絵師・尾形光琳と弟で陶工の尾形乾山は命日が一緒という事実

 

 

「尾形光琳のお屋敷へ」と言っても、熱海旅行の続きなので、ずいぶん間があいてしまいました。

 

先の熱海旅行の折りにMOA美術館平気、琳派の絵師・尾形光琳のお屋敷の復元を見てきました。

事前にこの存在を知っていたわけではなく、展示を見終えた後、庭を散歩していて気づきました。

 

館内展示鑑賞だけでも結構時間がかかったので、閉館時間が迫り、お庭散策・ティータイムの時間が押せ押せでしたが、お庭に行ってみてよかったです。

 

 

 

 

なかなかしっかり復元されているなぁと感心したのですが、光琳みずからが作図した家の資料が残っていて、それをもとに復元されたようです。

さすが才能豊かな光琳、設計図まで作ってしまったのですね。

 

 

さらに、もうひとつ新たに知ったことがあります。

尾形光琳と弟で陶工の尾形乾山が、ともに6月2日に没していた、という事実。

 

光琳が享保元年6月2日没・乾山が寛保3年6月2日没といいます。

没年には27年の開きがあるにせよ、まったく同じ日にち!

こんなことってあるのですね。

 

光琳は1658年生まれで、1716年、58歳で他界し、

5歳下の乾山は1663年生まれで1743年に他界。享年80歳と長生きでした。

 

 

なぜ気づいたかというと、下の写真右手にある仏壇がきっかけでした。

 

復元に仏壇まで配するとは、、、とあたりを見まわすと、仏間の説明を発見。

それによると、尾形家の菩提寺に依頼してご位牌まで作っていただいたという念の入れよう。

 

MOA美術館が、琳派の立役者光琳に敬意を表しているさまがうかがわれます。

 

2人の命日である6月2日には、毎年お茶会も催されるとのことです。

 

 

 

台所の再現もありました。

煮炊きをするスペースが広々とってあり、お弟子さんと同居していたのかな、などと推測。

 

 

 

かの有名な「紅白梅図屏風」は、このお屋敷で制作されたようです。

そして我々が行ったのはちょうど梅の季節。

 

紅白梅、、、という組み合わせではなく淡い紅梅が開花していたのみ、という塩梅でしたが、

ともあれ1本の梅の木が光琳屋敷の前で咲き誇り、文字通り花を添えていました。

 

 

 

 

そしてもちろん館内では、光琳作「紅白梅図屏風」も展示中でした。

屋外の季節感と呼応していて、意匠性に満ちたこの屏風を堪能するには

ちょうどいい時期に訪問したと思います。

 

この屏風は、いつ見ても存在感があり、

左側の年老いた白梅と右のイケイケ若い紅梅の対比も見事。

 

とはいえ老木のほうは若いもんに負けてはいません。

 

下に向いていた枝がむぎょっと途中から上昇していて、

なんとも奇怪な形。

下降線を執念で食い止めるかのようで、老いた木の意地を見た気がします。

 

 

 

むろん茶室もあり、理想の館で制作に励んだのでしょう。

 

とはいえ上述の通り享年58歳。

 

世に残した名品の偉大さ、老成した作風から鑑みると、活動期間が意外に短かったことに驚きます。

 

早熟の絵師だったのですね。

還暦を迎えることなく逝った大家に思いを馳せつつ春浅い梅の庭を散策しました。

 

 

 

 

 

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