なぜだろうか。








日本のサッカーの育成には共通の認識がないのだ。










サッカーの戦術云々ではない。育成においてだ。









これは本当に不思議に思う。

なぜ共通の認識がないのだろうか。











色々な指導者がいて、色々な考え方があるのがわかるが、喧嘩してしまうのだ。

これの方が良い、これの方が悪い等喧嘩になってしまうのだ。










もちろん、多少の誤差はあって良いだろう。

しかし、天と地ほど離れた育成論がこの国では存在している。











もちろんそれで良い選手も生まれてはいるが、トップオブトップやワールドカップ優勝を目指すのであれば話は別になる。











そして一番気になるのが、日本は大人になるとサッカーを辞めてしまう。












環境特有の続けにくさもあるが、サッカーが好きであればやるのではないか?が私の持論である。

元々やっていたスポーツを一切やらなくなるのは少し寂しさもある。

人生を豊かにするスポーツが楽しいものであってほしい。










本題に移るが、日本は育成の共通認識がないように感じる。










そもそも、技術に特化した教え方が主体でそれが日本の育成といえばそうなのかもしれない。












ただ、それでも「こういう事がサッカーの育成だよね。」といった穏やかに進む事がないような気がするのだ。











私にも考え方があるが、私はそもそも技術を上げる事にあまりこだわっていない。











こう言うと技術主体の方々から怒られそうだが、もちろん否定したいわけではない。











ブラジルやアルゼンチンだって技術力があるし、ポルトガルにも素晴らしいドリブラーがいる。











しかし、いくつものトレーニング論を調べてもクローズドスキルの習得が記載されていないのだ。











もちろん全くやっていないということではないのだが、それを主体にしてないのだ。












では海外ではどのようにスキルを習得していくのか?










一例ではあるが、彼らはとにかくスタジアムに足を運びプロのゲームを見る

プロがやっていた足技を次の日の練習前の空いた時間に披露

1対1や2対2、もしくはゲームの練習でプロと同じ局面の際に使ってみる







これだけである。







これ以外でないのだ。








ちなみに私は心理学の本もよく読むのだが、反復練習を繰り返すと本番に弱くなるという研究結果がいくつもある。












そんな事ないと思うだろうが、これは事実なのだ。










反復練習を繰り返す日本での活躍はさておき、海外では本番力がなくなってしまうのだ。(この話も長くなるので後日)











日本の育成に話は戻るが、なぜ日本では共通認識ができないのか。










日本でよく見かけるサッカーの育成論が下記だ。



①パスサッカー(スペイン風?)



②ドリブルチーム



③ブラジル流(ジンガ、自由な発想、あまり教えない)



④止めて蹴る





主にこのようなものだが、こういった極論的な発想は海外の育成論では見かけない。









ちなみに、日本の子供にサッカーの事を聞くとやはり技術の話が先にくる事が多い。










恐らく技術にフォーカスしているのは国民性なのかもしれない。











武士は技術にフォーカスしていたのだから。












日本の工業力は世界でも有数な訳で、何か関係があるのかもしれない。
















ただ、私はサッカーはどうやったら物が売れるのかという経営を学ばないといけない。技術職の職人ではなく。と思っている。