ラジオエクストラ ♭73 “Heroes” | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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いや、いずれこういう日が
必ず来ることは
どこかで覚悟こそしていたのだが。

ヒーローズ
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詳報はまだ
きちんと見てはいない。


癌だったのだそうである。

闘病生活が実に18ヶ月にも
及んでいたとの情報もある。

まずは御苦労様でした、と、
口にするべきなのかもしれない。



――ひとことただ、巨星であった。


幾度も口にしているけれど、
僕自身は、

70年代のこのボウイの
おそらくは一番輝いていた時期を、


肌で感じて知っている訳では
残念ながら決してない。



80年代のアーティストたちを
追いかけていくうち、

その誰も彼もが
自身のルーツの一部に


彼の音楽を持っていることを
やがて自ずと知るようになった。


デュランデュランはもちろんのこと、

デペッシュやエコー&バニーメン、
あるいはTFFもスパンダー・バレエも


それぞれに影響を受けた
アーティストとして


このボウイの名を口にしていた。

さらにはシンプル・マインズや
あるいはティル・チューズデイなど、


彼の楽曲にバンド名の
由来を持つグループが、


まさに自分の好みのサウンドを
作り出していることを知った。

当時流行りに流行っていた
Let’s Danceにこそ
今一食指が伸びなかったが、


あの頃もその後も、その動向には
逐一注目せざるを得なかった。


もちろんModern Loveは
カッコいいなとは思っていたけど。


だから、実をいうと
彼の昔のカタログに
きちんと全部耳を通したのは、
ずいぶんと後になってからである。


そしてそのほとんどすべての
アルバムに
まさに圧倒されたといっていい。


影響力という点では、
あのビートルズを凌ぐという見方も
間違いではないのだと改めて知った。


何よりも敬意を表すべきは、
音楽というものに対する
その貪欲さだったと思う。


とりわけHUNKY DORYから
LOWに至る時期の作品群は、


一枚として似たような
手触りのものがないうえに、

アルバムの中でも、
それぞれの曲がきちんと立っている。


たった一人のアーティストから、
こんなに様々なものが
出てくるんだという


驚きすら最早すっかり通り越した
感動があった。

しかもそのスタンスは、
晩年になっても
ほぼ揺らがなかったといっていい。


今世紀に入ってからも、
ペースこそ一時期ほどでは
なかったにせよ、


ボウイは新作を発表することを
決して止めようとはしていなかった。

その凄まじいエネルギーには、
畏敬の念すら覚えてしまう。



LOWからこのHEROESを挟み
LODGERへと至る


通例ベルリン時代と
称されているこの時期は、

ボウイ自身の中でも、
幾つかの葛藤が
せめぎあっていたのでは
ないだろうかと推察される。


薬物の問題を抱えてもいた模様だし、

いわばカルト・ヒーロー的な
ポジショニングがすっかり定着し、

音楽あるいは自身の求める美の形と、
コマーシャリズムとの間で、


心底頭を悩ませるような場面も
少なくなくあったのではないかと思う。


まあこういうのは全部、
所詮外野でしかない僕の

勝手な思い込みに過ぎない
種類のものではあるのだが、


それにしても、
そもそもあのZIGGYであり、


白人として初めて
ソウル・トレインへの
出演をはたしたシンガーであり、

レノンとのデュエットとはいえ
ビルボードでもトップ・ワンを
獲得している


人もあろうにデヴィッド・ボウイの、
そのニュー・アルバムの


大半がインストゥルメンタルの
トラックだとは、

そういうのをリリースするためには、
はたしてどれほどのハードルを、
越えなければならなかったか、


もっといってしまえば、
レコード会社を筆頭とした、


周囲との軋轢を
相当辛抱強く
克服したうえでなければ、

たぶん世に出ていなかった
作品群なのではないかと、


まあ、ついついそんなことを
考えてしまうのである。


退屈では決してない。

でも正直、ボウイの音楽が
聴きたくなるということはすなわち、


彼の歌が、声が聴きたいと
いうことでもあるのは間違いがない。


そうなると、名盤であること、
そしてその存在の歴史的意義を
重々承知しながらも、

これらの作品群を
プレイヤーに載せる頻度は、


ZIGGYやDIAMOND DOGSらの
お気に入りの作品群に比べると、


相対的にどうしても
少なくなってしまうことは否めない。


訃報に接し、まず浮かんできたのは
本当はそれこそZIGGYだった。


でも少しして思いなおした。

たぶん今日聴くには
このHeroesの方が
よほど相応しいのではないか。

何故だかそんな気がして
たまらなくなったのである。



このトラックがすごいのは、
歌というよりも、
サウンドそのものである。


初めてこの曲が
ラジオなりなんなりの
スピーカーからこぼれてきた時、

聴衆はいったい
どんな反応をしたのだろう。


本当にそれを知りたいと思う。

77年の発表当時、
これほど広大な音像を
描き出すことのできたレコードは、

たぶんほかには
見つからなかったに違いない。



冒頭から導入されてくる
KingとQueenという
ある種大時代的な表現が、


この曲の切り取る
時間軸を引き伸ばすことに
貢献しているのだとしたら、

中盤で無造作に放り込まれてくる
Dolphinの比喩は


自ずと大海原を想起させ、
音の持つ空間的な広がりを
巧妙に補強しているといっていい。


改めて本当にこのボウイ、
ソングライターや
パフォーマーとしてのみならず、

プロデューサーとしても
まるでつけ入る隙がない。


クリエイター/アーティストとしか
形容のしようがないのである。



――我々は英雄にだってなれるんだ

そういった直後にすかさず、

たとえたった一日だとしても、と
留保を付け加えてしまうことにより、


ボウイはこのトラックを
単なるアンセムの域に
留めてしまうことを
周到に回避している。

僕にはそのようにも見える。

そして、でもだからこそこの曲は、
誰にも容易には
決して真似することのできない、


そういう領域にしっかりと
手が届いているのだと思う。


それがでも、
確固たる決意の上での判断だったのか、


それともある種の
照れみたいなものの故だったのかは、


確かめてみる術は、
もう永遠に失われてしまった。


いずれにせよ、このトラックが
このボウイによってしか


この世界に顕現できなかった
美の一つの姿であることは
たぶん間違いないと思う。



素晴らしい、そして
ものすごい音楽の数々を、

本当にどうもありがとうございました。

慎んで御冥福をお祈り致します。



デヴィッド・ボウイ、
本名D.ハワード・ジョーンズ。

1947.1.8~2016.1.10。


We can be heroes, just for one day.
We can be us, just for one day.