しごく当たり前のことである。
ましてや、、、
『今日やるべきことを、明日やる』など
何を況(いわん)やである。
さて、ここからが問題だが、、、
明日やっても構わないことを、
今日中に、どこまで手をつけておくか?
である。
・まったく手をつけないか?
・計画だけは立てておくか?
・時間を決めて、できるとこまでやってみるか?
他にも、まだまだ選択肢があるかもしれない。
いずれにせよ、「明日に備える」ことに対して、
その人がとる心がけの選択肢は、その人の
ビジネス・センスに任すほかない。
ちなみに、ここで言うビジネス・センスとは
「発展しつつ営み続けるには、今何が必要か?」
を感じて動ける能力だと思っている。
そんな中、
人は、分業化した社会で、限られた時間の中、
最大限の効果を発揮し、競い合っている。
それが、経済合理性を追求する社会の掟。
その中で、
その日の間に、どこまでやれば良いのか?
どこまでやれば、人は満足するのか?
この疑問について、いくら経済や経営等の学問に
頼ったとしても、明確な答えには、辿り着けない。
ただ、ただ、、、
その判断は、各々の心の中の満足感を満たすべく、
各人の俗人的なビジネス・センスに任すほかない。
しかし、この俗人的な発想に対抗すべく、登場して
くる考え方に標準偏差な発想がある。
すなわち
「みんなが・・・」とか、「世間では・・・」などと比べて
どこまでやれば良いか、判断すれば良いと言う方法だ。
うん・・・
この考えも決して悪くはないが、
例えば、マラソンで言うと、、、
トップ集団の中で判断するのか、真ん中の集団か、
それとも、後方集団の中でなのか。
どの集団で判断するのかによって、その価値判断
基準の標準は違ってくる。
ところで、、、
結局は、何が言いたいのか?!
そう、
『人は簡単には変えられない。』
だけど、
『自分を変えることは簡単だ。』
明日に備えることについて、あれこれ
思いを巡らす内に、ふと、そう思った。
単純に、それだけである。
だから、自分を変えてみようと思った。