発見
気分をすっきりさせたくて、2001年に放送された「踊る大走査線 秋の犯罪撲滅スペシャル」なるタイトルのDVDをレンタルした。
まぁ、テレビ放送された2時間版の特別ドラマだ。
折も折、DVDを見始めて数分たったところで、昨日は、「踊る大走査線 THE MOVIE 2」がテレビ放送されたので、そちらも見た。
映画には、当時は無名だった、佐々木蔵之介、小泉孝太郎、そして、まだ幼い子供役の神木隆之介が出ていたた。
発見だった。
そして・・・・もう1つの発見
「踊る」って、決して陽気なドラマではなかったのですね。
むしろ、情緒的で、しっとりとした、ドラマだったのですね。
それを重たく見せないために、ところどころに、お笑いの要素をちりばめていた。
そんな発見をした。
私のこれまでの「踊る」に対するイメージは、端から端まですべて陽気なエピソードで構成されていて、ストーリーの落としどころで、お涙頂戴とまではいかないまでも、ちょっと、しっとりするような感動を提供してくれるドラマというものだった。
でも、昨日見た、映画とドラマの両方は、そのイメージとは正反対だった。
映画「踊る2」はこれまで何回も見ていたのに、なぜいままでと違う印象をうけたのでだろう。
楽しい気分になるつもりで見たドラマも映画も、鑑賞後は、なにかさびしい気分になってしまった。
魅力
人の魅力はなにによって決まるのでしょうか。
魅力的な人は、みな、とてもパワーを持っています。
圧倒されるような存在感みなぎるパワーを持っています。
そのパワーは、先天的なものなのでしょうか。
それとも、後天的なものなのでしょうか。
おそらく、その両方であり、そして、後者の要素がより大きいのだと思います。
たぶん、人を魅了する努力を、意識的にしろ、無意識的にしろ、実践しているからこそ、魅力的なのだと思います。
今の私は、何かをしてもらう、されることばかりを期待しています。
自分が、相手を魅了することではなく、魅力的な相手から好かれることだけを考えています。
自分はなにもしないで、そればかりを期待しています。
白馬の王子を待つのと同じ。他力本願、神様頼りです。
磁石と同じように、たとえ相反する方向の魅力であったとしても、お互いが魅力的であろうとする努力と、そして実際の魅力的なパワーを持っていない限り、それぞれが引き寄せられ、くっつくことはないのでしょう。
やはり私には努力が足りない。
魅力的な男になるための努力が、決定的に足りない。
でも、魅力的な男になるための努力とは、いったい、なにをすることなのでしょうか。
違和感
映画ではなないが、今クールのドラマとして、フジの「ジョーカー許されざる捜査官」を見た。(録画したのを昨日みた)
う~ん、杏、がかわいい!
主演の堺雅人。
嫌いな役者ではないが、正直、主役を張る俳優ではないような気がする。
俺の見立てるところ、彼は、脇役俳優だろう。
ファンには申し訳ないが。
年齢は、確か、35歳。
ほぼ俺と同じ歳。
役者としては、少々、遅咲きのような気がするが、俺的には「篤姫」でブレイクする以前から、しょっちゅう、彼は映画やドラマで脇役として見ていた気がする。
具体的には覚えてないけど。
とりあえず鮮明なのは、映画「クライマーズハイ」
先にも書いたが、堺雅人は嫌いな俳優ではない。
むしろ、好きな俳優だ。
でも、どうしても、主役、としては見劣りがするような気がする。
さて、このドラマそのものの感想だが・・・
一言で言うと「違和感」
なんだろう、この、フジのドラマらしからぬ脚本のたどたどしさは。
途中何度も「これ本当にフジ?テレ朝のドラマじゃないの?」と思ったほど。
その原因がどこにあるのか、考えているのだが、理由がはっきりしない。
ドラマ初回にしては少々インパクトに弱いし、そもそも、物語の基本的な筋を説明するという初回の役割も不十分なような気がした。
配役のせいだろうか??
少なくとも、被害者の父親の俳優(「ガリレオ」にも出演してたけど)の演技がどうもしっくりこなかった。
なにか「裏にある事情を隠している」ということを演じているような演技だった。
(結局、それは俺のまったくの勘ぐで、結局ただの被害者の父親だったのだが)
「ガリレオ」のときは、そんなに違和感を感じない演技だったけど。
まぁ、ともかく、初回を見た感想としては「二流ドラマ」という感じ。
もうちょっと華と重量感が欲しい。
杏はかわいいけど。(ドラマのキャラは少々陳腐だが)
むしろ
映画「アバター」
公開当時は、ついぞ、見ることはできなかったけど、レンタルして昨日見てみた。
映画を見た人は大抵「画像は綺麗だけど、内容はイマイチ」的なことを言ってたので、「そんなもんだろうな」と思ってみてみたら・・・
案外、おもしろいじゃん。
なんとなく、「風の谷のナウシカ」に似ているシーンがあったりしたけど、あるいは、「スターウォーズエピソードワン」を彷彿とさせるシーンもあったけれど、全体としては、楽しいなと思えた。
それにしても、主人公ジェイクの相手の原住民。
見ていると、どうしても、神田うのを思い出す。。。。。
ジェイクは、結局、アバターと同一化して生涯を終えるのか。
彼女との出会いは、運命なのか。
うらやましい。
結局、この映画をみていて思った。
確かに、「出会い」そのものは「運命」なのかもしれないが、結果として「恋に落ちる」「恋人になる」には、やはり、「相手に何かをしてあげる」あるいは、「なにかをしている姿をみせる」っていうことが必要なんだよなって。
出会っただけで、結ばれる、なんてことはありえないよな。
アクションとリアクション。
結局、恋愛もその二つの組み合わせで起こることだから、少なくとも、出会って、いいな、と思った人には、アクションを起さないとな。
俺の場合、俺が仕事をしてる姿が、一番かっこいいんだけどな。
痛快感
「踊る大走査線3」を見た。
感想を一言で言うと、イマイチ。
なぜらな、期待していたものをちゃんと見せてくれなかったから。
期待していたもの・・・
それは、痛快感。
所轄が本店を出し抜く痛快感。
室井さんの正義が報われる痛快感。
それが、今回の「踊る3」には見られなかった。
それはまるで、数年前の映画「MI3」を見たときと同じ感想だった。
あの有名なテーマ曲にのって、主役のトムクルーズが、あっと驚くトリック仕掛けの作戦をやってのける、それこそを期待していたのに、それがまったくなかったあの映画。
痛快感の欠如。
それは、作り手側の色気であって、観客の失望のような気がする。
まさにその「MI3」の失敗を彷彿とさせる「踊る3」だった。
敗因の第一は、俳優の多さ。
小栗旬、内田有紀、小泉今日子、伊藤敦、小泉純一郎、ユースケサンタマリア、柳葉敏郎、深津絵里、織田裕二。
スポットの当たる俳優が多すぎて、ストーリー展開を冗長にさせた。
特に、伊藤敦の他のドラマに見られる役柄と同じような配役は、見ていてイライラした。
曰く「つかぬ事をお伺いしますが・・・」
第二は、小細工、小ネタの多さ。
ちょっとした笑いをとるためのシーンが多すぎた。
なぜに、「有頂天ホテル」よろしく、署内で動物を追い回すシーンが必要なのか?
第三は、事件の新鮮さのなさ。
またまた、パソコンお宅的な若者の犯罪。
斬新さはなく、そればかりか、そんな彼らを、「まともな大人」としての織田裕二が、「コラ~!!」「大人をなめんなよ!」と一喝するようなストーリー展開でもない。
すべてが期待はずれ。
正直、観客は、いつもの、単純に言えば素人でもわかる「勧善懲悪」的な痛快感を求めていただけなのに、見せられたのは、素人にはどうでもいい「プロのテクニック」といった感じ。
痛快感
閉塞的な世の中と、自分自身の人生に、せめて映画の中だけでもと、ソレを求めてお金を払ったのに。
残念だ。
ルビコン
東京12チャンネル、なんて呼び方はもうないか。
テレビ東京のドキュメンタリ「ルビコンの決断」
紀元前、カエサルは、「賽は投げられた」といって、ひょこんと飛び越えた川、ルビコ~ン
で、昨日の内容は、花王「アタックNEO」の商品開発。
一昨年の夏くらいだったかに、生まれ変わった液体洗濯洗剤「アタック」
なんと、すすぎが1回で済むという画期的な商品でした。
ちなみに、我が家の洗濯機は、すすぎの回数を指定できないので、
このアタックNEOを買っても、宝の持ち腐れですが。
花王は、母親が若い頃勤めていた会社です。
昭和30年代ですね。
当時の男性の同僚は、出世して副社長ぐらいになっていました。
いい会社です。
私も入社したかった、な。
私が憧れている仕事は、
「日々やることが違うような仕事」
ルーチンワークではなく、マンネリになることもない、
昨日同じ時間にやっていたことと、今日同じ時間にやっていることが、ぜんぜん違うような仕事。
そんな仕事に憧れます。
それと、チームでやる仕事かな。
思えば、私の仕事はいつも一人だった。
それとそれと、頭と体力の両方を使う仕事。
デスクワークだけでは、やっぱり、充実感がない。
あぁ、学生のとき、これくらい仕事への憧れをもってたらな・・・
いい就職活動ができたような気がする。
で、番組では、商品開発を手がける一人の女性社員が、自分の信念を貫き通し「アタックNEO」を商品化するまでの話を紹介。
来る日も来る日も、悩み考え、会社の上層部を説得し、開発研究部隊と協力し、成功を修めるまでのお話。
つくづく、俺もあんな仕事がしてみたいと、思った。
男女格差
週刊文春の書評欄に、小倉千加子著「結婚の才能」のそれが載っていた。
結婚に対する男女の意識の違い。
男性にとって、結婚式は、これからの新しい生活に向けた旅立つための節目であり、通過点である。
しかし、女性にとっては、いままでの自分とはサヨナラし、新しい自分に生まれ変わって着地する最終目的地である。
う~ん。
女性は、結婚にそこまで期待しているのか。
男である私には、ちょっと、荷が重いな。
とはいえ、正直なところ、私も、結婚をある意味「人生のリセット」のように思い描いていなくもない。
これまで、三十数年間、極端に言えば、自分のことしか考えてこなかった、底の浅い人生。
そんな人生に見切りをつけ、結婚後は、
お相手の人生をも考え、家族の人生をも考える、
そんな複眼的で、幅があって、厚みのある人間に成長できて、
そしてその分だけ深みのある濃厚な人生をすごせることに、
なんともいえない期待を持っている。
書評は続く、曰く
現代の多数の若い女性は、
親のように自分を守ってくれて、
経済的に支えてくれて、
精神的に支配可能な
男性を捕まえることができれば、そこが安全で幸運な人生の最終地点であると考えている。
う~ん。
最後の精神的に支配は可能な男性だけは、自分にもなれる自信がある。
タイプ
仕事をする人間には、二つのタイプがいると思う。
『仕事は忙しいですか?』と他人から問われたとき、
『はい、忙しいです』と常に答えるタイプ、と
『いえ、ぜんぜん』と常に答えるタイプ、と。
なにを隠そう、私は、後者だ。
誇張ではなく、これまでの10年以上に渡る社会人生活を振り返って、
今、自分は忙しいな、と思ったことがない。
もしかしたら、現実にそうだったのかもしれないが、本当に、一度足りともない。
確かに、客観的に見て、物理的に時間が長時間拘束される仕事をした経験はある。
たぶんだけど。
でも、そのときですら、自分は他人に『忙しいです』と言えるほど、忙しいとは思っていなかった。
なぜなら、
同じ仕事をもし他人がしていたら、もっと効率、簡単によくこなすのではないか、
今の状況を『忙しい』と言ってしまったら、世の中にいるもっと忙しい人は、自分自身ことをなんと表現すればよくなるのか
他人に『忙しい』なんて言ったら、この程度の仕事で、忙しいくなっちゃうんだ、と思われはしないか
てなことを、考えてしまうからだ。
とはいえ、やはり私は、これまでの社会人生活のなかで本当に『忙しい仕事』をしてこなかったんだと思う。
それは、たまたまそういう運命だったのかもしれないが、おそらく、そうではあるまい。
私は、たぶん、本能的に、そういう仕事から(結果として忙しい仕事)から逃げてきたんだと思う。
忙しい仕事、つまり、責任のある仕事から。
さて、こんなどうしようもない私ではあるが、たまに、他人を評価するような立場に立つことがある。
そんなとき、評価される人が、たまに、こんなことを言う。
『忙しいから、できませんでした』
私は、この言葉にとてもとても、論理的な違和感を感じる。
『忙しい』が『原因』で、『できなかった』が『結果』???
たくさんのことを『やらなければならない』から、『忙しい』じゃないのか??
『やること』が『原因』で、『忙しい』が『結果』だろ??
人は、たまに、実際にはやっていないにもかかわらず、やらなければならないことを列挙するだけで、やった気になったりする。
やらなければならないことを実際にやるからこそ、忙しい、という状況がはじめて発生するのに、やらなければならないこをがたくさんあることを確認しただけで、忙しい、という状況判断をする。
だって、結局、『できなかった』ら、それは、『やらなかった』ということであって、ならば、『やらなければならないこと』が減ったんだから、暇、になったんじゃないのか??
まぁ、私の理屈、屁理屈への反論の余地は、大いにあるけどね。
ちくわとドーナツ
自民党の参議院幹事長だった青木幹夫氏の記事が、
週刊ポストに載っていた。
ちなみに、週刊ポストは、学生のとき毎週購読していたが、
数年ぶりに買ってみた。
その記事のなかに、面白いことが書いてあった。
田中角栄とその派閥の中のお話。
ある新人議員が、派閥の中で出世するための極意を、
先輩議員に聞いたとき、先輩がこう言った
先輩「もし、われわれのボスが、『あのカラスは白いよな』と言ったら、お前なんと答える?」
新人「もちろん、『はい、白いです』と答えます」
先輩「だめだよ、それじゃ。」
新人「・・・」
先輩「『はい、まっ白です』って答えなくちゃ」
う~ん、
面白い。
「馬鹿」という言葉源は、上のようなエピソードを故事として生まれたそうな。
中国初の統一王朝「秦帝国」の末期、二代皇帝胡亥の側近で、宦官の趙高が
皇帝に献上された馬を目にして言い放った。
趙高「皇帝、鹿でございます」
胡亥「なにを言ってる、馬じゃないか」
趙高は、皇帝の意向にそって馬だと言った部下を、その後、粛清した。
私のかつての上司も言っていた。
なんだかんだいって、一緒に仕事をして楽しいのは、
「仕事ができるヤツ」ではなくて、
「なんでもはいはいと素直に聞いて、動いてくれるヤツ」だと。
確かに、感情的な動物である人間である以上、それが正直なところなのだろう。
聖徳太子は十七条憲法の第一条に
「和を以て尊しとなす」と言った。
二条には、仏法を敬え、
三条には、天皇の命令を聞け
と続く。
つまり、太子は、天皇よりも、仏様よりも、なによりも「和」が重要なんだと見抜いていたわけだ。
古来「日本」は「わ」と呼ばれた。
「和」という国名は、おそらく、我々日本民族の歴史的な経験から生まれた、
かけがいのない「信条」なのだろう。
努力
コンカツにおける「努力」ってなんなのでしょうか。
正直、それがわからなくって、わからなくって。
相談所で、風水などを見てくれるカウンセラーも、
よくブログで、「努力しましょう」と書いているのですが、
具体体になにをするこに「努力」しなければならないのか、
良くわからないのです。
それは、可能な限りお見合いをしなさい
ということなのか。
あるいは、お付き合いしている人がいたとしたら、
その人に積極的にメールや電話をして猛アタックしなさい
ということなのか。
おそらくたぶん、いわゆる「自分磨き」をしなさい
ということだとは思うのですが、
では、私にとっての「自分磨き」は、具体的にはなにになるのか。
そんなことを、なんともすっきりしない頭で悩んでいます。
自分磨き、か。
確かに、「もてる男」になることは、要するに「魅力的な男」になることだし、
「魅力的な男」は、洗練された「磨かれた男」だしな。
あとは、どう、なにを、磨くかだ。
私の場合は、外見もそうだけど、やはり、会話術かな。
頭の調子のいいとき、自分が気分的に調子のいいときは、
思い白い単語とかがすっと浮かんで、相手を笑わせたりできるんだけど、
頭が弛緩して、気分がなんとなくボーとしていると、
気の利いた言葉もでなくて、だまってしまうんだよな。
会話術。
どうすれば、磨けるだろうか。
どうすれば。