ラジオエクストラ ♭72 Town Called Malice | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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ポール・ウェラーが率いていた
最初のバンドである
ザ・ジャムによる、82年の作品。

Gift-Deluxe Edition (2cd)/Jam

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このTHE GIFTはたぶん、
いわゆるパンクと
呼ばれていたジャンルの中で


唯一僕がちゃんとフルで
聴いたことのある一枚である。



もっとも、あの当時は
このザ・ジャムも確かに、

パンクの一画に数えられて
いたはずだと記憶しているのだが、


昨今はどうやら
あまりそうでもないようで。


むしろモッズ・リヴァイバルの
牽引者とでもいうような
位置づけになっているらしい。


なるほど80年代を
迎えようという直前の一時期、


レコード会社なり、あるいは
音楽ジャーナリズムなりが、


とりわけイギリスのシーンにおいて
とにかくなんでもかんでも、
パンクというコピーを貼って

喧伝していた部分は
少なからずあったのだと思う。


スクィーズ(♯69)ですら、
デビュー当初は
パンクのニュー・カマーみたいな
扱いだった模様だし。


それでもスクィーズや
このザ・ジャムのスタイルが

やっぱりピストルズやダムド、
あるいはクラッシュなんかの
やっていた音楽とは


明らかに違っていることは
たぶん間違いないとは思う。


でもまあ、こういうのは所詮
いわば後出しジャンケンだし、

ピストルズもクラッシュも
アルバムをきちんと聴いた上で、
判断している訳ではないので、


その辺りは例によって、
眉に唾つけながら読んで下さい。



さて、ザ・ジャムの
活動開始は77年。

マーク・ボラン(♯95)が
まさにこの世を去った年であり、


ボウイが出し抜けにジギーを
封印してしまったのが
遡ること4年前の事件だった。


だからおそらく、
グラム・ロックなるムーヴメントが、
歴史の一部へと
変わりつつあった時期なのだと思う。

そんな時代にこのウェラーは
ザ・フーの影響下にあると
通常いわれている、


極めてエッジの効いた
激しいとしか形容しようのない
ギターのストローク・プレイに、


細面の外見とは裏腹な、
どこか野太さを感じさせる
ヴォーカルを載せた、

In the Cityなる
トラックを引っ下げて、


このザ・ジャムとともに、鮮烈に
シーンに登場してきたのである。


当時のイギリス本国での、
彼らの人気は、
相当すさまじかった模様である。

残念ながら、僕自身はそれを
肌身で感じた経験はないが、


アルバムのチャートの
ピーク・ポジションの


実績だけでも挙げてみると、
そのすごさがはっきり
わかるのではないかと思う。

どれも全英での順位だが、
デビュー盤の20位を皮切りに、


セカンド22位、サード6位、
4thが4位、5thは2位で、


六枚目のラスト・アルバムでは
ついにトップを獲得している。

そしてこの最後の一枚が、
今回ジャケットを載せた、
THE GIFTなのである。


しかしながらウェラーは、
まさに頂点にまで
昇り詰めたといっていい
同作の発表直後のタイミングで、


唐突に、このザ・ジャムの
解散を決意、宣言してしまうのである。

このバンドでやれることは、
やりつくしてしまったというのが、
この時の彼の弁だった模様である。



その後このウェラーが結成したのが、
スタイル・カウンシル(♯12他)なる
バンドであったことは、
幾度かここでも取り上げている通り。


なるほど、カウンシルの音楽は、
ザ・ジャムの基本構成だった、
3ピース・バンドのスタイルでは、

到底十分には表現しきれない
振り幅を常に感じさせてくる。


名前の通り、スタイリッシュ、
あるいはアーバン、もしくは
ソフィスティケイテッドといった
種類の形容が極めて似合う。


だから、このジャム時代の
幾つかのトラックと、
カウンシルのアルバムとを
比べて聴く時、僕は必ず、

このポール・ウェラーという人の、
懐の深さというか、貪欲さというか、


そういうスタンスに
あきれるとも敬意ともつかない、


ひどく複雑な気持ちを
思わず抱いてしまうのである。


Town Called Maliceは
ラスト・アルバムとなった
本作THE GIFTの
リーディング・トラックだった一曲。


人気の絶頂に在った
当時の勢いそのままに、


シングル・チャートでも、
初登場首位という
離れ業を見せつけている。

なんでも二種類のシングル盤が
発売されていたらしく、


EMIがポリドールに、
文句をつけたとかつかなかったとか、
そんな逸話もあるらしい。


まあ今では、そんな手法も
割と当たり前みたいに
なってしまっているみたいだが。


Town Called Malice
――悪意という名の街。


仰々しいといおうか、
ある意味ではおどろおどろしさや、
禍々しさみたいなものを、


否応なく想起させてくる
このタイトルとは裏腹に、

曲調は極めて軽快である。
爽快であるといってもいい。


モータウン・サウンドからの
影響が明らかな
弾むようなベースのラインで開幕し、


すかさずその上に乗っかってくる
オルガンのこのラインが、

個人的には
まさにツボだったりする。


無条件にカッコいいなあ、と
思ってしまう。



この曲の極めて不思議なところは、
いわばこれだけ陽気な
バック・トラックが
仕上がっているのに、

ウェラーの歌が載ってくると、
そこに一抹の寂しさというか、


諦念みたいなものが、
明らかに感じられてしまうという
点ではないかと思っている。


歌い方とメロディー・ライン、
それから一筋縄では把握できない、
複雑なコードワークの所以だろう。

ウェラーの紡ぎ出す
音数の多いリリクスは、


まずはある種ありふれた
ベッド・タウンの光景を


牛乳配達車や公園のブランコ、
日曜日のローストビーフなんかを
モチーフとして点描しながら、

そこに否応なく漂い出す
行き場のなさみたいなものを
くっきりと浮き上がらせてくる。



もがいてもがいて
何年も何年も


上手くブレンドされた
氷みたいな空気の中で

だから僕は今にも、
石みたいになって死にそうなんだ


悪意という名のこの街で――


ウェラーに「悪意」とまで
換喩されてしまった
この街のモデルは、

どうやら彼の生まれ故郷である
サリー州は
ウォキングという都市なのだそう。


曲を貫いているのは、
街に満ちた
穏やかな日常の陰に潜んだ
拭いきれない閉塞感と、


そこに留まることを
どうしてもよしとできない、

いわば若さの暴発みたいな
エネルギーなのではないかと思う。



浜田省吾さんの幾つかの楽曲が、
よく似たテーマを


マイナーコードを基本にした展開で
見事に切り取ることに
成功しているのだけれど、

このウェラーの場合は、
むしろ重々しさや、
苛立ちといったものを


前面に出してしまうことを
あえて嫌っているようにも聴こえる。


それでもここで、
自分の足跡をついてくる

蒸気機関車の亡霊の姿に
象徴されているものは、
たぶん焦燥以外の何ものでもないだろう。


だからやっぱり、このザ・ジャムは
少なくともこのトラックは、


どこかで否定しようもなく
パンキッシュなのだと思う。


僕自身、今でもまだ、
何かと戦う時、
何かを始める時には、


なんとなくこの曲を
聴きたくなってしまったりするし。


そんな訳で、
今年のエキストラの一曲目には
この曲を
チョイスすることにした次第。

頑張ってなんとか、
この数年で一番胸を
張れる年にしたいなと思っている。