世界一 誇らしい人 | 全てはシンプル

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DVモラハラギャンブル大好き借金独裁者で生活費入れないオット、娘と息子、小6の重度医療ケア児と小5のわんぱく坊主の孫を持ち、世の中の人たちが死ぬまでにしない経験をし尽くした、モノ、心の在り方、食、生活、思考、全てひっくるめた人生のミニマリスト




今日も遊びに来てくださってありがとうございまぁ~すカナヘイうさぎ


 




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私は2013年9月
娘、息子に一方的に悪者にされ切り捨てられた。
母が亡くなったことがきっかけで9年ぶりに会った。

怒涛の5月でした。
読んでない方は読んでください。
親の庇護の元、たいした苦労もせずのうのうと暮らしている世の中の子供たちと、うちの子供たちとでは雲泥の差以上の違いがあるとつくづく感じました。

人間の経験の多い少ない人は会話してるだけでもよくわかるし、めっちゃおもんないということもつくづくわかる。

苦労は買ってでもしろと言いますが私はそう思ってません。

ですが、いろんな経験はやはりないより、たくさんした方がいいと思います。

なぜなら、経験があればあるほど人としての厚みや深みが違う。

言葉の重みすら経験の多さで違ってきます。

経験のない人からの言葉はやはりペラッペラで説得力も重さもないなーと感じます。

魂レベルが違うとどうしても人生経験に違いがあるのは仕方ないんですがね。

経験は苦労だけではないです。

それでも進化、成長は学びが必要で、学びはやはり辛いことや苦しいことで得ることがほとんど。

苦労してひねくれるだけで終わるか、それを糧に成長できるか、そこで魂の磨かれ方も変わる。

私の子供たちも私もそうだったように誰にも頼らず自力で這い上がってきた。

人生の荒波に何度も何度も飲み込まれ溺れても。

だからこそ、人の痛みも辛さも苦しみも上っ面だけでなくホントの意味で理解できる。

それが私だけでなく、自分の子供たちもそうだった。

子供たちは「そうなった」という方がしっくりきます。

空白の9年の間に娘も息子も生半可な苦労ではなかったから。

娘と息子も同世代の世の中の子供たちが経験しないようなことばかり経験してきた。

先日息子に会いに行った。
息子がどのようだったかあるのでぜひ読んでください。
この時、息子が言ってた。

「名古屋にいた時の友達はたまに話すけど話のレベルが低すぎてつまらん。
だから自然と話さんくなった。わざわざ会いたいとも思わん」と。

オットは自分のクズさを棚に上げ「こっちの(つまり名古屋の人)人間はクズばかり」と言います。

息子が言うのはそうゆう意味でなく、フツーに親の庇護の元、なんの苦労もなく誰の助けもなく、自力で這い上がる必要もない、ぬくぬくと育った友達と、自分とでは人生経験が違いすぎて会話が噛み合わない、という意味です。

そりゃよくわかる。


ペラッペラな人生経験しかない人からは仕方ない事だけど、どうしても学びも気付きもない。

話してても表面上だけの愉しさはあるけど、真の愉しさはない。

真の愉しさとは、魂がワクワクする愉しさ。

家族ベッタリな人がいますがそのような人たちは家族という狭い枠の中だけでしか自分の居場所を持てなくなる。

そこに安住できるので安住してしまい、他の繋がりを求めなくても良くなる。

そうなると家族がいなくなったり、家庭が壊れたら、自分の居場所も失い、自分自身も崩壊する。

私たちはまともな家庭ではなかったおかげで血の繋がりだけの家族という狭い枠に囚われず、家族ではない横のつながりを広げられた。

そこには血の繋がりはないけど、多くの素敵な人たちと繋がりができ、助けられ生きてこられたんです。

これ、何気にすごいことなんですよね。


血の繋がりよりも心の繋がりです。

心がどれだけ繋がってるか


家族ベッタリな人たちは血の繋がりがどう、身内だからどうとそんなちっぽけな枠の中で生きてるので視野が狭く、家族という枠の外のことはわからない。

私たちは家族だけど家族という名の呪縛もなく各々が自立している。

これってホントに素晴らしく大切なことなんだなーとつくづく感じました。

私はずーっとプライベートが充実しまくってて忙しいのですが先日、娘のとこに上の孫に会いに行った。

ほんの2時間ほど。

車で片道50分近くかかるのに笑い泣き

それでも行ける時に行かないといつ行けるかわからないからね。

こんな些細なことも行動しまくってます照れ

上の孫に最後に会ったのはまだ赤ちゃんで緊張性の脳性麻痺でミルクを飲んでもすぐ吐いてしまい、胃瘻を開けるかどうか、という状態だった。
その後、私は子供たちに棄てられた。
それきり子供たちにも孫にも会ってなかった。

正直、生きてるこの子に会えると思ってなかった。
この子の友達はみんな亡くなったそうでこの子も何度も救急搬送され生死を何度もさまよったそう。

会った時は生きててくれてたことに感謝しかなかった。



胃瘻を開け、気管切開してます。


痰が絡み出すと娘が慣れた手つきでタンの吸引をしてました。


夜中も娘は痰の吸引をします。

「赤ちゃんの時は可愛かったのにブサイクになっちゃった!」って笑いながら孫の額をぺちっと叩いてました。

孫は一切話せないので表情とアイコンタクトのみです。

細かな孫の表情で娘は孫の感情を察知してました。

初めての出産で夢も希望もたくさんあったはず。

それが病院の落ち度で打ち砕かれ、現実を受け入れるまでどれだけの葛藤があっただろう。


娘は「私は育てて行かなきゃいけないから受け入れるしかなかったけどダンナは受け入れるまでに時間かかったよ」と言ってました。

当たり前に子供を産んで当たり前に育てている世の中の人たちにはなにをどうやっても到底計り知れず、ホントの大変さの理解なんて欠片もできないでしょう。

私もその中の1人で私ならとっくに潰れてた。

娘と息子は9年間で大きく成長した。

もし、ごくごくフツーの家族だったらこの子たちはこうならなかったと思います。

娘と息子の魂はきっとかなりの成長を望んでいたんだろな。

様々な経験をし、自分を称えることができるようになったからこそ、人を尊重でき、称えることができる。

娘と息子を誇りに思うと同時に学ばせてもらってます。

この子たちを見てると、なんでも出来るという気持ちなるし、生きるってこーゆー事なんだなーと思います。


精神性が5回り6回り大きくなって私を超えるほどの子供たちと再び出会え、繋がれたことを幸せに思えます。

だからって世の中の家族ベッタリな人たちとは違います。

私は子供や孫より私自身の人生を愉しみたいし、愉しんでます。

老い先みじかいんだからね笑い泣き

子供たちに恥じない人でいられるようもっとがんばろグー炎


保護猫のライク。


人が怖いようですが私のとこに居てくれた。


下の孫は友達と習字に行きました。







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