私はサッカーも数多く見るが、他のスポーツも良く観戦する。
その中で思うのが、やはりアルゼンチン人の凄さだ。
例えばラグビーでもアルゼンチンは強豪にはいるだろう。
身長こそないもののテクニカルな試合運び、ここぞと言う時のタックルはサッカーに通じるものがある。
もっと驚くべきはテニスである。
テニスは実は身長がものを言うスポーツなのだ。
この上の記事のように、ほとんどの選手が180後半で、最低でも183cm必要だ。
それはサービスに優位性があり、テニスにとってサービスは最重要ショットだからだ。
テニスのサービスキープというのは、それぐらいプロのサービスを破るのが難しい事を、意味している。
そんな中で
なんと8人ものアルゼンチン人が世界ランキング100位に入っている。
しかも身長は170cmの選手もいて、全然大きくないのだ。
かつてディエゴシュワルツマンという170cm台のアルゼンチン人選手がいた。
彼もまた化け物だと思っていたが、今はそのような体格でも8人もいるのだ。
アルゼンチン人の平均身長は日本人とさほど変わらない。
サッカー選手の平均身長も同じぐらいだ。
つまり身長はさほど関係ないのだ。
アルゼンチン人は身長が低いがサッカー、テニス、ラグビー、バスケットボールなど強い。
身長では計れない何かがあるのだ。
一つ興味深い記事がある。
アルゼンチンに住む親子のブログだが、その子供は数学の問題でアルゼンチンと日本の違いを綴っている。
それが下記だ。
-5+3=
4-6=
この2つの式を解いて、気づいたことをグラフを用いて説明しなさい。
この問題に対し、このブログの主はこのように綴っている。
最後の一文にアルゼンチンの深さがある。問題を解く、2つの答えを並べた時にあなたは何を感じますか?という問題。ここにある「グラフ」とは簡単な棒線グラフのことで、横線一本で手書きの目盛りがあればOKというレベル。
算数から数学、マイナスの境地になると急に奥が深くなったと感じてしまうのが数字のマジック。「4-6は計算できません」と言い切って良かったのが算数なのに、マイナスが登場したことでその理屈が通用しない。
子供にしてみれば、考えなくていいことを考えなくてはならなくなったのだ。それは方程式でも同じことが言える。
X+3=10
これを理解するには、式を10という数字から見る必要があって、順序を重んじる日本人には、Xからしか目に入らないことにまず戸惑ってしまい、なかなか理解することができないのが数学の最初の壁。
最初の問題に戻るが、この問題から何を学ばせようとしているかを考えてみたいって急に思ってみた。この問題で気づくことは
・足し算と引き算なのに同じ答えであること
・両方ともマイナスの値になること
言葉にするとそんな感じ。棒線グラフにすると、スタート地点から右に動いたり左に動いたりするけど、着地点が同じという気づきになる。
この右と左という動きにも混乱の要素があって、グラフ上では逆の動きなのに答えが同じになることに疑問を感じるようになる。
ここで説明する回答に明確な形式はない。
ただし、どうやってこの計算をしたのかを明確に記憶に刻むことを目的としていて、人に説明できるように紐付けていると思っている。
このように筆者は考えたそうだ。
そして下記のようにまた綴っている。
日本のように50問解いて40問以上なら合格という考えはなく、この説明を一週間後の宿題にして、「考える」「表現する」という自分の脳内の理解を言葉にすることで、理論に変えていくという深い仕組み。
だそうだ。
私はここにスポーツの奥深さが隠れていると思っている。
日本の指導と欧州の指導の大きな違いの一つに、考えさせるという違いがある。
欧州の指導者はトレーニング中に、重要な外せないポイントがある場面は頻繁に止める。
なぜこうしたのか?
それはなぜなのか?
この部分を選手とディスカッションするのだ。
かたや日本はと言うと、指導者が一方的に伝えて終わりなのだ。
ほとんどトレーニングが止まる事はなく、止まったとしてもディスカッションはしない。
一方的に違うだろ、こうしろよと言った発言が多いように思う。
このなぜそうするのか?
これはやはり選手はところどころで考えなければいけないし、それをアウトプットする事で自然と身につけていかなくてはいけない。
なぜラインをあげなくてはいけないのか。
どの場面で裏をケアするのか。
一つ一つ理由があり、それがセオリーになるのだ。
アルゼンチンの教育と日本の教育の違いだが、やはり日本の教育は圧倒的にアウトプットが足りない。
普段から議論やアウトプットをしてない子供はサッカーのプレー中も議論などしないのだ。
まさに今の日本代表を示している。
私はここに答えがある気がするのだ。