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癒し 天使たちのことば

日々降ろされる霊天上界からのメッセージと共に、
心癒される言葉や、励まされる言葉をお届け致します。


中江藤樹先生の弟子の御子孫からの要望



このブログを見た人からの要望が届いていますので、その要望に対応させて頂きます。

 その方は、中江藤樹先生の弟子の子孫であると云われています。
その方のご先祖は、中江藤樹先生に住居・教室を提供し、藤樹先生の教えを学んだ方で、その後、正義のため乱を起こすが、すぐに鎮圧され、鹿児島に逃げ延びてきた。知人のすすめで、奄美に行き、そこで西郷隆盛氏とも会っていたという事です。
その子孫の方からの要望です。

「中江藤樹先生に、私の先祖はどの様な人物であったかを聞いてもらいたい。」とのこと。

 この要望を受け、受けるかどうか迷いましたが、どの様な乱を起こされたのかも気になったのと、「乱」と云う行動を起こされた原動力を知りたくなり、要望を受けることにしました。
では、中江藤樹先生にお話しを伺ってみましょう。


【中江藤樹先生との会話】

EO:中江藤樹先生に、当時、教室や住宅を提供していた方の子孫という方から、自分の先祖はどの様な人であったのかを知りたいとの要望が有り、先生のお話しをお伺いできればと思います。               
また、鹿児島の地においても、「知行合一」の先生の教えは残っており、私もその教えを実践にうつしています。
よろしくお願い致します。


 確かにその様なことがあったという記憶はあります。
私は随分と色々な方に支えられ、多くの方に助けられておりました
皆さんその当時、私の周りにいた人々というのは、皆、大変親切で、心優しく、人々に大変親切であったという記憶をしております
それで、私自身もその様に、大変丁寧に扱っていただけたことを記憶に残っております。

 おそらくその当時、それなりの厳しさのある中で、私のその場所を提供してもらっていたと、承知しております。大変ありがたく、心より感謝をしておりました。

 そのような人々に支えられて、私の趣旨、主張するところの意思と言うものは人々に伝わり、物事をなしていくときの大きな力と成り得たのだと考えております。

 もともと、近江の地より、いでしところのその学びの元というものを、私は固く信じ、それを持って、鹿児島にもまたそれを花開かせることが出来たということは、鹿児島の人々にあって、その熱き思い、情熱の深さ、厚さというものに深く感銘を受けたからであり、ここに一つの思想、信条、道筋と言うものが、生かされ人々に伝わりしてきたのだと思います。

 今、そのいわれた方との事に思いを寄せてみるに、まこと心優しき懐の深い人であったという印象を持っております
当時は世話になったということを伝えていただきたい。
感謝をしておると、いうことです。         

EO:今その子孫のかたも、以前から真理は何であるかと探究してきた様な感じで、色々なことを学んでいる様に感じます。藤樹先生の教えをいただいた方の子孫だなーと、何か醸し出されており、その魂もずっと磨き続けてきた方なんだなーと思います。

 まぁ、その子孫であると言うからには、それなりの素性の方であろうから、間違いないと思います。これからの活躍を期待します。

EO:ありがとうございました。

KU:ありがとございました。続きまして私の方から質問させて頂きたいと思います。

はい

KU:今仏弟子として二十年ほど学ばさせていただきましたが、自分の思うようになかなか行動が出来ません。悔しい思いをしているのですが、その行動の始まりとしての第一歩がなかなか出さないでいます。どの様にしたら、その一歩を踏み出せるのでしょうか。よろしくお願い致します。

 「初めの一歩」という言葉があるように、物事はなんでも初めの一歩がいちばん肝心であり、ある意味難しいものである。その一歩が出れば後はだんだんに転がっていくのであるが、そこにたどり着くまでがなかなか大変だということは、多くの人々が知っていることであろう。
それをいかに始めていくかという時に、難しく考えすぎないことであると私は思っております。

 何事も大きく考えすぎ、「己」と言う人物を大きく見たときに、その一歩をいかに出せば良いか迷い始め、また、自分にそのようなことが出来るだろうかという不安がよぎり、一歩を出すことができなくなる。それよりも地道に、小さくても良い、まず手に着くことから始める。それが後になって、あれが最初の一歩であったと、いうことが後々わかることであって、特別に線を引き、ここから大きく一歩を踏み出すというような思いを持ちすぎぬ方が物事は始まりやすい。

 自分が特別な人間だと思ったところに、落とし穴がある。
そうでは無い、自分もまた、平凡な人間であり、出来ることは小さなことから始めれば良いのだと、考えてみれば、どのようにでもその一歩を踏み出すことができる。

あまり大きく、考えすぎないことだ。

KU:物事を見るときには大きく考え、行動を起すときには、自分が何ができるか、身の丈にあったところから始めていく、と言うことですね。

はい、そいうことです

KU:ありがとう御座いました。
では次に、その先祖の方のお話しを聞いてみたいと思います。


【○○さんの先祖の方】

名前は藤次郎、籐十郎とゆうたかな?
私は、中江藤樹先生を大変尊敬しておったので、んー んー 藤次郎と呼ばれてみたいという思いが強かった。後、後の時代にそのように自ら語ったことがある。
藤次郎

KU:歴史に名前が残っていますか。

いやその様な、たいそうな事は無い

KU:何か事件等を起こされたと聞いてますが、有名な事件なのでしょうか。

当時としては、人々の記憶にとどまることもあったであろうが、いまはもはや知る人は少ないであろう。

KU:先ほど藤樹先生においでいただき、貴方様にお世話になったと、大変感謝されておられました。そのことをお伝えいたします。
また、今貴方の御子孫の方と言われる方から、ご連絡があった訳なんですが、ご先祖である貴方様から、何か御子孫に対してアドバイスを頂けないでしょうか。

んー そのように我が子孫が、思いを向けていてくれていると言う事は、まこと嬉しい限りであります。
○○家の血を引く者として、名に恥じぬ様頑張ってもらいたい。
我が○○家は、もともと武家の出であり、後に商家となるも、その血は争えず、一本筋の通った思いを脈々と大切にひき繋いできておるものである。
その思想において、間違いの無きところ、先祖代々受け継ぐことをもって、我が先祖ならびに子孫に対し、その義を果たすものと心得ておるゆえ、その者もまたそれを受け継いでいくに違いない。

我が師であるところの、中江藤樹先生に多大なる大切なその志を受け継ぎ、これを指針として○○家はその家督を継ぎゆくものを子孫として迎え入れ、繋いできておる。
心してそれを継承されたし

KU:今この日本に、大宇宙の根本神である主が下生され法をお解き下さっています。このことに対してどの様にお考えでしょうか。

 まこと立派なことなれど、我が命あるときに会い見まごうこと、適わぬ時であった事を、まことに残念に思う。しかし、現在只今、その子孫の時において、その縁あることを、大変喜ばしく思っております。
これはわが子孫として、その義大になる事をなすものと思っております。

 少なからず、○○家はその血筋もまっすぐに貫き通しておると誇りに思うと同時に、ますます正しき道へと導きゆかれる事、我が代より遥か古のご先祖様に到るまで、皆その偉功を受ける事となる。その喜びやいかばかりか、喜ばしいことであると存ずる。

KU:と言う事は、今世に生きる者が、主の弟子となると云う事は、その偉業は遥か先祖までにその御光が届くと云う事でしょうか。

さよう

KU:ありがとう御座います。では次ぎに、貴方様が行動を起こされたときの、そのエネルギーと言いますか、考え方と言いますか、そこのところを教えて頂ければと思います。何故ならば、私達はこの世に於いて、なかなか思う様な行動が出来ず、悔しく思っている部分があります。是非、貴方様の行動エネルギーを、参考にさせて頂ければと思うからであります。よろしくお願い致します。

いきさつまで事を細かに話す程、記憶は鮮明ではないが、

KU:はい、大筋でお願い致します。

 これは私の心の内にある、その正義感というものが、どうしてもこれを貫かねばならぬという思いに駆られたところから始まった。
その思いが熱く出たことを、記憶している。

 周りの者たちは皆、目を見張らんばかりに、驚き、恐驚く者さえいたと思う。
しかし私自身の中では、その様なことなどものとはせず。熱き火の玉の如き思いに駆られて、突き進むのみであった。
そのことをなすときには、ある種、周りがどの様であろうなどということは、目にも耳にも入らず、火の玉の如くに相成りて、突き進むのみであった。

 およそ、人間と云うものは、みな誰しも、己自身の持つ正義感というものを中心に物事を見ており、判断をつけ行動をなすものである。
私自身もそのようであったと思っております。

 己が心が、正しきことと定めし事を深く信じ、他のものの言葉は耳に入らす、ばく進したのであります。そのような気持ちでいるときには、もう居ても経っても居られず、じっとしておくことの方が難しい。はや、細かなことが如何様であったかなど、記憶には無い。
ただ我が思いが、どの様であった、そのことのみが思い起こされる。

KU:その後、この世を終わられ、天上界に帰られたわけなんですが、その後の気付き等御座いましたら、お教え願いないでしょうか。

 熱き心、熱き魂、火の玉の如き熱血の思いと言うものが、それはその時の正義であって、それはそれで良かったのだと思っておりました。
こちらの世界に生きて、そのことをまるで第三者の如きおももちにて振り返ったとき、おのれ自身は正しいと信じ疑いもしなかったことについて、静かに反省をする時が流れた。
まさかとは思ったが、我欲がなかったか、我に利すると言う思いが先走ってはいなかったか、そのようなことを思っていたのでありました。

 まさにその時には、爪の先ほどもそのような思いはなかった。
だが、後々になって、こちらの世界に来てからそれは、静かに見えてきたものでありました。髪の毛ほどの我欲もなかったのかどうか、それを思ったときに、私の反省は始まった。

まだまだ、現在ただいもその道の途中であると言うことです。

KU:中江藤樹先生の教えを受けた方達の乱と言えば、「大塩平八郎の乱」がありますが、それとの関わりはあるのでしょうか。

大塩は私とよく語ることがあった。共に戦ったものである。
平八郎の名が残っておるが、それらを中心にやって動かした者たちは複数名居る。
私もその一人であった。

KU:ありがとう御座いました。
その後、三帰誓願をされました。

次ぎに、中江藤樹先生のお弟子さん達が多数おいで頂きましたが、幸福の科学霊系団の天使の方々に、三帰誓願式をお願い致しました。

私達はその後、暫くの間、この正義について話しをしていましたが、その話しの内容は、色んな立場によって、またその環境によってそれぞれに正義が変わってくる。それを理解しながら、やらねばならない、全ての方は仏の子である。とか、ふぁわっとした話になっていたところ、強い強い念が来たので、その方をお呼びしたところ、西郷隆盛様でありました。


【西郷隆盛様の言葉】 
 
(鹿児島弁で来られましたが、鹿児島弁が分からないので、おかしな表現になっているかも知れませんが、よろしくお願いします。)

 なんでんかんでんその様に話をしていくと、泥団子のごと、わけのわからんことになる。
それは、実際に生きている時に物事を起こそうとした時、あれもこれも正しい、それもあるこれもある、ちゅうて話を盛り込んでいくと、まとまりがつかんようになる。

そこは正義をつけて、今はこの大義を果たすにあたり、小事は切っていくという勇気も必要。そるができんならば、大事を果たすことは出来ん。

その様にどれもこれも、同じ土俵に乗せることは、何時もいつもそれが正しいとは限らん、ちゅうことです。

KU:はい、ありがとう御座います。確かに未だそこの所の選別が出来ていませんでした。

小事を成す者は小人にて可能、
大事を成す者は大人ならねばなさぬ、
この見分けをする事も肝心
自分の器が、どんだけん器かちゅうこと
よう見極めて、なにを成すか、
それに値するだけの、使命が与えられる。
そんが、間違ごうた見方ばしよったら、
ちぐはぐなことになるちゅう事

KU:ありがとう御座います。確りと精査して、物事の判断に当たります。
誠にありがとう御座いました。


ブログ管理者より

 中江藤樹先生の魂は、天之御中主尊様でも有り、この日本の国を率いて来られた魂です。

 その弟子たちがなした乱は、明治維新への道を、その一歩を踏み出した「乱」であると考えてみると、この一歩はとても大きな一歩であったことが見て取れるでしょう。

 その時代に生き、この乱に参加した人達は、飢饉に於ける理不尽さに立ち上がり乱を起こされましたが、少し時代の流れを鳥瞰する様に見ると、とても偉大な神仕組を感じます。

 そして、その時代、時代の流れを押し進めるには、やはりその一歩が必要になるのでしょう。個人個人においての一歩、組織としての一歩、その時その時に要求される一歩、と様々ですが、必ず前に進む一歩があるはずです。

主を信じ、勇気を奮い起こし、その小さな一歩を踏み出しましょう。

KU

(追伸) しかし、どうもこのご先祖の方、気になります。
     何か、何か、未だある様に感じるのですが、
     皆様はどの様に感じられましたか。
     鹿児島の地に、中江藤樹先生の教えが浸透していますが
     それだけの影響を成した人とは???



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続きです。


岩王だ

 先程からああだこうだと言うておるようだが、私も一通りは一応通ってきた。そしてここに今至っているが、だいたいそのうわ滑りな話をしても、身には成らん。

 やはり学びと言うときにはな、とことん光も闇も両方体験せねばならん。
光は光で分かりやすい、非常に美しいものだとわしも知っておる。
しかし闇は、となると、みな忌み嫌う。

 真っ暗のところに一人で居るのは、ものすごく寂しいし、冷たいし、不安である。恐怖もある。孤独だ。
しかしな、わしはこの暗く孤独な世界の中に一人長い間おるが、それだからこそ見えてきたことがある。
この真っ暗な闇の中で、見えるものがあるんだ。
何が見えるか、想像してみるか。

KU:赤い炎ですか

あーー、未だ未だ。

KU:より暗いもの

 それはの、その暗い世界を見とるから、そういうものが見える。それは見えて当たり前じゃ。しかしわしが見たのは、それよりもっと深い世界の、真っ暗な世界で見た。
なぜ見えたか、そんなことはわしは知らん。
見えた。

 何が見えたかと言うと、一筋の光が見えたんじゃ
この真っ暗な闇の中で、細い光が入ってきたら、気が付くぞ
中途半端な薄暗がり、その中では、気がつかん
その様な細い光が、一筋入って来ただけでも気が付く、いや普通は、入ってくるはずがない。
だからわしが見たのは、実際に入ってきた光と言うよりも、思いの中に差した光、これを見た。肉の目で見たのではない。
それが、周りが暗ければ暗いほど、鮮明に浮かび上がると言うことを知った。
どうだ。

 いつでも光りばかりの中に居って、その細い光は見えるか?
おそらく見えないであろう。
見ようがない、しかし、この真っ暗な世界の中で、本当に蜘蛛の糸ほどの細い光が、ありありと見えると言う事は、その小さな光にそれこそ感謝する心が湧いてくる。

 わしはなぁ、長い間ここにおって、そーゆー心境になるとは思うてはおらんかった。
憎しみや、疑いや、嫉妬、猜疑心、そういったもので固まっておった。
そうであるにもかかわらずだ、それと反対のものを感じたと言うことに驚いておる。

KU:どうですか? その光を求めて、上に上がれたんですか、それとも未だ見ておられますか。

まだ見ておる。

KU:上がって来られませんか。

上がったらこの光が見えんようになる。

KU:上に上がったら上がったで、より強い光が見えると思いますが

 確かにそうだろう。しかし、わしはここに居るからこそ、その価値を知ることが出来ると思うておる。

KU:そうですね、それではその価値を知ったならば、その価値を自分のものとされたらどうでしょうか。そうしたときにあなたはもうその世界に居れません。
その「光を見ただけ」なんですね。
その光を、自分のものにされておられない。
眺めてるだけではありませんか。
素晴らしいなと眺め、そして感謝している。
しかし、その感謝してる自分を疑ってる自分もまたあるのではないですか。

そうか

KU:その光をまず自分のものとして、素晴らしきものを素晴らしきものとして受け入れる。
そうしてもう一つ、その素晴らしい光を見えた自分を褒めてやる。褒める。

あーあーっ、

KU:その光がよくぞ見えた。と誉めてやる。

無理だ。無理、無理
いやそれは無理だ。

KU:その光は心の目で見えていると言うことだから、自分の心中にその光があると言うことなんです。

いや自分を褒めるということなど、そんなこそばゆい事が出来るか。

KU:自分の心の中にある、本当に素晴らしいものを認め、褒めないから暗くなる。本当はその光り輝いているのが、あなた自身であるのです。そのことに気付いてください

その言葉を、その綺麗な言葉を出すな。

KU:あなたの心の中にも、その綺麗な言葉があるはず。そのあなたの心の中の綺麗な言葉、その綺麗な心を認めること、本来それがあなたであるのだと言うこと

いやそれは出来ん、それは出来ん
出来ん訳があるのだ。
出来んのだ。無理だ。無理だ。
出来ん、出来ん、出来ん。

KU:その出来ない理由を教えてくれませんか

わしはここにどうしても居らねばならぬ、

KU:その理由は

罪を犯した。

KU:どのような罪を犯されましたか

わしは、これでも人々のための役に立とうと、初めは、その気持ちであった。そこから始まった。
それは良かった。
人々はわしを頼ってきた。
どうすれば良いか、助けてくれと
わしは知恵を絞った。
神仏にも祈った。
そして、わしは答えを出した。
まさかそのような答えを自分が出し、実行することになろうとは思うてもいなかった。だが私は周りの人々から、慕われ信頼され、頼りにされていたので、答えを出さぬわけにはいかんかった。

川は増水し、堤防が決壊した。
村は水浸しになった。
毎年、毎年それは繰り返し、作っても作っても堤防は流された。
当然増水した川に流され、命を落とすものも数多くいた。
そして村の人々は私を頼ってきた。
どうすればいいか、教えてくださいと。
わたしは、必ずやこの村を救うと言う思いで、一生懸命に考えた、考えに考え、祈り、瞑想をして、何かの答えを出さねばならなかった。
そして、答えを出した。

「人柱を立てろ」と

その決壊した堤防に、人柱を立てて、堅固な堤防を作り直すのだと、村人達は大口を開けて驚いていた。
しかし私はもう、私の目は血走っていた。
何を疑う余地もなく、それを村人達に強いたのだ。
村人たちは私の言う通りにした。
わたしはその様な罪を犯したのだ。
だから、ここからでていくわけにはいかんのだ。

KU:ではその罪、一番大きな罪はなんですか。
人柱に立てた罪、これも大きな罪でしょう。しかしそれ以上に大きな罪を犯したのではないですか、何だと思いますか。

それ以上の大きな罪は無い、
何を犯したというのだ。人の命を奪ったのだぞ

KU:それ以上に大きな罪があるように思いますが、許しがたい罪がある。

・・・・・・・

KU:わからない

わからん

KU:あなたは神や仏になり済まそうとした。自分の頭で考えて、人間心で答えを出そうとした。ここは神や仏に祈ること、そして村人たちの信仰心を集めること、これが大事だったのではないですか。
人間の力でどうすることも出来ないときには、それは神の何らかの意志があり、それに気付けと言われることではないですか。
災害が起きると言う事は、そこに信仰心が薄らいでいたのではありませんか。
村人たちの信仰心を集めて、神や仏に祈る。それが一番大事なことではなかったでしょうか。

私は祈ったぞ

KU:あなたは確かに祈った。けれど、自分の頭で答えを出そうと、小さな頭で答えを出そうと、そのために祈ったのでしょう。

そうだ。

KU:そうでは無い、すべて神や仏に委ねること。委ねることが大事なんです。
その委ねた時に、答えが降りてくることがあります。
あなたは、まだ神や仏に対する信仰がイマイチであったと

なぜだ、あれ程、あれ程、私は神仏に祈ったのに

KU:その祈りは、自分の答えを出すがための祈り、自分で答えを出して、村人たちのために、自分の考えを伝えようとした。

そうだ確かにそうだ

KU:自分の思いでは無い、自分の考えでは無い
まず考えなくてはならないのは、天変地異が起きるという事は、天の意志がある。その天の意思をまずくみ取る事。
なぜその様な天変地異が起きるのか
起きなければいけないのか。
なぜ人が死ななければいけないのか、

だからこそ人柱を立てることによって、神に許しを乞うた

KU:いやそうでは無い、信仰心が足りないから、村人たちの信仰心が薄らいだから。みんなの思いが、この世的な思いに流されてしまっているから、気付きなさいと。
最初は小さな災害であったでしょう。
それでも、それでも気が付かないから、被害がだんだんに大きくなっていったのではないですか。

あなたは仏や神に対して、その信仰心を示すために、信仰が大事であると言うことを教えるためにそこにいたはず。
多くの人の信仰心を集めるためにそこにいたはず。
そして神や仏は、あなたにそれを示すチャンスを与えて下さった。
あなたにとって、信仰心を磨く大きなチャンスを与えて下さった。
村人達もまた、あなたにそのチャンスを与えてくれた。
にも関わらず、自分の仕事を忘れてしまった。
僧侶として人からの信頼を集め、それに応えるべく努力をされたのではあるが、いつの間にかその方向が間違った方を向いていたと言うことです。
貴方が信仰心あつくして、すべてのことが神や仏の慈悲であるとみたならば、たぶん答えは全く違ったものが出たと思います。

わたしの信仰心は、まだまだ薄かったと言うのか。

KU:そうです。もっともっと高みを目指して、その小さな光よりもっと大きな光を目指して、ゆかなければいけない。
そのあなたが見えた細い光は何かと言うと、あなたの心の中にあるかすかな信仰心、細い細い蜘蛛の糸のような光ではあるけど、闇の中では輝かんばかりの光でもある。
仏にすべてを委ね、心を素直にし、仏に限りなくついていく事。これが大事ではないかと思います。

では、この暗闇で見えたあの細い光は、私の信仰心に見合っただけのものであったと言う、単にそれだけのことなのか。

KU:極論してしまえば、そういうことにもなります。
でもあなたの心の中に、信仰心が間違いなくあったと言うことです。
あなたの心の中に、輝かんばかりの、黄金の光の、信仰心があったと言うことです。

 わたしは長い間、この罪を犯したことで自分を許すことができず。何がなんでもここから一歩も動く事は出来ないと決めていた。なので、どのように辛く寂しく寒く辛くとも、これは耐えぬかねばならぬのだと自分を鼓舞してきた。しかしその中にあってでさえ、この一筋の細い光を見ることができた事は誠にありがたいことだと、そう思って感謝をした。
それだけで満足をして、もうそれで良いと思っていた。

 私は自分自身が、神や仏になろうと思っていたとは努々思いもよらぬことである。
そんなことなど思っておるはずがない、しかし、今言われた話を聞いてみれば、確かに私は自分の頭で考え、自分の力で答えを出そうとした。
そして私の目が血走り、村人たちに強く人柱を立てる事を強要した。
そこのところは、確かに、信仰心などと言えるようなものなどは欠片もないわなぁ

KU:気づかれましたね

んー 

KU:じゃー、そろそろ帰りましょか。

その後三帰誓願をされ、天上界へ誘われて行かれました


最後に、
 
 この様に、霊的にどこかの世界に通じると、次から次へと、その波長にあった方達がやってきます。
何かの文章を読んだり、音楽を聴いたりした場合でも、それを作った方と縁が出来たりします。その縁で、その方に憑いてた霊人が来ることもあります。もちろん、色々な人が作った作品なども同じ事が言えます。
今回はその例として、参考にして頂ければと思います。

 これは、霊的に敏感だろうが、鈍感であろうが関係なく起こる事です。
そうして、いつの間にか、その霊人達に翻弄される人生を過ごしてしまっている方が後を絶ちません。
 
 この霊的影響を少なくするために、自分自身の心の中にある、正しき心の探究が必要になってくるのです。

 謙虚に、自分自身の心を見つめ、その心を主の法でもって照らすことが急務であると思います。

KU

 





 いつも私達のブログを読んで頂き、誠にありがとうございます。
ここでは天使達の言葉と、神々の物語を中心にお伝えしていますが、今日は少しだけ毛色の違う方を数名紹介します。
私達が言霊を降ろすとき、結界を張って行うのですが、もの言いたげな霊人が来られていますので、致し方なく、結界を張らずに聞いてみました。

 その一連の流れを、皆様に紹介致します。
普段は、ブログにて紹介することはありませんが、世間が少々騒がしいので、特別に紹介いたします。
なお、一気に二部構成で紹介します。
文章が長くなりますので、よろしくお願い致します。
最初の方は、名前を言われない方でした。


名前を言われない方

 大体がそもそも、気に入るわけがないんだ。
なぜなら、そんな神がかり的なことが、あんた達が出来るはずがないと言うふうに思っているし、出来てたまるか。
だから仏法真理とやらで斬ってやったんだ。
こんなもの幾らでも斬りようがある。
誰も踏み込んでいない世界のことを、あんた達は平気でやっている。
そんなものを信じる奴らはいねーだろ。
だから、これはいじめがいがあるので早く反論しろ。

 言葉を変えて言うならば、この、この宗教に関わっている者達のいい加減さ、それが鼻につく、どれ程わかっているかしらんが、それを鼻にかけ、高いところから見下ろすかの様にしている事への嫌悪感がある。
だからできるだけ早く、こちらが透明なことを言ってる間に、お前らが、お前らが反論をして、その反論できなくなるようになってくれることを望む。

 要するに、その霊言とやらをやって、突出したことをしている連中を叩きのめす快感、これを味わっている。仏法真理と言う絶対的なるお守りをもって、その内容でもって斬っていくことをすれば、私自身も皆から注目される。
それは嬉しいことだ。
もっともっと、皆の興味を引くタイトルをつけて、記事を出し続けてやる。

Q:あなたは、会員さんですか

会員では無い、それ以上

Q:「仏法真理とやら」と表現されましたが、ご自身では真理と思っておられますか

真理と思っている。
思っているが、いやあ思っていないかもしれない。
いや思っている。
私の中に、その両方がある。

Q:職員ですか、それとも元職員ですか

元職員

Q:他にありませんか、せっかく出て来られましたので、お話されませんか。

いやいや、その手には食わん。
その手には乗らんぞ。 ん、乗らん。
わかっている、私は見抜いている。
このくらいにしておくのがベストだ。

Q:それではブログを見てる方に、何かありませんか。

ああー、皆に大いに見てもらいたい。
そして応援をしてもらいたい。
私の味方になって応援をしてほしい。
決して、その霊言下ろしの連中の、思うツボになってはいけない。

Q:あなたはアンチではないんですよねぇ

私自身はそのアンチとして活動しようとしているのではなくて、幸福の科学に反対しているわけでもない。なので別にアンチでは無い。

はい、ありがとうございました。

では、次の方をお呼び致します。(未だ数名の方が来ておられます。)


 名前は言われませんでしたが (スターダスト??)的な方

 あなたが、国家転覆を図ろうとしていると言うところに私は反応した。
そう言うことをする者が、この日本にいると言う事を、皆さんにお知らせしなければならない。

 今は、さほど、さほどその転覆の意思は表には出ていないかもしれないが、いずれこれを放置すると、転覆させられる。その様に見た。
これは今のうちになんとかして於かねばならないと、そのために一番効果のある方法を探した。
そーゆーいきさつで、今ここにいる。

 主の方向と言う言い方を持ってするのは、いかにも正しいことであるかのように聞こえるけれども、その内容をじっくりと見たとき、いやこれは言葉に惑わされしてはならぬと言う危険性をはらんでると、言う事に気づいたのであります。

KU:そのような危険な言葉を、またその様に匂わせることをどこかでか書いてましたかね。どのような危険を感じたのですか。

いや突出したもの、これは不安定さを意味する。

KU:え! 内容をじっくり見たときに危険である。と言われましたが、そうではなくて、突出したものは不安定であるから、と言うことに変わったんですか。
要するに何を言いたいんですか。
もう少し正直なところを、お話ししていただけませんか

 主の方向に向かって活躍しているのは私も同じであって、その私が出来てもいないことを、出来るとさもまことしやかに語る存在がある事は、いたって面白くない。
そこで、その危険性等について詳しく説明することをもって、・・・・・

 要するに、単純に面白くないと言うことで、また、間違いを指摘することによって、自分が上であると、お前らのやってる事は間違っていると、それはブログを読んだりして影響を黙って受けている人達に対しても、罪な事であるから、早いうちに芽は摘まなければならない。そーゆー突出したものは、頭を打つ。
そういうことです。

解りました。
ご意見を頂き誠にありがとうございました。

では、次の方をお呼び致します。


「リルケ」 と言われた

 今、話を聞いてたが、あまりにもスマートでなさすぎる。
今のコメント、話は非常に低次元すぎて恥ずかしい。
もう少し、仏法真理を学んでいるのであれば、スマートに議論をしてもらいたいと思う。
その言葉遣いや、言ってることからして、あまり高級な霊でなさそうであるし、しかし、私自身も、その中にも、よく似たことがあるということを否定はできない。
そう思うと、この人に於いても、やはり同じことであって、言い回しや表現があまりふさわしくない、適切でないと言う事はあると思うが、しかし内容としては、要は何を言いたいかと言う所まで絞り込んだとき、わからなくもないと言うことになる。

KU:私に対する批判があるようですが、その事に対してどの様に思われますか。

 そうですね、その人は、少し前であれば、それが非常にもてはやされたであろう、言い回し、表現、解釈の仕方と云うものをもっている方では無いかと思います。

KU:私に対する要望は何か有りますか

はい、もう少し分かり易く、話をしてもらいたいと思います。
言葉が難しいと言う事は、既にそれだけで、総ての事が完結しているので、本来、それが総て調和されている所まで来ています。
しかし、その調和は、おそらく誰からしても調和以外の何ものにも成らないが、彼の世界では理解出来ないだろう。

KU:はい、ありがとうございました。

では、次の方


「まなべ」と名乗られた方

私は元職員です。
今の話をうかがっていました。
それで感ずることがあるのでやってきました。

 私が元職員と言うことになったのは、やはりこの教義に対して私自身が、ある種の疑いを持ったことが原因だったと今は思っています。その時はそういうつもりではなかったのですけれども、要するに疑いを持っていたのだということが後になって分かりました。そして還俗し暫く会員としての活動をしながらやっておりましたけれども、段々に離れていきました。そしていつしか、その遥か外からこの幸福の科学を見るようになっていました。

 そうした時に、私の心の中に去来したものは何かと言うと、かつて同じ部屋で机を並べて仕事をしていたところの仲間、法友、同じ職員の人達のことであります。彼らは今だにその職員の立場でいると思った時に、遥か離れてしまった自分と比較をして、ま、彼らのやっていることに対して批判的に見ている自分がいたのであります。
あの様なことなどを出来よう筈がないとか、あの信仰心などと不惜身命などと言う事、言葉では言っているが、実際は違うのであるとか、そういったことが次から次に頭の中をよぎりました。

 そう思い始めるともうきりがなく、片っ端から総てを疑う思いに至ってしまい、言葉も何もかもマイナスの事を出すようになりました。当然法友のことも、実は大した事は無いんだと思うようになり、自分の信仰心さえも下がっていったと思います。

 それは一つの疑いを持ったところから始まり、果てはそのように成り下がっていくのだと言うことを体験しました。
そうしたときに、その当時はまた霊言などする職員がいなかったのですが、要するに悟りを高めている人達のことをあれこれと揶揄したものであります。私自身の中に非常に彼らを否定する心が出てきたのを思い出しました。
あの様なことなど、よく何時までもやっているものだと言うような思いが、湧いてきました。

 今現在も、私はもう既に会の外にいる者でありますけれども、そうした自分の心の中の「魔」を見せてもらったと、それに気付かせてもらったんだと言う風にして解釈しています。
そしてまた淡々と自分の心を見つめることをやっております。
少しそれに似たような波動を感じたので、やって参りました。

Q:さきほど来られた方に似ているということですか

そうです

Q:先ほどの方も、元職員なのでしょうか

その様に感じます。

Q:少し学びが古い様に感じますが

そうですね、私がいたときと同じ頃の方だと思います。

はい、ありがとう御座いました。
今後も正しき心の探究と利他行を続けられ、信仰心を磨いて行かれることを祈念いたしております。

次にお待たせしている方をお呼び致します。


ツクマルと言われる方

私は僧侶である。
古い寺の僧侶をしておった。
んー増上慢と言う事についてな、んー思いがある。
これはいかん、それはいかん。

 山寺でもなんでもそうだが、一つの寺の主と言うものはその住職としてその寺に命を賭しておるが、長い間その一つの寺の中で住職を務めておると、まぁこれより偉いものはおらんと思うようになる。
賢い僧侶は、いかに悟りを高めたとしても、更に更に悟りを得ようとするものであろうが、そうでない者もまた多い。
我こそが一番偉いと思い込んで、ふん反り返っておる。
私は決してそのような事は無い、うーん、わかっておるぞ。
だが世の中にはそういった連中もたくさん居ると言うことだ。
学ぶこと、修行することを怠っては成らん。

KU:あなた様は今どのような世界におられますか

私のいる世界か? んー、ちーっと暗いのう

KU:と言う事は、増上慢にやはり引っかかったんですか。

その言葉がなぜかしら、いつもちらつく。

KU:と言う事はその増上慢について、反省が必要であると云う事ですね。

私は、その様なことは決してない。
私は、大丈夫である。

KU:んー でも暗いところに居られるんでしょう

ん-、薄暗い

KU:と言う事は、増上慢と言う事について、自分は大丈夫だと云う事が一番の問題かも知れませんね。
私達人間は、少し知った、少しの悟りを得たと思ったとき、大丈夫だと言う思がすぐに湧いてくるものです。しかし、ここに落とし穴がある事もまた事実です。
本当は、この大丈夫だという思いの所を点検することで、更なる悟りへの道を発見することが出来るのだと思います。そこに気が付けば、薄暗いところから抜け出る道が見えるのでは無いでしょうか。

んー そうか、

EO:最近聞いた話しを例に出しますと、やはり職員で「自分はもう出来ている」と「自分はもう分かっている」って言っていた方が、そう思った瞬間に体調が悪くなって、あの世に帰られる事になった。と云う話しを聞きました。
これは、もう自分は出来ている、大丈夫だと思ったと言う事は、これ以上の発展は無いと言う事で、あの世に帰えって、あちらで皆様のお世話をする側に回って頂いたのではないか、とも考えられます。この世に生きていると言う事は、常に常に未だ未だ出来ていない、無限に主へ向かって向上していかなければならないということであり、もう出来上がった方は、それまでであると言う事でしょう

いやいや、この私にそのような意見を言う者など、はやおらん。
だれも言うてくれる者がおらん・・・・・・・・

その後会話が続きましたが、三帰して頂き天上界へと帰って頂きました。

まだまだ、この波長にあった方が次々にやってきますので、次の方を最後とさせて頂きます。

(ブログの容量で、二分活致します。)

つづく


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コメントにお答えして


 霊人の検証について

 
 霊人の検証についての質問ですが、基本的には審神者をしております。
過去のブログにおいてもまたコメントの返事の中でも、同じ様な質問があり、お答えをして来たことでありますが、更にもうすこし具体的にご返事いたします。

 今回の関羽様については過去に何度か出ていただいておりますので、その雰囲気、波動、及び話される内容等を含めて判断を致しました。

 霊言を収録する時の一つのパターンを紹介致しますと、霊人を呼ぶ導師、言葉にて表わす巫女、その様子を霊的に確認する巫女、など複数名で霊言収録を行い、霊言収録終了後、互いに話し合い、その霊的状況を確認しています。
 基本的には、この世的な仏法真理の知識と三次元的なる目線、霊的に会話する次元の目線、それより少し高いところからの目線、そして天上界からの目線等の複眼でもって眺め、霊言終了後に話し合うということを行っております。
 また、守護霊等の霊人からも意見を頂いております。その上で、一定の判断をさせて頂いております。

 ただ、個人を厳密にこの世的に、三次元的に判断することは出来ません。理由はご存じかと思いますが、判断する定規が違うと云う事でしょう。しかし、三次元的材料も判断する手掛かりになることも事実です。

 私は導師として招霊していますが、巫女に渡す前に瞬時に一定の判断を下しており、収録中の会話の中でも絶えず仏法真理に照らし、またその霊人の思いに焦点を当て、その魂の霊的性質等を確認させていただいております。
また、複眼的に眺め、全体的な流れも確認しております。

 私達が霊言する時、多くの霊人達も眺めておられます。三次元的空間の中においても、すぐ近くに違う霊人達がおられることも見てとっています。

余談ですが
天上界から眺める時、私達が行っていることが、ちょうどテレビ番組を見るように眺めることができます。霊言収録を始めると、その視聴率が上がるのがわかります。結構人気番組のようですよ。(*^_^*)
一度冗談でお聞きしたことがあって、「そんなに人気があれば、受信料みたいなのは頂けないんでしょうか?」と、そうしたら「ポイント制になっていて、一定のポイントになったら使うことが出来る。」と返事が有り、「それではポイントは貯まっていますか?」とお聞きしたところ、「貯まってはおるが、未だ未だである。」と冗談なのか本当のことなのか分からない様な会話をしたことがあります。(もちろん、冗談ですよm(_ _)m )

 ともあれ、霊的な人物判定は難しく、かなりの場数・経験を踏まなくてはならないと思います。また、精度を要求される場合は、その方のことをこの世的資料からも十分に調査を行い、出来れば、その本人が直接書いた著書や、可能であれば録画等でもって下調べをする事が望ましいでしょう。
その人の心を感じ取ることが、とても重要になります。

 ここでは、どの様な方を招霊するのか事前に決めておらず、流れに任せている事が多く、事前調査はあまり行っていません。なので、この世的な判断は、メンバーの知っている範囲とネットで検索した情報しかありません。

 大まかに、その様な感じで判断させて頂いておりますが、まあ、その程度の判断であると云う事も出来ます。

 今後、数多くの経験を積み、また、個人の悟りのレベルを上げることにより、更なる判断レベルが向上することと思っており、益々の努力精進をメンバーの各人に課せているところです。

KU



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信仰の根


 私達は、日々の生活の中で、そのほんのささいな事で心を揺らしてしまう事があると思います。
 その様なときに、反省をしなくてはと思いながらも、また日々の生活の中に流されてしまい、いつの間にか反省の機会を逃してしまっているのが実情では無いかと思います。
 そして、時間の経過と共に段々と悟りを求める心まで、小さくなってしまっているのでは無いでしょうか。

 確かに人の心というのは、、天台智顗様が言われる通り、千々に動き一念三千の世界に通じると言う様に、非常に不安定で動いているものだと言う事は、既にご存じの方も多いと思います。

 ただどこまで行っても、何があっても不動の境地ありと言われる部分も、その境地としてはあるでしょう。
しかし、人間の表面の部分では千々に動いておるのが実情でしょう。

 この浅いところで揺れ動くのは、やはり根が浅いと、もろに動きますし、動かされるものです。
少しの事で心が動く、ほんの小さな事で動揺する。
僅かな事で気持ちが変わる。
こう言った事は、いくらでもあります。

 それがあるうちは、やはり物事を大成すると言う事は、難しいと言わざるをえないでしょう。

 心を揺らしに来るものは、いくらでもいます。
その時に、いかにその心を統御出来るか出来ないか、そこのところをこそ問われていると思って間違いないでしょう。
 その時に、やはり心が揺れたと言う事は、それは修行の課題であると言う事でもあります。
 少しの事で、心を揺らされると言う事は、その程度であると言う事であると認めざるを得ないでしょう。

 いかに深く根を張ってるかと云う事は、非常に大きな問題であって、このところが浅いと、強風が吹けば根こそぎ揺れて抜けてしまう事もあります。
 そう言う信仰心であると、言う事でしょう。
その様な、か弱い信仰であると、言う事が現状ではないかと思うに至ります。
 これは、多くの人々の場合にも、そう言った傾向が見られるのではないかと思います。

 確かに、根の深い方達もあるでしょう。しかし、それでも仏の法の重さに照らしてみれば、あまりにも浅薄で揺れやすいと言う事が言えるのではないでしょうか。

 心を揺らさず、何事にも動じることなく、どっしりとしたその心を確りと持ち続ける強さを持つためには、これは、日々の教学と反省・瞑想、そして、より多くの体験を積む事ではないでしょうか。成功体験です。

日々の小さな成功を数多く積み重ね、その信仰心により一層の自信を持って、磨きをかけれる様な小さな成功を数多く積み重ねる。
それはいかなる事をもって成功とするかは、おのずがそれぞれに考えれば良いと思います。
その実体験なくして、いかに書籍を読もうとも、これを深く根付かせることをは難しいのではないでしょうか。

この様に、生きる意義はそこにあると思います。
それらの事を実践しないから、根が浅いままと言う事に成るのではないかと思います。


今日は、「信仰心の根」と言う事で述べさせて頂きました。

いつもこのブログをご訪問下さり、また、長文を読んで下さり、心から感謝させて頂きます。

誠に、ありがとうございます。



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須佐之男尊の物語
 
いつも私達のブログにおいで頂き、誠にありがとうございます。
このブログでは以前、日本の神世の時代の物語を掲載していましたが、書籍化に伴い「天之御中主尊の物語」「天照大神の物語」「須佐之男尊の物語」の記事を削除させて頂きました。
しかし、「須佐之男尊の物語」はブログにて最後まで紹介しておらず、第六章で終わっていました。なので、過去の記事をそのまま再掲載し、また、その続きを順次紹介さして頂ければと思います。
 順序が後先になりますが、今日は、物語の最初の部分「はじめに」を紹介させて頂きます。
過去の記事は、ブログのテーマから探す事が出来ます。

 尚、皆様も既にご存じかと思いますが、この物語も総て霊的な交流を元に収録したもので、霊的に概念を受け取り、それを現代語にて表現したものであります。また、収録において可能な限り審神者(さにわ)をしており、自信をもって紹介するものであります。

 物語もまた長文になりますが、よろしくお願い致します。





  須佐之男尊の物語 
「創まりの時より、大和の国を造る。」

はじめに

 私が最初にこの大和(やまと)の国を、造って行くに当たり、その志をいかに持ち続けたかと云う事が、この国の未来を決定づけたと言えるでしょう。

多くの人々の生きる縁(よすが)となった神代の時代を、今ここに現わす事により、後の世の人々も、少しでもその時代の片鱗を伝える事が出来れば、幸いであると考えます。

神々が、いかにこの国を打ち立てる事を望み、どの様にそれを成し遂げて行ったかを知る事は、この国に生きる全ての人達にとって、希望への誘いとなる事でありましょう。

また、全世界の人達にとっても同じくそれは、明るい未来へと繋がって行く、道の入り口であると云う事が言えると思います。

いかなる思いを持ち、いかなる考え方をもって、この国造りを推し進めて行ったかと云う事を、行間より読みとりて頂ければと思います。

これから後の世界に於いて、この書籍が大いなる未来への道標として、多くの人々の行く先を照らす、希望の光と成る事を期待してやみません。

      2013年 6月 14日    須佐之男



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今日は江戸時代初期の陽明学者、中江藤樹様からお言葉を頂きましたので、お伝え致します。
いつもの様に、細かい会話は省いております。


* 中江藤樹様からの言葉

幸福の科学の中において、私の書籍が出されたよし、承知しております。
その霊言を出されたと云う事で、出ました。

中江藤樹

 (画、ウィキペディアより。)

この幸福の科学について、思うのでありますが、非常に先進的で斬新な事を臆せず、世に語り、また言葉を出していくと云う事をしておられるので、非常に良いことだと思っております。

これは他の宗教、あるいは他のいかなる団体においても、そう云った事をしているところはあまり無く、非常に目新しい事をしているのではないかと、感じたしだいです。
そう云った団体の所に、私が出られたと言うことも、まこと光栄なことだと感じております。
感謝いたします。

さて昨今の、世界情勢でありますが、これについて非常に均衡なものの見方が出来る者が、世界のリーダーの中に何人位い居るかと言う事を測ってみたところ、概ね、そう云った人物は、5名と居ない、いや3名居ないと言っても過言ではないでしょう。
やはりどの国の人々も、自国の利益を中心に考えているのであり、そのレベルで、世界全体の事を見渡すと言う事は、はなはだ話がおかしいのであり、片腹痛い思いで、話を聞かなければならない。そのことに、非常に不満を感じます。

この地球全体の、もう今は殆どの所を今の世の中の人は知っています。
もちろん、何処へ行ったか、行けなかった等と言う事では無く、地球上の総ての国々の、現在只今の状況が如何様であるかと言うことについては、概ねどの国の人々もそれはそれぞれに掴んでいる事がありましょう。
しかしそれは、あくまでも自国の利益を中心とした立場から見たものの見方によって、推し量っている事であり、真なる見方、ものの見方、考え方と云ったところから出た姿を正直に捉えている人と言うのは、まこと数少なく、殆ど皆無に近い状態であると思います。

これについては、やはり学ぶべき事を学び、知るべきことを知らなければ、そういったものの見方と言うことが出来ない、と言う事をまず知るべきであります。
己が中心の考え方において、いかほどの事例を見聞きし、それを語ったところで、それは、まるで遠くに見える蜃気楼を見ているかの如き話であって、確りとした、ぶれない軸を持った話にはなっていないと言う事を、自覚しなければならないでしょう。

その点において、幸福の科学の中における霊言等、書籍などに書かれている内容を、学んでみる事によって、随分とそのものの見方、考え方と言うことが、修正され、あるいは鼻から、その価値観が変わると言うことも、起きてくるでしょう。

とにかくまず、思いついたことはやってみる、これはこれで良い、しかし、そう云う事をしながらも、やはり、正しき事、学ぶべき事をまず知り、そして学んでゆくことです。
それなくして、次なる物事の展開と言うものは望むべくもない。
また、そう云った限られた考え方(己が中心の考え方)の中で生まれた真実と言うものは、これを真実とは呼ばないと言うことを申しあげたい。

今後も、そういった点において、あらゆる意見が出されるであろうが、されど、どの様な意見があろうとも、頑として動くことのない真理と言うものがあるのだと言う事を、まず知って受け入れてゆかねばならない。
話はそれからであります。

基本的なところを、おざなりにしておいて、いかに議論をしたところで、それは素晴らしき未来を構築するための、基礎とはなり得ないと言うことであります。
曖昧な基礎工事の上に、いかに堅固な建物を建てたところで、それは根っこから崩れさる日もそう遠くは無い。その事を、まず確りと心得て、事に当たらねばならない。
世界中のリーダーたる者達は、まず自らを反省し、その基本的なところを見直すことから始めなければならないでしょう。

以上です。


【ブログ管理者より】

中江藤樹先生がおいでになりましたが、私や巫女がこの方のことを学んでおらず。大変恐縮に感じながら霊言を撮らせて頂きました。
とても早口で、とても頭の回転が速く、どれだけ正確にその概念を言葉にして表すことが出来たか、それを思うと私達の学びが足りなかったことを反省するものであります。
また、主から出される書籍の学びについても、選り好みしながらの、濃淡のある学びであったことを、さらに反省致しました。

主の理想を実現する、主の法を広げていく、多くの人の幸福を願う、と言う事は、その内容において、真に正しいものでなくてはならないと云う事であり、その為には、確りと主の法を学び、正しく理解していく事が大事だと、改めて認識させていたきました。

次の日曜日(24日)は、幸福の科学の教団内に於いて「全国仏法真理学検定試験」があります。これは、自分の学びが如何様であるかを計る目安に成ることでしょう。

全国で、全世界で、活躍されている法友の皆様の、一人でも多くの方達に、この「全国仏法真理学検定試験」を受験されることをお勧め致します。

KU


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 「マスコミ改革について」

今日は、マスコミ改革についてふれてみます。
今回もまた、長文になりましたので、よろしくお願い致します。

 先月の7月25日から2泊で、中学生とその家族を対象とした「親子で学ぶ韓国平和の旅」が行われると言う事を同月24日に知りました。これは大分県教職員組合が募集したものでありますが、内容は、韓国の中学校での交流や、韓国の日本軍「慰安婦」歴史館・反日運動家らの監獄として使用された「西大門刑務所跡」などを見学するものです。また、事前に2回の学習会もセットされています。更には、募集に当たり違法行為があり、観光庁から改善するよう指導を行ったともありました。
これに対して、当然黙っているわけにもいかず、早速(7月24日)、抗議の電話を入れました。大まかな内容は
1,人を教える立場にある者が、違法行為を行ってはいけない、十分注意が必要。
2,従軍慰安婦の問題は、捏造であることが判明している事。
3,中学生や家族に、偏った知識を植え付けるのはいかがであるか。
4,従軍慰安婦の問題は、アメリカが原爆を落とした事に対する、自国の正当性にも使われており、日本政府としては本当のことの発言がなかなか難しい状況である事。
5,日本はスパイ条項が無いので、中国等からの工作員活動が盛に行われており、その流れのなかにこのツアーがあるのではないか。
等々を柔らかく伝えました。

最初に電話した所は、大分県教組でありますが、組織が二つある様で、募集していない方にかけてしまいました。しかし、折角なので上記の内容を説明しながらお話ししたところ、反応は「同感であり、私達も少し困っている。」旨の返事を頂きました。

次にもう一つの大分県教組に電話しましたが、いくらかけても出られませんでした。
なので、大分県議会教育関係部署へ電話を入れましたが、自分たちには責任が無いのではないかと、違法行為についてのみの回答だったので、従軍慰安婦の問題を更に深くお話しし、教育行政を携わる責任がある旨をお話ししたところ、「今までその事については考えていなかったので、部署内部で従軍慰安婦について話し合いを持つ」と好意的な返事を頂いております。

更に次は、係る教組が電話に出なかったので、上部団体である日教組と、その支援を受けた神本みえ子参議院議員事務所に上記の抗議を行いました。
そして、この問題の大元である、朝日新聞社に対しても従軍慰安婦捏造問題に対する抗議を行いました。大分の問題をお話しした上で、証拠が捏造であることが判明した以上、朝日新聞社が何らかの責任を取らされる可能性が有るので、自らそれを認め、一定の態度を示す必要があるのでは無いかと、朝日新聞が潰れてほしくないと言う趣旨をお伝えしたところ、反応は思ったより好意的に受け止めていただきました。

それから暫くして、8月5日に朝日新聞社が従軍慰安婦の一部誤りを認める記事が出ていましたが、慰安婦については「あった」とする態度は変わっていませんでした。
もちろん、抗議の電話を入れました。今回もとても受けが良く、担当者の方も十分に理解されている感じを受けました。ひょっとしたら、内部でも意見が出始めているのでは無いかと思われます。社運をかけて、議論がなされているのでは無いかと思われます。
私は、この事で朝日新聞社が十分反省し、それではなにが正しかったのかを検証し始めたならば、朝日新聞社の業績が上がるのでは無いかと、ピンチをチャンスに変える方法や、アメリカの問題もあり、政府としては従軍慰安婦の件を否定しにくいところであるので、マスコミがそれを取り上げることで、国民も喜ぶのでは無いかと、起死回生の一手を助言させていただきました。電話で受け付けて頂いた方は、かなり真剣に聞いて頂けた感じを受けました。

次に、6日付けで、この朝日新聞記事に対する記事が各社から出ていますが、毎日・東京新聞は「朝日新聞社の国会招致の可能性を伝え、報道の自由が阻害される」としていたので、ここもきちっと抗議の電話を入れました。
もちろん内容的には「嘘に対する報道の自由は無い」と一刀両断し、過去の第二次世界大戦直前の報道の問題に触れ、軍部の圧力により、正しいことを報道しなかったことで、国民を戦争へと誘導した責任があったのでは無いか、だからこそ正しい事への報道の自由が必要では無いのかと、お話しさせていただきました。
毎日新聞社はとても好意的に受け取っていただきましたが、東京新聞は機械的に返事が返ってきただけでした。

さてさて、やっと本格的なマスコミ改革が目に見えてその成果が出始めています。この時期がやってきたと言う感じがします。私達が活躍する時が来たようですね。
それでは、マスコミ改革について、今までの事や今後の事についてのアドバイスを、天上界の方達にお話を伺いたいと思います。
今日は、いつもと少し違って更に精妙な波動を感じていますので、どの様なお話を聞くことが出来るか楽しみです。

最初に天照様にお話を伺いし、後はお任せして、来られた順にお話を伺いましょう。
いつもの様に、細かな部分は省略しています。


* 天照大神様より

光の皿を、持ってください。
総てのこと、あらゆることを、この世のこと、この世ならざること、すべてを、計るための秤を、光の天秤皿に載せて、計れる秤を持ってください。
この秤は、正しきこと、悪しきことのすべてを真正直に計ることができる光の皿です。
この上に総ての物事を載せて、眺めてみればおのずと何が正しく何が間違っているか、一目瞭然に見ることができます。
常にその秤を、心の内に携えて、すべての物事に当たって行く事。
我がことも、他の人々のことも総て、真正直にこの光の皿の上に載せてみることです。
その上で、まこと正しき事を計り、それを選択していくと云う実に簡単なこと、されど難しき事でもありますが、これを正直に励行することです。

幸福の科学の組織内の事においてでさえ、この光の皿の上に載せてみれば、その重りを感ずることでありましょう。
いかに正しき法灯の下であろうとも、それを行う人々の心の内に影さしたることをあらば、直ちにこの天秤皿は傾きを示すことでありましょう。
主なる御仏のお膝元であればこそ、なおより一層厳しく、この秤を正確に使っていくことを怠ってはなりませぬ。
それはたとえ、どのような立場のものであろうとも、どのような肩書きのあるものであろうとも皆等しく、その秤に載せてみることです。
それができなければ、この法灯を守って行く事はできますまい。
なれば、勇気を持って、命を賭してその仕事をなして行く、これこそ不惜身命と言うものです。

人間心で計るのではなく、仏の教えによる光の皿に載せて計るのです。
事は単純であります、総てそれにはまってくるのであります。後は、人間心が、我あると思う心が、なせることを曲げていくのであります。
ここのところをいかに見分け、いかに律して行くか、それが総てを分けていく事となるでしょう。

自ずと学び深まるものは、いずれに正解があるかわかるはずです。そう長く悩むことなく、正しき悟りを言葉にし、行動に表して行くことです。

Q:天秤皿は、どちらに傾いてもいけない天秤皿なんですね。

この天秤皿に何を載せますか?

Q:仏法真理

そうです。片方の皿には、これから成そうとする事柄や考えている事を載せましょう。
しかし、もう片方の皿には、仏法真理を乗せるのです。
これと正しく釣り合うところ、そこが誠この事柄の真なる中道の道だと心得ることです。

Q:この天秤の上がり下がりは、

この上がり下がりがどちらでもいいと言うことではなく、正しいものであれば必ず釣り合うものです。それが上がり下がりをすると言う事は、真理に見合うだけの物事でないと言うことになります。

Q:とにかく釣り合うということがとても大事、この釣り合うということが非常に難しいように感じますが。

そうです。ともすればその言葉は誤解を招きます。なので、この秤り自体が仏法真理で創られた秤であると言うことをイメージしてみてください。
常にどのように重い事であろうとも、どのように軽いことであろうとも、必ずそれに見合った真理があるはずです。
重い軽いではなく、まっすぐに天秤皿が動かず、正しき針を指す位置と言うのを、計りなさいと言うことです。

これは更に深い物事に発展した場合、それでもこの秤で正しき位置を計ることができる。どのように複雑な物事でも、計ることができる秤であります。

Q:それに見合った仏法真理があるということですね。

そうです。個人には個人の、集合体には集合体の、国には国の、地球には地球の、それぞれの重さに見合った真理があります。どのようなものを載せたところで指し示す位置は常に同じと言うことです。
(ここで注意が必要です。それに見合った仏法真理というのは、自分の都合に併せて、選び抜いた法では無いということです。皆様は十分ご存じだと思いますが、念のため書き加えさせて頂きます。)

次に乙橘姫様がおいでなので、お伺いしてみましょう。

* 乙橘姫様より

私はいつも鏡を持っております。この鏡は常に常に、自分自身を映す鏡で御座います。ときには世間を映すことも御座いますが、一番の大切な事は「まず己自身を映してみよ」と言うことで御座います。
この鏡も、手入れをしませんと曇ってまいります、その曇りに気付かぬまま、我が姿を写したならば、思いもよらぬ歪んだ姿に見えるもので御座います。
尚且つ、我目に鱗が掛かりたる時、この歪んだ我が姿でさえも、そうとは気付かずにいつもの自分と何ら変わりはないと思い果てるもので御座います。
その様なことを何年何十年と続けたならば、うそ偽りの人生を生きて行く事となります。
 
その様なことの無い様に、常日頃この鏡を磨きに磨きあげ、我が目に鱗のかからぬよう、よくよく注意をしておくことで御座います。
我自身をかわいいと思わば、そこには、悪しきぬるま湯が足元に迫りよってきておりましょう。
そのことに気づかず、この生暖かい底なし沼に足を踏みいれる事となり、じわりじわりと沈んでいくので御座います。

世の多くの者たちは、その様になっている事に気がつきもせず、またこの様な鏡があると言う事さえ知らぬままに、自らの周りだけを見て、満足をして生きているので御座います。
はたと目を開けて見ればもうそこには、我自身の体は半分以上も底なし沼に浸かり、ぬけ出ることは難しい状態になっているもので御座います。

柳の枝は、この沈みゆくものを救わとしてその枝を垂れましょうが、頼りない枝でありますから、どのようにして這い上がれば良いかも、おおよそ見当がつきません。
しかし、しっかりと引っ張ったなら、この柳の枝は必ずや、底なし沼に沈みゆくものを救い上げてくれることでしょう。そのことさえ、気が付いてくれればまだ救いようがあります。だが、この頼りない柳の枝を鼻先であしらい、何のお役に立とうかなどと罵倒するものは、そのまま永遠に沈みゆくまでであります。
その姿が見えていて、そうなるとわかっていて、救いの手を差しのべぬのは、自らもまた沼地に足を踏みいれたと同じ事。

真理に生きる者はどの様な沼地であれ、地獄であれ、必ずや、光の柱を打ち立て、その世界から脱することが出来るのであります。そのために常日頃、この鏡を正しく磨き己が姿を真正直に見つめることを怠ってはなりません。
どのような仕事を成すにせよ、それはまず基本的な姿勢でありましょう。

ますます大きく活躍されることを祈っております。


次は、大きな概念のようなものが降りてきました。お伺いしてみましょう。

* ハヤブサのクロード と云う名で概念が降りてきた。

この名、実の名では御座いませんが、「隼の蔵人」と覚えていただければと思います。
私が概念としてここに出ていると言う事、理解していただければと思います。
(これは、個人としての霊では無く、いくつかの思いが集まった形での概念であります。)

戦いの時、それはすんでの所で命を落とさんとするときに、その速さよりもなお早く、我が身を翻し、矢を射ることが求められる時があると言うことであります。
何に対して矢を射るか、それは、その時それぞれによって違いましょう。我がまさに戦おうとしているものに対し、矢を射ると言うこれはその言葉を持って象徴とすることであります。理解のほどは聞かれる者によって受けとめ方が違いましょう。
あえて言葉にするなら、そのような表現になりましょうか。
その時には潔くためらわずに行う事、そして、取って返すが早いかこの矢を射ることをためらってはなりません。

次に勇気を持つこと、この勇気はあらゆるものに対する勇気であります。
射った矢は瞬間のことであります。考える間もなく矢を射た、しかしその次に、心の内に揺り戻しがやってくることがある。その時にこそ、勇気を出さねばならぬ。
これは、我が心をこそ鍛錬し、堂々と動かざること山の如しと言う思いで、立ち向かっていく勇気であります。
これがなければ、大きな物事を成し遂げて行く事はできますまい。
大きな岩を動かし世の中を変えていく仕事と言うのは、常に大きな抵抗に合うものであります。
その時に、勇気なき者はその岩の大きさに心萎縮し反転していくのであります。
そのような者は、この大きな仕事を成し遂げていく事は出来ません。

誰にも出来ぬ事であるからこそ、なお一層力が要り、抵抗にも会い、悩みも多く、苦しき事にもめげずに立ち向かっていかねばならない。
たとえその相手が外敵であろうと、身内であろうと、同じことであります。
手際の良い仕事は、判断力と決断力、そして実行する力であります。
これらの力を持ち合わせたものが、その時代を切り開いていく事になるでしょう。
過去の歴史において、その時代を切り開いてきた者たち皆、こういった力を持ち合わせていたのであります。
これから先の未来においてもそれは間違いなく、これらの力を有するものが時代を切り開いていくでしょう
時の流れの中で、洋の東西を問わず、真理は一定であります。それらのことを概念として伝えるためにここにやってまいりました。


* 桓武天皇様より

世の中に様々なる難しきことあれど、その中に動かざる真理の存在してるは、まこと単純簡単なことであります。
たった一つの物事でさえ、人間と言うのは、複雑なことにしてしまうものであります。
どのような、言葉で表そうとも、どのような行いで成そうとも、真に成そうとしていることは、単純なことであります。

私は、この真理にたどり着くまで、相当に年月を要しました。
あらゆる華美な言葉を使い、ぜいたく三昧、世にあるすべてのものを我がものとし、全てを手に入れ、掌握、多くの者たちを従え我が膝下にひれ伏せさせ、思い着くがままに、多くの人々を動かしてまいた。されど我が心は晴れず、何故に晴れぬか、求め求めて、あれも違うこれも違うと探しあぐね、多くの金品を使い、果てしない時間をかけ、多くの手間暇をかけたこと、すべて徒労に終わった。いったい我は何を求めしか、何をなさんとしているのか、そのことにいつまでも気がつかず過ごした時は、まこと心が晴れやかになる事はなかった。
 
だが、その真理は我が足もとにあった。すぐ傍にひっそりと忘れられたかの如くにあったのである。小さな出来事、まこと見逃してしまいそうな、小さな輝き、これ一つに気が付かずして、いかに大きな世界を想い描いたとしても、それは、バクの夢、食っても食っても無限に消えて行く夢。

しかし、足元に輝いたこの小さな輝きに気付き、目をやった時、すべての世界は一変した。
すべてのものが輝き始めた。
すべての人々が、すべての事柄が、その本来の輝きを放ち始めた。
このことになぜもっと早く気付かなかったか、その世界を再現したいが故に、あのように暴れまわっていたのだと気付いた時、いかに愚かであったか気付かされた。
しかし心は、晴れ晴れとしたのである。

そこから先は、己のなす道が、どのようであるか、どうあるべきか、すべて見通すことができた。
物事を複雑に取らえては、見誤る。
真理は、簡単なところにある。それをまず見つけられよ。
それが出来れば、後は全て見通す事が出来る。

世の中全般、そのようになっていると言う事、そこを、その坩堝の中に流れ込んでいくのではなく、動かぬ真理を握って進んで行かれよと言うことであります。
それは、単純なことの中にこそ、見つけることができる。一点の鱗の中にこそ見つけることができる。そーゆーたとえであります。


ブログ管理者より

マスコミについて振り返って考えてみると、以前はよく抗議の電話とかしていたものでありますが、いつの間にかそれをやらなくなっていました。
何がきっかけにやらなくなったか、振り返ってみると「勝手にやってはならない。」というような空気に流されたのだと気づき、反省いたしました。
確か、かなり以前のことですが、マスコミ各社に対して「みんなで電話抗議をやろう!」と呼びかける事は、営業妨害になるので、やってはならないと言うような本部からのお達しがあった様に記憶します。
しかし、あくまでも団体行動としての呼びかけをやってはならないと言うことであったのですが、いつの間にか勝手にマスコミに対する抗議をしてはならないと言うふうな論調に変わっていったように記憶しています。この様な空気が流れたと思います。

また、以前はメール等が流行り始めた頃で、いろいろな情報が会内にメールを媒体として飛び交い、とても活発な情報交換がなされていました。しかし、いつの間にか主の御法話の内容がメールで流れるようになり、これを禁止する方向に動いたと思います。
それもまた、主の御法話に対するものであったのですが、勝手にメールで発信する(個人のメーリングリスト等を使って)こと自体がいけない事である様に、いつの間にかなっていったと思います。この様な空気が流れたと思います。

さらに、 一部の精舎の館長さんの講話の内容がメール等で発信されていましたが、それもメールで発信することが難しくなったのを覚えてます。
一部の精舎では館長講話をDVDにして、配布しているところもあったようですが、本部からの指示でメール発信は規制されていきました。

ともあれ、仏法護持の名の下に、自由活発なる情報交換や個人行動が、いつの間にか抑制されていたのを感じています。発信元は仏法護持で間違いのないことでありましょうが、もう少しの配慮が必要ではなかったのかと、そして、何のための仏法護持であるのか、もう一段大きな視野が必要ではなかったのかと、今更ながら反省するものであります。
結果において活動がこぢんまりとしたものになり、マスコミ改革も含めて遅れたのではないかと思います。
どの立場の人においても悪意はなく、善なる心から出たものではありましょうが、ダイナミックな活動を抑制する方向に動いたこともまた事実であるということを認識した上で、これからの活動を考えていく必要があるのではないかと思います。

これから、益々社会啓蒙が必要な時代になってきます。時代は仏弟子を必要としています。
もう一度、勇気を奮い起こし、ぬるま湯の中から這い上らなければならない時が来たと思います。
自由闊達に、ダイナミックに、生き生きとした活動を取り戻したいと考えています。

長文をお読み下さり、ありがとうございました。

KU


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韓国 セウォル号沈没事件


 今日(7月23日)は、韓国のセウォル号沈没事故の件を霊的に調査してみます。
実質オーナーであるユ・ビョンオン氏が、死体で発見されたと言うニュースが流れてきたとき、生きてると言う感覚が出てきたました。それで、調査してみたいと思います。
今回も、細かな会話は省きます。

 最初に亡くなったユ・ビョンオン氏をお呼び致しましたが、透明な人の姿が見えていたが、ユ・ビョウオンと言う名前に反応しなかった。それで、今回はエドガー・ケイシー様に、その生死のみをお聞きして、調査を始めたいと思います。

* エドガーケイシー様より

どうもどこかに、居るような感じがします。
意外と自由はあまりなく、捉えられてる感じです。
暗い感じの所に居るイメージです。

Q : 先ほど透明な感じの人が来ておられましたが、遺体で発見された人だったのでしょうか。
どうもその様な感じがしますね。

* ユ・ビョンオンの守護霊より

 Q:今どの様な所におられますか?
少し暗いところ、建物の中です。捕らえられています。
死んだという風にされている様だが、こちらとしては今のところ、生きている。
内緒にしている。

Q:貴方を匿っているのは、どういう人ですか
これは一応韓国の・・・かくまっているか? 

Q:匿っているのは、どのような団体なのでしょうか。
私にはその様な事はわからない。

Q:それでは、どの様な組織なんでしょか。警察でしょうか?
警察なのではないかと思っているけども、どうもそれだけではなさそう。
政府筋の人間だと思いますが、ま、警察のトップになるか、ほとんど私にはその正体が解りません。だが、私の「命を保証をするので」と言うので、総てを話しする様にと言うことでした。
そして、本来なら私はもう死刑に処せられる身であったと思います。しかしどうやら韓国の政府に何らかの都合があるのか、ちょっと今のところ生かされている状態です。ただ何もできない。そして、世間一般に向けては死んだと言う話になっているので、その一般社会に出て生活することは不可能、実際出してもらえる訳もなく、闇に葬られるでしょう。

Q:あとで殺されるんでしょうか。
そぅは思いたくありませんが、用事のあるところまでは、このまま生かし続けるのでしょう。しかしそれが済んだならば、速やかに私は処分されるだろうと思います。

Q:船が沈没した理由は、どの様に思っておられますか。
会社として利益・利潤追求を最優先にしたことにより、非常に色々なところでそぅゆぅ沈没する原因になる様なことをが起きていた。

Q:しかし、検査そのものは通っていたんでしょう。やはり賄賂を渡されたんですか。
もちろんそうです。最終的にはそういったことを認めたと言う責任が政府にもかかってくる。またはその保証と言う問題で、非常にこれは莫大な費用になる。そのところを政府は多分国民の感情的な部分もあり、言葉に言い出しにくいことであろうと思います。

Q:政府は、貴方に1番喋って欲しくない事は何だと思いますか。
そうですね、おそらく、許可を与えたんですね。この船を就航させる前に、いろいろななんというか許可証、アプリケーション? 証明書・認可を取り付ける必要がありました、そしてまぁ法律にのっとった船内の設備等が必要であったにもかかわらず、まあその辺は十分になされていなかった。しかし、「何が何でも許可を降ろす必要」があって、ごり押しをしたところ、それが通ったと言う経緯があった。

Q:それはお金の力ですね
うん

Q:どのくらい渡されましたか
相当お金を出しました。お金を出した。

Q:これがいちばんの問題なんでしょうか、他にもあるんでしょうか
そうだろうと思います。他には、まぁ今はその韓国大統領の支持率が非常に下がっているので、その問題があろうかと思います。その時に政府の対応がどうであるかということを、国民は非常に注目しているので、えー、そのところの問題をおそらく総て私に総て被せることによって乗り切ろうとしていると思います。

Q:他に言いたいことありませんか
私のつたない頭では考えることができず。なんとしても利益を上げる必要があったので、ま定員オーバーのところに乗客を詰め込んだ。そして、さらに悪いことには、乗客は亡くなったにも係わらず、われわれは静観していたと云う事は非常にまずかったようで、・・・・

Q:あなたのいる場所はどこかわかりますか
うーんちょっとをわからない


* パク大統領の守護霊より

私は、亡くなったという報告を聞いてます。

Q:生きておられるんではないかと思いますが
私は直接お会いしていないので、わかりませんけれども、出来れば
私のほうではそれは管轄しないので、そちら側の対応のきる人にお願いしてあります。

Q:その担当者はどのような方ですか、警察
警察


* ユ・ビョンオン氏を匿っている、最高責任者の方の守護霊より

私は韓国政府の、法務省を担当してる者です、以前はスポークスマンをやっていましたが、今は法務関係の仕事をしています。

Q:ユ・ビョンオン氏を匿っている理由と、これからどの様にされたいのか、教えて下さいませんか。
まず世間から、その批判轟々とした中から多少居りやすい環境を提供したと言う事です。ま、ある側面から見たら、理想で有りもう一つの側面は、韓国政府としてこれをどの様に処理するか、と言う事についての・・

Q:亡くなったと発表しましたよね。どうしてですか
もう亡くなったと言う事で幕引きをしたかった。幕引きをして、追い詰める相手は居ないと言う事にした。

Q:ばれるでしょう
いずれ

Q:本当の狙いは、他にもあるのではないですか、不正を表に出さないためですか。
それもありますもちろん
我らの汚職がばれては困る。

Q:あなたもお金をもらったんですか
私はもらってはいないしかし・・・

Q:大統領はどうでしょうか
そうですね。お金は回っているかもしれません

Q:その汚職がバレないよにするためですか、で、すぐ殺さないのは
ん・・・、

Q:何をしたいのですが
隠したい。隠したい、そしてこの国民の不満、犠牲者になられた方の遺族の不満と言うものをいかに納めるかと言うところで、これは戦略的にいかなければならんでしょうと言う思いですね。

Q:他にありませんか。警察内部でもお金をもらってる方がいるのではないですか
そうですね。トップも危ないと思います。今はこういったことで収入を得ている官僚や、そういった組織の上層部の人達が多くいる。いるので彼らの立場を守るために、民間人の1人や2人は犠牲になってもやむを得ない。

Q:と言う事は、亡くなった方は違ったんですね。もともと違った方の遺体を、後で遺留品を作り上げたんですね
そうです、そうです。大筋でそういうことです。


ブログ管理者より

先ず始めに、この事故で多くの方が亡くなり、心からご冥福をお祈りさせていただきます。

今日は少し反省が出来ておらず、いささか危うい霊言ではありましたが、大枠ではいいのではないかと思ってます。霊言の点数的には60点以下、そんな感じです。

前回、一人の巫女(Y・U)を紹介致しましたが、もう少し付け加えさせて頂きます。この方はとてもエネルギッシュで、まるで千手観音の如き動きを見せておられますが、本人は未だ未だ出来ると、更なる努力をなされておられます。また、色々な場面での判断は、主の教えを中心とし、また守護霊との会話を参考にしながら判断をされています。
 私達は時々、心の探求の話や気づきなどの話をしますが、この方はとても素直に努力され、思いのコントロール、言葉のコントロールはとても素晴らしく、私は参考にさせて頂いております。
 この方も今現在、一定の霊的能力はありますが、未だ未だ本当の力は発揮されておらず、これからが楽しみな方だと思います。
 私達は、このブログで霊言の練習をさせて頂いておりますが、個ゝの悟りを高めながら、世の中の為に有意義な役割が出来るよう、更なる精進を続けてまいります。

どうか、よろしくお願い致します。



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マレーシア航空機撃墜事件


 今日はマレーシア航空機墜落事件の件について、霊的に調査してみようと思います。
長文になってしまいましたので、よろしくお願い致します。

 初めに、この墜落により多くの方が亡くなり、誠に心苦しいものでありますが、犠牲者の方々に対して、心から冥福を祈るものであります。

 この航空機墜落について、アメリカ側とロシア側との意見の違いがあり、アメリカ側はロシア包囲網なるものを、国連をもってやっているようでありますが、ロシア国内の放送によれば、その当時の各レーダーの動きや、ミサイル等の動きに関して、軍のデーターがある旨を伝えています。これは軍事衛星を持っている国であれば、当然知り得る事であると思います。また、日本国内においては当然ながらアメリカの意見を優先する報道がなされ、その事件の本質がなかなか見えないところであります。そこで、霊的調査をやってみようと言うことになり、チャレンジする事に致しました。

 これはあくまで霊的な観点からの調査であり、私達の霊的能力や今日のコンディション等よって、その精度は変わるかと思いますが、チャレンジすることに意義があるのではないかと思っております。
 それでは、この墜落に関して誰に意見を聞いたら良いか考えたところ、やはりスエーデンボルグ様が良いのではないかと思い、お伺いを立てることに致します。尚、細かな会話は省いております。

* スエーデンボルグ様より

 はい、今日は少し初めから頭が痛いですね。
頭の痛くなる様なことですね。

Q:そうですね、大変悩ましい事かと思いますが、どうかその真相を教えて頂ければと思います。よろしくお願い致します。
 はい、これはまあー、成るべくして成っている事であります。正義と言う言葉は、この場合にはあまり役に立たない、非常に理不尽な形での墜落であったと言うことで、大変心苦しく思っております。ただ、これは事態を動かすのは非常に難しく、まったく別物として扱うならば、何らかの答えが出るでしょう。しかし、通常の一般的な常識や法律にのっとった手続きだけでは、どうする事も出来ません。
 これは霊的に見れば、人類のこれまでの、ある種の蓄積された念いの集大成であるということが云えます。しかしその様な説明など誰の耳にも入らないでしょう。
 原因はやはりミサイルで撃ち落とされたと言うことが言えます。非常に性能の良いミサイルでしょう。少し細長い感じのミサイルです。細長く先の尖った形のミサイルが撃ち込まれた。しかし、民間機であると言う事に発射した後にそれが分かり、まずいと思っております。まずいと思っているので、声明も出さず犯行も認めないと言うことになっている。

Q:このミサイルを発射したのは、どちら側なんでしょうか。
このミサイルを持っている者、ウクライナの線が強いでしょう。今のところそう考えられます。

Q:これからこの事件を通して、国際的にどの様になっていくのでしょうか。予測をお願い出来ませんでしょうか。
世界は混乱に巻き込まれていくでしょう。この事件の処理を誤ると、火種が消えず残っていきます。

Q:可能性的には、残る方が強いんでしょか
あ! そうです残ります。

Q:ここから世界が混沌とする方向に向かい始めるのでしょうか。
はい始りますね。


それでは、撃墜した人の守護霊をお呼びしてみましょう。
ここではあえて名前を聞きません。

* 撃墜した人の守護霊

 しかし、私は悪くない。私は違う。言われたからやっただけだ。
私は悪くない。命令に従っただけで、なにひとつ悪い事はしてない。

Q:はい、命令だったと言う事ですね。それでは、その時の状況を教えてだけませんか。
どの状況。

Q:発射するまでの状況と、発射後の状況を教えていたければと思います。
 発射するまでは、正義のために戦う。発射するまでは皆、その意気込みで意気込んでいた。そして「世界中の鼻をあかしてやれ!」と言いながら、準備していた。ワクワクした気持ちで、準備に取り掛かり、いよいよ一発ぶち込んでやると言う気持ちだった。
これが見事命中すれば、世界中が驚くだろうと思っていた。ロシアも中国もアメリカも皆が驚くに違いない、その光栄な任務を受けた自分を、非常に誇りだと思って息巻いていた。非常に興奮した状態であった。
 その気持ちになるまでには、非常にいろいろな訓練を受け思想的な訓練を受け、教育を受けして今日に至っている。我々のやろうとしていることは、正義であると全く間違いなのではないと言う事を強く信じていた。

Q:計画はどのくらい前から言われたのでしょうか。
 半年前に聞いた。そして当初は、どの時刻どの方角と云う事は決まっていなかった。ただ、どの時点できたとしても、それをやる自信はあった。なので、見てみろと言う気持ちだった。自信はあった。
そして突如レーダーに写った機影を見て、これだと言う指示が来た。指示が来て、それをレーダー上で追尾していた。これにロックオンをして、ミサイルを打ち込んだ。非常にあっという間の作業であったけれども自信はあった。ただ実際にやった事は初めてであったので、半信半疑であったけれど、多分いけると言う確信はあった。

Q:それで当たったのは見えたのですか。
 当たったのはわかった。当たった事は分かった。見事命中したと言うことで、皆その場にいた者たちは、歓喜に沸いた。しかし、程なくそれが民間機であったと言うことがわかり愕然とした。完全に民間機であったと言う情報が入ってきたときには、あたりは静まりかえり、皆呆然となった。そして、この作戦の事は絶対に他言してはならないと言う話になった。そういう指示が来た。
 それから以後、私は非常に精神的に病んでいる。ニュースを見るたびに非常に心が痛み病んでいる。

Q:命令した人は、民間機であることは解らなかったのでしょうか。
 分からないから、指示を出したと思う。それが非常に、民間機とは思えない、ま、レーダー上のその軌跡だったので、間違いないと言う判断であった。どこで情報が間違ったかはわからない。

Q:ところであなたの部隊はどういう所属になりますか、ウクライナ軍でしょうか、それとも親ロシア側でしょうか。
 私は、ウクライナ軍です。以前はゴビ砂漠にいたこともあった。そこで何かをしていた記憶がある。

Q:イスラムの過激派組織ではありませんか。
イスラムは私のグループ、白いターバンをつけている。あの過激派は白くない。私は白い。

Q:過激派ではなくイスラム軍ですね
はい


次に、ロシアのプーチン大統領の守護霊の意見を、聞きいてみたいと思います。

* プーチン大統領の守護霊より

 私の気持ちとしては、もういち早くこの事態の収拾、まずその犠牲になられた方々の遺族を含め、その方達の対応をしていかなければならないと思っています。これは、非常に人として、人間として当然のことであり、非常に心を痛む出来事でありました。そしてこれを許す事は出来ない、こういった事を許してはならないと言う強い憤りもあります。けっしてこの様なことに世界は屈してはいけない。そして認めてもいけない。必ずこの犯人をはっきりとさせて、世界の前にそれを示したいと、そしてこの厳罰に処すると言うことをしたいと思います。

Q:今日の現状から見た場合、アメリカがこの事件について、世界的な流れを作ろうとしているように感じます。その流れから見て、ウクライナ軍がやったと言うことを、認めにくくなっているのではないかと思いますが、そこの所をどのように考えておられますでしょうか。
 しかし、やはり事態から見ても、それは明らかなことであり、おそらく世界の人々も、これはわかると思います。アメリカも、もう認めざるをえないでしょう。私はそう強く思っているし、必ず真実はひとつであるので、そのことは白日のもとにさらされる時がやってくると思っています。もういち早く、そのブラックボックスの解析等をして、その分析をするべきであると思います。それによって必ずわかるものと思います。

Q:はい、お気持ちはよく理解することができました。本日はおいて頂き、誠にありがとございました。


次に、アメリカのオバマ大統領の守護霊に、お話を聞いてみたいと思います。

* オバマ大統領の守護霊より

Q:本日もまたおいでいただき、ありがとうございます。今日はウクライナ航空機の件でお話をお伺いしたいと思います。いま、霊的に調査したところ、ミサイルはウクライナ軍が発射したのではないかと言うことになりましたが、それが本当であればどの様な処理を考えておられますでしょうか。
 いや私はそうは考えておりません。これはロシア側からの発信であると思っておるので、これはいずれ事態ははっきりするでしょう。アメリカとしては、これに関し、国連決議に則って処理するものであると考えています。

Q:ブラックボックスを分析したところ、ウクライナ軍からの発射であると言うことがわかった場合、どのような対処をされるつもりでしょうか。
 それはまだ、その答えは全く出ていない段階において、そのことを答える事は出来ません。

Q:ロシア軍の発表によると、当時の衛星からのデータでかなりはっきりしたものを持っているみたいですけど、どのように思われますか
 それでも、私は逃げるつもりはないが、よくそれをどのような時であったか、十分に検証する必要がある。まあ、端的にこうであるからウクライナ軍の仕業と言うような、安易な答えの出し方をしてはいけないと思っている。たとえその可能性が非常に強かったとしても、ブラックボックスの解析が進んだとしても、その真実は、また別のところにある可能性はいくらでもある。

Q:ブラックボックス解析したら、大体解ると思うんですが、それでも違うと云う意見もあるのですか。
はい、ある。ある。可能性はある。

Q:何が何でも、ロシア側がやったと言うことがいいわけなんですね。
 それはやはり、判らない部分が残っていると言う意味で、すべてがそこで解析されると言うものではないと言う風に思っています。なぜならば、これはその民間機自らの故障、あるいは機内においてのハイジャックやテロの類ではないものであるとするならば、一切の証拠は見つからない可能性がある。その可能性があると思っています。

Q:早い話、ウクライナであったと言う証拠がないと言う事ですね
はい。

Q:その場合、どちらであったと言えないと言う事ですね
いえないと言う事です。

Q:ただこの処理を間違った場合、国際的に相当な遺恨が残るのではないかと思うんですが。
もちろんそれはそうだと思います。

Q:そして、もしも、あなたが判断を誤った場合、一気にアメリカの信頼が落ち、この世界がますます混乱するのでは無いかと思います。世界は真実を求めるのではないかと思いますが、パワーゲームを通しての解決方法であった場合、アメリカはまぁ批判はされないかもしれませんが、信頼を落とすことになるのではないかと思いますがいかがでしょうか。
 それは、そういった信頼を落とす部分が出てくるかもしれませんが、真実は真実としてアメリカは言うべき事は言わなくてはならない、私はそう強く思っています。それがたとえ私の信用を失墜したとしても、それを断行、やり遂げなければならないと。アメリカ大統領としての、発言を私はしていきます。

Q:その真実は真実と言う時に、真実をどこまでだすか。自国に不利な事まで出すかどうか、ここが問われるのではないかと思います。
 まあ、どのような声明を発表する時にも、さまざまな要素のものがあり、どこまでどのような言葉で表現するかということはある。このような事故・事件の場合においてもそれは全く同じでしょう。ただ私にとって未だその解析結果等も見てもいない段階での、まあアメリカに不利な発言と言う事は避けておきます。

Q:ありがとうございます。責任ある方のお言葉だと思います。本日はおいでいただき、誠にありがとございました。
ありがとうございました。


次に、私の守護霊に聞いてみたいと思います。

* 守護霊より

 これはアメリカの早とちりでしょう。しかしそれは決して言えないであろうと思います。なんとしてでもそれは違うと言うことを、言い張るに止まるでしょう。
 アメリカもギリギリのところであります。まあ、あわよくいかば、この覇権争いに勝つための楔を打つことに成功したと言う話になったのであろうが、それが失敗に終わったと、作戦が失敗に終わったと言うことです。これは、対中国についても、一種の見せしめ的な要素を持っていたと言う事は否めないでしょう。そこまでの言葉は表には出さないだろうが、内心そういった面もあったのではないかと思います。

Q:これをアメリカが認めない場合、アメリカの信頼は失墜するかと思います。それによって世界はどの様に変わってくるのでしょうか。
 まあ世界は大国アメリカを中心とした世界が回っていると言う構図から、ゆっくりと地球の回り方が変わってくる社会へと変貌していくでしょう。アメリカはその強さに限りが出始め、非常に今までにない弱い立場を経験することになるだろう。ま、そういう事はとっくの昔に予見しているので、なお更のこと、これを認めるわけにはいかないと言う口調になっている。アメリカ軍を上げて、これを何とかしなければと言う空気になっている。しかし、慌てふためいて動くのは得策ではないと当然思っているので、んー、そうですそう云う事です。

Q:この作戦自体は、ひょっとしたら計画的な作戦だったのでしょうか。
そうです計画的ですね。

Q:この作戦の大元はどこから出たのでしょうか
 これはアメリカ軍の司令部、司令本部、作戦本部内でのトップシークレットになっている案件でした。そしてこのミサイルを実は各国に置く、各国でいつでも使える状態にすると言うことをアメリカは目論んでおり、その1発目として実際にそれを使った。そしてこれが全世界に示す布石であったはずであったと言うことです。

Q:これは民間機と分かってやった作戦でしょうか。
 それについては非常に微妙なところがあり、当然民間機とわかってやったと言う事は口が裂けても言えない話です。おそらく、そうではないとみているが、微妙なところです。民間機であれば、絶対にこれはアメリカがやったと言うことになれば不利になるということは百も承知であるので、その様な事はまずなかったと思うが、さりとて、アメリカ空軍をして、それをわからなかったと言うのは少し解せない話であります。

Q:そうですね、アメリカ軍がデーターを持っていないはずは無いかと思います。それを出さない、出せないということでしょうか。
はい

Q:大まかな方向がみえたのではないかと思います。本日は誠にありがとうざいました。


それではアメリカの軍関係者に聞いてみましょう。アメリカ軍のこの計画の責任者を招霊したところ、マッカーサー将軍の霊が来られました。これはたぶん、作戦本部に居る誰かの守護霊では無いかと思われます。

* マッカーサー将軍の霊より
                      
Q:アメリカ軍のこの計画、方向というものは、どのようなものだったのでしょうか。
 アメリカが、非常に世界の中で近頃、そのレベルが下がっていると言う事はもうよくわかっていることで、起死回生を狙った作戦であると言うことであります。しかし、これは決して表に出していい話ではなくて、このような形で話すことさえはばかられる内容であります。時々アメリカはそういった作戦を、実行することがある。非常に冷徹なまでの、作戦を敢行する。それは戦いを持って、世界を統治していくと云う形であるが、あくまでもこれは正義に則ってと言う事と思うが、前提としてある。
 アメリカの正義であるので、当然反対するものはいるだろうが、しかし、アメリカは全地球的にこれをリードしていく立場にある国であるので、それを死守して行く必要がある。この弱くなったアメリカを、さらに強さを取り戻すために、どこかの時点で何かをしなければならなかった。様々な作戦をアメリカは持っている。普段は作戦を実行したところでニュースになることもなくそれは行われている。今回に関しては非常に大きなニュースとなって全世界を駆け巡ったので、それがアメリカの不利益を露呈するものであってはならないと言う固い信念のもとに、皆アメリカの我らはコミットしている。非常にそのことに決意を固く持っている。

Q:これは、民間機と分かってやったということもあるのでしょうか
 それははっきりしたことを言いたくはありません。言いたくはないが、時々そのような事をする場合があると言う言い方にとめておきます。

Q:基本的に、そこに親ロシア軍の飛行機が飛ぶことは無いでしょう。自分のところにとって不利益な飛行機が飛ぶ事は無いのではないでしょうか。その中での作戦ということですから、民間機がターゲットにならざるを得ないのではないかと思われます。
 ただそれはいえません。けして言えるものでは無い。

Q:はい、わかりました。本日はおいでいただきまして誠にありあとございました。
ありがとございました。


ブログ管理者より
 霊的に調査した訳ですが、如何なものでしょうか。
アメリカに少し不利な感じでありますが、後日、違う形でまた霊言をした場合、違うような結果になるやもしれません。
果たして何が真実であり、何が本当であるか、これが解明されるには歴史的な時間を要するかも知れません。ともあれ、人類がこの難問を解決してくれることを望むものでありますが、しかしながら、この事件もまた神仕組みを感じています。因果の理法そのままであるように感じている次第です。
今はただただ、犠牲者の魂が、安らかであります事を祈るのみであります。

 「タイムリーな話題を」と言う事で取り組んでみましたが、今回は非常に、非常に微妙な事件を取り上げてしまいました。もう少し穏やかなものであってほしいものですが、時代の流れがそれを許さないのかも知れません。
 命をかけてブログを書く必要は無いと思いますが、それでも尚、違った角度からの見方というものを知るには良い事例でないかと思います。世界には様々な正義が有り、思惑もあります。しかし、現在の所、国際社会はなにが正義でなにが正しいのか判らず、混沌とした世界へと突入しているように思います。これから先の時代、余程心しておかなければならない時代になる様に感じています。どうか今のうちに、主の法を拡げて行きたい、一人でも多くの方に、主の法を伝えなければならないと強く感じています。

 今、ここのメンバーの巫女の一人は、伝道に力を入れています。今年になって60名の入会者、10名の三帰者を導いていますが、それでも未だ未だ届かず、頑張っています。
それぞれの役割はあるかと思いますが、私達仏弟子が立ち上がらない限り、この世の中も、世界も決して良くなることはありません。総て私達仏弟子に、世界の運命はゆだねられているのです。この事は既に分かっていることではありますが、私達仏弟子に全責任がゆだねられていることを、もう一度確認させて頂きました。

 人は言うかも知れません「マスコミが良くない」と、しかし私はそうは思いません、私達には十分な時間が与えられていたはずです。しかし、マスコミ改革すら出来ずに居ます。仏弟子がマスコミに対して個々に声を上げていたならば、十分にマスコミ改革が出来ていたはずです。その時間は十分与えられていました。今となっては私達仏弟子にその責任はあるのだと思います。これからの社会をどの様にするのか、その鍵を私達仏弟子は持っています。その責にあると思います。知っているものの責任です。私はその様に考えています。
 
 より素晴らしい世界になるよう、今後とも努力精進を続けさせて頂きます。
共に頑張ってまいりましょう。

長文をお読み下さり、ありがとうございました。



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