前田紀貞建築塾 第5期 8回目!!
1月8日、第5期 8回目の授業です。
「設計演習コース」は、図面についての話でした
まず、この図面や資料パネルは、学生にとても欠落している能力
であることが話されました
模型は玩具をいじるようになんとか作りますが、図面に関してはほんの基本的なことすらできていない、ということです
学生の図面を見ていますと、例えば「階段のUP/DN」表示をしっかりと書けている者は、全体の一割もいません。
同様にこととして、
=太・中・細い線の書き分け
=メリハリの考え方
=扉の開き勝手
=寸法の約束通りの記載
=家具の記載方法
=吹き抜けの上下に出てくるものの実線、点線記載
等々・・・・・・
もう挙げだしたらキリがありません
ではまずは、最も基本である線のメリハリから
前田塾長が言うには、建築図面の「線のメリハリは人生のメリハリと同じだ」と
だから前田塾長は、いつも「図面トレース」というのをとても大切にします。大学の2年生くらいでやる、あれですね
通常、「図面トレース」は、講義の中でもとても退屈な作業として考えられてしまっています。
「ただ写すだけ」と思ってはいませんか
でも、その実は全く逆なのです
下図の左はメリハリが無いもの。右図はメリハリを付けて描いたものです。
その違いは明らかだと思います。
最近の建築学科の学生のプレゼンテーションは、まさに左の図のようです。薄くて、ノッペリしていて、細くて、存在感がなくて・・・
つまり、人生の時間の中、どれも同じようにウエイトをかけて生きてゆくことは不可能です
皆、知らず知らずのうちにそこに軽重のメリハリを付けています。
それがいつか人の個性というものに繋がるのです
或いは、人の体にはツボというものもあります。肩のツボであれば、そこを押せば肩の血液の循環がよくなります。
同じことです。人生にはそういう肝のポイントの部分があるのです。
そのツボという肝に無関心だったり知らなかったりすれば、ただ万遍なく平均的に体を押すだけです。それでは、肩こりは治りません。
ですから、メリハリということになります
実際に前田塾長が紙の上に描いてゆきます
「繊細な図面」ではなくて、太いマジック
でゴシゴシ描いてゆきます
僕が、その場で聞いていたマジックの「ギュッギュッ」という激しい音
は、正に人生を生きている、というふうにすら感じられました・・・、冗談ではなくて
ん~~っ、図面ってこういうことだったんだ・・・・。
悔しいです・・・。
こういう話を聞くと、俺も「よ~しっ、激しい図面を描いてやる!!」と思ってしまいます
ということで、図面の作成の様子をご紹介しました
次は「建築論」です
今回は「場所とは何か?」についてでした
う~ん、場所・・・・、それは知っている・・・
と思って聞き始めましたが、全くの誤解でした
知っているつもり、でしかありませんでした。
完敗です
建築塾の「建築論」ではこういうことばかりです。
以前の「自然」の回の講義もそうでした。
他には「芸術」の回も「美」の回も「存在」の回も・・・・
今回の「場所」の回も正にそうです。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~norisada/forarchitects/ESSEY/essay05.html
図面にしても言葉にしても、如何に僕たちが偽物を使い倒して生きてしまっているか、ということを痛感しました。
だからこそ、ここで沢山転んで強くなります
前田紀貞アトリエ 尾茂田太
「設計演習コース」は、図面についての話でした

まず、この図面や資料パネルは、学生にとても欠落している能力


模型は玩具をいじるようになんとか作りますが、図面に関してはほんの基本的なことすらできていない、ということです

学生の図面を見ていますと、例えば「階段のUP/DN」表示をしっかりと書けている者は、全体の一割もいません。
同様にこととして、
=太・中・細い線の書き分け
=メリハリの考え方
=扉の開き勝手
=寸法の約束通りの記載
=家具の記載方法
=吹き抜けの上下に出てくるものの実線、点線記載
等々・・・・・・
もう挙げだしたらキリがありません

ではまずは、最も基本である線のメリハリから

前田塾長が言うには、建築図面の「線のメリハリは人生のメリハリと同じだ」と

だから前田塾長は、いつも「図面トレース」というのをとても大切にします。大学の2年生くらいでやる、あれですね

通常、「図面トレース」は、講義の中でもとても退屈な作業として考えられてしまっています。
「ただ写すだけ」と思ってはいませんか

でも、その実は全く逆なのです

下図の左はメリハリが無いもの。右図はメリハリを付けて描いたものです。
その違いは明らかだと思います。
最近の建築学科の学生のプレゼンテーションは、まさに左の図のようです。薄くて、ノッペリしていて、細くて、存在感がなくて・・・

つまり、人生の時間の中、どれも同じようにウエイトをかけて生きてゆくことは不可能です

皆、知らず知らずのうちにそこに軽重のメリハリを付けています。
それがいつか人の個性というものに繋がるのです

或いは、人の体にはツボというものもあります。肩のツボであれば、そこを押せば肩の血液の循環がよくなります。
同じことです。人生にはそういう肝のポイントの部分があるのです。
そのツボという肝に無関心だったり知らなかったりすれば、ただ万遍なく平均的に体を押すだけです。それでは、肩こりは治りません。
ですから、メリハリということになります

実際に前田塾長が紙の上に描いてゆきます

「繊細な図面」ではなくて、太いマジック


僕が、その場で聞いていたマジックの「ギュッギュッ」という激しい音


ん~~っ、図面ってこういうことだったんだ・・・・。
悔しいです・・・。
こういう話を聞くと、俺も「よ~しっ、激しい図面を描いてやる!!」と思ってしまいます

ということで、図面の作成の様子をご紹介しました

次は「建築論」です

今回は「場所とは何か?」についてでした

う~ん、場所・・・・、それは知っている・・・
と思って聞き始めましたが、全くの誤解でした

知っているつもり、でしかありませんでした。
完敗です

建築塾の「建築論」ではこういうことばかりです。
以前の「自然」の回の講義もそうでした。
他には「芸術」の回も「美」の回も「存在」の回も・・・・
今回の「場所」の回も正にそうです。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~norisada/forarchitects/ESSEY/essay05.html
図面にしても言葉にしても、如何に僕たちが偽物を使い倒して生きてしまっているか、ということを痛感しました。
だからこそ、ここで沢山転んで強くなります

前田紀貞アトリエ 尾茂田太