Facebookに流れてきた為末大さんの投稿に
とても共感したので、自論を交えて
自分のタイムラインにシェアしました。
Facebookをされていない方にも
シェアしたい内容だったので
こちらでも書いてみようと思います。
私が共感しシェアしたのは
元陸上競技選手の為末大さんの
こちらの投稿。
私の役割は「現状からはとても実現できないけれど、考え始めるきっかけになるそもそも論か、ラディカルな意見を出す」だと思っていますので、今回も体育について意見を言いたいと思います。私は体育の目的は「自分を扱う知識と技術の習得」にすべきだと考えます。私は社会に出て皆が悩むにも関わらず学校の授業では存在していないことに、「自分の扱い方」があると感じました。私のようなバックグラウンドの人間に来る大人の相談はほとんどが、健康、体、心、関係、人生、キャリアです。全て自分の話です。大人になってしばらくしたけれど、自分を知ることや自分の扱い方をすっかり置いてきてしまったという人がこれほど多いことに驚きました。知識や課題の解決法や職務上の技能には詳しいのにその価値を創出する自分にあまりにも興味がなく、そしてその自分が引き起こすことに悩んでいる。感情をコントロールできず悩む、体調を維持できず悩む、他者と良好な関係を構築できず悩む、などです。考えてみると学校教育の中と社会で最も違っている点は、社会では自分の能力はもちろんですが、他者と良好な関係を持ちお互いの能力を引き出し力を合わせることが必要とされます。一方、学校教育はほとんど個人技で評価されます。他者とうまくいく能力はコミュニケーション能力だけで括られがちですが、私は大事なのは自己を理解する技術だと考えています。ほとんどの人間関係の問題は、自分の認識と他者の認識がずれてきて自分を制御できなくなることから生じます。私がスポーツから学んだ最たるものは「自分の扱い方」です。表情筋の揺らぎや心拍の乱れの後に感情の乱れがくることを理解していれば、自分の心の揺れぎわを観察しある程度制御することができます。体調には揺らぎのリズムがあり、そのリズムに影響を与えるきっかけ(私は朝起きる時間と朝の食事です)に気が付けばコントロールできます。自分を扱う技術はウェルビーイングに直結します。そもそも幸せに健康であることは大変重要な点ですが、健康は失うまでその重要性に気づきにくいという問題があります。幸せそうな人はだいたい自分を知っている人です。学校の授業には生産性を高めるものが多く含まれていますが、自分の幸福を追求するものが間接的には入っていても少ないです。おそらく今は家庭や課外活動にそれが補われているのだろうと思います。課外ということは有償である可能性が高く、つまり経済格差が現れます。また成功に必要な要素だと言われるグリットは、認知能力ではなく非認知能力に関係すると言われています。そして非認知能力は課外活動が影響すると言われ、課外活動は学校外活動なので費用が発生しており、つまり家庭の経済格差がそのままでます。頑張る能力にも経済格差が影響している可能性があるということです。できるだけ多くの子供に可能性が拓かれる機会を提供してあげたいというのが私の考えで、そのためには公教育の中で何かを提供しなければなりません。私はその役割は体育が良いと思っており、スポーツと切り離し「自分を扱う知識と技術」を学ぶ場所にしてもいいのではないかと考えています。また少し大きな視点では我が国最大の予算支出先は社会保障費であり、医療費です。運動習慣と食習慣はこれに大きな影響を与えています。日本は国民皆保険を採用していますから、誰かの医療費を皆で負担し合う構造になっており、皆が健康でいることは国民全体にとっては正のインセンティブが働くことになります。体育は運動習慣を見につけさせるという役割があり、これは将来の医療費抑制につながります。例えばスポーツが市場に委ねられているアメリカでは、親の経済格差が運動機会の格差になり、肥満率(これは食も関係しているので複雑ですが)につながり寿命格差につながっているというデータがあります。マイケルポーターが「医療戦略の本質」で予防は対処の数倍コストパフォーマンスが良いと言っていますが、まさにその予防の入り口にあたるのが体育だと私は考えています。そういう点で体育の最大目標を「日本国民のウェルビーイングを最大化する」に置くべきだというのが私の考えです。ご清聴どうもありがとうございました。
ジョセフ・ピラティスさんも
まさに同じようなことを
著書の中で綴っていて
娘の育ちを見てきた中でも
実感していること。
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「自分を扱う知識と技術」という表現
シンプルで分かりやすくていいですよね!
ㅤ
私は娘が小学生になったとき
「体育の授業が〝体育〟ではないこと」
に気が付きました。
ㅤ
学校教育における体育は
〝体を育てる〟カリキュラムに
なっていないな、と。
ㅤ
「自分を扱う技術」と
「体の育ち」はリンクしています。
ㅤ
ここで言う〝育ち〟というのは
体の大きさや筋力みたいな意味では
ありません。
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脳や神経を含めた
すべての身体機能をまるっと
「体の育ち」と捉えてのことです。
ㅤ
それを育むには〝体を動かすこと〟
が欠かせません。
ㅤ
が、そういう意味での適切な「体育」は
残念ながら学校カリキュラムの中では
行なわれていないなーと感じたのです。
ㅤ
ピラティスインストラクターという仕事柄
「体育がキライな子どもだった大人」
または、真逆の
「努力と根性論によって育まれた体」
にたくさん出会います。
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どちらの身体にも「自分を扱う技術」は
残念ながらうまく育まれていなくて。
ㅤ
身体機能を軸に言い換えると「固有感覚」
が適切に育まれていない大人が多く
そういう身体は固有感覚を土台にないため
もし運動が得意なほうだった方であっても
〝自分を上手に扱う〟技術ではなく
〝外側からの圧力〟に対抗するための
〝技術〟や〝力〟ばかりが育まれている
ように見えます。
また別の見方・言い方をすると
表層の大きな筋肉たちの働きにばかり
頼ってしまう〝協調性に欠けた体〟。
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これは一見強そうに見えて〝弱い〟。
ある意味〝頑張りすぎ〟によって
パワーもスタミナもなく疲れやすい体。
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そういえば昔
「子どものときに教えて欲しかった!
ㅤピラティス、義務教育になればいいのに」
とおっしゃってたお客様がいらしたな。(笑)
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なんか書き始めたら長くなっちゃったけど
こちらの投稿に書かれていることって
ジョセフ・ピラティスさんが提唱した
「コントロロジー(Contrology)」
そして、脳や神経から見た
「ウェルビーング(Well-being)」
の考え方に限りなく近いことが書かれている
と思ったのでシェアしてみた次第です。
記事のシェア、いつでも大歓迎です
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