皆さま、おばんです!

 

今晩は、先週訪れたばかりの

函館本線・東森(ひがしもり)駅の訪問記です。

ここに訪れるまでは知らなかったのですけど

いろいろな「不思議」が詰まった駅だったのですよ。

今回はそれらを謎解きながら様子をお伝えしたいと思います。

 

まずは駅舎からですが、正面を見てビックリ!

駅前はジャングル化していて正面から駅舎が全然見えないのです。

思わずたじろいてしまいました。

 

それじゃ、どこから進入出来るかというと…

あらら、正面ではなく横道から進入できる駅配置だったのですね。

 

ここで気になったのは東森駅の駅前の様子です。

東森駅がこの地で営業を開始したのは昭和9年のことで、

この頃に開設された駅は駅前広場を備えてることが多いのですが、

見ての通り、東森駅にはそれが無いのですよ。

その答えは帰宅してから気づくことになるのですけど。

 

東森駅の駅舎はユニークな三角形です。

横から屋根に上がる輩が現れるのじゃないかと心配しましたが、

屋根がツルッツルで足をかけることすら出来ません。

(もちろん自分はしてませんよ)

JR北海道はいいトラップをかけてきますな。

 

駅舎の中ですけど、三角屋根の斜面がデッドスペースを作ってるためか、

ベンチは一脚も置かれてませんでした。

ここまでして駅舎を三角形にする理由があったのでしょうかね?

 

続いてはホームに入りますが、東森駅はここからが謎だらけなのです。

 

まずは東森駅のホームから、

単式ホームが1本あるだけの停留所タイプの駅でした。

 

それでは東森駅の何が謎なのか?

駅舎とホームの間がムダに広く空いてるのも不思議ですけど、

一番の謎はホームの向きでしたの。

 

駅舎の対面側にホームが置かれているために、

構内踏切を渡らないとホームに入ることが出来ない構造なのです。

ここでの疑問は、せっかく駅舎とホームの間が空いているなら、

ここにホームを造れば構内踏切も無くすことが出来るのですよ。

踏切があるってことは、それだけ危険な個所が増えるってこと。

なぜこんな配置にしたのでしょう?

 

ひょっとして、昔は駅舎とホームの間にもう1本ホームがあった?

いろいろと理由を考えましたが、現地では答えが見つからず。

その答えがわかったのは帰宅してからなのです。

古い航空写真にその答えがありましたぜ☆

下は昭和22年に撮影された航空写真でしたが…

東森駅のホーム、昔は島式ホームだったんだ。

 

現地ではまったく気づきませんでしたが、

昔はホームの左側にも線路があったみたいですね。

 

これを見て、ここに線路があったなんて誰も気づかないでしょうよ。

ここで東森駅の歴史のおさらいします。

東森駅は昭和2年に開設された、

砂原線の前身である渡島海岸(おしまかいがん)鉄道の駅が起源で、

昭和9年に現在地に移転。

昭和20年に国有化され函館本線(砂原支線)の駅に変わりました。

移転前はやや森駅寄りに位置していたようですよ。

上に挙げた航空写真は国有化された直後の様子ってことですね。

 

航空写真で気づいたことがもうひとつありまして、

昔は駅舎が現在の位置ではなく、森駅寄りにあった模様。

上の写真に赤い屋根の公民館が写ってますが、

ここの駐車場がかつての駅前広場だったみたいです。

今の駅舎がヘンテコな場所にある理由…

「駅前広場を公民館に譲った」が答えなのではないでしょうか?

そうなると駅舎の真ん前が駅前らしくないのも辻褄が合いますよね。

 

最後に、ホームの駅名標の脇に謎な出入口を発見。

手摺はJRが設けたモノのようですけど…

 

せっかくなので歩いてみました。

階段があるので間違いなく外に出れそうですよ。

 

むむ、これが駅に通ずる通路なのか?

 

ここが東森駅の出入り口とか、

絶対にわからんでしょうよ!

以上、駅ファンだけがわかる謎が多い東森駅でした。

ナスカの地上絵級の謎を期待していた皆さまは本当にごめんなさい。

 

 

訪問駅リスト(JR線)

函館本線(砂原線 大沼駅-森駅)

 

↑(長万部・大沼駅方面)

池田園駅(平成30年8月19日)

流山温泉駅(平成30年8月19日)

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東森駅(平成30年8月19日)

↓(函館・森駅方面)

 

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