とりあえず、こんばんわ。局長です。

ミリマスが日曜午前10時に放送って

何気にすごいよなって思うんよ。

なにが凄いのかって、アイマスシリーズ史上初の

深夜アニメじゃなくて日曜朝にやるってのが。

ラブライブですら成し遂げられなかった快挙!

これはマジでミリマスを褒めて差し上げたい。

まぁ、局長の地元はテレ東入らないので1ミリも関係ないですが

先行公開で色々見て行くし、ニコニコチャンネルとかでも

1週間無料で見れるのでそれ狙いで行こうかと・・・

 

というわけで、前回の続きでも。

ヌマジ交通ミュージアムを出発し、次なる目的地へ向かう局長。

ミリマスのCDを掛けたら、いつも通りに気分上々になるわけでして。

そんなわけで、行きと同じく広島高速4号線を使って

広島市中心部へと入っていく局長なのであった・・・。

 

広島高速4号中広出入口を出てすぐの交差点を右折し、

中広通りへと入って南進していく局長。

このままずっと南進していくと、平和大通りや空港通り、

国道2号線や観音マリーナまで行く事が出来ます。

 

そこからしばらく進み、天満町の交差点に差し掛かったところで

広島市名物の路面電車と遭遇したのでパチリと1枚。

今流行りの低床式とかではなく、昔ながらの路面電車ですね。

やはり、広島の街の路面電車はこういうのが似合いますなー。

もちろん、今どきの路面電車も悪くないんですけど。

 

海美「この路面電車、見てるとすっごくレトロって感じがするよね!」

局長「確かにな。広島は路面電車天国で、こういった古い車両も新しい車両と共に走っているからなぁ。ちなみに、今通った車両は1900形であり、京都市電で活躍していた個体でもあるんだ」

美也「そうなんですね~」

恵美「1900形って、局長が『京都のあだ名が付いた路面電車』って言ってたやつだよね」

局長「そうだな。この車両は1908号車なので『あらし山』となるな」

恵美「そうなんだねぇ」

 

ちなみに、京都市電が全線廃止当日の最終便となった個体こと

『さようなら京都市電』も広島電鉄で今も走っています。

もし乗りたい場合は、1906号車の『西陣』を狙いましょう。

 

美也「京都市電が全線廃止となる前に京都を走った最後の電車も、広島で走っているんですね~」

海美「これ、絶対局長が乗りたいやつだよね!」

局長「そうなんだよな。これについては、調べてみて初めて分かった事なんだけどな」

恵美「今度、また広島へ行ったときは路面電車巡りしてみるのもいいかもね」

局長「そうだなぁ。乗り比べなんてのも楽しめるからな」

 

そんでもって、天満町交差点すぐ近くに変わった名前の

幼稚園があったので、ついパチリと1枚。

暁の星幼稚園って・・・ウルトラセブンかなんかですかね。

気になったので調べてみたら、カトリック系の幼稚園でした。

 

恵美・海美「「じーっ・・・」」

局長「な、なんだ?」

美也「局長、幼稚園の子に手を出してはいけないんですよ~?」

局長「そんなことするわけあらへんがな!!」

恵美「でも、幼稚園の写真を撮ったんだよね?」

局長「名前が気になったからな」

海美「あやしー・・・」

局長「怪しい局長ではない!次ICOCA!」

 

そんなわけで、西観音町電停東の交差点を左折して

平和大通りへと入った局長、そのまま東進していきます。

平和大通りは道路幅や歩道の幅が広い道となっており

その幅の広い部分から100m道路と呼ばれる通りとなっています。

 

亜利沙「局長、100m道路ってどういう道路なんですか?」

局長「100m道路というのは、都市の大通りのうち、100m程の幅員を有する道路の事を指すぞ。一般的に全部が一般車が走れる道路として整備されているのではなく、こんな感じで中央分離帯は街路樹や歩道と言った緑地公園として整備されていて、一般車が走れる部分の幅員は40m程度しかないのが実情だな」

亜利沙「そうなんですね。確かに道路の左右には歩道とか街路樹とかいっぱいありますね・・・。ありさはこういうのは詳しくないので、こういうのを見てもあんまりピンと来なかったんですよね」

局長「ただ、道幅が広い道路って思っちまうもんな。しかも、こういう道路は全国各地にあるわけじゃない。100m道路として認定されているのは、現時点で広島県の『平和大通り』を除くと、残りは愛知県名古屋市にある『久屋大通』と『若宮大通』の2つしか無いんだ

歩「じゃあ、この道路って全国で3つしかない道路って事なのか?」

局長「そう言う事になるかな。レアな通りだから、ロケで行く機会とかあれば、その事を一言チラっというとドヤれるぜ」

歩「そうなのか~。つくづく思うけど、局長っていろんな分野で詳しいよな」

亜利沙「そうですよね。ありさ、こういうのは本当に詳しくないというか分からないので、局長がこういう事を知ってるのは驚きです」

局長「まぁー、調べてるかんね」

 

緑大橋東詰からパチリと、平和記念公園へと向かって行くにつれ

高層ビルなどが目立つようになり、広島市中心部へと

より一層入っていくのだなというのを実感していきます。

しかし、この平和大通りを通るのは今回初めてなんですよね。

この辺りもこんな感じで発展してるとは思いませんでした。

 

局長「ちなみに、局長がいるこの場所。古代は海だったと言われている」

亜利沙「ええ~っ!?ここが海だったんですかぁ!?」

局長「その証拠に、白神社という広島市中区中町にある神社には『岩礁』が鎮座しているんだ」

歩「岩礁って海とかにある岩の事だよな・・・?」

局長「そうだな。後に太田川上流部で盛んだった『たたら製鉄』の鉄穴流しにより、大量の土砂が下流に流出して堆積した事により、1500年代後半になるとこんな感じで陸地が出来ていったと言われている。その頃になると、平和大通り付近が海岸線になったとされている」

歩「今から500年以上前はこの辺りが海岸線だったんだな」

亜利沙「でも、地図で見るとここよりさらに南も陸地になってますよ?」

局長「広島城が築城されてから以降、土地開発が進んで今のようになったと言われているぞ」

 

緑大橋から広島市北部方面をパチリと、手前に見える橋は

広島電鉄本線の橋であり、ちょうど路面電車が通過していました。

しかし、この辺りの景色も局長的にはイイ感じだなーって。

河原沿いの街並みは、全国どこもハズレが少ないので良いです。

 

局長「今回通っている平和大通りは、1965年に完成した大通りであるが、この通りは様々な歴史がある。全部語ると結構多いので、戦後における100m道路としての整備に関するちょっとした話をメインにして行こうと思う」

紬「それって、どんな話なんですか?」

翼「眠たくならない程度でお願いしまーす!」

杏奈「杏奈も・・・それで・・・」

局長「寝るなよ。それはさておき、戦後において平和大通りが100m道路として整備される前は、この道路自体が市民にとって批判されていたんだ」

翼「この道路が市民に批判?なんで批判されていたんですかぁ?」

局長「もし、シアターのある場所に岸田文雄内閣総理大臣が自分の家を作るので、今すぐシアターを取り壊してくださいって言ったらどうするよ?」

翼「そんなの反対するに決まってるじゃないですか~!!」

杏奈「シアターは・・・杏奈たちの・・・活躍する場所だから・・・そんなのは・・・許されない・・・」

局長「そこなんだよ。100m道路こと平和大通りは平和記念公園が整備されるとともに、そこに住処を持っていた人に対して半ば強制的な立ち退きを迫られたというのがあったんだ。強制的に立ち退きを要求された人たちにとって、平和大通りはふざけんなというレベルの整備事業でもあったんだ」

翼「なるほど~。だから、当初は批判されていたんですね」

 

当初は批判の的だった平和大通りの整備事業、

それが顕著に出たのが1955年の広島市長選でした。

現職で復興事業を進めていた当時の市長だった浜井信三が、

『幅員を小さくして住宅を作ろう』とぶち上げた対抗馬の

渡辺忠雄に敗北するという事態になったのです。

 

局長「復興事業を進めていた現職の市長の浜井信三を抑え、渡辺忠雄が新しく市長となったんだが、この『100m道路の幅員を小さくして住宅を作ろう』という公約は叶わない事となる」

紬「対抗馬の市長の公約が叶わなかったのって、なんで叶わなかったのですか?」

局長「公約通りに進めようとした渡辺忠雄だったが、そこに市の幹部や道路担当者が説得しに来たんだ。その説得の末、渡辺忠雄が折れてしまい、100m道路を小さくして住宅を作るといった公約を諦めることとなったんだ」

翼「市長が折れるって、よっぽどすごい説得でもされたのかなぁ」

紬「きっとそうなんでしょうね・・・」

局長「平和大通りの幅員を減らして住宅を作る、という公約を諦めた渡辺忠雄だったが、そんな渡辺忠雄が次に行ったことがあったんだ」

杏奈「次に行った事・・・?」

局長「それは一旦路面電車を挟んだのちに、話すとするかな」

 

駐車場を探している局長、平和記念公園には駐車場は無いので

付近のコインパーキングを見つけなあかんというわけです。

そんな道中で路面電車を見つけたのでパチリと。

2代目800形であり、1983年~1997年までに

合計で14両が製造された路面電車ですね。

 

ちなみに、2005年に発売されたレースゲーム、

『峠の伝説』において広島のスラッシャー(広島のボス)の

登場シーンにおいて原爆ドームと共に路面電車が通過しますが

その路面電車は2代目800形若しくは3900形電車に

よく似た個体の路面電車だったりします。

 

平和大通りを進むことしばし、平和大橋東詰まで来ました。

平和大橋東詰でピンとくる方もいるんじゃないかと思いますが、

この辺りは平和記念公園や平和記念資料館がある場所であります。

とりあえずは、ここを左折してコインパーキングへ向かう事に。

 

局長「その前に、100m道路について『道路幅を小さくして住宅を建てよう』と言ったものの、市の幹部や道路担当者に説得されて折れてしまった市長こと渡辺忠雄が、この後何をしたのかという話をしていなかったな」

翼「そうでしたね。それで、その渡辺忠雄って人は公約を実行できなかったんですよね?」

局長「そうだな」

翼「じゃあ、その後何をしたのかって、一体何をしたんですかぁ?」

局長「通りの両サイドにある木々がその答えだ」

杏奈「両サイドに・・・いっぱい木があるけど・・・」

紬「もしかして、この通りに木を植えたんですか?」

局長「ぴんぽーん!改修を諦めた渡辺忠雄が、次に行ったのが木を植える事だったんだ」

翼「そうだったんですね。でも、なんで木を植えることにしたんですか?」

局長「100道路の通りに木を植える、という活動は『供木運動』って言うんだが、これは『廃墟の街に緑を』という運動でもあったんだ。広島は1945年8月6日の原爆投下で廃墟と化したが、その廃墟に緑の象徴である木を植えることで平和を祈ったのかもな」

翼「木を植えたっていうのは、そういう事があったからなんですね」

局長「この呼びかけは全国レベルで行われ、やがて世界レベルで応じてもらえることとなった。そして、多くの木々が植えられることとなった。そして、この供木運動のおかげで、当初は批判されていた100m道路も『国際平和文化都市』として成長するうえで重要な部分になったと言われているんだ」

翼・杏奈・紬「「「へぇ~・・・」」」

局長「長話はここまでにして、駐車場を見つけたから入るとするか」

 

付近には色々なコインパーキングがあったりしますが、

今回はたまたま平和記念公園から程近い所の

コインパーキングを見つけたのでそこへ停めました。

まぁ・・・入りづらさや目立ちにくさはありましたが。

てなわけで、次回以降は平和編へと入っていきます。

 

というわけで、ここまで。ではでは