保育士の虐待事件が報道されると、重たい気持ちになりますね。


私も発語のない子どもをお預かりする立場。

虐待関連の研修や、施設評価も身近です。

子どもを守るしくみと、それを機能させる重要性について、あらためて考えます。

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私は「幼児期」が好きです

その理由の1つは、未分化だから。

障害の重さによって学びの場所が分けられていないからです。


私のかかわる療育の「小集団活動」にも、

いろんな子どもが一緒に参加します。


発語がないとしても

その子なりの目標が達成できるように、

支援の仕方を変えていくのが醍醐味です。


これが小学校の通級だと

発語がない子に会うのは難しくなります。


子どもを区分せずに受け入れられる環境は

私の支援者としての学びを広げてくれます。

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発語がない子どもを他人に預ける行為。

おうちのかたは不安ではないでしょうか。


初めは療育に来ると泣いていた子どもも

安心できる環境と分かると、自分から施設に入るようになります。


少し経つと、笑顔も見られるようにニコニコ




言葉が十分に出ない時期は、不快感にも正直です。


この大人は好き。

この大人はいい人だ。


信頼して預けていい大人かどうかは

子どもの表情が語ると思っています。


それを見て安心するおうちの方を見ると、

私もうれしいピンクハートキラキラ

 



 

幼児期は、嫌なことがあっても十分に

意思表示できない発達段階です。

 

子どもに安心してもらえるかかわりが

もてる人でありたい。

 

自分に対してまずはそう思います。

乳幼児期は、適切にケアされていれば

特に記憶に残らない時間です。


ですが、これほど大切な時期もありません。


私は、その子の長い人生において

けっこう最初の方に出会う他人(先生)になる

と自覚しています。



生きていくのって助けてもらえるんだ。

人っていいな。

日本社会っていいものだな。


そう思って欲しいんですよね。

関わりの中から、プラスの感情を

もたらせることができたらと思いますニコニコ





私のお仕事は

教育を軸に色々な職種の仕事をしています。