とりあえず、こんばんわ。局長です。

久々の2連休、結局家の中でごーろごろしてます。

それにしても千葉県は最近地震多すぎなんよ・・・。

今度、峠ステッカー求めに千葉県まで行こうと思ってるのに。

 

というわけで、前回の続きでも。

レンタカーにて門司エリアの中心部へと入った局長。

駐車場を見つけたのだが、入るのにぐるぐると回り道したり。

ゆっくりと回り道し、駐車場に入って車を停めた局長、

ここからは門司港レトロエリアを徒歩で巡る事に・・・。

平成筑豊鉄道の門司港レトロ観光線の踏切を渡った局長は、

門司港レトロエリアの名所へと向かって行くのであった。

 

門司港レトロ地区のメインともいえる場所にてパチリと。

うぉぉ、すっごくお洒落な場所じゃねーかって

ここへ来た瞬間にすぐに思いましたね。

周りにはレトロな建築物や高層建築物の門司港レトロハイマート、

そんでもって関門橋もチラリとですが見えています。

 

あとは・・・最近流行のフォトスポットが多い事。

画像右手に見える額縁はインスタ映え用ですかね(笑)

 

未来「わぁ~・・・すっごくお洒落な感じの場所ですね!」

美也「そうですね~。レトロな建物とかもあって、散歩するにはいいですな~」

局長「そうだな。一瞬だが、ここは横浜か神戸かと勘違いしてしまったぐらいだしな」

未来「それ、なんとなくだけど分かります!周りの感じが、それっぽいんですよね!」

局長「門司港エリアって、横浜や神戸と違って、もうちょっと垢ぬけてない感じかと思ってたけど、垢ぬけてお洒落な港町で驚いたよ」

美也「そうなんですね~」

 

そんな門司港レトロ地区にて、妙な像を見つけたのでパチリと。

右側の像の名前は『バナナマン』とあるのですぐわかりましたが、

左側は名前が書かれた銘板が劣化で見えにくくなってましたので

ちょいと調べてみたら『バナナマンブラック』とのこと。

 

ちなみに、芸人のバナナマンとは関係ないとの事です。

 

未来「局長、面白い像を見つけましたよ!」

局長「ホントだ。どう見てもバナナの着ぐるみ被ってるやつにしか見えんが・・・」

美也「局長がやりそうですね~」

局長「局長はビックリ人間じゃねーぞ。それはさておき、この2つの像は、門司港のイメージキャラクターの1つである『バナナマン』と『バナナマンブラック』なんだ」

未来「あっ、バナナマンとバナナマンブラックって本当に書いてある!でも、なんでバナナなんですか?」

局長「それは、門司エリアが『バナナの叩き売り』で有名な場所でもあるからなんだ」

未来「そうなんですか!」

局長「まぁ、それについては後日書いていくからそれで待っていてほしい。ちなみに、右の方がバナナマンで左の方がバナナマンブラックだな。実はどちらもモチーフとなった実在の人がいるらしい」

美也「なるほど~。このバナナのキャラクターには、モデルとなった人がいるんですね~」

 

これは最近知りましたが、バナナマンバナナマンブラックには

モデルとなった人がいる・・・というんですよね。

前者のバナナマンはバナナマンの像のお向かいにあるお店、

『じじや門司港店』の2代目店主がモデルとなっており、

後者のバナナマンブラックは門司港在住のDJ・TOGGYとの事。

これを知っておくと、ちょっとだけドヤれます(笑)

 

局長「キャラの設定としては、台湾から誤って輸出された『バナナ原人』との事らしい。それが愛と正義の使者として・・・という設定で活躍しているとか」

未来「バナナ原人って、面白い設定ですね。あはははっ」

局長「左側のバナナマンブラックは、『エコと節電の使者』という肩書で治安維持と客人のおもてなしをしてるとか・・・。ちなみに、ゆるきゃらならぬ『キレキャラ』で、門司港の倉庫で腐って黒くなったちょい悪おやじならに『ちょい悪バナナ』らしい」

美也「ふふっ、黒い所はまるで局長みたいですね~」

局長「そこまで黒くねーだろ!」

未来「え~っ?局長って、腕とか毛がいっぱい生えてるじゃないですか~」

局長「毛が濃いんだよ。ってそれとこれは関係性なくねーか!?」

 

なーんか、ここを歩いていると時間を忘れそうですね。

そんなわけで、門司港レトロ地区を別角度でパチリと、

画像右手にレトロな建物が見えますがあれは『旧大阪商船ビル』で、

八角形の塔屋が目印となっているのが特徴です。

 

局長「当時、門司港からは台湾・中国・インド・ヨーロッパ諸国といった国々へ60隻もの船が1ヵ月に出航していた。このビルはその『大阪商船門司支店』は、その拠点の1つとして使われていたビルなんだ」

紬「旧大阪商船ビルは、外国へ行く人々が使うターミナルでもあったんですね」

局長「そういう事になる。1917年に作られたビルは、1階は待合室で2階はオフィスとして使われていたそうだ。外国へ行く人たちで賑わっていたそうだ」

志保「そうなんですね。外国へ向かう人たちが、どんな気持ちで行ったかまでは知りませんけど・・・」

局長「それは人それぞれだろうな。それはともかくだ、このビルは完成した当時は門司エリアで最も高いビルとして知られていた。設計したのは大阪の建築士の草分けと言われた河合幾次であり、正面と背面でデザインが異なるのが特徴なんだ」

瑞希「正面と背面でデザインが異なるなんて・・・不思議なビルだぞ」

局長「まぁそれはともかく、このビルが完成した当時はビルの目の前にあった道路を挟んで海があってな、利用者は目の前の桟橋から横付けされた船に乗って行ったそうだ」

瑞希「今も海が近いですが、昔はもうすぐそこの所にあったんですね」

志保「外国旅行と言えば今は飛行機が主流ですけど、この当時は船だったから、景色は今と全然違いますよね」

局長「そりゃそうだろう。でも、あの時代の船を使った旅行は今の飛行機でサッと行けるのとは違って、なんかロマンを感じる気がするな」

紬「ふふっ、局長が浪漫というとなんか似合わないですね」

局長「悪かったな。浪漫も欠片も無い男で」

 

角度を変え、関門橋方面をパチリと。

右手に見える高い建物は門司港レトロハイマート、

真ん中にチラっと見える橋は関門橋、

そして、左手に見える茶色いレトロな建物は『旧門司税関』です。

新旧が入り混じるの風景は美しいよなって思います。

 

志保「左に見える茶色い建物は、門司税関なんですね」

局長「現在ある旧門司税関は、1912年に作られた税関庁舎で2代目だったりする」

瑞希「2代目という事は、初代はどうなったのですか?」

局長「初代は完成してすぐ、火災で焼失してしまったんだ。その初代庁舎があった場所に2代目が建設されたんだ」

瑞希「なるほど・・・。2代目の庁舎がこうして今も残っているのですね」

局長「税関庁舎として使われたのは15年ちょっと。1927年には西海岸と別の場所へ移転していて、その後は民間に払い下げられたんだ」

紬「税関として使われたのは、そんなに長くなかったのですね」

局長「しかも、第二次世界大戦において門司空襲があった際には、屋根が無くなり、戦後は窓をふさいで倉庫に転用していたんだ」

紬「税関として使われたノスタルジックなあの建物が戦争で傷ついて、その後は倉庫として使われていたなんて・・・」

瑞希「とても信じられないですね・・・」

局長「旧門司税関は、明治建築界の三大巨匠とも言われる『妻木頼黄』の指導の下、建築技師の『咲寿栄一』によって設計されている。その中で、妻木頼黄が監修する建物で現存する物では希少なモノであり、明治時代の赤煉瓦建築としては優れていたんだ」

志保「妻木頼黄が手掛ける建物としては、数少ない現存するものだったんですね・・・」

局長「それを観光に使えないか、という事で北九州市が建物を取得し、門司港湾地区の観光復興と活性化の為に、1991年から4年をかけて復元作業が行われ、1995年に門司港レトロ地区の観光名所の1つとして往時の姿を取り戻したってわけだな」

志保・紬・瑞希「「「へぇ~・・・」」」

 

門司港レトロ地区には、こんな感じで店も並んでいます。

お店については食べ物屋や喫茶店がメインなので、

ファッションのお店とかは少なかったりします。

というか、ほぼ無いって感じですかね。

この部分は横浜や神戸と違っている所ですね。

 

さらにパチリと、画像真ん中に見えるデカい建物は

『海峡プラザ』であり、食事やお土産などが買える商業施設です。

今回は立ち寄らなかったわけなのですが、

カフェやレストランにお土産が売っている店だけでなく

最近では風変わりなガチャガチャの店もあるとか・・・。

 

この場所には、ガス灯も設置されていたりします。

日没から深夜0時まで照らしてくれるとのこと。

これは、夜の22時すぎあたりに行ってみると

ノスタルジックで、西部劇に出てきそうな港町っぽい

ムード溢れる景色とかが見れそうですねぇ・・・。

 

百合子「あぁ・・・そういうのって良いですよね。トレンチコートを着て、男は船を見ながら海の向こうにいる愛する女性の事を思うんですね!」

局長「まぁ、確かに大陸への航路として門司港は使われていたから、そういう人も中にはいたんだろうな」

百合子「いたんだろうな、じゃなくていたんですよ!絶対にいました!」

のり子「まぁ、そういう人は本当にいたのかもね。百合子がそう思うのも無理ないよね」

百合子「のり子さんは分かってくれますよね!?こういう港では出会いと別れがあるっていうのも・・・」

のり子「えっ、そのー・・・うーん、そういうのってどうなんだろうね。あはは」

局長「それはともかくだ。こんな感じで門司港が発展したのは、1889年頃だと言われている。それまで門司は、小さな漁村にすぎなかったんだ」

のり子「お洒落なレンガ造りの建物とかガス灯とかあるけど、昔は小さな漁村だったなんて想像つかないんだけど」

局長「横浜も昔はそうだったろ?経緯は違えど、横浜と門司は『村』だったという点で繋がりがあるんだ。それはともかく、門司港は1889年に国の『特別輸出港』として認定された事で港として発展していく事になるんだ」

のり子「特別輸出港?」

局長「明治時代初期頃、外国貿易は開港と朝鮮貿易の為の特別貿易港に限られていてな、石炭などの特定の本邦産品を輸出するための港を決めた制度を『特定輸出港』と呼んだんだ」

百合子「つまり、外国へ特定のものを輸出する港って事ですよね」

局長「ざっくり言えばそうなる。北部九州において、筑豊エリアが石炭の主要産地となっており、若松港から輸出されていたんだが、若松港は水深が浅くて大型船が入れなかったので、急遽北部九州エリアにおいて大型船が入れる港が必要になったんだ」

のり子「それで、門司が選ばれたってこと?」

局長「まぁーそうなる。『水深が周辺の他の港より深く、当時は塩田があったことからそれを埋め立てれば港として活用できたこと』、『天然の良港の地形をしていたこと』、『門司が本州と九州の結節点に位置していた』という、港を作るにしては最高の条件が揃っていたんだ」

百合子「良い条件に恵まれすぎていた場所、それが門司だったんですね」

局長「そういう事だな。その後、門司は港町として発展し、外国から輸入された珍しいものを買いに、小倉や博多から来る人も増え、街は一気に発展して行ったんだ」

 

他にも中国大陸に近かったりした地理的要因もあり、

門司は北部九州における港湾都市として発展し、

1895年には横浜や神戸に次ぐ第3位の輸出額を記録し、

1916年には外国船の出入港船舶数において日本一になりました。

 

のり子「へぇ~、多くの外国船が門司へ立ち寄ったんだね」

局長「だからこそ、小さな漁村に過ぎなかった門司は港湾都市へと発展していき、ハイカラな街並みが展開され、多くの人々で賑わったんだ」

百合子「その時代の門司、タイムスリップが出来るなら行ってみたいですね!」

局長「鬼滅の刃的な部分は無いと思うけど、中々すごい街並みだったんだろうなぁ」

 

門司港レトロ地区に小さな船が入ってきたのでパチリと。

小さいですけど、船が入るだけでまた雰囲気が変わりますな~。

そんでもって、ここもボーっとするには最適な場所ですね。

 

局長「しっかしよぉ、こうしてパチリとしてレトロだよなとか、ノスタルジックな街だよなって門司港エリアを見ていて思うけど、その門司港のレトロな建築物、ここからだと左手に見える茶色い建物の『旧門司税関』とかは、かつて取り壊される予定だったんだよな

百合子「えっ!?さっき言ってた『旧大阪商船ビル』や『旧門司税関』のレトロな建築物って元々取り壊される予定だったんですか!?」

局長「そうだ。門司港エリアは左手に見える関門橋などの開通で本州と九州が繋がり、港としての優位性が失われていき、衰退していった。その中でレトロな建築物は皮肉にもそっと残されていたが、1985年、ついに解体の危機が迫ったんだ」

のり子「歴史的な建物なんでしょ?なんで解体しようなんて話になったの?」

局長「旧門司税関などのレトロ建築物に、文化的価値を見出すことは出来ていたんだ。しかし、残したくとも残せない。というのも、保存するだけの財政的な余裕が無かったんだ」

のり子「それって、お金が無いから残せなかったって事だよね」

局長「そういう事になる。しかし、そんな門司港レトロのレトロな建築物に思わぬ救いの手が差し伸べられることとなる」

 

それにしても、この辺りもお洒落な景色ですよね。

海峡プラザを核とした商業施設が並んでいて、

遊歩道を散歩して、気軽にお茶だって出来るんですから・・・

これは、地元民も多分寄ってる人とかいそうですよね。

 

局長「はぁーっ・・・それはさておき、レトロ建築物は解体の危機に晒されるも、思わぬ救世主が救いの手を差し伸べる・・・という所まで話したな」

百合子「そうですね。思わぬ救世主・・・それってどんな人だったんですか!?」

局長「人というか国の政策だな。それが、当時の自治省(現・総務省)が1988年に発足させた『ふるさとづくり特別対策事業』だったんだ」

百合子・のり子「「ふるさとづくり特別対策事業?」」

局長「DAIGOっていう俳優さんは知ってるだろ?」

のり子「知ってるよ~!カッコいい俳優さんだよね!」

局長「そのDAIGOから見たらお爺さんであり、内閣総理大臣だった竹下登が1988年に発案した公共事業の事だな。使い道については日本政府は関わらないし、自由だけど、その代わりコケても知りませんよっていう名目で『町おこししたい!、けどお金が・・・』という市町村にお金を出したんだ。その金額が1億円だった事から、『ふるさと創生一億円事業』だなんて言われるがな」

百合子「その、『ふるさとづくり特別対策事業』の門司も応募したんですか?」

局長「せや。それが国に認可された事で、旧大阪商船ビルなどのレトロ建築物は解体の危機を免れたんだ。最も、旧門司税関については港湾局が独自に当時の運輸省(現・国土交通省)の事業の1つであった『歴史的港湾環境創造事業』への採択を受けて復元・保存が進んだがな」

百合子「門司港のレトロな建築物がこうして残ったのには、その政策とかが絡んでいたんですね」

のり子「もし、それが無かったら全然違う街並みになっていたって事もあるんだよね」

局長「そうだな。それどころか、この画像で見えている船溜まりは消滅していたかもしれないな」

のり子「ええっ!?そうなの!?」

局長「今、この画像で見えている船溜まりは当初埋め立てられる予定だったんだ。しかし、紆余曲折あって埋め立ては中止となり、こうして残っているわけなんだ」

のり子「へぇ~・・・そうなのかぁ。門司港の美しい景観って、様々な事を乗り越えたりして出来た賜物なんだね」

局長「まぁ、そういうこっちゃ」

 

海峡プラザ内にある『オルゴールミュージアム門司港』をパチリと。

オルゴールミュージアムでは、その名の通りオルゴール専門店で

オルゴールを旅の土産に買いたい方へのショップがあるのはもちろん、

2階には体験工房があって自分だけのオルゴールも作れちゃいます。

局長・・・?あー、オルゴールはちょいと興味が・・・(笑)

 

門司区のマスコットキャラ、『じーも』をパチリと1枚。

受信料を請求してきて、紅白でラブライブを出す暴挙を果たした

某国営放送局のマスコットキャラである『どーも』では無いです(笑)

なんというか、すごい緩ーい感じですね。

バナナマンに比べると個性が微妙に薄れるんですが・・・。

 

ちなみに、プロフィールでは年齢不明・性別不明となっており

また、『たまにたたく人がいて、すごく痛いんだよ』とあります。

たまにたたく人で思い当たる人と言えば、

北海道の某テレビ局の朝の情報番組の生放送において

酔った勢いでそのテレビ局のマスコットをぶったたいていた

某俳優さん並びにその一味しか思い浮かばん・・・。

 

局長「局長もYouTuberかなんかで、こいつと対談する機会があったら、ガチでぶったたいていたかもな。なにせ、北海道の某テレビ局のマスコットも某俳優さんが苦手だってあるからな。局長もこいつのプロフィール欄に『局長にぶったたかれる』とか書かれるとええよな!」

ひなた「あのねぇ、そんな事したらダメだべさ。それに、局長はそんな事で有名になりたいんかい?」

育「それに、たたいたりしたらすっごく痛いって書いてあるよ!痛がることはしちゃダメって教えてもらえなかったの?」

局長「うぐぐ・・・でも」

まつり「ほ?そんな事したら、姫が黙ってないのですよ。ね?」

局長「あ、その・・・ジョーダンだよ!エディージョーダン!」

 

そういえば、オルゴールミュージアム門司港の前には

こんな感じで『せるふたいまーせんよう』というのがあります。

その『せるふたいまーせんよう』の所から何が見えるのか・・・

 

なるほどねー・・・とりあえず、パチリと1枚。

少なからず、今の局長において縁遠いですね。

カップルとか既婚者専用じゃねーかちっくしょー!!

 

まつり「そんな局長にも、きっといいパートナーが見つかると思うのですよ」

局長「それがいつになるやら・・・。もう30代突破したし」

育「局長ってもう30歳超えちゃったの!?」

ひなた「お兄さん、というよりおじさんだべさ・・・」

局長「ああ、もうおじさん大変なのよ・・・とほほ」

 

オルゴールミュージアム前にあった模型をパチリと。

この手のオルゴールかなにかの楽器なんでしょうけど、

正式な楽器の名前がよく分からないですね・・・。

ちなみに、おじさんの人形もあるのですが・・・

 

おじさんの人形については、触らないでくださいとの事です。

どうやら、ずーっと外に立っていた事で足が弱ったとか。

なるほど・・・そういう説明は個性があって良きだな。

てなわけで、オルゴールミュージアムも今回はパスで(おい)

 

というわけで、ここまで。ではでは