雨
私のこのつまらない日記を読んでくれている人はいるのでしょうか?
もしいたならば、私としてはなんとも嬉しい限りです。
依然として、気分の晴れない日が続いております。
なにをどうすればいいのか。
仕事中、シンガポールに在住の友人とチャットをしまいた。
その人は「ボランティアでもしたらどうですか?」と言ってくれました。
いいアイデアかもしれません。
確かに、慈善活動に興味があるわけではないのですが、
人とのコミュニケーションを求めて、そいう活動をするのも1つのよい機会かと。。。
ただ、真面目にボランティアをされている方には、申し訳ありませんよね。
人から悪人と思われることは、とても悲しいことです。
すべての行動と結果は、事実として自己の責任に帰結しますが、
それでもやはり、ショックです。
前をむくこと
何気なく実家に帰ったら、父親の誕生日であることを思い出しました。
父親は今年で69歳になります。
相談所のカウンセラーに薦められ、相談所主催のカラーセミナーに行ってきました。
私には、私の好きな紺色か、あるいは、ピンクが似合うそうです。
でも私はピンクが嫌いです。
なんか、ピンクを着ることがキザなような気がして。
私は落ち着いた、無難な色が好きなのです。
コンカツに行き詰まり感を感じている私を励まそうと、カウンセラーの方は、今回のセミナーに誘ってくれました。
今までの経験から、このカラーセミナーの参加者は、みんな元気になって帰って行ったから、とのことでした。
確かに、講師の方は、スーツを着ていた私に対し、スーツ、靴、ベルト、ネクタイ
Yシャツ以外はすべて褒めてくれました。
だから、カウンセラーが言うように、悪い気はしなかったのですが。。。
ただ、正直、おだてられているだけのような気がして。
最後の最後、服装よりもなによりも、結局、印象の中で一番大きな要素となるのは、
顔の造形なのではないかという思いが、私にはぬぐいきれず。。。
人と話していると明るくなれます。
自分でも悩んでいることを忘れて、笑顔で話せるようになります。
気分も高揚してきます。
でも、ひとりになると、暗い気持ちになります。
暗い気持ちはいいことを生みません。
気分転換に、今日セミナーで指摘されたことを実践すべく、デパートで買い物をしようと思ったのですが。
残念ながら途中で、気力がなえてしまいました。
カウンセラーは一生懸命私を励ましてくれました。
とてもありがたく、そして、それに甘えていることがとても悪いことのように思えてきました。
この事態を打開するためには、結果を出す以外にはないと思っています。
「「実績」以上に説得力をもつものはない」
そんなことを、5年間で1000億円以上の売り上げを伸ばしたマクドナルドの社長が言っていました。
私にとっての実績とは1日も早くお相手を見つけることです。
そのためには、悩んだり、落ち込んでいたりしても仕方ありません。
後悔はいっぱいありますが、今必要なのは、後ろを向くことではなく、前を向くことです。
そして、願わくば、1日も早く出会いたい。
「大休はお得です」
JRのとある駅の柱に掲げられていた広告のキャッチコピーです。
数本の柱に掲げられていました。
はて、これはなんの宣伝なのか??
「大休」って??
近所のスーパーの名前なのかな?
と思ったのですが、名前にしてはちょっと変だし。
でも、なぞはすぐに解明しました。
「大休」とは、「大人の休日倶楽部 」の略だったのでした。
さすがに「大休」とだけでは、誰も理解できないことは、
広告主もわかっているはずですが、逆にそれが狙いでもあるのでしょう。
いずれにしろ、私のような者にこうしてブログの中で宣伝してもらえることになったのですから、
JRもシメシメと思っていることでしょう。
JRになんの利害関係もありませんが、いつもお世話になっているので、まぁいいですかね。
さて本題のコンカツ。
昨日も書きましたが、進展はありません。
昨日、改めて自分自身のことを考えてみました。
そして、忘れていたあることを思い出しました。
それにしても、私のお相手は本当に見つかるのでしょうか。
膠着
ここ数年の私の読書のテーマは、第二次世界大戦。
知っているようで知らない事実が、読書を通じていろいろ発見できる。
一時期、確か、大河ドラマで「新撰組」をやっていたときは、
幕末明治維新が読書テーマだった。
そうだ!
その年の夏休み(といっても9月末だったが)は、
山陰、北九州一人旅で、山口の萩に行ったっけ。
今読んでいる本は「ヒトラーの戦い」
児島襄著、全9巻の大著。
数年前に読破したけど、なんとなくまた読みたくなったので、読み始めた。
今はまだ3巻目。
児島襄氏の著書は、どれもすごい。
細かいところまで調べつくしていて、本当に圧倒される。
たぶん私だったら、この「ヒトラーの戦い」を書くだけで、一生を費やしてしまうだろう。
児島氏の著書で他に読んだのは、
「太平洋戦争」「満州帝国」「GHQ」だったかな。
あっ、そうだそうだ!「朝鮮戦争」もあった。
だけど、「朝鮮戦争」は途中で挫折。
だって、登場人物が全部「金」なんだもん!
で、なにが言いたいのかというと・・・
コンカツである。
はかばかしい進展はなにもないまま、もう何日経過しただろうか。
業を煮やした両親は、恋愛成就で最近話題の都内の有名な神社で、私のために祈祷をしてもらったようだ。
なんともありがたい。
先日は、相談所のカウンセラーに最近の状況につて、電話とメールで泣き言を聞いてもらた。
カウンセラーは暖かく励ましてくれた。
それにしても・・・
生きるということは、なんて難しいことなのだろう。
悪いことさえしていなければ、無難な人生は送れるものだと思っていたけど、
どうやらそれは大きな間違いだったようだ。
時代のせいもあるかもしれないが、やはり、大きくは自分自身の責任なのだろう。
努力、努力、努力。
楽しく、幸せに生きていくためには、なにかをし続けなければならないようだ。
で、俺はやっぱり、なにが言いたかったのだろうか。。。
親の思い
親の思い子知らず
私の、親に対する不遜な態度は、多分にこの格言を体現したものなのかもしれません。
コンカツは、座礁してしまった感がありますが、そのことは親にも伝播し、親は親なりに、あせりながら、私の相手を懸命にツテをたよって探しています。
そして、今日、そのツテから1つのお話が親のもとに届いたようです。
さっそく母親は私に電話してきました。
母親「○○さんの紹介で、(私と)会ってもいいっと言っている人がいるんだけど。どう?電話番号は聞いているだけど、会ってみない?」
私「写真は?相手のプロフィールは?」
母親「話だけしか聞いてないし、(相手の写真は)ない。とりあえず、会ってみて、それで、もしいい人だったら・・・」
私「相手の人は、俺の写真は見たの?」
母親「見てない」
私以外の方に、あるいは、本格的にコンカツをしている人以外の方には、もしかしたら理解してもらえないかもしれませんが、私は、この母親の感覚にとても腹を立ててしまったのです。
思うに、相手の女性の方は、さほど結婚にあせりを抱いてはいないのだと思います。
これまでも、私自身そういう方にお会いしたことがあるのでわかるのですが、
「とりあえず会ってみる。そして、もしいい人だったら、お付き合いしてみる」
的な、一応は結婚を意識しているけれども、まだまだ、現実的に結婚相手を本気で探そうとは思っていない、
まだ結婚そのものを将来の遠い出来事のようにしか意識していないような方だと思ったのです。
別に私としては、そういう方を責める気はまったくありません。
ですが、少なくとも今の私のコンカツに対する思いとは、かなりのギャップがあるのです。
私はそこらへんの違いを親はわかってくれていると思っていたのですが、そうではなかったようです。
私はそのことに腹を立ててしまいました。
写真付きプロフィールを前提に、お見合いの申し込みをして断られる、そんな経験を何度も何度も体験してきました。そんな私としては、「写真も見ずに会ってみて、もしいい人だったら」的な、運を天に任せるような、悠長な思いを前提に、エネルギーと時間を割きたくないのです。
効率的といってしまうと、冷たく感じますが、あまり時間がない以上、私としては、より確実性の高い方に焦点を絞って、エネルギーと時間を注力してきたいのです。
ってなことを思ってたのですが、その一方でこんなことを思い出しました。
1年くらい前、銀座の街中で手相を占ってもらったときの占い師の言葉です。
「あなたは、結婚はできますよ。でもね、結婚、結婚って言う前に、ちゃんと恋をしなさい。」
たぶん、今の私は、正気を失っています。
映画「ワルキューレ」
隣街の映画館で、夜の10時から見てきました。
海外の歴史モノ映画は、大抵つまらない、というのが私の偏見なのですが、
2時間ずっと集中できる秀作でした。
感動、涙、驚き、発見はありませんが、暗殺を実行する場面が、
主演がトムクルーズだったせいでしようか、
どことなくミッションインポッシブルを見ているような気分になっている自分がいました。
さて、この映画のワンシーンとして、こんなシーンがありました。
それは、トムクルーズ演じるシュタウヘンベルク大佐が戦場で負傷し、
片目、片腕を失い、無残な姿で病院のベットで横たわっていると、
大佐の奥さんが、いとおしそうに大佐を見つめ、キスをするシーンです。
私はそのシーンをみたとき、ある人の言葉を思い出しました。
単なる恋愛相手と結婚相手の違いってわかりますか?
それはね、自分が気に入っている相手の人のどこかが、何らかの理由でなってしまったとき、それでも相手をいとおしいと思えるかどうかの違いだと思うんです。
たとえば、相手の顔がとても好きだったとして、相手の顔が事故でめちゃくちゃになってしまっても、それでやっぱり相手のことが好きでいられるかどうか、それが結婚相手と恋愛相手の違いだと思うんです。
家族になるって、そういうこでしょ?
多分に脚色してしまいましたが、そんなニュアンスのことをその人は言っていました。
映画では、片目を失っても、相変わらずカッコいいトムクルーズでした。
その意味では、奥さんの、旦那さんに対する下世話な失望感、喪失感を映画の中で感得することは難しいですが、
片腕を失うことは、軍人として出世するには不利だし、子供はまだ幼いし、
現実的な観点からも、奥さんは相当ショックだったと思うんです。
現実の奥さんは、2006年までご存命であったらしいです。
旦那である大佐が、そのような姿になってしまったとき、本当はどう思ったのでしょうか。
私のコンカツは、いま岐路に立っています。
誰かに相談したかったので、カウンセラーに正直な今の思いをぶつけてみました。
結果は、正直言って変わりません。
カウンセラーはいつも言っていることを、繰り返し言ってるだけでした。
う~ん、俺は今こことでなにを書きたいんだろう。。。。
苦渋の選択
苦しい状況のなかで勝ち抜くためには並大抵の方法では立ち行かない。
我慢が必須である。
個人の問題であれば、自分で我慢するだけで済むが、集団となると、その我慢を共有する必要がでてくる。
共有するための手続きとして、事前の情報共有が必要となり、我慢を実行するためは、集団全体の共感が不可欠となる。
集団の規模が大きくなれば、情報の共有と共感は実現段階で難易度を増す。
勢い、共有と共感の副次化の傾向が生まれ、集団内に強圧的な力学が働き出す。
強圧的な力学は、集団内の反感を醸成はするが、その反面、画期的な成果を短期間で生だし、集団の満足度を向上させ、反感の機運を削ぐ事態を招来する。
結果として、集団はより良い方向へと進み始める。
理屈は理解できる。
でも、その過程の一時期において、愚痴るためのはけ口くらいは大目に見て欲しい。
立花宗茂
戦国大名です。
歴史好きと自称している私ですが、恥ずかしながら、この人物については、それほど知りませんでした。
正直、北九州の大名くらいの認識しかありませんでした。
ところがどっこい、この方、すばらしい経歴の御仁です。
私はこのような方にとてもあこがれます。
この方は、関が原の戦いの際、西軍についたため改易され、大名の座から転げ落ちます。
しかし、その類まれな才能を見込まれ、結局最終的には、再び大名に返り咲きます。
己の能力を信じ、自分に忠実にまっすぐに生きていれば、
才能がある限り、必ずや王道を歩くことができる。
そんな教訓を地で行くお方のような気がします。
私も、この方のように、強く生きて行きたい。
変化を恐れず、自分を信じて、まっすくに生きて行きたい。
何にも動じず、ただひたすら、地道に歩いていきたい。
己を信じて。
進展
気のせいなのだろうか、
あの一件以来、なにか運から見放されてしまったような気がしてならない。
気のせいだったらいいいのだが、
現実的にも、なにも進展がみられないし。
気がつかない間になにか途方もない悪事を自分は犯しているのだろうか。
何かをやらかしているのだろうか。
だとしたらお願いだ。
どうか私の落ち度を教えてくれ。
恋愛に対する努力
やっぱり私は恋愛に対する努力が足りないのだろうか?
全然全然足りないのだろうか。
ツイていいない、ツイていないと思っているのは、
単に責任を他に転嫁しているだけで、
根本的には、やはり努力不足なのだろうか。
相談所に入って、一生懸命、お見合いの申し込みする、
そういった行為は、努力をした内には入らないのだろうか。
自分磨きとか、自分への投資とか、
そういったことをして初めて努力といえるだろうか。
野獣のように、これぞと思う女性に猛烈にアタックして、
やっと努力したといえるのだろうか。
もしそうだとしたら、私は明らかに努力不足だ。