いつまで続く? 人口大幅減少も7波もワクチンのせいなのに。。 | misaのブログ

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ストップ コロナワクチン!


3回目接種してるのに感染した長崎知事↓






7波は、接種率と関係がある↓


日本の人口、過去最悪の64万人の減少!


これは、ワクチン接種によるものとしか考えられません。



丹生川上神社・上社


三社巡りの続きです。


丹生川上神社中社から、車で約1時間ほど離れた「上社」に到着しました。



田中さんとてっちゃん↓






車で上まで登って行けますが、結構高い場所に神社はあります。


元宮遥拝所↓


遥拝所からの景色↓おおたき龍神湖が見える



〜抜粋〜

白鳳4年(675年)に天武天皇のご神宣により建立祭祀され、室町時代に至るまで、歴代天皇により数10回の奉幣祈願がなされた。


御祭神の高龗大神(たかおかみのおおかみ)は、水・雨を司る龍神であり、祈雨・止雨の祭祀は古代から行われていたとされ、同社は霊験あらたかな場所として現在も全国各地から多くの人が訪れる。


旧境内は大滝ダム建設により水没することとなり、1998年3月に現在の場所へ遷座した。


神社として、約1350年という長い歴史がありますが、明治・大正時代に丹生川上神社は上社・中社・下社とわかれ、上社は大滝ダム建設によりその境内は水没してしまいました。


上社の遷座時には、県立橿原考古学研究所による元境内地の調査で縄文時代の祭祀跡とみられる遺構も発掘されています。


このような歴史について宮司や上野教授はどのように思われるでしょうか?

 

宮司:「人の声の聞こえざる深山、吉野の丹生川上に我が宮柱を立てて敬き祀らば、天下のために甘雨を降らし霖雨を止めぬ」と記され、豊穣の祈りとして天武天皇が奉祀されていることがはじまりとされていますが、日本最古の歴史書『日本書紀』には大昔からこの地は祭祀を行う聖域として記されています。

 

実はここではじめて丹生の字があることから、初代天皇の神武天皇時代には、すでにこの辺りでは祭祀が行われていたのではと考えられます。


さらに大滝ダム建設の遷座時に、約4000年前の祭祀跡とみられる遺構が発掘されたことから、おそらくその起源は縄文時代にまでさかのぼるかもしれません。

 

上野:長い歴史のなかでも、新しい国づくりは吉野からはじまったと言われるほど、奈良の吉野は聖地であるという意識があります。


天武天皇をはじめ、後醍醐天皇、源義経も吉野がはじまりの場所でした。


歴史的にも丹生川上神社は特別な場所だと感じます。


<抜粋終わり>


縄文時代から続く吉野の地は、とても重要な場所だったようです。


そして、次は吉野桜の方にある下社へと向かいました。


時刻はもう15時を回っていました。1時間はゆうにかかります。


社務所が閉まるまでに、果たして間に合うでしょうか。。


続きます。。