ブログラジオ ♯168 Toy Soldiers | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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マルティカという。
こちらは89年のヒット曲。

何だかここ数回やや時代が
行ったり来たりし過ぎている感が
多少否めない気もするが

そもそもがここの選曲は
基本気分でやっているので

そこはどうぞ御容赦ください。

トイ・ソルジャー:ザ・ベスト・オブ・マルティカ/マルティカ

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いや、この方に関しては
ほかのトラックはまるで
大したことはないからなと、

だからもうちょっと
後回しでもよかったよなと
正直思うくらいなのだけれど、

でも、それでも、
この曲だけは別格なのである。

――むしろ、すごい。

いつ聴いてもなんだか
胸にこみ上げてきてしまう
何かが見つかる。

いや、こみ上げるというよりは
締め付けられるという感じだろう。



当時の邦題もこの通りだったのだが、
この「おもちゃの兵隊」という

半ば童謡みたいな
タイトルとは裏腹に、

この曲が描き出しているのは
いわゆるドラッグ禍である。

ざっくりとだが、
リリクスの内包している

ストーリー的なものを
まずは紹介しておくことにする。


興味本位でドラッグに手を出して、
苦しみの末自分は克服するけれど、

でも声をかけて
一緒に誘ってしまった友人は

そこから抜け出すことが
ついに出来ないままになる。

だいたいがそんな感じである。

――これだけで、相当きつい。

本当にこんな立場に
立たされてしまったら、

その罪悪感たるや
想像するに余りある。

ここまで自分が誰かの人生を
壊してしまったりは
ひょっとしてしてはいないだろうか。

そんな自問まで
思わず起きてきてしまう。


そうしてその重いテーマを
トラックの様々な仕掛けが


これでもかとばかりに
演出してくるのである。

どこか悲鳴のような
マルティカのヴォーカルも
存分に持ち味を発揮している。

後半不意に登場してくる
重たいギターも

ギルティーに響くとでも
いった形容が相応しいような
鳴り方をする。

何よりも、
いよいよ肝腎なところで
唐突にトラックに
挟み込まれて来る


明らかな童謡の旋律が
この上なく効いているのである。

音階で表記すると
ソ・ソ・ミ・ラ・ソ・ソ・ミと
なる箇所である。

そもそもが同曲のサビは
このラインをアレンジすることで
生み出されているのだけれど

最初はサビの歌詞のままで
導入されていた子供の声が、

曲の途中で
不意に本来の姿を取り戻す。

出てきて一緒に遊ぼうよ、と
無邪気な声が飛び出してくる。

これはもちろん、
主人公とこの相手との関係が、

竹馬の友とでもいおうか
そういうまだ

物心つくかつかないかの頃からの
繋がりであったことを暗示する。

だから、もしかすると、
この曲のヒロインが
ダメにしてしまった相手とは、


少し大人しくて、
引っ込み思案で、

主人公の後ろを
必死になってついていく

そんなタイプの
女の子だったのかも
知れないのである。

本来はだから、
むしろ自分の方が
守ってあげなければならないと

そんなふうに感じていた
相手だったりするのだろう。


あたしが遊んであげないと。

そんな気持ちが決して
なくはなかったのではなかろうか。

出ておいでよ。

きっと楽しいよ。

――そんなつもりじゃなかったのに。

想像は止めどなく転がっていく。

もちろん曲にそこまでの細部が
描かれている訳では決してない。

でも、にじみ出てくる。

確かにそういう手応えがある。

そして僕は改めて、
音楽にはかなわないよなあ、と
つくづく打ちのめされるのである。


まあ、挑み続けるけどね。

また横道に逸れかけたので
とっとと軌道修正するけれど、

とにかくまあ、そしてついに
タイトルと巧妙にエコーする

サビのラインが、
留めを差しにやってくるのである。


Step by step, heart to heart,
Right left right
We all fall down

Like toy soldiers――



まんまるい頭に
落書きみたいな笑顔を浮かべた、

たぶんバッキンガム宮殿の
衛兵みたいな衣装を身につけた
ゼンマイ仕掛けの兵隊たちが、

紙かなんかでできた
柵のない橋みたいな場所を

ぎこちなく手足と体を
一緒に左右に揺すりながら
列を為して進んでいく。

けれど進むにつれ一体ずつ、
あるいは倒れ、
あるいは足を踏み外し

どこでもない
ただ真っ白いだけの場所へと
為す術なく落ちていく。

そんなイメージが、
否応なく喚起され

しかもそれが見事なまでに
曲の主題と
反響し合っていることに

半ば愕然としてしまうのである。

ここまで来ると、
上で延々と語ってきた、


幼少期からの友達とか
ドラッグへの誘いとか、

そういうものまで
むしろ比喩的になってしまう。

言葉にするのはたぶん相当
野暮な種類のものではあるが、

僕らはたとえ
時と場所を一にして
生まれてきたとしても、

最後まで同じ道を
歩いて行くことなど絶対できない。


そもそもが、誰も彼も
知らない誰かに
ゼンマイを巻かれてここにいる。

そして一人ずつ、
世界の悪意みたいなものに
攫われていく。

実は人というものは
そんな時間を過ごすことを

余儀なくされている
だけのものなのかもしれない。

ついついそんなことまで考えてしまう。

限定された言葉が、
音楽の力を得ることで、

かように止めどなく広がっていく。

僕はいつもこの曲に
そんな見事な実例を
まざまざと見せつけられて、

ただ唖然とし、
両手を挙げて
降参するしかないような

そんな気分になるのである。



ついでながらいってしまうと
このテーマと反響する小説を
一度書こうとしてみたことがある。

デビュー直後のことである。

でも80枚くらいで
どうにも手が止まってしまって、

そこから先に進めなくなった。

たぶんまだ自分の準備が
十分にできては
いなかったのだろうと思う。


結局各所に迷惑をかけながら
そのまま放り出して
しまっている訳なのだが、

どうだろうなあ。

あれからもう十年以上経っているから
もしかしたら、もう少し
ましにできるかもしれないな、と
近頃ちょっとだけ思わないでもない。

まあ、今いろいろと
手をつけるなり預けるなり
しているものが、

少しでも動いたら、
また改めて考えてみようかと、

今回このテキストを起こしながら
ちょっとだけそんな気分になった。

そしてその当時からずっと
調べがつかないままに
なってしまっているのが、

だからこの曲の
メインのモチーフになっている、

Won’t You Come Out~の
一節を含むラインの正体なのである。

たぶん童謡だとは思うのだが、
どの国のなんという曲が
そもそもの原曲であるのかが、


特定できないままなのである。

もし誰か御存知の方が
どこかにいらっしゃったら
教えていただきたいくらい。

いや、そのせいであの時
原稿が止まったというのは
所詮言い訳でしかないのだが。


さて、こんな化け物みたいな傑作を
まだ十代のうちに
書けてしまったこのマルティカだが、

その後はなんか、
あっという間に姿を消してしまう。


いや、それでもまあ
セカンド・アルバムまでは
それなりに話題を振りまいていた。

同作にはあの殿下(♯138)が
Love… Thy will be Doneなる
曲を提供したりもしていたのだが、

このコラボはあまり上手くは
機能しなかったというか、

むしろプライヴェートな部分で
マルティカの側からすれば、

マイナスに働いた要素も
なくはなかったみたいな噂も

なんとなくちらほらと
もれ聞こえてきたりも
あの頃はしていたものである。

詳しい記述が見つからなかったので
今回はこの程度に留めておくが、

まあ、当時のプリンスは
なんかそれこそ一番ブイブイ
いわせていた時期だからなあ。

いや、表現が古くて申し訳ない。

ことマルティカに関しては
その後ソロでの作品の発表は
どうやらなく、


バンドを組んだり、
あるいは出し抜けに
ステージに立ったりくらいは
時々しているらしいのだけれど、

残念ながら詳しい情報は
ほとんど出てこなかった。

お元気であることをお祈りする。


ではそろそろ小ネタ。

このマルティカの
生涯最初のレコーディングは、


実は日本で行われていた
ものだったのだそうである。

全米でのデビューに先立って、
カセットのCM用の音源を
国内で録音しているのである。

そういえば彼女の活躍は
ソニーがコロンビアを買収した
ちょうどその前後の
時期だったかもしれない。

そんな縁が合ったせいかは
よくはわからないのだけれど、

当時は日本でも
結構なプロモーションを
かけていたし、

本人も日本びいきだと
十分いってよかったような
形跡も見つからないでもない。

何よりこのToy Soldier、
本人が日本語で
歌っているヴァージョンが
あったりもするのである。

でも正直これは
余計だったよなあ。

この時彼女はたぶん、
相当どころではなく
日本語を練習したのだと思われる。

また例えが古くて申し訳ないが、
リンリン・ランランとか


あるいはここでも以前取り上げた
ダニエル・ヴィダル(♯102
辺りと比べても、

イントネーションはよほど
正確なように聞こえてくる。

しかし、それがかえって
違和感を醸し出してしまうのである。

しかも日本語詞の方も
原詞が持っていたすごみを

過不足なくすくいとることに
成功しているとは到底いえない。


まあ、原曲に対する僕自身の
思い込みというか

そういうヴァイアスも
当然あるにはあるのだけれど、

特にこの曲に関しては
余計なことはあまり
してほしくなかったと思う。

だから、後年のエミネムによる
サンプリングでの大ヒットも

横目で見ながら、
正直複雑この上なかった。

まあでも、あれはあれで、
曲が生き残っていく助けには

少なからずなったのだろうとは
もちろん思っているのだが。