ぐるぐるしちゃう頭の中 つづき | アロマ&心理カウンセリング 心とからだのセルフケア @東京 調布

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心とからだの健康はセルフケアから。セルフ・カウンセリング、AEAJアロマテラピーアドバイザー・アロマハンドセラピスト資格認定教室 アロマシオン主宰
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変わらずぐるぐるしてます。

AEAJ認定教室 調布アロマシオンを主宰し、アロマテラピー研究室でも活動中の島田さつきです。

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アロマテラピー研究室は、翻訳本によって日本にアロマテラピー広めた故・髙山林太郎氏が創設しました。髙山氏から後継人指名をされた林さんとともに、髙山氏の思いを引き継ぎ、髙山氏のアロマ遺産管理とアロマテラピー啓蒙活動をしております。

 

先日、こんなブログを書きました。

どうもテーマがテーマだけに、話が分散してしまって、「主」たるものが薄れてしまいました。


元は、次のブログを見て思ったことでした。


この中で、「感情や思考が物理的なものや身体のエネルギーに影響を与える」としています。

 

私もその通りだな~と思います。


しかし、こういった話題の中で出てくるいわゆる「善い感情・思考」などは、
どんな定義で「善い」と言っているのかが、いつも疑問で引っかかるのです。
 

「道徳心や感謝、利他の心、奉仕の心は大切」
 

その通りでしょうけれど、その(一般常識的な)道徳心や、利他や奉仕の心は、

本当に「善い」ものなのか?

という疑問です。

 

私は、20年近く、セルフ・カウンセリング® というメソッドをやっています。

これは、自分で自分をカウンセリングできる方法として、故・渡辺康磨先生が1960年頃から広められました。

元々は、「自己形成史分析」という、自分はどのように形成されてきたか?を解く学問の体でした。

それをもっと身近にわかりやすく、誰にでも使えるようにしたのがセルフ・カウンセリング®でした。

 

そのメソッドに沿って、自分の心を洞察していくと、一見、利他や奉仕の心から行った言動でも、その奥底に「我欲」が潜んでいることがあるからです。しかも、これは、どんな人にでも起こり得ることです。

また、セルフ・カウンセリングでは、どんなことにも正邪をつけません

 

カウンセリングとは、元来そういうものです。心とは、「●●であるべき」という、条件に縛られる性質のものでは無く、自由だからです。現に、どんな条件にあっても善悪関係なく、自由な考えが浮かんでしまいます。

例えば、良くない思考とわかっていても怒りがこみ上げたら「クソ死ね!!」とか心は叫びます。

 

これが、心の あるがまま の状態です。

 

「あるがまま」とは、善悪や正邪すらない、規範(ルールや条件)に照らし合わせることなく、

無条件に「そのままのことだけ」と事実を受け容れることです。

 

カウンセリング的な概念が一般に浸透してきた近年、「あるがまま」とか「ありのまま」と言ったそばから、条件付きの反省を述べていたりと…正しく理解されていないと思うことがよくあって悲しくなります。

 

悲しいのは、正しく理解していない人に対してではなく、正しく教えていない教育者に感じているのですが…

 

 

さて、実は、私が疑問に思っていたことが、あるページでいくつか解決できました。

私たちが一般化しているルールや正しいと思っていることには、やはりかなりな揺らぎがあるのだと。

 

一見、共通した概念のように思っている「道徳観」というものが、

実はかなり幅があってあやふやなものだったのです。

 

私は、人間の持つ矛盾点、例えば「悪」に対する概念は、立場でコロコロと変わるものだと感じています。今、行われている戦争も、双方にとって相手は必ず「悪」になる構造です。
そして、また、相手がサイコパスであったなら、多くの人の意識でいう善悪が通用しないわけです。

その疑問について、Wikipediaの「道徳」の説明は、多くのものを解決してくれました。

Wikipediaが全て正しいといっているわけではありません。

 

まずは「道徳」とはそもそも何か? 哲学ですね。

道徳(どうとく、英: moral、モラル)は、中国の古典を由来とする観念であり、「道」と「徳」という2つの考えからなる。道とは、人が従うべきルールのことであり、徳とは、そのルールを守ることができる状態をいう。 

 

人間が無意識の内に世の中に存在するものと認識している正邪・善悪の規範。個人の価値観に依存するが、多くの場合は個々人の道徳観に共通性や一致が見られる。社会性とも関わる。

【道徳観】

道徳に対する観方、捉え方。正邪・善悪の価値観。個々人の価値観に依存する

【道徳的規範】

道徳観に基づく規範。嘘をつくことは悪いことだというように多くの人々から是認されている規範もあれば、動物を殺して食べるべきではないというような少数の人々が従う規範もある。

【道徳的社会規範(社会道徳)】

社会や共同体において、その構成員の大多数によって共有される道徳観に基づき、より健全で快適な共同生活を送る為に守るべき、又は行うべきと考えられている規範、行動の指針のこと。

【道徳性】

正邪・善悪を区別し、道徳的規範に従う心、能力、判断のこと。道徳心。
道徳的規範は、成文化された規則である法律と一致しない場合もある。

 

なんと…このあたりまで読んできて、共通一致する部分はあるものの、「個人の価値観に依存する」要素が強いことも見えてきました。

 

そして「道徳判断」の項では、次のように書かれています。

【道徳判断】 の一部分

道徳判断は、社会的認識、特に心の理論を利用しているようである。いくつかの感情、例えば同情、罪の意識、怒りは、道徳判断の中心をなすが、他の感情も道徳判断に関連している。しかし、明確に道徳判断に関連する脳の部位はないようである。道徳判断は、記憶が脳の様々な部位を利用するように、感情や認識などの細かな領域を利用しているようである。

 

人間の道徳判断は、常に一貫しているわけではない。後述のトロッコ問題では、わずかな状況設定の変化によって、人は功利主義的な判断と非功利主義的な判断の間で揺らぐ。友人から金を盗む行為は非道徳的だと感じるが、先日その友人から金を盗まれていたのだと聞けば非難は弱まるか消え去る。見知らぬ人への危害よりも、自分自身や知人への危害のほうが強い憤りを呼び起こす。殺人を極めて非道徳的だと考えながら、同時に死刑制度を強く支持する人も少なくない。復讐は道徳的な大義名分を要求する。逆に言えば、大義名分は報復の正当性を人々に納得させる。戦争や部族抗争の研究によれば、加害者は必ずと言ってよいほど、相手が不当だという憤りを標的に対してもっている。
「スティーブン・ピンカー著、山下篤子訳『人間の本性を考える』下、NHKブックス、2004, p.65-66. より」

これらは、皆、共通にある認識だろう…という通念が、一貫していない、かなり曖昧なことを表していると思います。

 

【道徳と罰】

「道徳を守ることは正しいことである」と広く考えられており、「なぜ殺人はいけないのか」「なぜ人を不幸に陥れてはいけないのか」というように道徳に対して疑問を示すこと自体が非道徳的であると嫌悪されることもある。我々は、直接自分に関係がない場合であっても他人の行動を気に掛け、道徳と規範に従っているかに注視する。道徳に反する行為は、通常、本人に罪悪感を、それを目撃した第三者には嫌悪感や怒り、報復など強い感情的反応を引き起こす。また慣習的規範よりも、通文化的な道徳的規範のほうが憤りは激しい。さらに、違反者に対して寛容な態度を取る者へも同様の憤りを引き起こす。

【道徳心理学】
そして、どの文化でも、他人が規範に従っているかどうかを気に掛け、違反者へは懲罰的な態度を引き起こす。

自粛警察の心理などはこれらですね。

現代には通用せず、昔は当たり前だったことも、道徳的に嫌悪されることがあります。

例えば、僧が小姓を持つことや、近親相関などは、現代では嫌悪され到底理解されません。

逆に、昔は、西洋世界では、宗教の縛りから同性愛者は殺されて当然な報いを受けました。

 

今と昔ではまるで違う。

このように一貫性が無いことから、道徳観は時代で変わることがわかります。

つまり、当たり前と思っていることは、ちっとも当たり前じゃなくて、それを疑う必要があるということです。

 

【道徳と政治】

道徳は、政治的に利用されることもある。為政者に都合の良い教えを道徳とし、社会的な規範とすることによって人民を容易に拘束できるので、封建社会や(禁欲主義・精神主義志向の強い)社会主義国家、権威主義・全体主義国家などでは領民を精神面で押さえつけることに利用された。

上の道徳と政治の説明は、日本にいると感じにくいかもしれませんが、戦前の日本は、まさに道徳を利用された洗脳が行われていました。現代も、少し使い方は違うものの、相も変わらず同じ方法を使われていますよね。

 

多くの情報によってかえってわかりにくくなってしまったかもしれませんが…

つまり、正邪や善悪とは、非常に曖昧なものであること。

 

「道徳心や感謝、利他の心、奉仕の心は大切」 であり、

それらが本当に、(波動、粒子の)エネルギーに関与するのだとしたら、どう振り分けられているのか?
そのモノサシがさっぱりわからない

ということが、改めてはっきりとわかりました。

 

もしかしたら、人が思う概念とは、違った法則ではないのだろうか?

 

波動に関与するエネルギーとは、

赤子が嬉しくて笑った時のエネルギーも、人殺しで快感を覚える人物の達成感のエネルギーも、

エネルギーを発している側の正邪に依存しているとしたら?

(どんな伝達物質が放出されているか?に関係しているのかも?)

 

と、新たな問いが出たところで、また、どこかで つづきを。

 

 

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