タイトルの通り、内容はバブル時代の様子を写真と文章で1テーマ4ページと短く綴ったもの。


バブルの頃、僕はまだ小学生だったので、そのことの記憶といえばテレビ越しに「ジュリアナ東京」で踊っている姉ちゃんの様子を覚えているくらいなのだが、今回この本を読むといかに当時の様子が今からすればイッテタかがよくわかる。


そして僕がこの本を読もうと思った一番にきっかけは、同じ職場で働いているいわゆる『バブル世代』の人達が今も当時を昨日のことのように話してくれたり、バブルの勢いそのままに彼らは他の世代にはない勢い、モーレツサラリーマンとして働いている姿に半分圧倒されて、バブル時代に興味を持ったからだ。


本書に出てくる言葉を並べると、オートポリス、チバリーヒルズ、くまもとアートポリス、宮崎シーガイア、千昌夫、ザウス、ハウステンボス、名古屋デザイン博…と不動産が関わっているものが多いことに気づかされる。

(千昌夫は不動産に手を出して2000億円の借金をつくったそうな。。。)


今考えても、


・オートポリス=540億円(大分県上津江村)

・チバリーヒルズの1住戸=8億円(千葉県土気町)

・宮崎シーガイア=2000億円

・ハウステンボス=2200億円


ってすごい金額です。


しかも都心ではなく、地方もしくは郊外でこの価格と聞くとバブルのずごさがわかります。


でも、今は都内で土地の入札が1000億円を超えることもザラだから、そこまでインパクトがないかもしれないけど。


他にも、『客がタクシーを選ぶのではなく、タクシーが客を選ぶ時代だった』とか『銀座のクラブでピンドンコン(ピンク・ドンペリニョンとコニャックを混ぜたカクテル)1杯30万円』て…。


お金をガッポガッポ稼いで、お金をジャンジャン使っていく日々。


そりゃ人間、イケイケになるわけです。


そんな時代ってこれからの人口減少時代に来るわけ、ないよなあ。

9月6日

朝6時、起床。同じ部屋で寝ている他の5人に申し訳なく身支度をして7時、ロビーに集合する。今日はこちらで申し込んだ万里の長城1日ツアーだ。僕を含めて5人しかいないので、こじんまりしたツアーと思ったら、他のホステルなども立ち寄り、結局は30人くらいの大ツアーだった。しかも、僕以外は全員西欧人なのに驚く。


バスの中では同じホステルから参加しているアメリカ人のジョンとオーストラリア人の家族としゃべりながら過ごし、11時にようやく現地に到着。

万里の長城は英語で“The Great Wall”と表記され、またツアーの行き先がいくつもあったため、本当に万里の長城に行くのかと何度もツアーに申し込むのをためらったが、到着した所は案の定、「地球の歩き方」にはあまり詳細に書かれていない場所だった。


「金山嶺長城」(Jinshanling)、後で調べてみると北京から北東へ130キロあまり離れているところに位置するらしい。入場ゲートには物売りがいて、今回のツアーで一番年配のドイツ人夫婦に杖を勧めていたり、日焼け止めクリームを勧めていたりしている。ゲートをくぐってすぐに、ガイドが「左に10キロ行った地点で待ってるんで4時までに来てください。」と言い残し、去っていく。思わず『ガイド付きのツアーじゃなかったの?』と突っ込みたくなった。10キロの道のりを一人で歩くのは心もとないので、僕はジョンと一緒に歩くことにした。



最初は絶景に感動していたが、徐々に道の険しさが重荷になってきて次第に早くゴールを目指すことを考えるようになった。この日は快晴で気温も30度くらいはありそうな天候なので、持参したペットボトルがすぐになくなった。すると、観光客にずっとついて歩いている物売りが“Iced water!”と言って見せてくる。『こんなところで冷たい水があるわけない。』と思いながら見ると、確かに半分凍っていて冷たい。一体彼らはどうやって売っているのだろう。のどの渇きに勝てず、仕方なく購入すると1本5元。普通の相場なら1~1.5元だから儲けは大きいはずで、だから彼らはこういった険しい道を歩きながらでも商売をするのだろう。



どのくらい歩いただろうか、ようやく4時間あまりかけてゴールに到着した。歩き始めたときは「ドイツ人夫婦が休憩するまで歩き続けよう」とジョンと話していたが、結局ドイツ人夫婦は一度も休憩をしなかったので僕らもぶっ続けで歩いた。彼らがツアーに参加したメンバーの中で一番先にゴールしたのは言うまでもない。人は見かけによらずということを痛感した。



ゴール地点で遅めの昼食を済ました後、午後5時すぎ、再び北京市内へ向けて出発した。帰りのバスでは、日本で住んでいたことがあるアメリカ人とオーストラリア人の女性、僕とジョンでずっと話し続ける。外人の女性が話す関西弁って愛嬌があると思った。


午後8時すぎ、北京市内に到着。バスを降りるときに「ありがとう」の一言もない、バス会社の態度に戸惑いを覚えていると、ジョンも同じことを思っていたようだ。「中国人と日本人は全然違うね。」と。その後、ホステルでジョンと別れた後、近くで夕食を取るが、疲れのせいかあまり食欲がない。明日の観光を考え、早めに就寝する。

9月5日

朝6時過ぎに目覚める。電車はまだ走っているが、外は明るくなっている。車掌がお湯の差し入れに各コンパートメントを回っている。


そして7時すぎ、定刻通り北京駅に到着。とても大きな駅で、中国語で北京駅を表す「北京站」の文字は毛沢東の筆跡で書かれているとのこと。



駅を出てそのまま、近くの予約していたBeijing City Central Youth Hostelにチャックインする。6人のドミトリーで1泊45元。早朝だから荷物しか置かせてもらえないのかと思っていたら、普通にチェックインできたので、ありがたい。荷物をほどきシャワーを浴びる。


同じ建物内の食堂で朝食を済まし、外へ出る。北京は建設ラッシュ、排気ガスのせいで空気が汚れていると言われている通り、上海以上に汚い。クアラ・ルンプールの汚さを思い出す。でも、持参したマスクをするほどでもない。というより誰もマスクなんてしていないから不自然だ。



まずは、電車で天安門広場まで行く。とてつもなく広い。そしてまだ午前9時というのにすでに観光客でごった返している。あの天安門事件があった現場を想起したせいではないが、どこか無機質な印象を受ける。広場を取り囲む建物に装飾がなく、また西洋にある広場のようなカフェテラスがないためなのであろう。



天安門広場を後にして、正面の故宮に入る。英語では“The Forbidden City”と表記されるように、まるで1つの城壁都市のように内部が広い。建物は全体的に赤く塗られているが、修繕中の建物も多かった。僕としては、メンテナンスの悪さが気になり、また装飾が粗雑に見えたので、日本のお寺ほど食い入るように目をみはることはなかった。



故宮を出て、次に移動しようと地図をみるとバスを使わないと移動できないことに気づく。それは地下鉄は来年のオリンピック開催までに13線開通予定なものの、現在は3線しかできておらず、移動手段は依然としてバスなのだ。停留所には中国語しか書かれておらず、初めはどこに行くかもよくわからないバスに乗ることに躊躇したが、思い切って乗ってみる。地下鉄の料金が3元に対し、バスは1元で安い。その後も北京滞在時は、移動手段としてバスを使うことになる。


午後は日本人建築家が担当した「建外SOHO」、来年竣工予定の「CCTV」を目にした後、中国の伝統的住居『四合院』をリノベーションして再生した前海に足を延ばす。湖に面している建物をカフェやバーにしているわけだが、これも湖あっての成功例だなと思った。というのも、『四合院』は平屋建てで外部に閉じた空間構成になっているため使い勝手が悪く、現在建設ラッシュの北京では次々と取り壊されている。そんな状況で前海の四合院は残っているわけだが、その拠り所を湖に求めて人を呼び込んでいる。湖を眺めながら現在の生活にかなう四合院の活かし方を考えてみるが、なかなか思い浮かばない。


 


 

今夜は僕以外の5人は全員イングランド人だ。明日は早起きすることを宣言して寝る。

夜はバーが集積している三里屯に立ち寄り、明朝出発の万里の長城ツアーがあるので早めに宿に戻る。