頑張らなくても身体は変わる♡
自由が丘でマシンピラティス
大人世代のライフスタイルに
「普段着のピラティス」をご提案
ピラティスライフ・ナビゲーター
西村由美です
夕方にこんな記事をあげましたが
平成最後の週末は、お仕事以外にも
懐かしい再会の夜を楽しんできました。
ご一緒したのは
数年前まで携わっていた
フィットネス業界の教育分野のお仕事で
一緒に活動していた坂田純子さん。
私がゆるゆる低糖質食を試していることを
SNSを通じて知っていてくれた彼女が
この日予約しておいてくれたのは
ローカーボキッチン然さん。
純ちゃんは昔からそういう
さりげない思いやりを向けてくれる人。
気負いなく、ごくごく自然に。
今回もさらりと渡してくれたお土産が
大阪市中央公会堂100周年記念の
可愛い文房具セットだったのですが
「由美さん、文房具好きだったよね」
と、10年以上前に一度しただけの話を
今も覚えていてくれて。
純ちゃんのこういうセンスの良さとか
人を思う気持ちとかにいつも憧れてたこと
ふわ~っとよみがえってきた瞬間でした。
純ちゃんがその日の再会のことを
書いてくれているブログを読んで
ふと思い出しました。
私、中学の卒業文集だったかな、
好きな言葉の欄に
「Going My Way」
って書いたんですよね。
何十年も忘れていたのだけれど。(笑)
Going My Way 「我が道を行く」
って言葉には
「他人の行動や周囲の雰囲気に影響されない」
という意味があるけど、それとともに
「他人のことを考えずに行動する」
というニュアンスを含んで使われることも
少なくないですよね。
中学のときは純粋な言葉の意味をとらえて
好きな言葉として書いた私でしたが
後になって後者の意味で使われることを知り
幼稚な自分を恥じたことも思い出しました。
でもさ、それを幼稚だって思うのは
「自分の道を行く=自分勝手=ダメなこと」
と無意識に紐付けていたりするから
なんですよね。
「自分の道を行く」ことと
「他人のことを考えない」ことは
本来は別の物事なはず。
「自分らしくある」ことと
「まわりとうまく付き合う」ことは
両立できることなはずなのです。
そこをね、対立する物事のように
無意識の前提で誤解してしまっている人が
たぶん少なくないのではないかな。
かくいう私も、だから
Going My Wayって書いた自分を
幼稚だったと恥じた訳なんですよね。
「我が道を行く」からと言って
「人のことを思いやれない」わけじゃない。
純ちゃんのブログを読んで
自分の中にまだ少し残っていた
「我が道を行く」への誤解が消えました。
我が道をさらりと自然体で歩ける人とは
いっしょにいて凄く心地いいということを
純ちゃんと過ごした平成最後の週末が
教えてくれました。
ピラティスもそう。
「自分の呼吸」が大事。
純ちゃんは「走ること」を
そんなふうに表現していたっけ。
彼女はランナーであり
ランナーをサポートするお仕事もされています。
私も純ちゃんも
そうではない時期があったからこそ
今、そう言えるのかもしれない。
思い返せば
私がフィットネス業界に入ったのが
平成2年のことだったから
私の平成はフィットネスと共にありました。
そんな平成の幕が下りるタイミングで
彼女と再会できたのもきっと必然。
令和の時代は「我が道」を堂々と
「和を以て」歩いていこう。
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