リブログ記事天使ママ 人生を立て直す(キャリア編)
久々の投稿です。『病気休職中の妊娠出産』は、今でも毎月90くらいアクセスのある人気記事で、世の中には同じような悩みでたくさん悩んでいる方がいると思うと胸が苦しくなります。さて、娘を24週で早産して、NICUでの治療を経て見送ってから、6年半。早産〜死別のショック・ストレスで、うつ状態・不安障害となり、小学校教員の仕事は、産後休暇明け病気休職となりました…。休職3年目に妊娠、早産既往のハイリスクを乗り換え、なんとか次子を出産。育休への以降は認められなかったこともあり退職をしました。それから現在まで約3年間、退職金や貯金の切り崩し生活をしてきました。天使ママ歴7年目。現在日常生活を送れるほどには、心身ともに健康です。でも確実に死別前と同じではないです。悲しみは消えないし、フラッシュバックすることはあるし、自身や子どもの些細な体調不良にも過敏に反応するし恐怖心が強くなって、正直生きづらいです。子育ても過敏・過保護にならざるを得なく、難しさを感じています。でも、きっとそれだけの経験をしてきたのだから仕方ないと割り切っています。ちゃんと今の幸せを噛み締めて生きることができているから大丈夫。心には娘がちゃんといるから大丈夫。娘が亡くなった後に生まれたレインボーベビーは、春から幼稚園生です。このタイミングで私も仕事を再開します。今回は天使ママとして、人生(主にキャリア)をもう一度スタートする過程を記録しておきます。同じ経験をした方の参考になることを願って。さて、教員を辞めた理由/戻る選択をしなかった理由。(育休とれない時点で辞めざるを得なかったのですが)□早産に追い込んだ職場環境(過労)□子供が好きで教員になったのに自分の子どもを犠牲(早産)にしてしまったことへの後悔 (子どもを犠牲・負担を強いながら働くという同じ過ちを繰り返したくない)□子育てと両立しやすい柔軟な働き方ができない。(時差出勤、在宅ワークなど)→要するに教員という働き方・職場環境は今の自分とミスマッチ。 子どもが好きだからこそ、自分の子どもを一番に大事にしたい。それが幸せでありやりがい。□そもそも教員を選んだ頃(高3~大学時代)に比べ、自分の視野が広がった。→高3の頃、スクールカウンセラーを目指していたが大学院必須と知り断念。 であればと、小学校教員を目指し教育学科へ。 田舎で平凡な家庭に育った私は、親のススメである公務員なら間違いないと思ってた。 子ども時代って身近な働く大人・キャリア像代表である学校の先生ってすごく親近感やイメージ沸きません? 学校好きだし、勉強好きだし、子ども好きだし、違和感なく教員目指したし、 働いているときは、適職とも思ったし向いてないとも思ったけど、まぁ将来有望な教員でした。 (NOといえない性格、子どものためにと勤勉な性格ゆえ、仕事たくさん任されて過労で早産しましたが) 社会人になり、結婚したり、子育てしたり、子ども亡くしたり、メンタルの病気になったり、 ママ友という人間関係広がり(学生時代では仲良くならない出会えないタイプの人柄・職業の人とも仲良くなれる!) いろんな世界を知り、いろんな経験をして、 教員という仕事に魅力や誇りを感じなくなってしまったのが実情です。 だから、戻るという選択はありませんでした。でも一番は、生き直したい。この一言に尽きます。私がもっと早く対応できれば早産しなくて済んだかもしれないのに、私は助かって、娘はダメだった。全てが嫌になって、生きているのも申し訳なくて、でも長男いたし勇気もでなくて、後追いできなくて。生きながらにして生き直す、これが私の選んだ選択。娘の死後はお互い責め合って、離婚も考えたけど、なんとかやり直すことができた。でも、キャリアについては、何事もなかったかのように戻る選択はできなかった。何も変わらなければ、あの子の存在すらなかったかのようになってしまう。いつだって、私の原点にはあの子がいる、そうやって生きていきたくて、そういう選択をしてきました。そして、第二のキャリアは、全く異業種を選択しました。いろいろ経験した私だからこそ出会えた、今の私が本当にやりたいと思った仕事です。退職してから再就職が決まるまでの3年間は、以前ハローワークの相談員さんに言われた「(子育て中でも)何もしない10年と、何かした10年では、そのあとのキャリアが変わる」という助言をもとにこつこつ努力をしました。□通信講座で学ぶ□薄給でも業務委託(在宅ワーク)で経験を積む□その分野に強い転職サイト登録□企業HPで直接求人探す です。子育てしながらで業種も絞っていたので、入社時期は急いでいなかったので、実質2年くらいゆるゆると就活。興味のある求人があれば応募する程度でした。最初は、まぁ書類で落ちる落ちる。そもそも年齢35歳でアウトだったり、経験〇年でアウトのこともたくさん。それでもダメもとで何度もアタック。風向きが変わったのは、在宅ワークの経験が増えたことで、面接に進めるようになりました。ほんとにコツコツとスモールステップで夢に近づいて行った感じです。私のような経歴だと、面接で必ず聞かれたのは、□教員を辞めた詳しい経緯・理由→正直に娘の死別がきっかけと伝えました。まるで早産は自己管理ができていないのではないか!?というニュアンスで根掘り葉掘り聞かれたことも。□10年以上も教員やっていたのに、辞めるなんてもったいない!戻る気はありますか?→この質問の意図とは…入社してすぐ辞められることを勘ぐっている?こっちはそんな覚悟で就活してないのに!アラフォーで異業種転職ということがネックなのか、まぁ細かく聞かれました。あとは一般的な質問かと思いますが、子育て中だけど残業できる?、お子さんの預け先は?、家族の協力体制は?等々、本当に子育て中の女性は明らかに不利な質問を多数受けました…。でもですね、就活というのは本当にご縁で、内定を頂いた会社は、上記のような野暮な質問はありませんでした。履歴書から娘が亡くなったことを汲み取り、そうした経験があるなら転職考えることも自然な流れだと理解してくださったし、教員の仕事と新たな仕事は、「伝える」という点で繋がっていること、わざわざ私が説明しなくても理解してくれたし、これまで全ての経験が新たな仕事でも生かせるという考えでした。もちろん子育てにも理解があるし、30代での異業種転職も「まだまだ若い!」と応援してくれました。転職活動中、エージェントにも「教員経験だけ、その年齢では難しい」とあしらわれ、面接でも面接官にコケにされ、未経験のくせに育児中で役に立たぬという反応をされ、完全に自己肯定感急落していましたが、長期スパンで私を使えると考えてくださり、全てを包み込んでくださる会社に出会えました。本当にありがたくって、この会社のために末永く奉公する所存です。もう一度いいます。私がここまできたのには6年半かかっています。ようやく、やっとです。だから、今、天使ママになってつらくて悲しくて何もできないとしても、人生立ち止まってしまっても、0どころかマイナススタートになっても、何年もかけて一歩一歩また歩みだせば、いつかお空の子にも誇れる自分になれると思います。全ての経験に意味があったと思える日がくると思います。お空の子と一緒に、ずっとずっと生きていくことはできます。・・・・・・と偉そうに語ってしまいましたが、私も、先日、レインボーベビーの学資保険の契約をしたときに、いろんな告知をするなかで、心療内科に通院していたこと伝えたら、場の空気が「あぁ...」って感じに固まって重くなって、さぁ~と引かれたのを感じて、久々にダメージくらいました。いくら今、前向きに進んでいても、メンタル病んで休職したことも心療内科通院したことも消えない、なかったことにできない。負い目に感じてしまう、ダメなことに感じてしまう、あのころはそうやって生きることしかできなかったのに、その自分を否定してしまう自分を知ってしまう。不思議だよね。あの経験したことで、人の悲しみや苦労への想像力や理解力が高まったのに、まだまだ自分に対して偏見の目が向けられると堂々とできない。過去の私も、今の私も、未来の私も、全部包み込める人になりたいです。一緒に、3歩進んで2歩下がるの人生を歩んでいきましょう。またブログ書くのはいつになるか分かりませんが、今もたくさんの方にアクセスいただき感謝です。よき方向に進んでいくことをお祈りしております。