丑三ツ談義その1 | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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あ、なんだか変なタイトルに
なってしまってますけれど、

基本今回の記事で
怪談をやるようなつもりは
まったくありませんので念のため。



さて、少なからず間が
開いてしまったのですけれど、


早速『歴史街道』誌を購入、
拙作を読了のうえ、

それこそ電光石火で感想を
書いていって下さったお二人、
どうもありがとうございました。


大変楽しく、また同時に心強く
拝読させていただきました。


読んでいる時間を
楽しいと思っていただけること。

この仕事をやっていて
これ以上に光栄な御報告を
頂戴できることはほぼありません。


いやでも僕だって、
文章を書いた後、


穴を掘りたくなることなんて
今でも実はしょっちゅうです。

この前のマドンナの記事なんか
当初書こうと考えていたことの


半分くらいしか
きちんと伝わるように
書けた気がしないし。


だから最後には
言い訳せずにはいられなかったし。

ですからたぶん、
「すげーなあ」っていうのが実は
一番の誉め言葉なんだと思います。


汗顔の至りでございます。

まあとにかくおかげさまで
この「関ヶ原の丑三ツ」も

ようやく無事全編
発表の次第と相成りました。


そういやこれ、最初に書いたの
いつ頃だったっけかなあ、などと


ふとそんなことを思いついて
手元の記録を確認してみたところ、

実に13年の四月上旬の
日付が出て参りました。


――そうか、三年以上も前だったか。

日の目を見せられるまでに、
またずいぶんと長く
かかってしまったよなあというのは
それは確かにそうなのですけれど、

ま、三年経っても、
そんな古くなってないみたいだなと、


同時にそんなことも考えて
胸をなで下ろさせていただきました。


まあ素材的に、
時流や流行みたいなものとは

あまり関係のないところにある
作品だろうという気持ちも
もちろんなくはなかったのですが。



ところで実は本編も、
さすがに15度目までにこそ
届いてはおりませんけれど、


今回が実に四度目の
正直だったり致します。

まあ多少ニュアンスは
違うかも知れないのですが。


ここから先は、
ここに書いてもいいよというOKを


編集部さんの方から
きちんと頂戴できましたので、
表にしてしまいますけれど、

そもそも僕自身も、
この一篇が『歴史街道』さんに
載ることになろうとは


四ヶ月ほど前までは
ほぼ想像さえ
してはおりませんでした。


ずっとここに遊びに来て
下さっている方には

たぶんおわかりだろうとも
思われますけれど、


僕と『歴史街道』さんの
今のスタッフとのお仕事は、


基本は昨年の木曾義仲の特集に
御依頼を頂戴したことを
きっかけにして始まっております。

これもご存知の方は
当然いらっしゃるでしょうが、


僕は基本的には
歴史プロパーの作家ではなく、


むしろ純粋にそっち側の
タイプに属する作品は

少ない方だといっていいくらいな
感じの立ち位置なものですから、


いや、よく僕のことなんか
思い出してくれたなあと
大変ありがたく感じ入りました。


その時にまあ、ついでながら
藤末鎌初なら大体
どの人物でも大丈夫だけれど、

戦国時代の人でも
こんな感じにならば
どうにか書けそうなので、


参考に目を通すだけでも
通しておいていただければと、


そんな感じで
編集部にお渡ししたのが、

今回の『関ヶ原~』と『吉野詣』の
二作品だったという経緯であります。


もちろんこれが去年の夏の話でした。

それをですから、
この前の7月の半ば頃、

もしまだ発表の仕方が
決まっていないのであれば、


是非本誌に載せたいのだけれどという
お話を頂戴したのでありました。



もちろんこの『歴史街道』さんは、
小説作品をメインに
編集されている雑誌では
決してありませんから、

こんな展開は僕自身
ほとんど予測していませんでした。


改めて、限りある紙面を
拙作に割いて下さった
編集長様以下の皆様に、


こんな場所からで恐縮ですが、
慎んで御礼を
申し上げたく存じます。

さらにもう少しだけつけ加えておくと、
基本この
「関ヶ原の丑三ツ」なる一篇は


史実を変えずに、
三成に凱歌を上げさせるには、
たぶんこれしかないだろうな、


みたいな気持ちで
最後まで仕上げた
テキストでしたので、

あの特集の中、つまりは
読んでいる側の気持ちが


否応なく三成以下の西軍に
十分傾いたところで、
この後編が登場してくるというのは


作品にとってまったく
これ以上はない
発表の機会だよなあと、

今更ながらつくづく
感じ入っている
ところだったりも致します。


本当にありがたいことでした。


この「関ヶ原~」については、
頂戴したコメントも踏まえて、

もう少し踏み込んだ話を
近々ここでまたして
みようかなとなどと考えております。


それでまあ、今回は
記事のタイトルに
その1がついている訳なのですが、


勝手ながらこの続きは
機会を改めてとさせていただきたく、
ご容赦くださいませ。

近いうちに、必ず。


では最後にまた余談を一つだけ。

先週の真田丸、
「勝負」の所感でございます。

いやまあ、大体僕の感想も
巷に出回っているものと
ほとんど大差ないのですけれど、


確かにいまだかつて、
誰も見たことのない
関ヶ原だったなあ、と。


正直最初は
相当あっけに取られました。

え、こんなにすぐ
終わっちゃうの、と。


でもそこで
気づかざるを得なくなった訳ですよ。


これまさに、この時の
昌幸の心境そのものなんですよねえ。

いや、だからこんな形で
作中人物の感情に
シンクロさせられるような場面が


よもやこの身に起きようとは、
まったく思いもしませんでした。


しかも三谷さんという人の場合、
そこまで読んで企んだ上で、

これをやっている可能性も
決してなくはないよなあ、と、


まあそんなことを考えて、
感心するやら羨ましいやら、
そういう気持ちに
させられておりますです。


ちょっとだから、
「フーガ」が挑んでいたことと、
似てるといえば似てるんですよねえ、
この感覚。

まあ今週も目が離せませんですね。

なんたってサブタイ
「信之」だからなあ。


明らかに大泉回ですからね。

あ、僕は札幌の出なもので、
大泉洋さんはもちろん
大変贔屓にさせて戴いております。


では今日のところはこの辺で。

季節の変わり目につき、
皆様ご自愛下さいませ。