ブログラジオ ♯142 Time After Time | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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振り返れば84年という年は、
プリンスとマドンナ、

そしてこの人の年だった
ようにも思えてきてしまう。


まあそこまでいったら、
ややいい過ぎに
なってしまうかもしれないが。


She’s So Unusual/Cyndi Lauper

¥643
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そういう訳で今回は
シンディ・ローパーである

アルバムは同年発表の
この方のデビュー作である。


この一枚は本当に
あの当時から今に至るまで
しばしばかけているのだが


全編に渡って
すこぶる強力だといっていい。

前回も少しだけ触れているけれど、
このSHE’S SO UNUSUALの
リードオフ・シングルだった、


つまりは彼女のデビュー曲である
Girls Just Wanna Have Funは


それこそ一気呵成の勢いで、
シーンを席捲したものである。

ちょうどドイツのネーナ(♯110)の
99 Luftballonsを


追いかけ追い越すような形で
あちこちで耳にするようになった。


ちなみに両曲はともにあの
VH(♯135)のJumpに阻まれ

チャートでの一位獲得こそ
逃してはいるのだけれど、


どちらもほとんど
トップ・ワン・ヒットといっても
ちっとも遜色ないくらいの勢いで、


かかりまくっていたのでは
なかったかと思う。

もちろん僕が生涯で一番、
音楽にアンテナを立てていた
時期であることも
背景には当然あるのだが。


いずれにせよ、この曲の冒頭の
あの、左から右へと駆け抜ける


ちょっと変わった鍵盤の
最初の一音は、

耳に入ってくるたびいつも
ああ、始まるな、みたいな高揚感を
決まって抱かせてくれたものである。


なお同曲の邦題は
『ハイスクールはダンステリア』
といった。


今でもたぶんこれで
通用しているはずである。

もっともどうやらご本人は、
このタイトルには、


ほとんど納得いっては
いらっしゃらなかったようなのだが、


正直なかなかいい
語呂だと思うし、

曲の雰囲気とも
合っていなくもなかった。


まあ確かに、
原題の意味するところが


ほぼ跡形もなく
消えてしまっていることは
どうにも否めないけれど、

それでもシンディーの
独特のキャラクターと、
ハイスクールの語が相俟って、


どことなく刹那的な楽しさへの
飽くなき希求みたいなニュアンスが、


字面から漂ってくる
気がしてくるから

本当、言葉とは
実に不思議なものである。


さて、とにかくこの
Girls Just Wanna Have Fun、


何よりも歌い方の弾け具合が
聴いていてとても楽しかった。

こういう感情表現の仕方は、
この前触れたB-52’s(♯140)の
レコードくらいにしか、
見つけられない気がする。


とにかくそのくらい
ユニークだったのである。


彼女ら二人のシンディーが
二人ともオノ・ヨーコの影響を、

少なからず受けていることは、
この前触れた通りだけれど、


この年この
シンディー・ローパーの曲が、
次々と大ヒットになったと
いう事実からしても、


レノンがB-52’sの
ステージを見て抱いた、

ヨーコの音楽にようやく時代が
追いついてきたという手応えは、


まさに正鵠を射ていたと
いえるのかもしれない。



さて、だから基本
この人の声は、
口さがなくいってしまえば、
変である。

奇妙、すなわちストレンジ。

なんというか、
どこかがなんとなく
カートゥーンっぽかったりする。


舌足らずというのとも違うし、
滑舌が悪い訳でもないのだが、
ギリギリコミカルなのである。

たぶんその特徴を、
自分でも十分に認めた上での、
アイディアだったのだろうと
思われるけれど、


She Bopなるトラックでは
あえて笑い声を、
深いダブをかけて
随所に入れ込んだりもしている。


確かに同曲は
曲そのものが
ある種のカリカチュアみたいな
ものではあったのだけれど、

そういうテーマにこういった
細かい仕掛けが見事にはまって、


全体が巧妙に演出されて
しまうところがすごいと思う。


そういえば
Blueboy Magazineなんて
言葉の意味は
この曲から教えられた気もするや。

ちなみにこれ、
GAYの雑誌のタイトルだそうです。
一応念のため。


あちらで今も刊行されて
いるのかどうかまでは知りません。


そそくさと話を元に戻すけれど、
そもそもがGirls Just Wanna~の
バッキングからして、

今にして思えば、
ひどく不思議な手触りだった。


高音のオルガンみたいな
ちょっとオフビート気味の
シンセサイザーが、
ほぼ休むことなく鳴っている。


このパターンがだから
どこかレゲエにも似た

不思議なリズムを
全編に作り出しているのである。


ベースはだいぶ後ろに
引っ込んでいて、


ギターはといえば
結構複雑なパターンを
随所に入れ込んでくるのだけれど、

この音色が、
たぶんわざとなのだろうが、
微妙に古臭かったりもする。


そしてたぶんシンディーの音域に
引きずられる形で、


音は全体として
ずいぶんと高音に寄っている。

この仕上げがだから
浮遊感とも形容しがたい、


むしろ浮き足だったでもいった
言葉の方がよほど似合いそうな、


このトラックの、
摩訶不思議なニュアンスを
作り上げているのである。

朝帰ってきて、両親に叱られる。

でもヒロインは、あたしたちは
ただ楽しんでいたい
だけなんだからと嘯いている。


そんな光景が、
容易に浮かんでくるのみならず、

音のイメージと
ぴたりとはまっているのである。



しかしながらこの年にはもう
実はシンディーは
三十の大台を超えていた。


音楽の世界では
遅咲きだったといっていい。

それでも「ハイスクール」の語に
ほとんど違和感がなかった訳だから、


当時から見た目だけでは
ほとんど年齢不詳だったし、


むしろその表現力をこそ
賞賛するべきかとも思う。

今回のテキストでは
もう何度もこの言葉を
使ってしまっているのだが、


だからこの人本当
「不思議」ちゃんなんて言葉が
世に登場してくる遙か以前から


そういうキャラクターを
ものの見事に
体現してしまっていた訳である。

その意味ではひょっとして
川本真琴みたいな
存在感という形容が
一番わかりやすいのかもしれない。


既存のカテゴライズを
拒むような何かを持っている。


キャラも音楽も両方とも
そういう資質を
感じさせずにはいない人である。

実際Girls Just Wanna~の発売直後、
プロモーションで出演したラジオでは、


DJにこの曲について、
とても売れるとは思えないと
面と向かっていわれたそうで。


そこでシンディーと
彼女の周囲のスタッフは、

なんとニュー・ヨークの
プロレス興行と
互いに互いの宣伝を
請け負うことを約束するのである。


タイ・アップというよりは
むしろバーターといった方が
近い感じの戦略だったらしい。


それが直接功を奏したという
訳でもなかったのだろうけれど、

やがてGirls Just Wanna~は
じわじわとチャートを上昇し始め、


ついには上でも触れたような
大ヒットとなり
一躍彼女の名を、
世に知らしめたという訳である。


このエピソードは確か、
あの頃も随所で
紹介されていたと思うのだが、

個人的にこういうスタンスは
結構好きだし、見習いたいなとも思う。


やれることは必ずある。

たぶんそんな考え方が
この行動の背後には
潜んでいるのだと感じるのである。


さて、そしてついに彼女初の
全米No.1ヒットとなったのが、


アルバムからの
二枚目のシングルで、


今回タイトルにしたこの
Time After Timeなる一曲だった。

前にも一度
書いているかとも思うのだけれど、


この曲、80年代の
アメリカのシーンが産んだ、


十指には確実に入る名曲だと
個人的には
そのくらいに思っている。

その証拠という訳でもないが、
あのマイルス・デイヴィスが


後年自分のレパートリーとして
取り上げていたりもしたりする。


僕自身Girls Just Wanna~の次に
これが出てきた時は
相当驚かされたものだった。

この人、こんなことも
できるんだという
そういう振り幅に
感心させられたといっていい。


だから本当、
まるでマンガみたいな人から


こういうしみじみと、
浸れるメロディーが
出てきたというギャップが、
確かにあるにはあったのだが、

その違和感を
木っ端微塵に吹き飛ばすほど、
この曲はただ美しかった。


始まり方もAメロも
サビも完璧である。


実際どれくらい好きかというと
この曲をメインのBGMにして、

短編を一本
仕上げてしまったほどである。


この作品、タイトルを
「夏のグラスハウス」と
今のところつけていて、


希望としては、この前の
「フーガ」と一緒の本に
収録したいと考えている。

まあ、今の段階では
僕の中だけの
腹案みたいなものでしかないのだが。


もっともテーマとかを
同曲から直接
もらって来た訳では決してない。


一方で同時に、
同テキストがこのトラックの

多大な影響下にあることも
疑いようもなく本当である。


この作品に関しては、
発想の段階で、
いわば三段跳びみたいな


あるいはそれ以上の
飛躍があったりするものだから、

どうしてもこんないい方に
ならざるを得ないのだけれど、


詳しいことはまあ、
そのうち無事、
日の目を見せることが叶ったら、
その時に機会を改めて。


端的にいえば、これたぶん
割と真っ当なSFのはずである。

少なくとも書いた本人は
そのつもりでいたりするのだが。


いやまあ、いつもの横道は
やはりこのくらいに
しておくことにしようかと思う。


さて、その後も彼女の勢いは続いた。

前述のShe Bopもまた、
確かトップ3には入る
大ヒットとなっていたはずである。


それからもさらに
All Through the Nightや
Money Changes Everythingが
シングルとして切られ、


徐々に順位こそ落としたものの
そこそこのヒットに
なっていたはずだと記憶している。

さらには実に同作からの
6枚目のシングルとなった
When You Were Mineは


ひそかにあのプリンス(♯138)の
カヴァーだったりもして、


あるいはこのチョイスが、
チャカ・カーンや
あるいはバングルズにも
影響を与えたのかもしれないとも思う。

彼女たちもまた
プリンスの楽曲で、
ヒットを飛ばしているのである。


それにしても面白いのはこのシンディー、
ビデオ・クリップを作る時、


大方の場合家族や友人を
キャスティングしていたのだそうで、

だからTime After Timeで
シンディーの相手役的な感じで、


シリアスな別れのシーンを
演じていたまさにその同じ男性が、


She Bopでは
マッド・マックスみたいな
いかれた感じで登場してきたりして、

そんなところもずいぶんと
楽しく拝見させて
もらっていたりもしたものである。


お母さんと思しき方も
いろんなところで出てきたし。


それからあの
We are the Worldでの

印象的なソロ・パートを
記憶されている方も多いかと思う。


あれはプロデューサーの
クインシー・ジョーンズらに
OKをもらった上での
アドリブだったそうなのだけれど、


本当のあそこだけ、
極めて立っているから不思議である。


その後もシンディーは、
ほとんど休むことなく活動を続け、


ブルースやカントリーの
アルバムを発表したり、


のみならずミュージカルの
分野にも進出し、

ソングライターとして、
あのトニー賞を
受賞してもいるのだそうである。


僕自身は実のところ
2ndアルバムが
さほど面白くなかったので


以後はほとんど消息を知らず、
意外といえば意外だったのだけれど、

なんというか
ゴーイング・マイ・ウェイな感じは
どうやら今に至ってもなお、
微塵も変わっていないようである。



さて、今回の締めなのだが、
トリビアといおうかなんというか。


今回いろいろ調べているうち
見つかってきた話なのだけれど、

実はこのシンディー
2011年3月11日に、


つまりはあの震災の
まさに当日に、
来日していたのだそうである。


さすがに三時半の定刻には
着陸することはまるで叶わず、

ようやく飛行機が
羽田に降りたのは


実に六時間後の、
夜の九時過ぎだったとのこと。


そして原発関連を中心とした
不穏なニュースが飛びかって、

同じような立場にいた
少なくないアーティストたちが、


公演の中止なり帰国なりを
次々と決めていく中、


彼女はこんな状況で
日本に背を向ける訳には
絶対にいかないと、

バンド・メンバーを含めた
ツアー・スタッフに自ら頭を下げて、


予定されていた公演を
すべてやり切ってから
帰路についたのだそうである。


そんなに親日家だったとは、
実は今の今まで
存じ上げておりませんでした。

そしてこの時の、
俠気ともいうべき勇気に、
謝意を覚えるとともに、


今もなお彼女が
現役でいてくれることを
非常に嬉しく思った次第である。