私はサッカーや他のスポーツを見る時に極力セオリーをさがす。
セオリーとは、基本的な考えかただ。
テニスでいうと有名なのがセンターセオリーだ。
真ん中の深い位置に返却する事によって、相手は角度をつけづらくなる。
例えば野球だったら低めにコントロールするのもセオリーの一つだろう。
野球のシフトを投球によって変えるのもそういったセオリーがあってこそ考えられる。
しかし日本のサッカーにはセオリーといった言葉が見つからなかった。
ただ、調べていくうちにセオリーは存在する事が分かった。
守備時は中を絞って外に追いやるのは、そういったセオリーの一つだろう。
他にもセオリーは存在する。
例えばミドルシュートを打つ際は低めの弾道の方がディフレクションした場合ゴールの枠を捉える確率は上がるだろう。
もしくはシュートを打つ際はニアに蹴るよりもファーの方が弾いたボールが前に転がる確率は高いだろう。
つまり仲間がシュートを打つ際にはファー側に詰める事でこぼれ球を拾える確率は増えると言う事だ。
この確率を少しずつ高めていく事が、サッカーが上手いという事なのかもしれないと思う。
そういったセオリーを頭に入れておく事で、守備時や攻撃時での選択の迷いはなくなる。
自分のシュートが外れても、それは闇雲なシュートでは無くなるからだ。
綺麗に入らなくても、こぼれ球が仲間のところにいくようなシュートが良いだろう。
このようなセオリーは他のスポーツだと存分に見られる。
そのセオリーを相手との駆け引きで変えていくのがきっと面白いところなのだろう。
例えば私の思うセオリーはいくつかある。
先程述べたものとはべつに、体の向きが整ってなく後ろを向いている場合は落としを狙った方が安全だろう。
では守備側は落としをインターセプトする事がセオリーとなる。
こういった攻撃のセオリーから守備のセオリーの対応によって、局面が変化していくのである。
つまりセオリーが頭に入っていない状態だと、チグハグで即興のみになってしまう。
例えばメッシは右のサイドラインから中にドリブルをするシーンがあるが、あれはディフェンスからすると相当守りにくいセオリーだと感じる。
全盛期のメッシはあれを多用している事からも有効で掴みにくいセオリーだと感じる。
メッシを止める為にディフェンスに出なくてはいけないが、出たらラインが崩れてボックス内のポケットをあけてしまう。
出なければ巻くようなシュートが待っている。
メッシらポケットに入る仲間を使ったら、その流れでメッシはファー側に走りこんでいく。
仲間はファーサイドに早いグラウンダーを打つ、少しずれてもメッシがいるのだ。
セオリーを逆手に取る事で、相手が対応しづらい事をメッシは知っているのだろう。
メッシのように自分の特徴からセオリーを探していく事も良い事だろう。
例えばデブライネはボックスポケットに入る味方を使わずに、ファー側に大きくクロスを上げるシーンがある。
チームがポケットに入る事は出来なくても、ラインを少しだけ下げる事ができればクロスはより簡単になるだろう。
つまりこのポケットをいかに取れるか、取れない場合はどうするのがセオリーなのかをデブライネは知っているのだ。
こういった一つ一つのセオリーを日本代表には残念ながら感じない。
一つ感じるとすれば堂安選手がメッシをよく見ているという事だ。
しかし、メッシ選手も仲間がそのセオリーを学んでいなければ即興での攻撃になってしまう。
つまり、セオリーを探す事からスポーツは始まるのだ。