9月1日~8日で上海と北京に旅行してきました。今回はその旅行記をアップします。

9月1日

今回の航空券は今までに貯まったマイレージ30000マイルを使って購入したため、航空券にかかったお金は空港使用料と燃油サーチャージ代だけ。しかも上海イン、北京アウトのオープンジョー、おまけに座席まで指定できたからかなり良かった。


12時前に成田空港到着、14時発のANA上海行きは定刻通り離陸。約3時間のフライトで、現地時間の17時ちょうどに上海浦東国際空港(Shanghai Pudong International Airport)到着。空港に降り立った途端に何か臭う。これは東南アジア諸国でかぎとる臭いと同じだ。排気ガスと何かが混じったような何ともいえない臭い。


そして空港から市内までは時速430キロで走るリニアモーターカーに乗る。揺れは少し大きかったが、車窓から移り変わる景色は新幹線のときとほとんど変わらないように感じた。



その後、Shanghai Hiker Youth Hostelにチェックイン。4人部屋のドミトリーで1泊45元。

チャックイン後、上海一の繁華街とも言われる南京路へ。日本人を狙って次々と声をかけてくる中を無視しながら歩くが、通りのお店はどこかで見かけたようなものが多く、あまり僕の関心を引かなかった。


その後、上海で高層ビルが建ち並ぶ浦東地区を見るべく外灘(英語名:Bundバンド)へ足を延ばす。夜景を求めて人がごった返していた。昨年、香港で見た夜景と似ているようで似ていない。それは、香港は夜景を見せ物としているので個々のビルが一体となってイルミネーションが組み合わされているのに対して、上海は個々のビルがその存在を誇示することが目的となっておりイルミネーションがビルごとで分断されているためであろう。


23時頃、宿に戻るが部屋に僕以外はまだ戻っていなかった。明け方クラブ帰りと思われる3人組みが騒々しく部屋に戻ってきた。


9月2日

朝9時、昨夜夜景を眺めた外灘に向かう。夜と異なる表情を見るために足を運んだのだが、あいにく昨日に引き続き不安定な天候で雨が降ったり止んだりしているせいか、どこか映えない。しかし、外灘側の方に目をやると、20世紀前半に建てられて西欧風の建物が並んでいることに気づく。川を挟んで高層ビルと西欧風建物が対峙しているというその対照性がとても興味深い。


 

その後、地下鉄で浦東地区に移動して、高層ビルの足元を歩く。間近で見る建物はとても高く、道路幅も大きいのでヒューマンスケールからかけ離れており、地区全体に無機質な印象を受ける。もっと足元を人が容易に集えるように整備するべきだと思う。


そして、次に近代に建てられて建物をリノベーションして生まれ変わったと言われる新天地に向かう。確かにうまく再生しているが西欧レストランや外国資本の店が多く、テーマパークのように観光地化されすぎているきらいがあり、上海の息吹が伝わってこなかった。


夜は高層階からの夜景を眺めたいこともあって50階のジャズバーに行く。日曜の夜のためか客入りは少ないが、黒人女性のヴォーカルで“Stand by me”、“What’s going on”といった曲があったので僕としてはとても満足だった。特に僕の好きなMarvin Gayeの“What’s going on”を非日常的な場所で聞けたので感慨にふけってしまった。1時間の演奏をチャージなしのビール1杯で78元。


宿に戻ると、今夜はイギリス人2人とカナダ人女性1人だった。カナダ人のエミリーは、JETプログラムで今年7月まで鹿児島の高校で英語と教えていたとのことで日本語も少し話せた。これから4ヶ月かけて1人でインドまで旅行すると聞くと、西欧女性の行動力に頭が下がる思いがする。


9月3日

朝9時、日本から旅行代理店を通じて手配していた上海→北京の夜行列車のチケットを受け取りに行く。


そしてその足で、古い建物をリノベーションして再生したSOHO地区に向かう。しかし、想像以上にこじんまりしており、片道20分以上かけて歩いたことを思うとちょっと後悔した。昨日の新天地もそうだけど、リノベーション手法は内部を西欧的なものにしているのだけれども、アジアならではの方法はないものかと考えてしまう。観光客、特に西欧からの観光客をひきつけるためには、あえて上海の雰囲気を排除した方が目立っていいのかもしれないが。



午後は、再び外灘地区に行き、今度は建物に入ったり、ノーマン・フォスターの建築を見たりする。正直、上海の高層ビルは建物として評価できるものは少ないと思うが、フォスターの建築は彼らしさが出ており、また費用もかけて3重ガラスだったりと一見の価値はあった。


宿に戻ると、エミリーと今夜は中国人カップルがいた。中国人カップルは、英語が話せるので聞いてみると、建築学生で現在はロンドンのAAスクールで勉強しているとのこと。彼らの設計への思いを聞いていると、僕も設計に携わりたい気持ちに駆られてしまった。

9月4日

10時、エミリーと中国人カップルに別れを告げ、チェックアウト。今日も雨が降っている。上海のこの時期は雨季なのだろうか。


午後は、昨日の中国人カップルから聞いた「ガウディ展」を見に行く。構造から造形していく流れを動く模型を使ってのプレゼンテーションはわかりやすかった。また、実際にバルセロナでガウディ建築を見ているので、空間のイメージはしやすかった。しかし、内容自体はすでに知っていることばかりだったので新たな発見はなかった。


午後5時、チャックアウトした宿に荷物を取りに戻る。その後、同じく夜行列車で雲南へ向かう日本人と途中の駅まで一緒に向かう。彼は中国に半年旅するつもりで2日前に来たそうだが、中国人のマナー、衛生状態の悪さに辟易しているらしく、予定を早めて帰りたいと言っていた。


午後6時半、上海駅に到着。相変わらず中国はどこに行っても人が多い。

7時すぎ、7時38分発の北京行き夜行列車に乗り込む。4人1室の部屋で、僕は上段のベッド。日本で1等席に相当するのを予約したこともあって、室内はとてもきれいでそんなに狭苦しさも感じなかった。そして、定刻通りに出発、これから11時間半あまりノンストップで北京までの道のり、約1300キロを走り続ける。走り始めたときは時々揺れが大きいことに驚き寝れないのでは思ったが、1時間くらいしたら寝てしまっていた。




山本理顕、北山恒、飯田善彦、西澤立衛の4人が建築について対談形式で語られたものを収めたのが本書。


また各人が対談で発言した内容に関連して、4人それぞれが自身の建築作品で詳細に解説している。


そのため、思想を形に落とし込んで見せてくれているので非常に読み応えがあった。


彼ら建築家は、「建築が社会を変えられる」ということを強く信じているのが伝わってきた。

一般市民からすれば、「何言ってるの?」と思われるかもしれない。


しかし、今も住まいを選ぶときに出てくる『LDK』という概念は、戦後の衛星的かつ大量供給というニーズを満たすべく発明されたものだ。

そして、それが狭小でも住まうことを可能にし、結果として核家族化も促した。

つまり、住宅の形が社会構造を変えてきたのだ。


一方で経済が成熟した80年代以降は、資本の論理が強くなり、建築はそれに服従する立場になってしまった。

そのため、建築側から社会に働きかけにくい状況であるのが現代だ。


だから醒めた目で見ると、「何言ってるの?」に立ち戻るのかもしれないし、だからこそ建築の可能性を信じているのが建築家なのだろう。


建築が新たにできることがあるとすれば何だろう?


一度、今までの常識を疑って考えてみようかな。




もともと北欧の建築や家具に興味があって今年の3月に北欧4カ国を旅行したが、旅行して北欧のデザインにさらに魅せられ、また北欧デザインというものが生まれた背景を知りたくなってこの本を手を購入した。


本書は、家具では北欧発祥のインテリアショップの数々を、建築では北欧出身の建築家の作品を、主に写真とその注釈で紹介している。


だから北欧デザインを知りたい人には最適で読んでいて、というより写真を眺めていて楽しかった。

加えて19世紀以降の北欧デザインの歴史を、簡潔にわかりやすく解説されているので面白かった。


特に戦後の日本が北欧のデザインを参考にしていたという話は驚きだった。

北欧が西欧の2番煎じが脱するべく自らのアイデンティティを見つけていった過程を、戦後の日本が参考にしていたとのこと。


現在、IKEAが人気で北欧デザインがもてはやされているけど、このブームは戦後もあったし、80年代にもあったのだから、洋服ファッションのように周期性があるのかもしれない。


デザインってその国の歴史・文化的背景に基づかないと、一過的に消費されるだけで本当の意味で受け入れられないのかな、と思った。


最後に本書の難点を1つ挙げると、個々の作品の注釈については、ちょっとでも家具や建築をかじっている人には突っ込みが物足りなく感じられ、少々消化不良なのも否めない点だ。


内容の掘り下げ度合いは『CASA BRUTUS』や『pen』に近いかも。


でも専門書ではないから致し方ないのかもしれないけど。。。