま。
ぴちゃ、ぴちゃ。
連日の雨で出来た水溜りを無遠慮に踏みながら、わたしも、何となく答える。
帰り掛けの青空は、太陽を既に、真上に掲げつつあった。
「ちゃんと、ゆずだったよね。」
「アイツ。」
「うん。」
「アイツ、大丈夫なんかな。」
「うん?」
止まって、ヤスヒコは、地面を見下げた。
鼻を下に伸ばして、唇を内側へ、きゅっと仕舞う。
「・・・ヤスヒコ?」
唇を解いた彼と、目が合う。
「御免。 苦手って、言ったけどさ。
お前、心配してんだよな。 最近だけじゃなくて、ずっと前から。
段々その、オレもだよ。 よく分かんないけど。」
哀しそうに染まる、目の色。
「何なんだろうな。」
「・・・。」
「アイツ、どうしてさ。」
いつも、抑えて。
わたしも分からないという事。 此処に居るヤスヒコは、よく知っていた。
普段から心配だなんて、わたしはしていないけれど。
登校してきた彼女に、お弁当を一人で広げる彼女に、とぼとぼと帰りたがる彼女に、
わたしが寄っていく理由。
自分でも把握していない、しようともしていなかった部分。
そこを彼は、“心配”に要約する。
わたしは彼の判断を、只管に正しいと思う。
ヤスヒコもまた、そうだったのだろうから。
焼餅では、なかった。
「御免。」
彼は親友だから、別に、良いのかもしれない。 でも。
喉の奥を熱くして、一度、潤もうとした眼を擦る。 大きく息を吐く。
「わたし、何も出来ないなんて、思いたくないんだ。
縋ってたいからじゃないて。 ゆずが助けてくれたみたいに。
・・・会話になってないね。」
気が付けば二人で、情けなく笑みを浮かべていた。
自分が口にしたい考えを、二人して、何処かにやってしまって。
オレ達って馬鹿だよね、と、納得しちゃって。
だって、何にも解らない。
改めてその事実をなぞろうとする、指が震える。
わたしは駄目だ。 けれど、だからって、ゆずを神様には仕立てたくない。
彼女を強くしてはいけない。 頭の中が、散らかってゆく。
「オレにゃ言えそうにない話も、ゆずは聞いてくれたんだな?」
「うん。」
ヤスヒコには、“女より男の方が子供子供している”というお決まりが、当て嵌まらない。
昔から。 恥ずかしげも無く、沢山、優しい言葉をくれる。
「ゆずは、まあ、実はイイ奴なんだろ。
でも、理咲もイイ奴だよ。 屈託無くって、ちゃんと頑張れて。
そゆとこ、ゆず“が”気に入ってんだろ。 何でもない奴なんかじゃないよ。」
「・・・うん。」
わたしに伝わったのを見て、ヤスヒコがにこりとする。
「で、七月は席替えだな!」
そうだね、と、相槌を打ちそうになり、わたしは踏み止まった。
「ヤスヒコ。 七月といえば期末だよ。」
「・・・期末ですね!」
「また柚木と近い席になれたら良いなーとか、言おうとしたんでしょ。」
「冴えてる、お前。」
「ふふ。」
歩き出して間も無く、中学の裏に差し掛かる。
此方とは別の世界から、校庭を駆ける生徒の声。
そういえば、前にゆず、ヤスヒコとわたしの関係は良いモンだと言っていたな。
前なら自覚していなかった事だけれど、多分、
ヤスヒコにせよ、わたしにせよ、自慢の一つとして、お互いを大事にしている。
だからこうしていられるのだろうなと、今は、心から思う。
面倒臭い勘違いをした時期があった。
でも、やはりヤスヒコは、あれからわたしのボールをまともに取れていない。
彼曰く、「理咲のボールは攻略不能」らしい。
「・・・情報通の、江本クン。」
「ん。」
歩く動作に釣られ、ぼこんぼこんと上下する校舎。
脳味噌って面白いな。 色んな情報から、思考を展開する。
「部活って、何人以上志望すると通るの?」
「新設か?」
「そう。」
「ご、にん。 じゃないか。 ・・・え、理咲。」
「ふふふ。」
「あー・・・、あー。」
フェードインする、ヤスヒコの薄ら笑い。
「ま、頑張れよ。」
「ヤスヒコは?」
「オレは万年、帰宅部だろ。」
「そんな事は知ってる。 協力してくれないの?」
「えー。」
文句垂れようとした彼の顔が、途端に緩む。
どうやらあちらでも、思考が愉快に広がった。 みたい。
「“The World”でも始めてくれたら、話が変わる。 かもな。」
「何て言うか知ってる? それ。 馬鹿の一つ覚え。」
回答の隙を与えずに返すと、ヤスヒコは膨れてみせた。
そろそろ、年甲斐も無く、なんて、形容したい。
「でも。 良いよ? それもそれで。」
「まじでかっ。」
「ゆずのくれたゲーム画像、綺麗だったし。 ゆずとも遊びたいし。」
「お前って奴ァ。」
と来て、わたしより一つ多く思い付く、ヤスヒコ。
「否、おばさんが許さないって。」
「あ。」
無神経過ぎた。
「でも、アイツ次第かな。 アイツだし。」
それ、わたしにも通じる台詞だよ。
ゆずのお母さんに、わたしが。 戒められている。
おばさんの怒った表情。 ゆずは、どうなのかな。
わたしと同じ様に、わたし以上に、感じるものがあるに違いない。
違いなかった。
されども、彼女は、ゲームを再開した。
わたしの耳には、壊れてゆく音が、届かなかった。
透き通った、冬の空。
六月のものとは信じ難い。
わたしは、走っている。
追い風が吹いているから、これといって疲れもしない。
にも関わらず、
「理咲ぁーーっ。」
後ろから聞こえてくる弱々しい“アイツ”を置いていかない様、
ゆっくりとしたペースを保ってるんだけども。
「無理! も、もう無理!!」
「叫ぶ力があるなら」
「無理無理!」
「もう其処だろ?」
隣を走っていたら、彼の頭を引っ叩いてる処だ。
「大体・・・何で、こんな早くっから連絡来たんだよ?」
「おばさんに頼んでたの。 “何時だろうと連絡下さい”って。」
「ふーん。」
振り返ると、漸くわたしに追い付いたヤスヒコが、退屈そうな顔をしていた。
また、焼餅。 大概にしないと、お餅だって焦げてしまう。
人の気持ちにまで意見する様な自分はお断りだから、思ったって口にしないけれど、
それが反って、ヤスヒコの感情を負に引き寄せている気がするのも、確か。
(でも、付いて来るんだよなぁ。)
何だかんだで、ヤスヒコも気になってるんだ。
“The World”の異変について、そして、ゆず自身についてこそが。
そう。
彼女がゲームで倒れてから、一ヶ月もの日数が経過していた。
CC社の意志によって、面会を断られたわたし。
彼らのやり方に納得のいかない、ゆずのお母さん。
“The World”内で調べを進めてくれた、ヤスヒコ。
それぞれが、それぞれなりに動いた。
でも。
今朝、ゆずは目を醒ました。
「そして」も「だから」も、相応しくない。
わたし達は絶対に空回りしていたし、
おばさん曰く、意識の戻る寸での処まで、容体には変化の一つも見受けられなかったらしい。
電話をくれた彼女自身が、誰よりも驚いていた。
無論、わたしだってそう。
だって、これというのは、つまり・・・。
「理咲ー?」
悪い癖だ。 考え込んでいると、他を疎かにする。
「うん!」
ずっと先で歩みを止めている、ヤスヒコの姿。
初めて、ゆずと一緒に、病院へ行った時みたい。
あの時も、わたしは。
「息切れ、直ったんだ?」
「あ、ほんと。」
気安い会話に乗って新里病院の正面玄関を過ぎ、裏へ回る。
何せ、早朝中の早朝だ。 病院全体が眠っていると思った。
でも、裏側に出て直ぐの第二駐車場には、黒い車と、啜り泣く声があった。
わたし達は身を隠すみたくして、裏口を利用した。
入って直ぐのエレベーターに飲み下され、やっと、緊張から自由になって。
ヤスヒコから訊ねられる。
「何階?」
「四。」
「おお、不吉。 らしいけど。」
どういう意味?
聞き返そうとして、辞めた。
切り替わってゆく数字のランプを仰ぎながら、別の問い掛けを練り直す。
「・・・ヤスヒコはさ。」
横っ面からヤスヒコの視線を貰って、続ける。
「ん?」
「その、ゆずの事、嫌いじゃないんだよね。」
「うん。 まあ、苦手ってのは、多少。
・・・アイツ、ああいう性格じゃん?
だから普通に話せんだけど、だから苦手みたいな、ね。」
「へ?」
「理咲はサッカーもやるけど、アイツとは違うし。」
それって
「ゆずは、男っぽ過ぎる?」
「そっ。」
ゆっくりと、ヤスヒコへ顔を向ける。
彼は罪悪感に欠ける表情で、引き続き、答えを並べている。
が、わたしには、その殆どが伝わらなかった。
右から左に抜けていくんじゃない。 最初から、音自体が無い様な。
失望に耳を塞がれてる、様な。
(何だ?)
不可解だ。 ヤスヒコの言葉一つ一つを裏返してやりたい。
出口を力いっぱい抑えていなかったら、こいつは今頃、表に流れ出ていただろう。
・・・ゆず本人ならば兎も角、どうして、わたしが。
渇いていく視界の中で、エレベーターが大げさに揺れる。
地震でも起こったのかと思いきや、これが此処の正常らしい。
目の前の壁が、四階のアナウンスと息を合わせ、二つに割れた。
今度こそ、ぼやっとしている場合じゃない。
「っ理咲!」
降りなくちゃ。
そう足を踏み出したわたしは、彼の呼び掛けに立ち止まった。
けれど“彼女”に、迷いは無い。
もしくは、小蝿の羽音も聞き取れない程、何かに集中していたのか。
その顔に険しい物を見た直後、わたしは結局、ドアの境界でぶつかった。
彼女と。
「気を付けてよ!」
モノクロームの欝の直後に、サイケデリックな怒りを目に入れた感じ。
わたしは開くばかりになる口を閉め、改めて動かそうとしたが、
「良いわよ!」
その鈍さを見限って、彼女はエレベーターへ、さっさと退場してしまった。
あまりのキャラクターっぷりに、後味の悪さより、爽快さが際立つ。
一方のヤスヒコは、
「あれ、同じ中学の。」
と、わたしより冷静。
未だに彼女を見ているのか、壁となったエレベーターから、視線を外せないままでいる。
実体は無い。
けれど、わたしもヤスヒコの真似をして、その背中越しに彼女を見た。
「そうだっけ。」
「ほら、オレらの教室見てくる、あれだよ。 がら空きになってもさ。」
「・・・ヤスヒコが見てるだけじゃない?」
「違うっ。 時事ネタだっ。」
「あんまりそゆのに敏感だと、女の子になっちゃうよ。」
「理咲。 河東とつるんでから、性格悪いぜ。」
「知ってる。」
ゆずとは、丁々発止とやり合うからね。
あれ?
「て、事は。 ゆずのお見舞いだったのかな。」
「ええ?」
「空き教室で見られるものっていったら、寝てるゆず位だよ。」
「・・・まさかあ。」
あらゆる念を込めて、ヤスヒコは否定した。
「お嬢様ぁな服装見たろ。 高飛車だし。 それで柚木に惹かれるか?」
「惹かれるってのは」
「惹かれないだろ。 あんなお下劣な野蛮人と接点なんか、まして。」
「ヤスヒコ。」
「何だよ。」
「聞こえる、ってな。」
ピシィッ。
なんていう音が、聞こえた気がした。
でも、久し振りだからかな。 ワクワクしているだけのわたしだ。
もし本気の制止をするなら、もっと早くに済ませていたし。
「御無沙汰。」
かくして、“本人”の気配を認めざるを得なくなったヤスヒコに、
正真正銘のゆずが笑った。
只、わたしの期待通りに、事は運ばないみたい。
彼女の連れてきた点滴が、ヤスヒコの眼を捕らえたから。
「・・・嗚呼。」
オプションだ。
そう囁いたゆずに、粒子レベルにまで磨り潰した声で、ヤスヒコが浴びせる。
「聞いて良いか。」
それは、けれど、質問じゃなかった。
「知ってるよな。 オレも、“The World”のプレイヤーっての。」
「ああ。」
「何、嗅ぎ回ってた。
昏睡状態になった奴ってのは、BBSで持て囃される。
消しても消しても話題になるからな。 管理もお手上げ。 でも」
「俺は徹底管理。」
「所謂、廃人から。 やっと、お前らしい情報貰った。
けど、その奴らでさえ、お前のPC名知らなかったんだ。」
「・・・。」
“何、嗅ぎ回ってた。”
言葉にされなくとも、再び宙を行き、ゆずを目指す。
「・・・解らない。」
「情報は良い。 只さ。」
「嗅ぎ回る、訳。」
「ああ。」
「否。 訳が。 自分でも解らない。」
「・・・え?」
「巻き込まれたのは確かなのに、俺がやらかした気もする。
・・・否、やらかした。 だから、収拾位はつけるつもりで居る。」
話し終えてから、ちょっとばかし睨みを利かせるゆず。
次の問いに備えてか。
しかし、ヤスヒコの面ときたら、既に戦意を失っている。
と言うか、下らない事に付き合わされ、うんざりしている。
例の探偵より控えめに頭後ろを掻いてから、彼は言った。
「ま。 オレはオレでやるし、お前はお前で、やりたいんだよな。」
初めてかもしれない。
ヤスヒコの一言に、ゆずが顔色を変えたのは。
「でも、必要なら言えよ?
折角リアルで知り合いなんだし、これでもオレ、顔は広いんだからさ。」
「・・・ああ。」
紐がするする巻き取られる。 ゆずをぴんと、巡っていた紐。
さっきのわたし達二人を縛っていた緊張と、その紐とでは、ちょっとばかし造りが異なる。
思い出した風に。 少し遣り辛そうに、そして、ゆずが沈黙を切った。
「入れよ。 帰るには早いだろ。」
つられて、へらりと、ヤスヒコも。
「来るんにだって、早過ぎたけどね。」
「良かったな。 割かし元気で。」
何の気も無しに、ヤスヒコは溢した。
何の気も無い。 現実をアバウトに眺めて、心が、
「こんなもんだろう」と、声に差し出したまんま。
ぴちゃ、ぴちゃ。
連日の雨で出来た水溜りを無遠慮に踏みながら、わたしも、何となく答える。
帰り掛けの青空は、太陽を既に、真上に掲げつつあった。
「ちゃんと、ゆずだったよね。」
「アイツ。」
「うん。」
「アイツ、大丈夫なんかな。」
「うん?」
止まって、ヤスヒコは、地面を見下げた。
鼻を下に伸ばして、唇を内側へ、きゅっと仕舞う。
「・・・ヤスヒコ?」
唇を解いた彼と、目が合う。
「御免。 苦手って、言ったけどさ。
お前、心配してんだよな。 最近だけじゃなくて、ずっと前から。
段々その、オレもだよ。 よく分かんないけど。」
哀しそうに染まる、目の色。
「何なんだろうな。」
「・・・。」
「アイツ、どうしてさ。」
いつも、抑えて。
わたしも分からないという事。 此処に居るヤスヒコは、よく知っていた。
普段から心配だなんて、わたしはしていないけれど。
登校してきた彼女に、お弁当を一人で広げる彼女に、とぼとぼと帰りたがる彼女に、
わたしが寄っていく理由。
自分でも把握していない、しようともしていなかった部分。
そこを彼は、“心配”に要約する。
わたしは彼の判断を、只管に正しいと思う。
ヤスヒコもまた、そうだったのだろうから。
焼餅では、なかった。
「御免。」
彼は親友だから、別に、良いのかもしれない。 でも。
喉の奥を熱くして、一度、潤もうとした眼を擦る。 大きく息を吐く。
「わたし、何も出来ないなんて、思いたくないんだ。
縋ってたいからじゃないて。 ゆずが助けてくれたみたいに。
・・・会話になってないね。」
気が付けば二人で、情けなく笑みを浮かべていた。
自分が口にしたい考えを、二人して、何処かにやってしまって。
オレ達って馬鹿だよね、と、納得しちゃって。
だって、何にも解らない。
改めてその事実をなぞろうとする、指が震える。
わたしは駄目だ。 けれど、だからって、ゆずを神様には仕立てたくない。
彼女を強くしてはいけない。 頭の中が、散らかってゆく。
「オレにゃ言えそうにない話も、ゆずは聞いてくれたんだな?」
「うん。」
ヤスヒコには、“女より男の方が子供子供している”というお決まりが、当て嵌まらない。
昔から。 恥ずかしげも無く、沢山、優しい言葉をくれる。
「ゆずは、まあ、実はイイ奴なんだろ。
でも、理咲もイイ奴だよ。 屈託無くって、ちゃんと頑張れて。
そゆとこ、ゆず“が”気に入ってんだろ。 何でもない奴なんかじゃないよ。」
「・・・うん。」
わたしに伝わったのを見て、ヤスヒコがにこりとする。
「で、七月は席替えだな!」
そうだね、と、相槌を打ちそうになり、わたしは踏み止まった。
「ヤスヒコ。 七月といえば期末だよ。」
「・・・期末ですね!」
「また柚木と近い席になれたら良いなーとか、言おうとしたんでしょ。」
「冴えてる、お前。」
「ふふ。」
歩き出して間も無く、中学の裏に差し掛かる。
此方とは別の世界から、校庭を駆ける生徒の声。
そういえば、前にゆず、ヤスヒコとわたしの関係は良いモンだと言っていたな。
前なら自覚していなかった事だけれど、多分、
ヤスヒコにせよ、わたしにせよ、自慢の一つとして、お互いを大事にしている。
だからこうしていられるのだろうなと、今は、心から思う。
面倒臭い勘違いをした時期があった。
でも、やはりヤスヒコは、あれからわたしのボールをまともに取れていない。
彼曰く、「理咲のボールは攻略不能」らしい。
「・・・情報通の、江本クン。」
「ん。」
歩く動作に釣られ、ぼこんぼこんと上下する校舎。
脳味噌って面白いな。 色んな情報から、思考を展開する。
「部活って、何人以上志望すると通るの?」
「新設か?」
「そう。」
「ご、にん。 じゃないか。 ・・・え、理咲。」
「ふふふ。」
「あー・・・、あー。」
フェードインする、ヤスヒコの薄ら笑い。
「ま、頑張れよ。」
「ヤスヒコは?」
「オレは万年、帰宅部だろ。」
「そんな事は知ってる。 協力してくれないの?」
「えー。」
文句垂れようとした彼の顔が、途端に緩む。
どうやらあちらでも、思考が愉快に広がった。 みたい。
「“The World”でも始めてくれたら、話が変わる。 かもな。」
「何て言うか知ってる? それ。 馬鹿の一つ覚え。」
回答の隙を与えずに返すと、ヤスヒコは膨れてみせた。
そろそろ、年甲斐も無く、なんて、形容したい。
「でも。 良いよ? それもそれで。」
「まじでかっ。」
「ゆずのくれたゲーム画像、綺麗だったし。 ゆずとも遊びたいし。」
「お前って奴ァ。」
と来て、わたしより一つ多く思い付く、ヤスヒコ。
「否、おばさんが許さないって。」
「あ。」
無神経過ぎた。
「でも、アイツ次第かな。 アイツだし。」
それ、わたしにも通じる台詞だよ。
ゆずのお母さんに、わたしが。 戒められている。
おばさんの怒った表情。 ゆずは、どうなのかな。
わたしと同じ様に、わたし以上に、感じるものがあるに違いない。
違いなかった。
されども、彼女は、ゲームを再開した。
わたしの耳には、壊れてゆく音が、届かなかった。
第七話、完
今回の整理中、トラックバックを送った記事ごと捨ててしまいましたので、改めて。
有難う御座います。
当時は何の予告も無かったから、本当に突然の事で、驚いたなあ。 嬉しかったなあ。
hanyaさんがまた、コラボだと言ってくれたのも。
胸の内なんか、2割でも口にすると嘘になるから、あまり言いたかないのですが。
このイラストが大好きです。 家宝です。
カイナさんは元気にしてるかなあ。