前田紀貞建築塾 第5期 2回目!!
11月20日、第5期 2回目の授業です
いよいよ、第5期建築塾が本格的に始まりました
はじめまして。
今回のブログは、当日の授業をTAの尾茂田が所用で出席出来なかったため、第4期塾生・前田紀貞アトリエ オープンデスクの佐道大倫(サドウ ヒロノリ)が担当させていただきます
今回は「建築論」の授業を取り上げたいと思います。
ちなみに「建築論」は、
=アルゴリズム建築コースの受講生
=設計演習コースの受講生
=卒業設計コースの受講生
の全員が受講することが出来ます。
「建築論」は前田紀貞建築塾の目玉の一つで、塾長の前田が長年、熟考に熟考を重ねた内容で、日々更新されています。
創作活動をするための目次のようなもので、これを知らずして、創作など出来ません
さて、建築論第1回目は「存在とは?」です。
みなさんの目の前にあるもの。このブログを読んでいるあなたの前には、パソコンが「有る」と思います。
「パソコンが存在している」
皆さんは「パソコンが存在する」と言われて、そんなの当たり前じないかと思うかもしれません。
しかし、その当たり前とする「存在」を、どれだけの人が、正確に説明出来るのでしょうか
実はモノが「有る」と「存在する」この2つは違うのです
我々、建築家を目指す人間は、「存在」を理解した上で創作するのと、しないのとでは雲泥の差があるのです。
なぜなら、私たちが創造するのは空間で、空間は様々なモノを「存在」させる事が出来るからです。
モノを「存在」させるには、私たちの周りに有る全てのモノに対しての眼差しを変えなければなりません
さて、「存在する」パソコンとはどのようなものでしょうか。
皆さんは、パソコンを見てパソコンであると認識するでしょう
しかし、それはパソコンを今までの皆さんの経験から、これはいわゆる「パソコン」であると記号として捉えているに過ぎないのです。
あなたが知っているパソコンに似ているからパソコンと認識している程度ではありませんか
パソコンを存在として捉える状況を思い起こすには、パソコンを全く見たことのない自分を想像してみてください
もっと分かりやすく言えば、宇宙人が初めてパソコンを見る感覚です
初めてモノを見る時。その時に初めてそのモノと対峙するのです。
そのように認識することが「存在」することになるのです。
まず、あんたが宇宙人で初めてパソコンに出会ったとしてみてください。
最初は驚くかもしれません。
触ったり、突いたり、舐めたり、匂ったり、聞いたり・・・
そうする間に、目の前に有る液晶画面や、液晶画面を構成するドット、キーボードの素材、光の反射具合、発せられる音など、普段 我々が見過ごしているところまで見えてくるはずです
それがモノそのものと対峙するという事です
そのようにモノへの眼差しを変えるだけで、見えてくる世界は随分変わります
普段の生活で身の周りにある、「みかん」はみかん、「お皿」はお皿と、記号的に認識しているだけです。
みかんの細かい粒で構成された皮や、凹凸、光の反射具合・・・
それらに目を向け「モノ」と対峙している人はどれだけいるのでしょうか
しかし、そのように世界を捉える事で、空の色や、太陽の暖かさ、落ち葉の暖かさ、金属の冷たさ、漆器の闇のような深い色など、普段見過ごしていた様々な要素に出会うことになるでしょう。
みなさん、世界が随分広く感じるようになりませんか
(前田紀貞のエッセイ ♯02「芸術ってなに?存在ってなに?」
http://www5a.biglobe.ne.jp/%7Enorisada/forarchitects/ESSEY/essay02.html )
塾生たちは授業内容を必死でノートにメモしたり、mixiにレポートを書いたり、本を読んだりと、授業に限らず自分自身で知識を習得し身にしていくのです
授業は、あくまでスタートでしかありません
前田紀貞アトリエ 佐道大倫