順徳上皇ゆかりの地を巡る佐渡島の旅② | misaのブログ

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佐渡島への旅 ②


八大龍王神社と龍王岩にご挨拶した後、赤い橋が目に入って来たので、途中の津神神社に寄ってみることにしました。



1152年、海中より出現したご神体を部落の守護神としてお祀りしたのが始まりだそうです。




溶結凝灰岩に根を張る老松↓


津神神社↓



狛犬の台座には「溶結凝灰岩」が使われています↓


穴のあいた岩は、両津大川の港が廻船業で賑わっていた頃、船をつないでいた『舟つなぎ石』だそうです↓


美しい田園風景↓


次に私たちは、新潟県で唯一の五重塔があるという妙宣寺へと向かいました。



妙宣寺↓


北面の武士の遠藤為盛は、佐渡島に流された順徳上皇に従って仁治3年(1242年)に崩御するまで上皇に仕え、その後、妻とともに剃髪し、天皇陵に庵を結んだと伝えられています。


そして、文永8年(1271年)の冬に日蓮が佐渡に流されると、日蓮に帰依して浄土宗から日蓮宗に改宗したそうです。



また相川の宮大工・茂三右ェ門親子が2代、30年がかりで完成させた五重塔は新潟県唯一の五重塔で、国の重要文化財となっています。



こちらは、お城だった頃もあったそうで、敷地も広く、開放的な感じでした。




茅葺き屋根の建物と五重塔がいい感じ↓


そして、お次は順徳上皇ゆかりの『真野御陵』へと向かいました。

ここは、順徳上皇が火葬された場所。。


順徳上皇のことをあまりご存知ない方にご説明致しますね。


順徳天皇の父、後鳥羽上皇は幕府倒幕を謀って承久の乱を起こしました。


しかし天皇方は幕府方に破れ、乱に参加した順徳天皇も父帝とともにそれぞれ配流となりました。


⚫︎後鳥羽上皇は『隠岐の島』ヘ

⚫︎順徳天皇は『佐渡島』ヘ

⚫︎異母兄の土御門天皇は自ら申し出て『土佐』へ



しかし、土佐から阿波へ移された土御門天皇は配流から10年後、37歳でご崩御。


流罪から18年後、60歳で後鳥羽院もご崩御。


21年もの間、都へ帰ることが赦されなかった順徳上皇は46才で断食によって崩御されました。


このように、父子らは一度も都に帰ることなく配流先で崩御されてしまいました😭



仁治3年(1242)9月12日、順徳上皇は亡くなられました。


『増鏡』によると、順徳上皇は帰京の思いをあきらめずに持ち続けたそうです。


順徳上皇の遺骸は翌日に火葬されました。その場所が、ここ、真野御陵なのです(火葬塚)。



その後、順徳上皇の遺骨は大原(京都市左京区)の大原陵に父・後鳥羽天皇と共に収められたそうです。


私は、そうとは知らずに2020年に京都ひとり旅で大原三千院あたりを訪れていました。




龍の鱗のような木↓


順徳上皇が火葬された場所なので、寂しい感じの場所であることは否めませんでした。


最期、順徳上皇はどんな氣持ちであの世に旅立ったのでしょうか。


火葬され、骨にならなければ、懐かしい京の都には帰れなかったとは、なんとも無念だった事でしょう。


私たちの他には誰もいませんでしたが、少しでも順徳上皇さまの魂を御慰めできたなら幸いです。



近くの観光センターに、魔除けの「赤玉石」がたくさん置いてありました。


鉄分が多い石だそうです。


こんな真っ赤な石は見たことないですね。


佐渡島での1日目は、まだまだ続きます。。