佐渡島の旅は『龍王岩』から始まった! | misaのブログ

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佐渡島への旅はここから始まった!!


7月8日に、新潟のMさんと一緒に佐渡島へと渡って来ました!


新潟フェリーターミナルにあった瑞鳥(ずいちょう)

人間国宝の佐々木象堂氏の作品です。


ニューミサラーメンを発見!!


ときわ丸の船内↓


フェリーは、全然揺れなくて静かな約2時間半の旅でした。


鬼太鼓(おんでこ)↓


そして、ついに佐渡両津港に到着しました!


佐渡島に着いて、レンタカーを借り、真っ先に向かったのは八大龍王神社でした。



陰陽師の由佳さんから、『佐渡島に行って下さい』と言われてから、地図で最初に目が止まったのが、八大龍王神社のそばにある龍王岩だったのでした!!



ネットで、神社にある看板を読んだ時に、佐渡島に呼ばれた意味が分かったのです。


こちらの看板です↓


そこには、このように書かれていました↓


順徳上皇は、天皇になる身分であったが、承久の乱で敗れ、北条義時により承久3年(1222)7月、佐渡へ島流しの身となった。

佐渡の何処へ上陸したかは、 はっきりしないが、供の者はわずか五人であったと 言われている。

以降、佐渡での21年間、 順徳坊としてどこを歩いたかもはっきりしていないが、仁治2年(142) 9月12日、食を断って崩御(自殺) され真野で火葬にされた。


その頃の話である。

旅のみすぼらしいお坊さんに野城の与七郎老人が姫崎沖の岩 (龍王岩)まで案内して ほしいとたのまれた。 

そこで老人は、そのお坊うさんを小舟に乗せて岩まで連れていったそうな。

そして、坊うさんが岩へ上がろうとしたとき、腰の小刀を海中に落としてしまった。

お坊うさんは大変悲しんで、次の短歌を読まれたという。


「ツカのまも、身をはなさじと思いしに、 波の底にも、サヤ思うらん」


すると海水がムクムクと盛り上がり、龍神が刀を口に、くわえて出てきたという。

以降この岩を龍王岩と、名づけたという。

又その時のお坊うさんは順徳上皇であったという。

今もその時の小刀が与七郎家の宝物として残っている。』


ここに行かなくては!!



八大龍王神社の裏手から、龍王岩が見えました!!


龍王岩↓


実は、なんとも不思議なことに、我が家から龍王岩のある場所は、ほぼ真北にあたるのでした!



さらにそのルートは、富士山を通る日本列島のほぼ中央ラインになっています。


今、氣づいてしまいましたが、火の鳥が舞うことで有名な『宝徳大社』も、富士山ラインにほぼ入っているではありませんかっ!



びっくりです😱


『龍王岩』から『順徳上皇』の存在がクローズアップされ、鎌倉時代で北条側の過去世がある私としては、上皇さまに何としても過去のお詫びをしなくては、と思うのでした。


Mさんも、順徳上皇が佐渡島に島流しになる際に、宿泊していた地に住んでおり、順徳上皇が火葬された場所あたりにも住んでいた事があると言うので、かなりの関係者だと思われるのでした!


そうして、私たちふたりの順徳上皇ゆかりの地をめぐる佐渡島の旅が始まったのです。


続きます。。