ブログラジオ ♯107 Tarzan Boy | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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イタリアからもう一組。
バルティモラというバンドである。

Tarzan Boy/Baltimora

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本当、このTarzan Boyなる
トラックは、相当独創的だと思う。


いわばアイディア勝ちといっていい。

ちなみにこちらは85年の楽曲である。

ライヴ・エイドと同じ年、
僕が浪人していた時期である。


でも考えてみれば
どこにも所属していないという意味では、
実は今もあの時と
まったく同じようなものなのかもしれない。



さて、余談はさておき。

ディスコ・チューンというのは
大抵の場合、いわゆるフックが
どれほど強烈かという要素に
結構かかっているといっていい。


リック・ジェームスの
Super Freakなんかも
その好例だと思うのだけれど、


そういう勝負の賭け方をしている
トラックというのは結構ある。

だいぶ古くなるけれど、
ジンギスカンとかマルコ・ポーロとか


まずそういう
おそらくは誰でも知っている名前を
わざわざ引っ張り出してきて、


そのイメージとバッティングしない
ラインなりフレーズなりを
キーにして、音楽の全体を構成する。

そうやって人目を引くというか、
耳目を集めるというアプローチも、


昔からやはりそれなりの
成功を収めてきている訳である。



このバルティモラなるグループが
目をつけたのは、

一目瞭然だが、
あのターザンだった訳である。


確かに誰でも知っていて、
音楽の世界とは、
普通はちょっとかけ離れて見える。


そのキャラクターを
キー・モチーフに据えた同曲は、

まずあからさまなシンセドラムの
フィル・インで幕を開け、


それからすぐ、
よくあるパターンのベースに、


ちょっと歪ませたギターが
乗っかってきて、
曲のタッチを決めてくる。

次にいよいよ満を持して、
コーラスが入ってくるのだが、


このラインが、実に見事なのである。

まさしくターザンの
雄叫びのような
このスキャットの旋律は、
一発で頭に入ってきてしまう。

むしろ忘れることができない。

蔦みたいな植物を
ロープ代わりにしてつかまって、


もう片方の手を
口元へと運び、

叫び声を上げながら宙を飛んでいく、
そういう主人公のイメージが
確実に浮かんできてしまう。


当然衣裳は、腰に巻かれた
たぶん毛皮の切れ端だけである。


SE的にかぶさってくる
シンセの音も、
ちゃんと猛獣の声みたいに響くし、

まさしくジャングルの景色なのである。

いや、たぶんジャンルのジャングルとは
あまり関係ないと思うが、


ひょっとしてこの辺が起源なのか?

あんまりそういう感じの
音の作り方じゃないとは思うのだけれど。



さて、このバルティモラなるグループ、
仕掛け人というか、キーパーソンは、
鍵盤のバッシという人物である。


ミュージシャンにして
プロデューサーだったということらしい。

名前から明らかな通り、
こちらがイタリアの方である。


そしてこのバッシが、
北アイルランド出身の


ジミー・マクシェインという
人物と出会ったところから、
グループの歴史が始まっていく。

当時このマクシェインは、
救急救命士をやっていたそうで、


イタリア人のミュージシャンが、
どうしてアイルランドで、
救急車に乗ることになったのかは不明。


いや、本当にそういう
出会い方だったかどうかも
実はよくわからない。

バーとかで、たまたま
知り合っただけかもしれない。


でもいずれにせよ
たぶん、このバッシは
マクシェインのことを
ある意味見初めたのだと思う。



とりわけ英米の
ディスコ/クラブ・シーンというのは、
いわゆるゲイ・コミュニティの
影響力が強くて、

ジミー・ソマーヴィル(♯30)や、
ピート・バーンズ(♯91)は
もちろんのことだけれど、


あるいはバナナラマ(♯25)なんかも、
この辺りの支持層を基盤にして、
ヒットを飛ばしていたりする。


Venus(♭56)のビデオに、
露出度の高い男性ダンサーが
たくさん登場してくるのには、

実はそういう方面の需要に
応えようとする意図があったりもする。


後年のレイヴなんて
ムーヴメントも、
この辺りの社会とも決して無縁ではない。


また、海を渡ったアメリカにも、
ボーイズ・タウン・ギャングなんて
ユニットがあるのだけれど、

これ要は、彼らの出身の
シカゴがそういう街だったんで、
こんな名前になっている。



バッシ自身がゲイ、すなわち
いわゆるオネエというか、


そっちの人だったのかどうかは
ウラが取れていないけれど、

マクシェインにはそちらの社会で
ルビーなんて通り名が
あったという記載もあるので、
確実にそういう方だったのだと思う。


バッシはだから、
このマクシェインをフロントに据え、


バンドの形で自分の音楽を
やることに決めるのである。

個人的な恋愛感情が
あったかどうかはともかくとして、


だからたぶん、
彼ならばそういう方面の人気を
十分以上に取り込めるだろうという
目算があったのだと思われる。



実際このTarzan Boyでも
リード・ヴォーカルは
実はバッシの声なのだそう。

ところがビデオでは、
マクシェインがリップシンク、


つまりは口パクを
やっているのだそうである。


バッシはじめほかのメンバーは
映されてさえいない。

でもその方がむしろ
よかったのだろう。


いやしかし、実にまったく
いろいろなことを
考える人がいるものである。


まあでも、そこまでしたうえで、
このTarzan Boyの
ヒットを残せたのだから、

それはそれでありなのかもしれない。

ちなみにマクシェインの肉声は
どうやら同曲のコーラスの部分で
多少は聴けるということらしい。



鈴鹿ひろ美さんではないけれど、
まあこういうのは
あるところには本当にあって、

そのままグラミーまで
取ってしまって
どうにも収集がつかなくなった


ミリ・ヴァニリ事件なんてのも
90年代になってから
起きていたりもするのだけれど、


まあこの話は機会を譲ることにする。


実際このTarzan Boy、
ヨーロッパでの実績はものすごい。


フランスとオランダで一位を獲得、
イギリスでも三位まで上昇し、


ほか、カナダを含む計7カ国で、
トップ5に入る
大ヒットとなっている。

しかしながら、続いて発表された
デビュー・アルバムの売れ行きは
まったく芳しくなく、


さらに87年発表のセカンドは
チャートアクションさえ
残せないような惨敗ぶりで、


バルティモラは契約を打ち切られ、
バッシはバンドの解散を決意する。

実働2年という、
極めて短命なバンドであった。


バッシのその後の消息は
さすがにわからなかったけれど、


マクシェインの方は95年にすでに
エイズによる合併症で
この世を去っている模様である。


では締めのトリビアに行く。


実はこのTarzan Boy、
アメリカでは86年に13位まで
上昇したのが最高位なのだけれど、


バンドがなくなって
しまった後の93年に、

ある企業が自社の看板商品の
コマーシャル・ソングに
この曲を起用したことで、


小規模ながら、いわゆる
リヴァイバル・ヒットを記録している。


要らぬもったいをつけたけれど、
ある企業とは、
薬品メーカーである。

そしてその看板商品とは、


これがリステリンなのである。


いや、このネタ拾った時は、
本当に手を打って受けてしまった。

曲を知ってる人にはたぶんわかる。

だから、この歌のキモは、
何度も繰り返すけれど


冒頭のスキャットの
雄叫びのようなコーラスなのである。

それ以外には何もない。
そういいきってもいいくらい。


しかしながら、この箇所を、
文字だけで再現することは、
性質上どうしたって難しい。


――でもやってみる。

オオ オーオオーオオオ
オーオーオ オーオー

オオ オーオオーオオオ
オーオーオ オーオー


なんじゃこりゃ、
だな、しかしまったく。


さて、おわかりいただけただろうか。

確かにうがいの場面に
これ以上相応しい
BGMなど有り得ないのである。


上向いて歌えるかどうか、
今度ちゃんとやってみないとな。



まあ、という訳でこの季節、
外から帰ってくるたびに、
たぶん僕の頭の中には必ず、

このTarzan Boyが
響き渡ることに
なってしまいそうなのである。


いや、なんといおうか。

しまったなあ、という感じである。


ですから皆さんにも
今回は是非
道連れになっていただきたい。


うがいの時は、頭の中で、

オオ オーオオーオオオ
オーオーオ オーオー、です。

日本でも同じネタで
CMやればいいのに。



さて、イタリア編は今回でお終い。

次回は今やなくなってしまった、
ユーゴスラヴィア出身の
アーティストを取り上げる予定である。

まったく、時代は変わるものである。