皆さま、おはようございます!
羽後交通雄勝線の廃駅跡巡りのラストは、
昭和48年の全線廃止に先駆け、昭和42年に廃止された梺駅編です。
(前回までのブログもぜひチェックくださいませ)
羽後交通雄勝線の廃線跡をドライブしてみた(貝沢駅&羽後三輪駅編)
羽後交通雄勝線の廃線跡をドライブしてみた(西馬音内駅&元西馬音内駅編)
梺駅は昭和10年に開業した駅、
と言うことは、開業からわずか32年で廃止されてしまったわけで…
駅の寿命としては余りにも短すぎる気がしますね。
雄勝線は開業当時から赤字続きだったそうですから
廃止は仕方がありませんが。
梺駅から元西馬音内駅までの駅間は0.9キロ、
梺駅跡は県道57号線を西方に向かった先にあります。
廃線跡は田んぼのど真ん中にありますので、
今回もクルマで梺駅跡に先回りしました。
実は今回(2年前の8月ですけど)、
羽後交通雄勝線の廃駅跡巡りを楽しんだのには理由があり、
普段は予約者のみが観覧出来る、
雄勝線で活躍した電車のデハ3が一般公開されてたからなのです。
事前予約をすれば一般公開日以外でも見るそうですけど、
市の職員さんにお気遣いさせたくなくて…
雄勝線の廃駅跡を周るならこの日と決めてたのですよね。
デハ3は梺駅跡に新設された「デハ3号車体保存庫」で
大切に保管されてましたよ。
保存庫の中を覗くと…
デハ3がいるじゃないですか!
デハ3は雄勝線の開通に合わせ昭和2年に新造された電車です。
戦前製の電車がオリジナルな姿で現存しているって、
スゴイと思いません?
レトロな電車も気になりますが、まずは駅跡の様子を眺めます。
自分は「駅」が主食、「車両」はおかずですから。
駅が現役だった頃の様子を知るために
今回も国土地理院のサイトをチェック。
下は昭和24年に撮影された航空写真で、
更にその下は現在の様子を写すグーグルマップでした。
西馬音内川に架けられた2本の橋の位置からもわかる通り、
2枚の画像はほぼ同じ位置を写してますよ。
「デハ3号車両保存庫」の位置に梺駅があったことは
間違いなさそうですね。
雄勝線の廃止要件のひとつに
画像に写る県道57号線の整備があったらしい。
ちなみに梺駅が現役だった頃はこんな様子だったそうです。
保管庫の中に梺駅の写真が飾られてました。
昭和32年に撮影された写真だそうですけど、
それにしてもすごい数の乗客ですね。
説明文に乗客は「西馬音内小学校の生徒」とありますけど、
梺駅の南側にある「元西小学校」のことだと思います。
グーグルマップ画像の下に写る学校がソレですが、
惜しくも昭和28年の春に閉校してしまったみたい。
梺駅の構内跡にはプールがありましたが、
これも元西小学校で使用していたモノなのでしょう。
構内跡には腕木式信号機が立ってますけど、
これは雄勝線で使用されてたモノではないそうですよ。
たしかにこの場所は構内の外れですもんね。
保存庫に貼られていた雄勝線の沿革なり~
それでは車両を眺めましょう。
デハ3は雄勝線の廃止後に沿線にある保育園で保存、
昭和58年から現在の「保存庫」で保管されてるそうです。
側窓が1枚塞がれてますが、「デハニ3」時代に
荷物室として使われてた時代の名残りなんですって。
車内はこんな感じでした。
もちろん運転台も見放題です。
運転台が開放式ってことは…
デハ3が現役だった頃は車両の最前に乗ることが出来たってわけで。
これは一度は乗ってみたかったなぁ…
デハ3が引退したのは自分が2歳の頃でしたが。
レールも雄勝線で使用されたモノかな?
もっとよく見ておくべきでした。
駅名標に「もとき」とありますが、
元西馬音内駅を地元の方は「もとき」と呼んでたそうです。
ところで駅名標に、実際にこんな表記があったのでしょうかね?
駅跡も見れたし、デハ3も十分堪能が出来てお腹がいっぱいです。
心名残りは、田んぼの納屋で利用されてた
雄勝線で活躍した雪掻車(ユキ3)の廃車体(崩壊済)が
見れなかったこと。
崩壊後の木材は今でも残っているのでしょうかね?
崩れた姿だけでも見たかったのですけど。
…以上、昭和48年に全線廃止された羽後交通雄勝線の
廃駅巡りの様子でした。
ここまでお付き合いくださりありがとうございました!
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