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皆さま、おはようございます!

 

今朝はとっても変わった造りの駅の訪問記です。

この駅が持つ特殊な事情(歴史)が

駅構造をこんな姿に変えちゃったみたいですけど…

何が変わっているのか?

まずは見てくださいよ、画像をかなり多めにUPしましたので。

大分県宇佐市内にある日豊本線・西屋敷(にしやしき)駅です。

西屋敷駅は周囲を水田に囲まれた駅で、

辺りに民家は無く、日豊本線と並行して伸びる国道10号線から

ちょいとだけ入った場所にある駅でした。

 

駅舎が無い無人駅ですけど、

ホームの手前側にレトロな待合所がありましたよ。

 

この待合所ですけど、

貼られた建物財産票によれば昭和14年に建てられたモノらしい。

建てられてから既に80年が経過している待合所…

これはこれで凄すぎやしませんかね?

 

待合所の全景はこんな感じ、確かに古いわ。

 

待合所の先に進むとホームが現れました。

このホームは中津駅方面行きの上り線ホームです。

ここで「あれ?」っと思ったことがありまして…

確かこの区間は複線区間だったはず。

しかしパッと見た感じ、ここから下り線ホームが見えないのです。

日豊本線の下り線は何処に…?

 

そこで目を凝らして見てみると…

ん?離れた場所にホームがもう1本ある!?

 

上り線ホームに背を向ける向きで建つ建物が見えました。

ひょっとしてコレ、下り線ホームの待合所なのではないでしょうかね?

そこでこの場所に向かうために歩いたのですが、

ここに着くまでが遠いのなんのって。

 

まずは一旦駅を出て、国道10号線に戻る向きに歩きます。

 

すると日豊本線の線路を潜る地下通路が見えてきました。

ここが駅の出入口とは信じがたい様相ですね。

 

薄暗い通路を潜る。

屋根は低く、身長168センチの自分が手を伸ばすと

届きそうなくらいの高さでしたよ。

 

通路を潜ると広大な水田が現れました。

ん?下り線ホームの出入口を通り過ぎちゃったかな?

 

そこで再び通路を戻ると…

ここに下り線ホームの出入口がありましたわ。

昔はここが施錠出来る造りだったみたいですけど、

ひょっとして、有人駅時代は列車が来るたびに

ここに駅員さんが立っていた?

 

階段を上がり直進します。

 

ホームが見えてきましたけど…ゴールまではまだまだ遠いです。

 

ようやくホームに到着。

2本のホームが同じ向きに並ぶのも変わってますが、

ホーム間を移動するのに徒歩で5分近くかかる駅も

珍しいのではないかしら?

西屋敷駅はそんなユニークな構造の駅でした。

 

こちらは先に見た上り線ホームとは違い、

近代的な造りの待合所を持つホームです。

 

下り線ホームから上り線ホームを見る。

いやいやいや、西屋敷駅はやっぱり変わってるわ。

 

それではなぜ、西屋敷駅はこんな駅構造になってしまったのか?

その理由は歴史にありまして…

西屋敷駅は大正15年に開設された

列車を行き違いさせるために設けられた西屋敷信号場が起源で、

昭和22年に昇格して誕生した駅なのです。

昭和14年築の待合所があるのに疑問を感じますが、

信号場時代から一部の列車で旅客扱いが行われていたようで、

そのために設けられたモノで間違いないでしょう。

(信号場時代に建てられた駅舎には待合室がなく別棟で増設されたモノかと)

 

下は国土地理院のサイトから転載した

駅に昇格して間もない頃の昭和23年に撮影された

西屋敷駅の航空写真ですが…

当時の西屋敷駅は現在のホーム配置(単式ホーム×2)とは違い、

ごくごく一般的な相対式ホーム2面2線構造だったみたいですね。

この頃は現存する待合所の他に駅舎もあったようです。

 

そんな西屋敷駅に大変化もたらしたのは

昭和41年に施工された日豊本線の複線化。

新屋敷駅-立石間には急勾配の立石峠があるため、

新たに設けられた下り線は

立石峠を避ける新立石トンネル(全長3,640メートル)を

経由するルートに改められたのです。

 

このルート変更の最大の目的は

それまで宇佐駅-立石駅間で連結されていた補助機関車の廃止と

列車そのもののスピードアップで、

カーブを最大限で緩和出来るよう

西屋敷駅構内の下り線がやや北側に移されたのですよ。

それが西屋敷駅の2本のホームが離れている理由…

と憶測してみましたけど大方間違ってませんよね?

この事情にお詳しい方、ぜひアドバイスをください。

 

有人駅(信号場)時代に建てられた駅舎は

赤〇印で示したこの辺りにあったはず。

 

下り線ホームの出入口がある地下通路の手前側の

左側に見える草むらが駅舎跡だと思いますが…

実はその事実をつい先日知った自分。

事前に下調べをした上で現地のチェックをするべきでしたわ。

何やってんのよ~自分!

 

…以上、とても変わった造りの西屋敷駅でしたが、

東隣りにある立石駅も西屋敷駅と同様に

立石トンネルの開通によって変わった造りに変化した駅でした。

長くなりましたので次回に続きます。

 

☆追 記☆

昭和58年に刊行された「国鉄全線各駅停車 九州720駅」に掲載された

西屋敷駅の構内の写真を見て気づきましたが、

国鉄時代は現在ある下り線ホームの待合所の真下に

単線時代の下り線ホームが残されていた模様。

いつの間にか撤去されてたようです。

 

 

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