ブログラジオ ♯175 Arthur’s Theme | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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クリストファー・クロスである。

Ride Like the Wind: Best of/Christopher Cross

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八十年代なる時代のその開幕の
まさに先触れとでもなるような
タイミングで登場してきたこの方が

当時の、特にアメリカの
音楽シーンの全体において、

一つの風穴を開けたことは
たぶん間違いないのだと思う。

もちろんこれもまた例に寄って
些か後出しめいてしまう

物言いにしかならないものだから、
少なからず恐縮ではあるのだが、

斬新だったというよりもむしろ
そんなレベルすら飛び越えた
ある種の進化みたいなものを

いきなり予告もなしに目の前に
突きつけられてしまったような

そんな感触だったのでは
あるまいかとすら思えてくる。

おそらくは
ビリー・ジョエル(♯147)のそれに
匹敵するような


衝撃だったといってしまって
かまわないだろうと思う。

もちろん一言で
まとめられるはずもないのだが、

BJがピアノという楽器を
大胆にロックへと
取り込みなおすことによって
際立っていたのだとしたら、

こちらのC.クロスという方は
当時フュージョンとかあるいは
クロス・オーヴァーといった用語で

なんとなく呼ばれ始めていた
音楽の目指していた手触りを、


いともたやすく
ポップと融合させてしまったという

そんなある種の離れ業によって、
衆目を圧してしまったのでは
なかったろうかという気がする。

ちなみにこの人のデビューが
どれほど衝撃だったかというのは

81年のグラミー賞の結果が
極めてわかりやすい例証になる。

グラミーでは、
アルバム、レコード、ソングに
ニュー・アーティストをくわえた

計四つのカテゴリーを、
主要四部門と
通例いっているのだけれど、

これを全部一人で同時に
受賞していているのは、
前回の17年現在に至るまで

このクリストファー・クロス
ただ一人なのだそうである。

レコードとソングの両部門の違いが
些かわかりにくい気もするが、

それぞれ同じく一曲単位での
評価ではあるのだそうで、


当然その年シングル・ヒットから
ノミネート作品が
上がってくることになるのだけれど、

まずレコード賞の方は制作の全体、
つまりは
レコーディングにかかるすべてを、

そして一方のソング/楽曲賞の方は
レコード賞の方が対象としている
音作りの部分をあえて別とし、

ソングライティングの要素だけを
評価の対象とするのだそうである。

そうなるともちろん
基本この二部門は


同じ楽曲が受賞するケースが
多いことは確かなのだが、

必ずしも一致しなければ
ならない訳でもない様子で、

たとえば83年の
TOTO(♯152)のRosannaや
翌年のMJ(♯143)のBeat Itは

最優秀レコードに輝きながらも
楽曲賞の方は
ほかのトラックに譲っていたりする。

――いや、こんなデータあるんだ。

今までちゃんと
眺めてみたことなかったわ。

しかし改めて
84年のBeat Itはこの年の楽曲賞を

スティング=ポリス(♯34)の
Every Breath You Takeに
譲っていたりもするのですね。

――なんか、結構納得かも。

確かにこう、歌詞と旋律といった
観点からだけ見るならば、


いかにMJ作品が
怪物クラスの仕上がりだったとしても

それを差し引いて
あちらのスティングの曲に
軍配が上がることも
有り得るのかもしれないなと、

まあついつい思わず
そんなことを考えてしまいました。

むしろ両曲が同じ年の発表に
なってしまったことが
不運だったくらいであろう。

でも逆にいうとあの頃は
そのくらい凄いものが
一斉に出てきてしまった


そんな時代でもあったのだと
いったようなことにもなる訳で、

そんな時期に自分自身の
ハイ・ティーンの時代が
重なってくれたことを、

改めてつくづく嬉しく
思ったりもしてしまう訳ですが、

まあとにかくだからこの
81年という年には、

このC.クロスという新人が、
アルバムもシングルもともに、

ほとんど他を
寄せ付けないような作品を

作ってしまったという
ことだったりするのである。

いや本当、AORという言葉で
喧伝されてきた音楽は
それこそ星の数ほどあるけれど、

なるほどこの人の
各トラックの完成度は

頭一つどころではなく
脱けているかもしれない。


そして何よりも、
ある意味で一つのジャンルに
明らかな先鞭を
つけてしまったという点において

この方の存在意義は
今後も揺らぐことは
ないのではないかと思う。

そしてそういった
時代に対する鋭敏な感覚のみならず、
さらに加えてこの方は、

他の誰にも真似のできない種類の
独特の声質の
持ち主でもあったのである。


そういう訳で81年に
全米がびっくりしたのを
追いかけるような形で、


前後してすぐに本邦でも、
ラジオ等でかかりまくったのが
今回のピックアップである

『ニュー・ヨーク・シティ・セレナーデ』の
邦題を冠されたこの、
Arthur’s Themeなるトラックだった。

ちなみにこの曲の原題には
(Best That You Can Do)なる
サブ・タイトルのようなものが
つけられているので念のため。

しかしあの頃は本当によく
これが耳に入ってきたものである。

たぶんグラミー受賞の
Sailingよりも明らかに

オンエアの頻度は
多かったのではないかと思われる。

ところで僕も今回改めて
リサーチしてみて
初めて気がついたのだが、

このArthur’s Themeでは
ソングライティングに
御本人のほかに、

バート・バカラックとそれから
キャロル・ベイヤー・セイガー、
なんて辺りが、

実は名前を連ねても
いらっしゃったようである。


これもなんか
すごく納得してしまった。

確かに同曲のAメロは、
どことなくバカラックっぽい。

ついでなのでまた
ちょっとだけ横道に逸れておくと、

バカラックとこの
キャロル・ベイヤ-・セイガーが
きちんとご結婚されたのは、

まさにこのArthur’s Themeの
共作の直後の時期だった模様である。


このお二人は結局は91年には
離婚してしまいこそするのだが、

自分たちの間にできたお子さんに
クリストファーという名前を
選んだりしていらっしゃったりもする。

まあ、基本的には
そんなにめずらしい名前である
訳でもないから、

どこまで因果関係が
あったのかどうかまでは
さすがにわかりませんけれど、

でもなんだかこれも、
ちょっとだけ口元に

笑みが浮かんできてしまう
そんな種類の発見ではあった。

それから念のためだけれどこの曲、
『ミスター・アーサー』という
当時の映画作品のために
書き下ろされたものであったため

このようなタイトルになっている。

そして本曲もまた、
上記のタイトルを選んだ
当時の編成担当者の

頭の中を覗いてみたくなる種類の
気の利いた邦題だと思っている。


前述のようにバカラックが
ソングライティングに
加わっている関係から、

ほんの少しだけ
バタ臭く思えないでもない箇所も
決してなくはないのだが、

ピアノとストリングスに加え
高音に特徴のある
シンセサイザーが
ある種の空間を作り出し、

それをアコギが控えめに支え、
そして要所では、
サックスが締めに来るといった感じの
凝りに凝った手触りの音は、

なるほどある種の夜景のイメージを
絶妙な具合に醸し出してくる。


アーバンという形容が、
この上なくハマる感じの世界である。

さすれば小夜曲とは、
実に見事な選択であるといっていい。

そしてこの辺りの手触りは
イーグルス(♯150)やあるいは
スティーリー・ダン(♯151)辺りの

切り拓いた音作りの
延長線上にあったことは、
たぶん間違いはないとも思うのだが、

そういったアプローチが
西海岸という風土と
どのくらいの関係があるのかは、

結局のところはまだ想像の域を
決して出るものではないけれど、
たぶん無関係ではないのだろう。

GRPなんてレコード会社も
確かロスに
本拠を置いていたはずだったし。


さて、しかしながら
これほどのいわば

一大センセーショナルを
巻き起こしたはずの
クリストファー・クロスではあるが、

80年代の中盤を過ぎてからは
ほとんど第一線で
名前を聞くことがなくなってしまう。


あまり詳しく書くのは
気が引けなくもないのだが、

そもそも御本人が最初から
音楽はやりたいけれど、

あまり自身は表には
出たいきたくはないという
スタンスであったらしい。

職人肌とでもいおうか、
音をいじっていること
そのものが大好きな感じの

そういうアーティストで
あったのかもしれないし、


その方が納得がいく気もする。

しかしながら時代は
MTVというメディアが

プロモーションの中心へと、
一気に君臨していく
まさにその過程のただ中だった。

そしてどうやらこの方、
同局そのものと最初から

あまりいい関係では
まるでなかった模様なのである。

本企画をやるようになって、
しばしば英文の
ウィキを開くようになったのだが、

Curseなんて単語が
見出しにまで使われているのを
目にしたのは、
この方の記事が初めてである。

MTV世代の呪いという記載の中に、
サード以降のアルバムが
セールス的に極めて不振だったことが
さらりと短めに書かれている。

記事全体も他と比べ、
非常に分量が少ないから、

あるいはバイオグラフィー的な
内容に関してもたぶん、


ご自身ではあまり口を開かないまま
ここまで来ているのかもしれない。

デビュー当初はコンサートも
やらないくらいに
いわれていたはずなのだが、

そこだけはどうやらどこかで
軌道修正していたらしく、

古い番組で恐縮だけれど、
『夜のヒット・スタジオ』への出演も
複数回あるようだし、

とりわけ今世紀に入ってからは
ほとんど毎年のように
来日されている模様である。


確かにそれくらい、
本邦でも売れていたのである。


さて、ではそろそろ小ネタ。

そういう訳で80年代を
象徴する存在となっていても
おかしくなかったはずの
このクリストファー・クロスだが、

何故かというか、当然というか
あの八十五年の
USAフォー・アフリカには
どうやらお声がかかっていない。

御本人としては、
ほとんど同時期に大活躍だった
キム・カーンズ(♯157)が呼ばれて

自分が呼ばれなかったのは
どうしてなんだろうと

そんな具合に小さくない不満を
周囲に漏らしたりもしていたらしい。

まあでも、あの内容は、
レコーディングの現場に

カメラが入ってくることも
大前提の一つだったはずだから、

その辺りにもしかして、
クインシー=L.リッチー辺りの
プロデューサー・チームが


ひょっとして要らない気を
遣ったのかもしれないと
思わないでもないけれど。

だけどもしこの方が
本当に呼ばれていたとしたら、

はたしてどのラインを
歌うことになって
いたのだろうなんてことを、

想像し始めると
結構簡単に時間が過ぎる。

スティーヴ・ペリー辺りとの
ハモりなんてのは、


ひょっしてなかなか
斬新だったのではなかろうか、
なんて、

そんな具合に現実には
響いたことのない種類の音を

頭の中で鳴らしてみるのも
それなりに楽しいものである。