永田町異聞 -4ページ目

軽減税率をねだる新聞協会のまやかし声明文

日本新聞協会が消費税の軽減税率適用を求める声明を出し、新聞各紙が我田引水記事にした。


あれだけ、社会保障に、財政健全化に消費増税が必要だと主張してきたのに、自分たちはあまり貢献したくないという。


あれだけ社会の公平性を重要視するかのごとき論説を繰り返しているのに、自分たちだけは特別扱いしてほしいという。


それだけなら、いつものことで、筆者も何度もこの問題を批判してきて、いささか飽きた。


しかし、以下の声明文を読んで、やっぱりまた書く必要があると思った。ごまかしの記述があるからだ。


「先に新聞協会が実施した調査では、8割を超える国民が軽減税率の導入を求め、そのうち4分の3が新聞や書籍にも軽減税率を適用するよう望んでいます」


本当にそんなに多くの人が新聞に軽減税率を望んでいるのだろうか。どんな調査をしたのかと思い、協会のホームページに掲載された「軽減税率に関する調査結果」をクリックしてみた。


全国の20歳以上の男女4000人を対象に個別面接調査したという。回収率は30.3%で、質問内容はこうだ。


「日本でも軽減税率が導入された場合、生活必需品と同じように新聞・書籍も軽減税率の対象にするべきだと思いますか。対象にするべきではないと思いますか」


これに対する回答は、「対象にするべきだ」42.1%、「どちらかというと対象にしたほうがいい」33.2%、「どちらかというと対象にしないほうがいい」9.7%、「対象にすべきではない」10.6%、「わからない」4.3%…となっている。


もともと第三者機関の調査結果ではなく、それだけでも信憑性は薄いが、これをそのまま解釈するとしても、8割の4分の3、すなわち6割ほどの国民が「新聞に軽減税率の導入を求めている」と断定するに足るといえるだろうか。


積極的に新聞への軽減税率適用を肯定しているのは42.1%にすぎないではないか。調査員が面接で聞き取るさいの、質問の仕方や態度、言葉のニュアンスしだいで、「どちらかというと…」という消極的肯定派の回答も変わりうるだろう。


したがって、新聞協会の声明文にあえてこの調査結果を紹介するとすれば、「対象者4000人のうち回答したのは約30%で、軽減税率の導入に肯定的な人のうち、42.1%が新聞・書籍も対象にすべきと答え、33.2%がどちらかというと対象にしたほうがいいと答えた」とはっきり分けて、書くべきであろう。


また、「8割」の「4分の3」が新聞や書籍にも軽減税率を適用するよう望んでいるという表現で、8割という数字を印象づけようとしているかのようなところも気にかかる。


この調査は、対象者4000人中、1210人の回答者のうち軽減税率導入に積極的賛成62.3%、消極的賛成21.7%、合わせて84%、1016人を軽減税率賛成とみなしている。


そして、1016人のうち、新聞などを適用対象にすべきと答えた人が427人、どちらかというと対象にしたほうがいいと答えた人が337人ほどいたという結果になったわけだ。


4000人の対象者のうち、新聞への軽減税率を適用すべきだとはっきり意思を示したのはわずか427人ていどに過ぎないのである。新聞協会の声明文が振りかざす「8割」「4分の3」の国民なる表現とのイメージの乖離を冷静に見つめる必要がある。


ところで、大手新聞各紙はヨーロッパの例をあげ、どこも新聞に軽減税率を導入しているから日本もという理屈をこねているが、一橋大経済研究所准教授、小黒一正氏は概ね次のように指摘している。 


「1990年以降、複数税率で導入する国は急激に減少、単一税率で導入する国が大勢を占めており、軽減税率を導入する試みは、いまや世界の潮流ではない」


その背景には以下のような問題があるという。


「軽減税率は、高所得層もその恩恵を受け、所得再分配の効果が薄い。新たな政治的利権を生み出す可能性が高い。さらに、欧州では、軽減税率の線引きを巡って税務当局と事業者の間で訴訟が頻発している」(YAHOO!ニュースより)


どうやら、欧州各国の苦い経験が教訓になっているようだ。


 新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)

郵政社長人事にかみついた自民中枢の腹のうち

どこに投票していいかわからなかった人が多かったおかげで、自民党は低い得票率でも衆院選に圧倒的勝利をおさめることができた。


すなわち、迷える国民が政権投げ出しの安倍政権をよみがえらせたということであるが、2006年9月から1年間にわたった、決断できない安倍政権の崩壊過程がいまだ鮮明に記憶に焼きついているだけに、不安はつきない。


前回の安倍政権は、公務員制度改革をめざし、官僚組織の謀略とサボタージュによって潰された。


官僚側の首謀者は安倍内閣の官房副長官補、坂篤郎だ。20日付で日本郵政の副社長から社長に昇格したが、菅義偉幹事長代行ら自民党幹部が「看過できない」と騒いでいる。


表向きの理由は「政権移行期に財務省(旧大蔵省)出身のたらい回しをするのは許されない」ということだ。


だが、安倍の最大の理解者である菅の心中には、坂への敵意がくすぶっているのではないか。


前回の安倍政権において、官房副長官補、坂篤郎は、安倍の改革を骨抜きにするため、上司である官房副長官、的場順三を巧みに取り込んで、様々な画策をした。的場と坂、それに総理秘書官、田中一穂。いずれも旧大蔵省出身だ。


この三人が国交省と水面下で手を組み、安倍首相と塩崎官房長官が進めようとした道路特定財源の一般財源化を阻止すべく動いた。


そして、結局、彼らや国交省、道路族議員の抵抗に負け、安倍は「道路への歳出を上回る税収を一般財源化する」という中途半端な妥協で閣議決定してしまった。ここから、官僚組織が安倍官邸を舐めてかかる空気が醸成されていく。


安倍が潰瘍性大腸炎の悪化もあって政権を投げ出すと、福田政権では、町村信孝官房長官が霞ヶ関側にまわり、行政改革の足を引っ張った。官房副長官は小泉政権時代にもつとめた二橋正弘が出戻り、坂はそのまま官房副長官補に居座って、渡辺喜美が進める行政改革の骨抜きにかかった。


そして、麻生政権にいたると、ほぼ完全に霞ヶ関、族議員主導の古い自民党体質に戻り、民主党への政権交代につながった。


自民党が郵政の社長人事に反発するもう一つの理由は、19日まで日本郵政社長だった斎藤次郎との確執であろう。


かつての非自民細川連立政権で小沢一郎に重用された斎藤は、自社さ連立で政権に返り咲いた自民党に冷遇され、その後、元大蔵事務次官としては異例の冷遇天下りコースをたどったが、民主党政権誕生後、郵政民営化見直しの動きにより日本郵政社長として返り咲いた。同時に、副社長になったのが坂篤郎である。


天下り禁止を唱えていた民主党政権のこの郵政トップ人事を自民党が激しく批判したのは言うまでもない。


さて、今回の社長人事批判、「天下りに厳しい新生自民党」という宣伝にうまく使いたい自民党中枢のハラが透けて見える。財務省としても、斎藤、坂という二人のOBを生贄として差し出すことで自民党を操縦できるのなら、納得だろう。


斎藤は19日の記者会見で「株式会社は取締役会で了承を得て決めるのがすべてだ。政権交代に関係なく実施できる」との見解を示したが、菅義偉幹事長代行は安倍政権発足後の見直しも示唆しており、自民党がこのまま見過ごすことはなさそうだ。



 新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)


逃げを打つ選挙情勢調査

「どこに投票したらいいんですか?」。知り合いや会社のスタッフからそんな声がしばしば寄せられる。


今回ほど、有権者が迷っている衆院選はなかったのではないか。そのせいか、マスコミ各社の選挙情勢分析がはなはだしく頼りない。


たとえば今日の朝日新聞一面「衆院選中盤本社情勢調査」などは、他社と横並びで自民党の圧倒的優勢を伝えながら、「情勢が変わる可能性も」と逃げを打つ。詳しく見てみよう。


「自公300議席うかがう」という見出し。前文では、電話調査に全国の取材網の情報も加えて情勢を探った結果、自民は単独過半数を超え、公明も堅調、民主は80議席を切る可能性があるーなどといかにも自信ありげだ。


ところが、本文に入るや、いきなり次の文章が現れる。


「調査時点で投票態度を明らかにしていない人が、小選挙区で5割弱、比例区で4割おり、情勢が変わる可能性もある」


半数近くが、どこの誰に投票するか決めていないのに、「自公300議席うかがう」と打ち出すのはどういう了見であろうか。


選挙情勢調査としては格好が悪いかもしれないが、正直な記事に書き直すとするならば、前文は次のようにするべきだろう。


「朝日新聞は電話調査を実施し、全国の取材網の情報も加えて情勢を探った。その結果、調査時点で投票態度を明らかにしていない人が、小選挙区で5割弱、比例区で4割もおり、投票日を目前にして選挙結果がほとんど見通せない状況であることがわかった」


これはこれでニュースである。そのうえで、本文を次のように書いたらどうか。


「投票態度を明らかにしている小選挙区5割、比例区6割の有権者の回答から議席獲得数を推計し、記者がそれぞれの陣営を取材した感触をもとに各選挙区の当選者を推測した限りにおいては、自民は小選挙区で05年の219議席を上回り、比例区は60議席前後になりそうだ…」


筆者が言いたいことは、新聞記事も前提をはっきりさせて書き進めたほうが、情報への信頼性が高まるということだ。


ロイターでは「総選挙で誕生する新政権の中心となるべき政党は」という質問に投票するオンライン調査を実施しているが、14日午前11時時点での結果は自民党が1位の58%で、朝日調査では10票ていどしか取れないとされている日本未来の党がなんと2位の28%、そのあと日本維新の会(5%)、民主党(3%)と続く。


これについても、朝日とはメディア特性が違うという前提条件を考えておく必要がある。


大メディアの電話調査は、家事や育児で忙しいかもしれない家庭にいきなり電話をして、何の準備もしていない人に即時回答させるわけだが、ロイターのオンライン調査は、そのサイトを訪問し、投票するという能動的な行動がもたらした結果である。


したがって、政治経済分野に相当な関心を抱いている人の意思が反映されていると考えるべきだろう。有権者はそういう人ばかりではないので、これもロイターのウエブサイトを訪問している人に限ってみれば、という条件付きである。


ただし、未来の党が28%で、維新が5%、民主3%というのは、マスメディアが報じない政治情報をネットで継続的に追っている人なら、その理由はなんとなくわかるのではないだろうか。


簡単にいえば、民主も維新も「変節」「ウソ」「ごまかし」が過ぎて、信用ならない、ということだろう。


民主党は政権交代時の国民への約束を反故にして、自民党化した。維新は天下取りの欲を出して石原慎太郎という好戦的かつ品性下劣な超有名人と手を組み「原発ゼロ」を党公約から外した。そのため味方であったはずの大阪府市エネルギー戦略会議メンバーが反発し、近く「抗議声明」を出す事態に立ち至っている。


大手マスコミは願望もこめて自公政権の復活予測をさかんに喧伝しているようでもあるが、石原に似て他人の悪口に時間を費やす安倍晋三という人物がいかに軽薄であるかは、彼の首相在任時にいやというほど思い知ったのがわれわれ日本国民であろう。


マスメディアの自民圧倒的優勢という情勢分析には、09年選挙で民主党を支持した業界団体が勝ち馬に乗ろうと自民党支持に回帰する現象が顕著なため、取材記者がその動きを過大評価している側面もある。


朝日によると、自民党の政党支持率は21%で、「03年衆院選の30%、05年の33%ほど高くなく、大敗した09年の22%と並ぶ」という。


政党支持率21%で単独過半数というのは、どう考えてもおかしい。だから、選挙情勢の記事も自信を持って書けないのだ。


すべては「小選挙区で5割弱、比例区で4割」にのぼるといわれる人々の投票時の決断にかかっているといえるが、「原子力は安いエネルギー」とウソをつく候補者には絶対に票を入れないでほしいと切に願う。


新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)




日本記者クラブの品格とは?

昨日、日本記者クラブで開かれた党首討論会の第2部は、共同記者会見の場となった。


思考の監獄から脱走できない記者クラブメディアの“牢名主”のようなベテラン記者の質問に、各党党首が答える盛大なイベントである。


読売の橋本五郎、朝日の星浩といえば、昨年8月の民主党代表選で小沢の支持を受けて立候補した海江田万里を以下のように責めたてた小沢バッシングの急先鋒だ。


「党員資格停止中の方が大きな影響力を持っている。異様な光景だ。どう考えているのか」(橋本)


「小沢さんは秘書三人が逮捕起訴され公判中で、本人は強制起訴された。いまだに国会での説明はない。どうお考えか」(星)


いまや小沢一郎は無罪が確定し、検事の捏造捜査報告に誘導された強制起訴の不当性が問題になっている。もともと無理筋捜査であることを承知のうえで小沢政界追放の論陣を張ってきたのが彼らだが、いまだに反省の色はない。


30日の党首討論会における橋本は、「品格ある質疑にしたい」と挨拶しながら、日本未来の党、嘉田由紀子代表に次のような偏見に満ちた質問をぶつけた。


「卒原発を唱えているが、それ以外の政策はどうも、原発依存ならぬ小沢依存ではないか。小沢さんが役職に就けないのならますます影でという話になる。小沢問題をどういう消化のしかたをしてるんですか」


小沢問題とは何か。嘉田代表の背後で小沢が悪だくみでもするといいたいのだろうか。


嘉田が「なぜみなさん、小沢さんをそう怖がるのか」と語り始めるや、嘲笑とともに“牢名主”たちが声を上げて反応した。


「怖がってません、嫌がってるんです」


つい本音が出たのだろう。「嫌がっている」。事実よりも気分本位で記事を書いてきた証しだ。「嫌悪」の心理の底に「怖れ」があるのに気づいていないのも、おめでたいほどの単眼思考だ。


嘉田は彼らの心理を見透かしたように「嫌がっている」と、言いかえたあと、再びおだやかな口調で続けた。


「小沢さんの力を利用した方々が怖がっているのではないでしょうか。国民が求める政治を実現するために小沢さんの力を使いたい。小沢さんを使いこなせずに官僚を使いこなすことはできません」


しなやかで果敢な切り返しといえよう。


嘉田は前日のネット党首討論会でも「これまで、小沢さんを利用した人は、自分のために利用したかも知れません。私は小沢さんの力を、日本の政策実現、未来のために使わせていただきます」と語っている。


「小沢を利用した人が怖がっている」。この言葉には深い意味を感じる。


どれだけの政治家が小沢の世話になり、薫陶を受けながら、自らの立場やポストを守るため、そのもとを去って行ったことか。マスメディアは、この20数年間、小沢を悪者に仕立て上げ、どれほど世間をあおって商売に利用してきたことか。


日本記者クラブが真に「品格ある質疑」を望むなら、好き嫌いの牢獄から脱し、事実本位の人間観、社会観、政治観を持つジャーナリストを育成することに力を注ぐ必要がある。


新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)

卒原発への小沢関与を嫌悪する大メディアの政治的未熟

小沢一郎が脱原発勢力の結集に向けて、滋賀県知事、嘉田由紀子を口説き落としたのがこのひと言だったという。 


「嘉田さんが国のために動いてくれるなら、国民の生活が第一がなくなっても、自分が代表から降りてもいい」(産経)


多くの人が知っている通り、「日本未来の党」は、小沢という政治家がいなければ生まれなかった。


09年の政権交代も、93年の非自民連立政権誕生も、江藤淳が「構想力雲のごとき」と形容した小沢のひらめきと、分析、決断、行動力がなければ、なし得なかっただろう。


民も自も維新も、大飯で明らかなように原発再稼働を容認する政党だ。日本未来の党は「段階的に原発を減らして10年以内にゼロにする」という。脱原発に賛同する民意の受け皿として日本未来の党が明瞭に浮かび上がってきたことは間違いない。


この動きに嫌悪感を示しているのが読売と産経だ。


「国力を衰退させる脱原発を政治目標に掲げる政党に、日本の未来を託せない」(読売社説)


「脱原発を掲げる政党は理念ばかりが先行し、現実を見ていない。企業が上げる悲鳴に、逃げない答えを示すべきだ」(産経主張)



朝日はその意義について評価するが、小沢が水面下で動いたことは他紙と同様、気にくわぬらしい。マックスウエーバー流にいえば「それこそ政治のイロハもわきまえない未熟児」だろう。


政治的未熟児の論説はこうだ。


「ただ、気になる点もある。一つは小沢一郎氏の存在だ。自らの党の埋没に危機感を抱いていた小沢氏は選挙の顔として嘉田氏をかつぎ、生き残りのために結党をおぜんだてした。そうした見方があるのは事実だ。新党を作っては壊し、力を保ってきた小沢氏の政治スタイルが復活するようなら、脱原発も選挙むけの口実に終わる」(朝日社説)


未来の党への評価は異なるが、小沢に対する見方はいずこの大メディアも同じだ。


だが、09年の政権交代、93年の非自民連立政権誕生と政治改革は朝日の言う「小沢氏の政治スタイル」がつくり上げたものではなかったか。冷戦終焉後の世界の変化に対応するため、自民党長期政権にあぐらをかいてきた統治機構を改革しようともがき、試行錯誤する過程で、壊してはつくるという繰り返しになったのではないか。


どうやら、大メディアは日本の政治史に小沢が登場せず、自民党政権がつねに安泰であり続けていたほうがよかったようだ。


国有地を払い下げてもらい、再販制による新聞価格維持、テレビ電波、記者クラブ利権など甘い汁を吸いながら、旧態依然とした紙面をつくり続ける大新聞の記者諸氏には、壊す決断の難しさなど理解できないに違いない。


もし自民党に93年以降に生まれた政権交代の危機感がなかったら、もっと永田町、霞ヶ関の腐敗は進んでいただろうが、そんなことには一顧だにしない。


経済界も巻き込んで10年後の原発ゼロをめざすドイツを視察し、小沢は日本でも可能なはずだとの確かな手ごたえをつかんだ。選挙戦術としての脱原発という側面がないとはいえぬが、そのように選挙で国民に公約する内容を判断させていくのが民意の力である。


いずれにせよ、嘉田は小沢という政治力の担保があってこそ、新党の顔になる決断ができた。小沢は政治家としても環境社会学者としても芯の通った嘉田を押し立て、自らは裏方にまわることで、「卒原発」「脱原発」の旗を明確に掲げて選挙を戦うことができる。


土壇場になってこういう芸当のできる政治家は、やはりいまの日本には、他に見当たらない。


新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)

石原という苦労を背負い込んだ橋下維新

都知事としての功罪はさまざま見方があろう。日中関係悪化の張本人ということも、さておこう。確かなのは、国会議員時代に、これといった実績がないことだ。


その石原慎太郎が、どうやら首相の座をねらっているらしい。それも「橋下さんは義経、私は弁慶だ」と大阪市長を持ち上げ、すり寄って。


万が一、日本維新の会が選挙で大躍進し、石原が首相にでもなれば、弁慶が頼朝に豹変するのではないか。選挙目的でにわかにくっついた烏合の衆は権力を与えられると同時に主導権争いをはじめるだろう。


平家との戦いの立役者でありながら、のちに頼朝に疎まれ、自刃へと追い込まれた悲劇の武将、源義経に橋下がなるとすれば気の毒なことだ。


ところで、息子の伸晃が「明智光秀」呼ばわりされて自民党総裁になれなかった仇討ちか、腹いせか、それとも積年の夢をかなえる最後のチャンスと興奮したのかはしらないが、石原に国政で何ができるというのだろう。


国会議員をつとめた25年間。環境庁長官や運輸大臣はつとめた。中川一郎、渡辺美智雄らと青嵐会をつくり、極右、タカ派のイメージでならした。『「NO」と言える日本』を盛田昭夫と共著で出版し話題を呼んだこともあった。


しかし、その活動の多くは緻密な戦略を欠くパフォーマンスの色濃いものだった。第1作目「太陽の季節」で華々しく作家デビューし、石原裕次郎の兄としてスター性を兼ね備えていながら、彼に心酔して集まってくる政治家は少なかった。大きな政治勢力をつくりえなかった。


それでも1989年、平沼赳夫、亀井静香、園田博之らに推されて自民党総裁選に出馬したが、わずか48票しか取れず、最大派閥竹下派が推す海部俊樹に敗れた。


石原が小沢一郎を毛嫌いするのは、当時の竹下派(経世会)の事務総長として、海部政権誕生に辣腕をふるったのが小沢であるからに他ならない。


このときの怨念がいつまでも石原の心中にくすぶっているのか、海部政権時代、湾岸戦争にのぞむ米国に130億ドルの資金を小沢幹事長の一存で提供したかのごとく言いふらす。そればかりか「そのカネの一部が日本にキックバックされた」という噂まで持ち出して、小沢のフトコロに入ったと言わんばかりの話をする。


130億ドルもの巨額資金が小沢一人の指図で出せるはずがない。当時、橋本大蔵大臣らが米側の要求に苦悩し、資金拠出に同意するまでの経過は手嶋龍一著「外交敗戦」に詳しい。


それにしても、いとも軽々と他人の名誉にかかわる悪口を言える品性の粗雑さこそが、政治家としての石原慎太郎という人物の限界であろう。


ただし、彼が唯我独尊、傲岸不遜な言動を続けるのは、才能と自尊心に満ちた心の底に、激しい“コンプレックス”もまた存在するからではないかとかねがね筆者は思っている。若くして時代の寵児になったゆえにこそ、人知れず抱き続ける苦悩があるのではないか。


とりわけ小沢のように常に政界の中心に居つづける存在は、石原の嫉妬の対象とはなっても、手を握る相手にはならないだろう。たとえ、官僚支配、中央集権の解体で一致できるとしても。


橋下徹は、「石原慎太郎」という苦労を背負うことになった。超有名人の甘言に幻惑された自業自得ではあるが…。 


 新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo) 

メディアは二審無罪までの小沢報道を自ら検証せよ

「天声人語の一文目」という朝日新聞のテレビCMをこのところよく目にする。


美しいピアノ曲をバックに、コラムの最初のセンテンスが映し出される。「書き写しノート」のPRも抜け目なく添えて、朝刊一面の看板に「教養」の金箔をはりつける。


筆者の手もとに、北風三六郎という方から届いた私家版の冊子がある。


「小沢バッシングの正体」というタイトルのその冊子には、2009年3月4日から2012年5月にかけて、朝日新聞が小沢一郎氏について書いた社説と天声人語が収められている。


そのうち、天声人語の記事数を数えてみると、じつに54本にのぼる。およそ20日に1度は天声人語に「小沢」が取り上げられている勘定だ。


小沢氏はあまりにも当然のことながら、二審でも無罪となった。しかも東京高裁は、元秘書らが土地取得に関して故意に記載時期をずらせたとする一審判決を「事実誤認」と指摘し、元秘書らも小沢氏とともに無実であるという認識を色濃く打ち出した。


ここに至って、あの産経新聞でさえ申し訳ていどではあるが「検察審査会の暴走」に言及しはじめた。報道ステーションの古舘伊知郎氏ですら自分たちのこれまでの報道にちょっぴり反省の弁を述べた。


朝日新聞の紙面から感じられるものは、相変わらずの自己正当化と、われらこそ「日本の知性」といわんばかりの、傲岸不遜ぶりだ。


その最たるものが、書き写すほどに文章の模範とする人が多いという「天声人語」であろう。その教養と知性とやらは、小沢を罵倒する数々のフレーズによって、お里が知れる。


まずは、西松事件で大久保元秘書を逮捕、起訴したあとの次の文章。


◇下心みえみえのゼネコンから党首が巨額の献金を受け、どこが悪いんだと居直る。(2009年3月26日)


この件については、のちに検察が無謀捜査を覆い隠すため訴因変更し裁判そのものが消滅している。


大久保逮捕後のマスコミの大騒動によって代表辞任を余儀なくされた小沢氏について。


◇「本当に怖い」「猛獣が野に放たれた」。党内から漏れる声を聞けば、辞任会見で言っていた「民主主義」とは何かと思う。(2009年5月14日)


政権交代後、マスコミへのリークによる検察の世論操作に民主党内で批判が強まった。そのさい、検察に寄り添う姿勢を示したのが天声人語の下記の文章だ。


◇これでは捜査への嫌がらせである。…西松事件で小沢一郎氏の秘書が捕まった時、野党の民主党は、政権と結んだ国策捜査だと非難した。目下の状況は与党の思い通りになっていないのだから、「検察の独立」を誇ればいい。(2010年1月21日)


野田政権が誕生し、小沢氏に近いといわれる輿石氏が幹事長に就任したことに関して。


◇党内融和を最優先した人選だが、かけ違いはないか…そもそも世間に「小沢的なもの」への嫌気がある。(2011年9月1日)


「小沢的なもの」への嫌気があるとすれば、それをつくってきたのは誰なのか。一般市民の政治家への好悪は、マスメディアの送り出すメッセージによって変化するものであろう。


2012年4月26日、東京地裁は小沢氏に無罪判決を言い渡した。この翌日の天声人語は、なぜか1983年のロッキード事件一審判決で田中角栄元首相が有罪になったことから書きはじめた。


◇政治を動かした判決といえばやはりロッキード事件だろう。…闇将軍が表舞台に戻る日は遠のいた。…約1年後、田中派の重鎮竹下登らは、分派行動ともいえる創政会の旗揚げへと動く…▼さて、この判決は政治をどう動かすのか。資金問題で強制起訴された小沢一郎氏の無罪である。…だが顧みるに、この人が回す政治に実りは乏しかった▼若き小沢氏は心ならずもオヤジに弓を引き、創政会に名を連ねた。以来、創っては壊しの「ミスター政局」も近々70歳。「最後のご奉公」で何をしたいのか、その本心を蓄財術とともに聞いてみたい。(2012年4月27日)


まず小沢氏がオヤジと慕った田中角栄氏を持ち出して「金権」イメージをダブらせる。さらには、創政会参加でその恩人を裏切った権力亡者のように書く。


こうした作文術で、小沢悪徳説に読者を誘う。朝日新聞をはじめとするマスメディア各社が長年にわたり続けてきた典型的な小沢攻撃の手法である。


一、二審とも無罪になった人物に対し、巨額裏献金を受け取った悪徳政治家のごとく根拠もなく吹聴してきた朝日、毎日、読売、産経、日経、そして各テレビ局は、なぜ、これまでの報道を自ら検証することをしないのか。


このところ、iPS細胞に関する読売新聞の大誤報や、尼崎連続変死事件で別人の顔写真を掲載するなど、報道の不祥事が相次いでいる。小沢報道についても、いかにウソをくり返してきたかは、一、二審の無罪判決が明確に示している。


2009年3月3日以来の小沢報道を検証し、本来の報道がどうあるべきだったかを読者、視聴者に自ら示すことこそが、マスメディアの信頼回復にとって最低限必要なことではないだろうか。


新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)

読売の原発信仰とその系譜

この国に原子力を導入した張本人は読売新聞の柴田秀利である。正力松太郎が「原子力の父」と呼ばれたのは、柴田がその影武者として動いたからだ。


保守合同で自民党が誕生した1955年に読売新聞が原子力キャンペーンを開始し、同年4月28日、経団連を中心に「原子力平和利用懇談会」が発足した。それが、原子力村の起源であり、原発推進の第一歩だった。


その時代からの理念を受け継いでいるのか、読売新聞は、福島第一原発の放射能災害が国土を汚染し、無数の国民の命を危険にさらした今となっても、原発重視の社論を変えようとしない。


23日付の社説では、「冬の電力需給 北海道の停電は命にかかわる」と題し、「泊原発を再稼働すれば電力不足を解消できるのに…今冬には間に合わなくなった」と、北海道民に脅しをかけて、原発再稼働の必要性を説いている。


電力不足など日本全国、どこにもない。使い古した脅し文句はもう通用しないのではないか。


これはもう読売新聞の“ジャイアンツ愛”ならぬ“原子力愛”というほかない。その萌芽をたどると1953年の夏に行きつく。


この年、二人の日本人が別々に、それぞれ異なる目的でアメリカに渡った。一人は衆院議員、中曽根康弘。もう一人が読売新聞の柴田秀利だ。


中曽根はマッカーサー司令部の対敵諜報部隊(CIC)に所属していたコールトンと親しく、その勧めにしたがってハーバード大学夏期国際問題セミナーに参加するため7月に渡米、2か月間ほど滞在した。


一方、柴田は日本テレビ開局にともなう1000万ドルの借款交渉を任され、この年は数度にわたり渡米したが、ちょうど中曽根と同じく7月から8月末にかけて米国で最後の詰めの仕事にあたっていた。


その年の12月8日、ソ連の核開発が活発さを増すなか、アイゼンハワー大統領が国連で、原子力の平和利用を呼びかける演説をしている。


柴田が日本テレビ開局に必要な1000万ドルを借りる条件を整え、帰国前のあいさつまわりをしていたころのことだ。友人の紹介で会ったジェネラル・ダイナミックス社の副社長からテレビのエレクトロニクス技術と原子力の平和利用についての話を聞いた。


ジェネラル・ダイナミックス社といえば世界初の原子力潜水艦ノーチラス号を造った会社だ。柴田は原子力の将来性を想像し、興奮をおぼえた。


柴田と中曽根が米国で接触したかどうかは分からないが、二人とも原子力に強くひかれたことは間違いない。


中曽根は渡米の翌年、すなわち1954年3月、数人の議員とともに、原子力研究のための2億6000万円の予算修正案を国会に提案して通過させた。


柴田は第二次読売争議にかかわり、吉田茂と相談のうえ共産党勢力を撃破した男だ。その力量をGHQに見込まれ、左翼思想に染まっていたNHKに投入された。


1947年ごろから1951年の講和条約成立まで、ニュース解説者をつとめて米国の情報戦略に一役買った。そんな特殊な経歴が米国要人との人脈を築いていた。


柴田もさっそく動きはじめた。中曽根らが原子力予算を通したすぐあと、偶然にもビキニの米核実験による第5福竜丸の被曝事故が発覚し、反核・反米運動が燎原の火のごとく広がったからだ。


柴田は、ビキニ事件をきっかけとした反核・平和運動が、ソ連による資本主義打倒の世界戦略の一環だと信じて疑わなかった。


柴田は、日本人の反米感情をおさえるための方策を原子力の平和利用に求めようとした。そこには、米国側からのひそかな働きかけがあった。


米国の密使が訪ねてきたときの状況を柴田の著書「戦後マスコミ回遊記」からうかがい知ることができる。


「このまま放っておいたらせっかく敵から味方へと、営々として築きあげてきたアメリカとの友好関係に決定的な破局を招く。ワシントン政府までが深刻な懸念を抱くようになり、日米双方とも日夜対策に苦慮する日々が続いた。このときアメリカを代表して出てきたのが、D・S・ワトソンという私と同年輩の、肩書きを明かさない男だった」(戦後マスコミ回遊記より)


柴田はワトソンにCIA要員かと問うと、ワトソンはこう答えた。「違う、僕は国防省の人間である。ホワイト・ハウスと直結しているから大使館など、まどろっこしいところを経由する必要はない。何とか妙案はないか、考えてくれ」


このやり取りがあって数日後、柴田は考え抜いたあげくワトソンに次のように結論を告げたという。


「日本には昔から“毒は毒をもって制する”という諺がある。原子力はもろ刃の剣だ。原爆反対を潰すには、原子力の平和利用を大々的に謳いあげ、それによって、偉大な産業革命の明日に希望を与える他はない」


原子力は核爆弾にもなれば、国の産業を発展させるエネルギーにもなる。米国が提唱する平和利用のキャンペーンを強力に進めることによって、反米・反核感情がやわらぎ、国民が共産思想に染まっていくのを防ぐことができると思ったようだ。


ワトソンは「柴田さん、それで行こう」と、柴田の肩をたたき、ギュッと抱きしめたという。


その後、とんとん拍子に日米の話し合いが進み、おおむね次のような経過をたどる。


1955年春に経団連を中心とした「原子力平和利用懇談会」が発足して間もなく、ジェネラル・ダイナミックス社のホプキンス社長を団長とする米国の原子力平和利用使節団が来日、それを読売新聞や日本テレビが大々的に報じた。


そして日本政界では、同じ年の5月15日、三木武吉と大野伴睦が会談し、保守合同、自民党結成へと進む。これにより日本に確固たる親米政権が誕生し、ソ連の影響力は弱まっていく。


米国は反共・親米プロパガンダのために日本テレビ創設を後押しし、CIAが正力にポダムという暗号名をつけて、正力や柴田を利用してきたフシがある。


つまり、日本のテレビや新聞を使い、「自由と民主主義の国・アメリカ」を印象づけるとともに、原子力の平和利用を宣伝して、反米感情や核アレルギーをやわらげるという企てだ。


そうした心理作戦が大きな効果をあげて、ライフスタイルのアメリカ化が進むにつれ、米国的な利便、効率、経済優先主義にもとづく原子力発電への傾斜が強まっていったといえる。


読売新聞の米国追従、原発推進路線は、その成り立ちからして、筋金が入っている。


「今年度上期の貿易赤字は初めて3兆円を突破した。安全を確認できた原発を順次、再稼働していかないと、国富の流出に歯止めがかからない」(23日読売社説)


そのように、普通の生活というかけがえのない財産を原発で失った国の大新聞が社説でしゃあしゃあと言ってのけるおぞましさには、ふつうの神経ではとうてい太刀打ちできそうもない。


新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)

軽減税率をねだる読売社説の恥知らず

経営陣の魂胆が見え透いていたとはいえ、読売新聞の18日付社説を読んで、良識ある新聞人は、顔が赤らむ思いだったのではないだろうか。


消費税増税の必要性をあれだけはやし立てておきながら、自らのことになると下記のごとく「新聞は軽減税率にすべきだ」と主張してはばからない。


◇新聞は民主主義と活字文化を支える重要な基盤だ。消費税率引き上げでは、新聞に対する税率を低く抑える軽減税率を導入すべきである。(中略)
新聞は、全国で誰もが安く手に入れて活用できる特色があり、公共財的な社会インフラだ。コメなどの食料品と同じような必需品として、新聞の重要性を認める読者は少なくないのではないか。◇


毎月4000円近い料金を支払わねばならない新聞が公共財、社会インフラだというのは、さすがに業界トップクラスの給料を誇る新聞社だけのことはある。所得格差が広がるばかりのこの国で、低収入にあえぐ庶民の痛みなど、どこ吹く風だ。


大手新聞ほど、国家権力に庇護されている民間企業はない。国有地を安く払い下げてもらってそこに本社を建て、電波利権を与えられてテレビ局を開設し、なおかつ新聞だけは公取委に再販制度を黙認させて、新聞価格を高く維持している。


官庁まるがかえの記者クラブに入ってさえいれば、放っておいても記者会見がセットされ、役人が提供してくれた資料に少し手を加えただけで一本の原稿があっという間に出来上がる。記者クラブがなかったら、現有の記者数では新聞紙面の半分以上を白紙で出さねばならないだろう。


まさに利権の巣窟であるがゆえに、金繰りの苦労を知らないど素人が経営者になっても、会社を存続できているのだ。


そういえば、週一回出している筆者のメールマガジン2011年2月10日号で「消費増税をあおる新聞界の策謀」と題する記事を書いた。読売の今回の社説を予測したような内容なので、あらためて以下にその一部を転載しておきたい。


◇◇
大新聞と財務省の関係をうかがわせる人事があった。昨年(2010年)11月16日、丹呉泰健氏が読売新聞の社外監査役に就任するという小さな記事が各紙に掲載された。


丹呉氏といえば、2009年の政権交代直前に財務事務次官となり、2010年7月に退任したばかり。OB人脈を含めた財務・大蔵一家のなかでの影響力は大きい。


読売新聞がなぜ、丹呉氏を必要とするのか。読売グループのドン、渡邊恒雄の意思がはたらいているとみるのが自然だろう。この人事の背後に、「消費増税」への新聞界の思惑が透けて見える。


消費税が数%でもアップされると、ただでさえ人口減、インターネットの台頭、広告収入の大幅ダウンに見舞われている新聞業界はもたない。


そこで、渡邊氏ら新聞界のトップが考えているのが、英国のように食料品など生活必需品の税率をゼロ、もしくは軽減するよう世論を誘導し、その生活必需品のなかに、さりげなく新聞をもぐりこませるという算段だ。


それを可能にするために、財務省の増税路線を大いに支援して恩を売っておく必要がある。いざというときの橋渡し役として、丹呉氏はうってつけだと考えたに違いない。


新聞にとって、もうひとつの恐怖は、再販制度と特殊指定の特権を剥奪されることだ。現在のところは、再販制度によって高価格に維持できているからこそ、まがりなりにも新聞の経営はなりたっている。


ふつうの商品なら、価格を決めるのは小売であり、メーカーが価格を押しつけると独禁法違反になる。新聞は特殊指定によって、メーカーである新聞社が価格を決めることができる数少ない商品だ。


渡邊恒雄氏ら新聞業界トップには再販制度をめぐるこんな前歴がある。


2005年11月、公正取引委員会が、再販制度について新聞の特殊指定を見直す方針を打ち出した。実はそれよりはるか前の1998年にも公取委が「基本的に廃止」の方針を固めたことがあったが、新聞協会会長だった渡邊氏らの政界工作で、「当面見送り」にさせた経緯がある。


05年の見直し方針に対しても同じだった。新聞協会は猛反発し、各政党への働きかけによって政界の支持を得た新聞協会に公取委が屈して、方針を取り下げた。


記者クラブの独占的取材体制など新聞協会の既得権に手厳しい小沢一郎氏は、マスメディアにおもねる体質が色濃い政界にあって異彩を放っており、それが異常なバッシング報道を受ける大きな要因であることは確かだろう。


ちなみに、再販制度を所管する公正取引委員会の委員長、竹島一彦氏は大蔵省OBであり、読売新聞の社外監査役となった丹呉氏が、この方面でも一定の役割を果たすことになると推測される。


こうしてみると、強大な予算配分権の維持をめざす財務省は国家財政の危機を過大に喧伝して増税の必要性を唱え、現実に経営危機が迫りつつある新聞社とその系列のテレビ局を抱き込むことで、世論調査という擬似国民投票に右往左往する菅内閣が財務省の言いなりになる形をつくることに成功したといえる。
◇◇


18日の読売社説によると、日本新聞協会が青森市で開いた今年の新聞大会で、全国紙から「民主主義、文化の最低のライフラインを守るためには、軽減税率の導入が必要だ」との訴えがあったという。


もちろん読売だけの問題ではない。全国紙みな、そろいもそろって、恥知らずというほかない。「民主主義、文化の最低のライフライン」に全国紙がなっているかどうか、お得意の世論調査で調べてみてはどうか。


再販制度と特殊指定の特権など返上し、競争原理のもと、新聞をもっと買いやすい値段にすることこそ、「最低のライフライン」に近づく道ではないだろうか。


ライフライン、インフラ、民主主義、公共財…などと思いつく限り、我田引水の美辞麗句を並べ立て、国民をあざむいて、特権を守りたいという腹が透けて見える。


 新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)

手をつなぐおじさんの総裁選で蘇った自民崩壊のA級戦犯

民主党政権がお粗末なのはわかりきったことだが、候補者五人がもっぱら民主党批判を唱和して、それぞれの意見の違いをはっきりさせない自民党総裁選は、「手をつなぐおじさんの会」をことさら強調したショーのようで、気色の悪さといったらなかった。


民主党が喧嘩ばかりしているからといって、いまさら「一致団結箱弁当」を持ち出さなくてもよさそうなものだが、論争なき総裁選に傾けたマスメディアの異様な情熱や、野田首相が間髪を入れず安倍新総裁に祝いの電話を入れたという報道をながめるに、世の中やはり、「体制翼賛」に向かっているのかと、なおさら不気味に思える。


それにしても再び安倍晋三をトップに選ぶ自民党というのは、よほど寛容の精神の持ち主が多いとみえる。


参院選で「私をとるか、小沢さんをとるか」と国民に迫った末に惨敗、「安倍をとらなかった」民意を無視して総理の座にしがみつき、あげくの果ては、国会で所信表明までしておきながら、テロ特措法の延長に反対する小沢に以下のような恨み節を残して、唐突に政権を投げ出した。


「本日、小沢党首に党首会談を申し入れ、私の率直な思いと考えを伝えようと、残念ながら党首会談については、実質的に断られてしまったわけであります。先般、小沢代表は民意を受けていないと、このような批判もしたわけでございますが、大変残念でございました」


厚労省指定特定疾患の難病、潰瘍性大腸炎の持病が悪化したのが辞任の原因だったのだが、参院選と同様、嫌われ者「小沢」の名を出して自らをかばったのである。


もうあれから5年余りの時が流れたというのに、安倍の幼児性、あるいは「人のせい」にする性癖が改善されたとは思えない。


総理経験者として、いささか言動が軽すぎるのも気になるところだ。


彼は昨年5月20日、記者を集めて、菅首相の原発対応に関する、ある情報を吹聴した。その内容は、安倍が出したメールマガジンで知ることができる。




 安倍晋三です。

福島第一原発問題で菅首相の唯一の英断と言われている「3月12日の海水注入の指示。」が、実は全くのでっち上げである事が明らかになりました。

複数の関係者の証言によると、事実は次の通りです。12日19時04分に海水注入を開始。同時に官邸に報告したところ、菅総理が「俺は聞いていない!」と激怒。官邸から東電への電話で、19時25分海水注入を中断。実務者、識者の説得で20時20分注入再開。…しかし、やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だったのです。◇


鬼の首でも取ったような、この文面のはしゃぎようはどうだろう。実際には海水注入は続いており、ガセネタだったことがのちに判明している。


国会事故調報告によると、事実はこうだったようだ。


「12日19時04分に海水注入を開始。19時25分、官邸にいた東電の武黒フェローは、吉田所長との電話により海水注入の開始を認識したが、官邸にて海水注入のリスクについて検討中であったため、吉田所長に対していったん停止を指示した。吉田所長は、テレビ会議システムの発話上、海水注入の中断を命ずるも、実際には継続しており、海水注入は中断されなかった」


その後、筆者の知る限りでは、元総理として一定の影響力をもつ安倍がこの偽情報を公に訂正した形跡はない。人間の品格としていかがなものか。


どの候補者が総裁になっても、似たようなものであるが、もしもマスメディアが喧伝するように自民党政権が復活し、安倍が首相になるようなことがあったら、安倍版「決断できない政治」ショーの再現を、いやというほど見せつけられるに違いない。



 新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)