恍惚宰相、マー君を見よ
東北に縁もゆかりもなく知人もいない。楽天市場で買い物をすることもめったにない。
それでも、今年は楽天イーグルスの応援に力が入った。映画よりもドラマティックな日本一決定のシーンにしびれた。
昔、南海ホークスの鶴岡監督は「グラウンドには銭が落ちている」と言って選手を鼓舞したというが、短期決戦にのぞむ選手の心中は、ゼニカネのことなどどこかに吹っ飛んでいるだろう。
「勝ちたい」、というその一点に凝縮された選手ひとりひとりの心と体の激突が、想像をはるかに超える感動的な出来事を、ほぼ完璧といえるかたちで生み出してしまう。どんなシナリオライターがいかに筆を尽くしても、この迫力には及ぶまい。
そこには、ウソというものの介在する余地はない。真実のもつ迫力が、感動を呼ぶ。
未曽有の大震災で、肉親を亡くし、家を失い、いまも立ちあがれない方が大勢いる。楽天の勝利を願った多くの人々には、そういう思いがあったにちがいない。田中将大という日本のヒーローが、東北の球団から誕生したのも嬉しいことだ。
それは素直な日本人の心情だろう。かつて万年最下位だった球団が、巨人を打ち砕いて日本一になるという物語も痛快だ。
しかしそれ以上に、震災や原発事故で労苦を背負わされることになった人々に、「楽天、よかったね」「みんなもがんばって」と、心の中でつぶやける、ささやかな幸福感が日本中を包んでいるように思えるのがいい。
しかし、その熱くも爽やかな一陣の風が吹き抜けたあとに、欲ぼけた政治家や銀行家、企業人が、ウソ満載のくだらぬ議論をしたり、心にもなく「申し訳ございません」と頭を下げる姿をテレビで見るのは、いつも以上に不快である。
この気持ちは、公共事業ばらまき政策を復活させ被災地から復興の労働力を奪っている現政権と自民党に対するいらだちや、東京電力の隠ぺい体質への怒りと通底しているかもしれない。
福島の原発事故対応には、コストの勘定など度外視してベストを尽くさねばならない。
にもかかわらず、対策を小出しにして、いつも後手を踏み、汚染水漏れが深刻化している。戦力を逐次投入して失敗した旧日本軍のようだ。
東電が利潤を追求する普通の株式会社であるかぎり、経営の論理と事故収束への作業は、ねじれた関係のまま、そこから脱することはできない。
シビアアクシデントへの備えさえ不十分だった殿様商売の巨大電力会社が、人災というほかない事故を起こしたあげく、おカネが足りないからといって、懲りずにまた原発を動かそうとし、それがだめなら電気料金を値上げするしかないと国民を脅すような姿勢をとる。
その狂った姿勢を容認し、原発再稼働を進めようとする政府は、事故収束にも、廃炉にも、核のゴミの最終処分にも、なんら打つ手を見出し得ていないのが現状だ。
安倍政権はすみやかに東電を法的整理して解体し、事故対応にあたる部門を政府が引き取って資金や人材をさらに投入し、公的な組織として独立させるべきだ。
送配電部門を発電部門と分離し、送配電部門を政府が買い取って、電力の完全自由化を実現し、地域独占の廃止につなげるべきだ。
しかし、五輪招致のために世界に平然と大ウソのつける総理大臣をかかえていることは、この国にとってきわめて深刻な事実である。
自らの思想や政治行動にうっとりし、批判する人たちをいちいち攻撃する一方、賛同するメディアを大絶賛する“恍惚宰相”安倍晋三。
「積極的平和主義」という名の戦争肯定論を掲げ、米国との共同軍事作戦を進めるために特定秘密保護法の制定をめざすのは、平和を願う大多数の国民に対する大いなる欺瞞であろう。
被災地に希望の灯をともすのは楽天球団だけなのか。チームを日本一にするため、大リーグ挑戦前の身体さえも守ろうとせずに投げ続けたマー君の、うそ偽りのない白球の力を見よ。
楽天ナインを勇気づけた彼のような心意気を持つ政治家や財界人がこの国にもいないわけではないだろう。国家権力の手先となった大メディアが悪評を立てて邪魔をしなければ、ペテン、詐欺、ごまかしがまかり通る政界、官界、業界にも、多少はまともなリーダーが現れるはずである。
新 恭 (ツイッターアカウント:aratakyo)
消費増税いまからでも引き返すべきだ
ほんとうに景気が良くなるのかどうか、半信半疑のままアベノミクスとやらをにらんでいる。それがいまの国民多数の姿だろう。
消費税が上がるのは困るが、ひょっとしたら、これからの成長戦略で日本経済が大復活し、昔のような消費ブームがよみがえるのではないか。なかには、そんな幻想を抱いている人もいるかもしれない。
だが、肝心の成長戦略が言葉だけ踊り、実体が全く見えてこないのだから、期待しようにも、しようがない。分かっているのは日銀がお札をバンバン刷って国債を買い、政府が公共事業などのバラマキをやっていこうということだ。
そのうえ、社会保障はさらに削られる気配が濃厚で、アベノミクスの幻想から目覚めた後に残るのは、落胆と社会不安と、さらに膨れ上がる国、地方の借金だけではないか。原発の後始末まで考えると、とほうもなく憂鬱だ。
そのうち給料が上がるというという安倍首相のお題目も、多くの常識ある人々は空手形のたぐいに終わると思っているだろう。それでも、株が多少なりとも上がったりしているから、何となく上向いている気にさせられるところもあって一縷の望みを捨てきれない。
そもそも、熾烈なグローバル経済競争のもと、いかに人件費を抑えようかと苦心惨憺している企業が、それと逆行してでも給料を上げていくとは、とうてい考えられない。大多数が赤字の中小零細企業にいたっては賃上げなど、とんでもないことだ。
もちろん、安倍政権へのお付き合いで、ちょっとだけ一時的に上げてお茶を濁す大企業はあるだろう。
すでに、安倍首相に貢ぐかのように賃上げした大手コンビニがあるが、本部は高収益、フランチャイズ加盟店主は死屍累々という、コンビニビジネスだからできることに違いない。
トヨタがボーナス交渉に満額回答で応じたのも政権への協力姿勢をアピールしたものだ。石原慎太郎が「経団連のタヌキ」と称したご老人は「大変な英断」と、消費増税発表を手放しで喜んで見せた。
財界にとっては、法人税を減らし、消費税を上げてもらった方が都合がいい。
そもそも、消費税というのは、財務省が輸出大企業に巨額の輸出戻し税を還付して儲けさせ、恩を売るという側面がある。
下請けの中小零細企業に力関係を利用して値引きを迫る大企業が、仕入れにかかったという計算上の消費税分を戻してもらえるわけだから、消費税率が上がれば上がるほど還付金も増える仕組みで、大企業は笑いが止まらず、町工場は泣くという構図になっている。
管内に三井物産、三菱商事、新日鉄などの本社がある麹町税務署は、3000億円をこえる輸出戻し税を還付する仕事に、職員が追われているのが実態だという。
グローバル競争に勝ち抜くため、法人減税が必要で、その分を消費増税で補おうという政策的狙いもあるとなると、経団連など財界が消費増税を歓迎するのはあたりまえのことだ。
一方、中小零細企業は、消費税の納税者としての負担増にたえかねて、むしろ給料を下げる方向に動くのではないだろうか。
消費税の引き上げによって、破産や廃業に追い込まれる中小零細企業は加速度的に増えるおそれがある。
その分を、5兆円の公共事業で穴埋めし、ゼネコンやその下請けを儲けさせることによって、国全体としてはGDPが落ち込まないように見せかける算段なのだろう。
資本主義のもと、強い会社だけ残り、弱い業者は潰れればよい。おそらくそういう考えが政策の根底にあるのにちがいない。
世の中の多数を占めるのは、名も、チカラも、カネもない人々である。
消費税アップの根拠であったはずの社会保障が揺らぎっぱなしで、将来の生活が危ぶまれるというのに、国のトップの頭のなかは、中国を念頭に軍備を充実させてアメリカ軍と協力関係を強める体制づくりでいっぱいだ。
買う気を減退させる消費税アップは、いわばデフレ政策だ。紙幣を増発してカネ余りにし、円安、株高、物価高に誘導するインフレ政策のアベノミクスとは、本来相容れない。
それでも、消費増税に踏み切ったのは、カイル・バスら、日本国債のカラ売りチャンスを虎視眈々とねらっているヘッジファンドの連中を過度に恐れ、増税を見送れば国債が暴落するという強迫観念が財務省を発信源として、金融機関、政治家、エコノミスト、マスメディアの間に広がっているからだ。
まだ景気が本格的な回復軌道に乗っていない段階での消費増税が、アベノミクスに冷や水を浴びせるリスクを承知しつつ、安倍首相はそれに踏み切らざるを得ない状況に追い込まれたといえる。
霞ヶ関、永田町を覆う空気に圧され、失敗する確率のほうが高いのに、デフレ政策とインフレ政策をミックスするかのような矛盾した方策を採用してしまった。
金融と財政をフル活動させれば、消費増税によるデフレ効果は減殺されるのではないかという希望的観測で、エイヤッと未知の領域に突っ込んだのである。
決められない政治も困るが、博打のような政治はもっと困る。いまからでも引き返したほうが深手を負わずにすむのではないか。
新 恭 (ツイッターアカウント:aratakyo)
吉田元所長は現代版犠牲システムに殺された
福島第1原子力発電所の元所長、吉田昌郎の死因となった食道ガンと、放射線被ばくの因果関係はないと東京電力は言う。そう簡単に判断してよいものだろうか。
吉田所長の被ばく量が70ミリシーベルト。これは東電の隠ぺい体質のなかから出てきた数字で、あてにはならない。
原発作業員の被曝限度100ミリシーベルトを下回っているから問題ないというが、その説明も明確な科学的データにもとづくものではない。
ICRPが緊急時に100ミリシーベルトまで認めているというのが唯一の拠り所だろう。
文科省はこう説明する。「一般人の線量限度は本来、年1ミリシーベルトだが、ICRPは原発事故などの緊急時には年20~100ミリシーベルト、事故収束後は1~20ミリシーベルトを認めている」。
ICRPが許容放射線量の根拠にしているのは、広島、長崎の被爆者の健康被害データと、原爆投下時の放射線量の暫定的な推定値だ。福島が直面しているような「微量放射線」の影響を調査した結果にもとづくものではない。
広島、長崎の被爆者については、原爆傷害調査委員会(ABCC)が、白血病やガンなどの健康被害を追跡調査したデータがある。ところが、原爆投下時にどれだけの放射線量があったのかが定かでないため、放射線量と人体への影響についての相関関係を解明しきれていない。
ネバダなど過去の核実験の測定値にもとづいて、広島、長崎の放射線量を推定した値を、広島、長崎で集めた発病データにあてはめて、人体が放射線でこうむる影響を計算した結果が、ICRPの許容放射能の数値のもとになっている。
筆者の知る限り、微量放射線が人体に与える影響についての調査結果を人類にもたらしたのは1977年の「マンクーゾ報告」をおいてほかにない。
マンクーゾ博士が米・ワシントン州のハンフォード原子力施設労働者の健康被害を追跡した調査である。米政府・エネルギー省に「ペルソナ・ノン・グラータ」(危険人物)の烙印を押されたマンクーゾ博士から直接、話を聞いたジャーナリスト、内橋克人の著書「原発への警鐘」によると、調査結果の概略はこうだ。
◇1944年~72年に至る29年間に、ハンフォード原子力施設で働いた労働者2万4939人のうち、調査時点での死亡者3520名。そのうち白血病を含むガンによる死者670名。全米白人のガン死亡率より6%以上も高かった。
ガンで死亡した労働者が生前、職場で浴びた外部放射線量は平均1.38ラド、ガン以外の死者の平均線量は0.99ラドだった。ガンによる死者のほうが生前、40%多く放射線を浴びていたことになる。◇
放射線の単位であるラド、レム、シーベルト、グレイ、ベクレルはそれぞれ定義が異なり、単純に換算できないが、ここでは便宜的に、1ラド=0.01グレイ=0.01シーベルトとする。
ガンで死亡した労働者の浴びた外部放射線量1.38ラドというと、0.0138シーベルト、すなわち13.8ミリシーベルトである。もちろん年間の被曝量ということであろう。
そしてマンクーゾ報告はこう結論づける。「人間の生命を大事にするというのなら、原子力発電所の内部で働く作業従事者の被曝線量は年間0.1レム(1ミリシーベルト)以下に抑えるべきである」
わが国では、ICRPの勧告をもとに年間の放射線許容量として、一般人の場合で1ミリシーベルト、放射線業務従事者なら50ミリシーベルトという数字を採用してきた。
原発従事者でも1ミリシーベルト以下というマンクーゾ報告の結論からすると、吉田所長の浴びた70ミリシーベルトというのは、とんでもなく高い数字である。
しかし、原発で働く人の許容放射線量を1ミリシーベルト以下にしようと思えば、作業効率やコスト面などで難しく、現実の問題として、原発そのものを否定することにつながる。
当然、米国の国策にそぐわず、原発関係者や学者らから「科学的信憑性に欠ける」などと一斉攻撃を浴びて、マンクーゾ報告は米政府の手で抹殺され、学界の深い闇の底に葬られたのである。
筆者は、現代における「犠牲のシステム」を象徴するのが吉田所長の死であると受け止めている。
北朝鮮拉致被害者、蓮池薫さんの実兄、蓮池透さんが原子力燃料サイクル部長までつとめた東京電力を2009年に早期退職し、月刊誌「世界」2011年8月号の対談「東京電力という社会問題」で、次のような証言をしている。
「原子力は安いという神話がありますが、内部の雰囲気では逆ですね。原子力は故障ばかりで稼働率が上がらないうえに安全対策にも莫大なカネがかかる。資材部門からは原子力はカネがかかりすぎるとよく言われていました」
原子力燃料サイクル部長だった人物から、あっさり「原子力はカネがかかる」と、本音が飛び出してきたのは驚きだった。
「単価が火力と変わらないということになると、原子力の優位性が失われてしまいます。そこで、とにかく発電単価を下げるために、一時、コストダウンの嵐が吹きまくりました。…言うまでもなくコストダウンと安全性の確保は矛盾する要求です。安全性を犠牲にせずにコストダウンを実現しなければならない。そこが非常に難しい問題でした」
「今回も、無制限にお金をかけて要塞のような原発を築いておけば、あるいは事故は防げたかもしれません。しかし、東京電力は利潤を追求しなければならない民間会社であるわけです」
危険性を内包する原子力発電を推進するための最大のPR材料としてでっち上げた「安い発電単価」を維持するため、東電という会社が安全性よりもコストダウンに比重を置く経営戦略を進めてきたことをうかがわせる。
そのように作為的にひねり出したコスト等のデータを、寸分の疑いもなく官僚や学者らが受け取って、そのまま世間に垂れ流し、原子力は安いエネルギーであるということが神話化していったのだろう。
原子力事業は、国益の名のもとに経済的発展を優先してきた国家運営が内蔵する「犠牲のシステム」と深く結びついている。
犠牲とは「供犠」(サクリファイス)のことであり、もともとは神に生贄をささげることによって神の保護を獲得し、犠牲をささげる者が生き延びるという古来からのシステムである。
東京への電力供給の犠牲になってきたのがフクシマの人々であり、アメリカ軍への便宜供与の犠牲を強いられているのがオキナワの人々である。
大企業が世界競争に勝ち抜くための犠牲となっているのが非正規雇用の働き手であり、外資を含む大型小売店乱立の犠牲となっているのが、年々、減り続けている自営業者である。
福島第一をはじめとする各原子力発電所で、日常的に被曝を余儀なくされている作業員たちは、供犠システムにおける生贄の象徴と言うこともできよう。
社会に埋め込まれた供犠の構造と、事なかれ主義が結びついたとき、誰も責任を負わないまま、無数の人命が危険にさらされる。
- 小沢一郎の死闘1500日/新 恭
- ¥300 Amazon.co.jp
新 恭 (ツイッターアカウント:aratakyo)
自民党の脅しに屈した腰抜けTBS
なんという腰抜けだろう。TBSの報道局。自民党の言論弾圧に、いともたやすく屈してしまった。
「参議院で、野党が安倍首相の問責決議をした。そのために、電気事業法改正案や生活保護法改正案などの重要法案は廃案になった」。これが、安倍内閣と自民、公明両党の主張であり、大メディアのほぼ共通した論調である。
TBSも実は似たようなものなのだが、6月26日の「NEWS23」において放映された、自然エネルギー財団ディレクター、大林ミカの以下のコメントが、自民党幹部の気に障ったらしい。
「許せないですね。法案の採決を問責決議の前にしようという動きもあったわけだから、与党がそうしなかったのは、もしかしたら、もともと電力システム改革の法案を通す気がなかったということ。残念ですね」
ふつうに見れば、大林の認識が正しい。問責決議の前に法案を通そうと思えばできたはずなのだ。
民主党は自公両党と電気事業法改正案の修正で合意しており、法案を成立させたいという気は満々だった。問責を、法案潰しの理由に使われかねないと心配した細野幹事長は6月25日、自民党幹部に電話し、「重要法案を可決した後に、問責を採決すべきだ」と求めたが、「参院の議院運営委員会が決めることだ」とそっけない返事だったらしい。
多くの人が感じているように自民党は、電力会社の既得権を揺るがす電力システム改革にはあまり乗り気ではないようだ。
野党のせいで電力事業法改正案などが成立しないのであれば、改革に後ろ向きとみられて選挙に悪影響が及ぶこともない。ならば、むしろ首相の問責決議案を可決させて、審議できないようにし、重要法案を廃案にしてしまえばいい。自民党幹部がそう考えたとしても不思議はない。
参院の議運委員長は自民党の岩城光英だ。自民党に本気で電力改革をやる気があるのなら、委員長を動かして、問責決議を法案審議のあとにまわすことはさほど難しいことではなかったに違いない。自民党と民主党が合意すればできることであろう。
全ては自民党の思惑通りにコトが運んだ。国会が閉幕した26日の夜、記者会見した安倍首相は、問責決議に関し、こう語った。
「まさにこれこそがねじれの象徴だ。残念ながら電力改革など、重要な法案が廃案となってしまった。景気回復と復興を加速させていくためにも、ねじれを解消しなければいけない」
つまり、参院がねじれているゆえに野党の妨害にあい重要法案が通らないのだから、自民党が大勝利するよう協力をと、有権者に呼びかけているのである。野党を悪者に仕立て上げるハラの中が見え見えだった。
自民党は先述したように「問責決議のために重要法案が廃案になった」と“大本営発表”をし、多くのメディアがこの理屈を受け入れた。
大林のようなまともな意見を紹介した大メディアは「ニュース23」だけだったのだろうか。だとすれば、この国のメディアはほんとうに腐っている。
いろいろな見方を取り上げるのがメディアの責務であり、大本営発表を鵜呑みにするほうが恥ずべき姿であろう。
にもかかわらず、この放送に対して6月4日、「公正さを欠いた報道だ」といちゃもんをつけ、取材を拒否すると言い出した自民党に恐れをなしたのか、TBSはその翌日、さっそく西野智彦報道局長名で「指摘を受けたことを重く受け止める」との文書を提出し、「謝罪ではない」としながらも、事実上、詫びを入れるかたちになった。
安倍首相はBSフジの番組で「事実上の謝罪をしてもらった」と語り、取材の御法度を解いたが、なんとも後味のよくない結末だ。
それにしても、小沢一郎へのでっち上げ捜査に捏造ビデオまでつくって加担したテレビ局が、いまだその犯罪的行為に謝罪の一つもせず、のうのうと放送事業を続けていながら、自民党に取材拒否の脅しをかけられたとたん、ヘナヘナと媚びへつらう姿は醜悪そのものである。
謀略が見え透く政府与党の“大本営シナリオ” を、そのまま社説の筋立てに使う大新聞も含め、この国のメディアはどこまで骨抜きにされるのだろうか。
新 恭 (ツイッターアカウント:aratakyo)
- 小沢一郎の死闘1500日/新 恭
- ¥300 Amazon.co.jp
日本維新の会は分裂するのが自然だ
自然の成り行きなのだろう。「日本維新の会」の亀裂が深刻になってきた。石原慎太郎にとって、逆風にさらされる橋下徹など、一銭の値打ちもないと見切ったのか、「終わったね…この人」。
上昇を続けてきた「橋下相場」が急落するきっかけをつくった当の本人からそんな風に言われたら、いくらその甘言にほだされてご老体とその連れを迎え入れた自業自得とはいえ、橋下も切れやすい性分を丸出しにせざるをえなかったのだろう。
「では、代表を辞めればいいんですか」と、売り言葉に買い言葉。
いやはや、政治家もこのレベルになると、落語の「熊さん・八っつぁん」と話の中身は似通っていても、愛嬌もなく、人情もない分、どうにも始末に負えない。
人間、絶好調のときがいちばんの危機だというが、橋下維新の会はその見本だった。
人気があったり、カネをたっぷり持っていたり、とにかく勢いがある人間の周りには、どこからともなく、いい話だというふれこみで、人がすり寄ってくる。
「橋下さんは義経、私は弁慶だ」と大阪市長を持ち上げ、「彼は首相になるべきだ」と甘言を弄してにじり寄ったのが石原慎太郎だった。
何のことはない、早くも弁慶が頼朝に豹変したようだ。もっとも、天下などとれそうにもない頼朝ではあるが。
選挙目的でにわかにくっついた烏合の衆は、いずれ分裂するのが通り相場だ。橋下が慰安婦発言などで落ち目と見るや、今度もまた選挙を前に、「終わったねこの人」と、自分を棚に上げたまま唯我独尊の境地にひたりきる。
衆院選で石原と組むために「脱原発」の旗を降ろし、改革派というより守旧的な色を自らに塗りたくってしまったうえ、戦前の日本軍の慰安婦制度を容認するがのごとき発言をしてしまう橋下の自損行為は、その粗暴と稚拙さゆえにまだ同情する余地がある。
しかし、石原慎太郎は狡猾で悪質だ。都知事をやめた今となっては、地方分権など彼にとってはどうでもいいのだ。とにかく、憲法9条を改正し、核兵器を持ち、軍事力を背景に米国や中国と渡り合う国にしたいのだ。
戦前の日本軍の行動を「侵略」ではなく「防衛」だと主張する。それが「侵略」を認める橋下と決定的に違うところだと、今になって言う。だが、そんなことはハナからわかっていたはずである。とにかく人気のある橋下にあやかり、「維新」の看板が欲しかっただけであろう。
もし橋下が、有名人と手を組もうなどとせず、大阪の改革を一つ一つ着実に成し遂げる姿をメディア通して発信し、国政への未知の期待感を高めてゆくことに徹していたら、「維新」という言葉が簡単に色あせることはなかったかもしれない。
大阪市長を一期、しっかりとつとめあげ、市政改革の目標を遂げたうえで国政選挙に打って出る。それまで「維新」は地方に徹する。その当たり前の筋道をはきちがえ、国政にはやったから、焦りが生まれ、石原らすでに「終わっている」人たちをどさくさに紛れてすべり込ませる隙をつくってしまったといえる。
「日本維新の会」はいったん解体し、新たに出直すほうがいいのではないだろうか。
なお、慰安婦発言についての筆者の感想は「永田町異聞メルマガ版」5月23日号に「橋下徹氏への手紙」というタイトルで書いたので、ご参考のため下記に転載しておきたい。(ツイッターアカウント:aratakyo)
◇◇◇◇◇◇
日本維新の会共同代表 大阪市長 橋下徹 殿
拝啓 青葉の間から目の覚めるようなシャクナゲの花が開いています。微風さわやかな季節、大阪の改革は順調に進んでおりますでしょうか。
いつもながらの舌鋒で、マスコミをこき下ろしつつ、巧みに利用する貴方の手法。興味深くテレビ画面を拝見しております。
さて、このたび貴方の慰安婦に関する発言がマスコミに大々的に取り上げられました。中国、韓国はおろか、アメリカやヨーロッパのメディアからも批判の矢を浴びていること、そしてその釈明に追われておられること。ご心痛、いかばかりかと、お察し申しあげます。
最初に申し述べておきますが、私は貴方を非難するためにこの手紙を綴っているわけではありません。貴方はたいへん勇気のある人だと思っております。タブーに挑戦する言説に、爽快感をおぼえる人も多いでしょう。
人間の本能とモラル、そして政治の問題を混同されたのでしょうか、今回の「慰安婦発言」も、まるで何も知らない少年のようなある種の無邪気さが感じられて、私個人としては微笑ましくもありました。
兵隊には慰安所が必要で、他国の軍隊にもそういう所があった。なのに、なぜ日本だけが非難されなくてはならないのか。侮辱され続けるのは嫌だから、言うべきことは言う。そうおっしゃりたいお気持ちはよくわかります。私も日本人ですから。
ただ、この考え方は失礼ながら、いささか幼稚だとも思えるのです。なんで、僕らだけいじめられるのだと、駄々をこねている子供のように見えるのです。あるいは、どんなに悪いことでも、みんながやっているのだから、自分もやっていいというふうにも聞こえます。悪いことは、やはりやってはいけないのです。他人がどうであろうと。
貴方のこだわる教育論においても同じでしょう。戦争は人殺しです。人の命は何より大切です。性の売り買いをするのは、とても人に言えない恥ずかしい行為です。それは自明の理のはずです。
しかも、重要な問題は貴方が子供ではなく、政治家であること、しかも大きな政党の党首であることです。つまり、子供じみた戯言ではすまされないということ。政略、戦略を必要とする立場にあるということです。
貴方は男の本能、すなわち性的欲望の処理が兵士にとって必要だとして、戦前の日本軍の慰安所を容認し、今の沖縄の米軍に風俗店の利用を勧められました。その後、ツイッターで弁明、強弁にいそしみ、テレビに出演して真意の説明、イメージ修正につとめられておりますが、要は上記のようなことだと思います。
確かにおっしゃることも、一つの理屈です。戦地で女性にふれあうことのない若い兵隊さんたちにとって、もてあます性的エネルギーをどう発散するかは、かなり切実な問題でしょう。中には自己抑制が利かない者がいて、一般女性への暴行事件にもつながりかねません。
ですが、私にはどうしても合点がいかないことがあるのです。「慰安婦」という売春制度を設けてまで、進めていかねばならなかった「戦争」とはいったい何なのでしょうか。
もちろん、「売春」という行為は現在に至るまで人間の歴史のなかでたえず行われてきた。その事実は直視しなければなりません。きれいごとで解決できるものではないでしょう。
私の知り合いの市役所職員は、さる英語圏の姉妹都市からやってきた市会議員団のメンバーに依頼されて、看板だけ料亭ながらいまも営業を続けている有名な遊郭へ案内したといいます。その外国人たちがプロテスタントか、カトリックか、それ以外かは知りませんが、実態はそんなものです。
しかし、「慰安婦」は戦争にかかわる制度そのものなのです。戦前の教育で気持ちを高ぶらせ戦場に駆り立てられた大半の日本兵は、国家の指導者たちが進めた政策の、いわば被害者です。
彼らを癒したいという使命感に燃えたのか、ただカネのためなのか、あるいは貧困の故なのか、動機は何にせよ新聞の募集広告を見て集まってきた女性たちも、軍部がつくった戦争のシステムに組み込まれたのだと思います。
そのことについて、現代の日本国民としての冷静な省察を抜きに、慰安婦はどこの軍隊にもつきものだという理由で、日本だけを批判するなと主張するのは、やはり政治家の発言として、いささか品位に欠けるのではないでしょうか。
勝った国は侵略にならず、負けた国だから侵略の汚名を受け入れなければならないという考えにも疑問があります。勝っても負けても侵略は侵略です。連合軍に加わった国々も侵略をしてきたのです。どちらの側にしても、戦争をすること自体が悪なのです。
勝者の側にいるから、戦犯として軍事裁判にかけられ罪に問われることがなかったというだけのことです。
張作霖爆殺事件、満州事変、そしておそらく上海事変も関東軍の謀略で引き起こしたものです。この一連の事変を経て日中戦争が起こり、泥沼化して、対米英の戦争につながりました。言わずもがなの歴史的事実です。
貴方は「実際に多大な苦痛と損害を周辺諸国に与えたことは間違いない」と言います。ですが、あの戦争が間違っていたと思っているのでしょうか。ほんとうに思っているのなら、慰安婦という制度も否定しなければなりません。
ソ連は慰安婦の制度はありませんでした。スターリンは戦地での強姦を黙認しました。これは犯罪行為です。満州で日本人女性も被害に遭いました。ですが、ソ連がそうだからといって、強姦を防ぐために軍が慰安所を設けたのだと、正当化することはできないはずです。
政治家は建前でものを言います。嘘もつきます。インチキ政治家はほんとうに数多い。その点、貴方は正直だと思います。しかし、政治家は大衆をリードするために、愚痴や怒りではなく、高邁な理念を掲げることも必要です。
政治家が掲げるべきは、戦争のない社会をつくるためにどうするかというビジョンです。戦争をしないための方策、戦争にかかわる犠牲者をつくらないための処方ではないでしょうか。
加害者が加害を過少に申告し、被害者が被害を過大に申し立てるというありきたりのことにいちいち反応していては、きりがありません。
とはいえ、マスコミはしばしば事実を歪めます。
たとえば、吉田清治なる元日本軍人の怪しげな告白本により、朝鮮人女性を拉致して強制的に慰安婦にしたという話が世界中を一人歩きしました。朝日新聞がよく調査もせず、この問題を執拗に取り上げたことが一人歩きの原因です。
そうこうしているうちに被害者を名乗る女性が現れ、補償請求裁判や支援運動が活発化し、日韓の深刻な政治問題になっていったのは、両国にとってまことに不幸なことです。
私も吉田氏の記述には強い疑いを持っております。日本の軍人や慰安婦を集めた業者には不埒な輩もいっぱいいたでしょうが、朝鮮側や運動家たちが主張するほど多くの女性が強制的に連行されて慰安婦にされたとは容易に信じられません。
ただ、強制があったかどうかという問題と、軍に慰安婦は必要だったということとは、全く別次元の話です。
慰安婦にするために誰かが女性を拉致したとすれば、それは犯罪です。制度ではありません。
一方、戦争を遂行する便宜のために慰安所をつくり女性の性を用いたというのは、制度の問題であり、それを裁可した国家や軍の指導者たちのモラルが劣悪だったということです。
いまや影響力のある政治家になった貴方が、過去のこととはいえ戦争に付随する慰安婦制度を肯定的に語ることは、それこそ日本が世界にさらに誤解される材料となっても、理解につながるということはありえません。せいぜい国内外の反日勢力に利用されるのがオチでしょう。
それと、米海兵隊に風俗店の利用を勧めたという件。貴方はその後の記者会見で「国際感覚が乏しかった」と、表現のまずさを認めたようですが、そもそも、そんなことを政治家が言わなくとも、利用したい兵士は利用しているでしょう。
つまるところ、あの慰安婦や風俗店についての発言は、守旧的な思想の匂いをプンプン漂わせるものとなってしまいました。
維新の会の綱領の下記の第一項が、いかに石原慎太郎氏の偏狭なナショナリズムにむりやり押し込まれたものであるにせよ、共同代表である以上、あなたの考えも同じとみられます。
「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる」
この、いかにも明治憲法に憧憬と郷愁を抱くかのような国家主義的綱領をもとに憲法を改正し、戦争放棄をうたった現行の憲法第九条を捨て、自衛隊を普通の軍隊として働かせるおつもりでしょうか。まさに貴方が米軍に提案したように、風俗業を利用して隊員の士気高揚をはかるというシステムが必要になるのでしょうか。
決めつけるわけではありませんが、貴方にはどうしても二面性を感じてしまいます。改革者としての顔と、守旧的な面影です。
この国の中央集権的な官僚統治機構を解体して、地方分権を進めるという姿勢には共感します。権力に群がって利をはかる欲張りな連中をのさばらせてきた霞ヶ関体制を破壊していただきたいと思うのです。
しかし一方で、血判状で徒党を組むことに美を見いだす石原慎太郎という国粋主義的な政治家と結び、憲法改正を唱え、安倍晋三氏と同じように、古めかしい教育論をぶつ貴方の姿を見ていると、反動のための改革ではないかと疑いたくもなるのです。
それにしても、貴方がいかに否定しようと、改革とは対極にある石原慎太郎氏とその連れのベテラン政治家を組み入れた「維新の会」は、大方の予想通り自民党の補完勢力になり果て、参院選を前に特徴がすっかり消え失せて、貴方と松井幹事長の苦りきった顔ばかりが思い浮かびます。
平気で差別発言をして恥の上塗りをした西村真悟という札付きの極右政治家が、石原氏や平沼赳夫氏らに紛れ込んで維新の会に入っていたというのも、もとはといえば、貴方と松井幹事長の判断が甘かったということなのでしょう。
いまさら彼らと決別するのは難しいかもしれませんが、貴方には今一度、しっかりと政略を練り直す必要がありそうです。
もはや改革派の過去官僚は遠ざかりつつあり、貴方の周りにへばりつくように残っているのは、貴方の人気を当てにしている者ばかりに見えます。
そういう意味では、貴方の人気がいったん凋落することこそが、彼らをふるい落とすチャンスとなるでしょう。そこから、政策を練り直して、一から再スタートするのもいいかもしれません。
いや、これは長々と差し出がましいことを申してしまいました。これから暑い、熱い、夏の陣を迎えます。どうか、ご自愛いただき、大阪のために、国のために、ご尽力いただきますよう、切にお願い申し上げます。
2013年5月
新 恭
何か変、安倍首相の東京ドームパフォーマンス
長嶋はなつかしい。松井はすごい。二人の師弟愛に感動した。始球式も、スピーチもよかった。
だけど、なにか変だ。なぜ、安倍晋三がユニホーム着て始球式の審判なんかやってるんだろう。
「文句なしの国民栄誉賞、みなさんそう思いませんか!」。
どうして、満員の観衆に得意げに呼びかけるんだろう。賞を与えることを決めた権力者だからこそ、さりげなく表彰状を渡して、すっと消えればよかったのに。
そうすれば、多少なりとも、謙遜で控えめな「美しい国、日本」の心が、グラウンドに残っただろう。
「家族は、互いに助け合わなければならない」などと、教育勅語の「父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ」を思い起こさせる憲法改正の草案をつくって、道徳を押しつけようとしなくとも、首相たる者、自らの言動で国民に模範を示すことができよう。
だいいち、憲法は国民が為政者に好き勝手させないよう縛るものだ。つまり為政者が守るべきもので、国民が守るべきものではない。国民が守らねばならないのは法律だ。
それなのに、「家族は助け合え」なんて憲法は、押しつけがましく、おせっかいもいいところだ。
マグナカルタだって、イングランド国王の権力を制限したゆえに意味があったのだし、だからこそいまでも英国の憲法を構成している。
今の憲法を考えたベアテ・シロタ・ゴードンらGHQの若手メンバーは日比谷図書館、東京大学など焼け残った図書館をまわって、マグナカルタやアメリカ憲法、ワイマール憲法、フランス憲法、スカンジナビア諸国の憲法などを短期間で調べ上げ、平和と人権を守るための憲法作成をめざした。
日本政府が出してきた憲法草案、いわゆる「松本試案」は、「天皇は君主にしてこの憲法の条規に依り統治権を行ふ」などとし、明治憲法の域を出る内容ではなかった。
よく「一方的に押しつけられた憲法」と安倍首相や石原慎太郎ら改憲論者は言うが、日本政府の憲法草案が採用されていたほうが良かったとでも思っているのだろうか。
参議院選が迫っている。安倍首相はクレムリンで政治ショーをし、東京ドームを埋めた観客に向け、偉大な二人の野球人を利用したパフォーマンスを演じた。
選挙に向けた人心操縦はうまくいってますかと、このところ鼻高々の安倍宣伝隊長、世耕弘成に聞いてみたい。
新 恭 (ツイッターアカウント:aratakyo)
「一票の不平等」温存法案が衆院通過
2012年の総選挙を「無効」と断罪した歴史的な高裁判決は、どの地域に住んでいようと投票の価値は同じでなければならないという「平等」原則のもとに、選挙区割りの抜本的な是正を求めたものだろう。
田舎の人は重い1票、都会の人は軽い1票というのでは「すべて国民は、法の下に平等」という憲法の定めに違背している。
その不平等を是正するには程遠い「0増5減」の公職選挙法改正案が衆院を通過した。
この法案は、山梨、福井、徳島、高知、佐賀の各県の定数を3から2に減らし、小選挙区の定数を295にするほか、最少選挙区・鳥取2区の人口29万1103人より最大でも2倍未満の格差におさまるるよう東京、千葉、神奈川、兵庫などの線引きを調整したものだ。
自民党は、衆議院議員の定数をまず都道府県に1人ずつ割り振り、残りの定数は人口比例によって配分するという「1人別枠方式」を温存したまま、格差2倍未満におさめるための「0増5減」でお茶を濁そうとしている。
まさしくこれは弥縫策であって、2倍未満なら良いという言い分には何ら根拠がない。法と平等に対するこの曖昧でいい加減な姿勢が、日本を民主主義の二流国たらしめているのだ。
議員定数訴訟の弁護士グループがしばしば例に挙げる米ペンシルベニア州では、最大人口の選挙区と最小人口の選挙区の差はわずか9人だったにもかかわらず、2002年、不平等だとして連邦地裁に提訴された。
裁判所は三週間以内に新たな区割り法を制定するよう州議会に命じた。州議会がつくった新たな区割り法により最大人口の選挙区と最小人口の選挙区の差は、たった一人になった。
同じ民主主義国家でありながら、「一票」の価値に対する意識がまるで違う。独立戦争などを通じて市民が権利を勝ち取ってきた国家と、民主主義を輸入した国の違いと言えばそれまでだが、丸山真男が名著「日本の思想」で指摘したように、日本人には「である」論理がいつまでもしみついていて、「する」論理がなかなか育たないということも、いまだ課題として存在するのではないだろうか。
「である」論理は、いわば封建時代のように身分や地位など、ある「持続的な状態」を重視するものといえる。大会社の社長「である」とか、高級官僚「である」とか、代々の政治家の家系「である」とか、状態や属性が価値を持つ。
それに対し「する」論理は、努力に光をあてるものである。自由と民主主義を自明のものとして権利の上にあぐらをかき、権利獲得の努力を怠っていれば、いつの間にか与えられていたはずの権利まで奪われかねないという警告を含んでいる。
そうしてみると、元最高裁判事、福田博が、著書「世襲政治家がなぜ生まれるのか?」というタイトルで、一票の格差問題を本にしたのもうなずける。
福田は、二世、三世議員が急激に増加する原因は、今の選挙制度にあると指摘する。選挙区割りがめったに変わらないから、親の後援会組織、すなわち地盤を引き継ぎやすい。まさに「である」組織を未来永劫続けさせようとするかのような制度ではないか。
こういった問題も日本の政治を既得権勢力から解放できない要因になっている。地盤、看板、カバンの三バンが揃っていることが当選の条件になるような選挙制度は、政界に新風を吹き込む人材の出現を妨げる元凶である。
この国の民主主義を本物にするには、国会はもっと真摯に投票価値の平等という課題に向き合わねばならない。
新 恭 (ツイッターアカウント:aratakyo)
TPPを国家百年の計という安倍首相の道化ぶり
多国間のTPP交渉に日本が参加するのに、なぜか米議会という閻魔大王の許可を得ねばならぬらしい。
大王にお目通りさせてもらうのに貢物が必要というわけで、日本政府は、これから先も自動車の不公平関税に耐え続ける約束を泣く泣く差し出した。
そのかいあって、米政府と合意文書を交わし、日本のTPP交渉参加を認めるかどうか米議会に諮ってもらえることになったが、「TPPは国家百年の計だ」と手放しで喜んでみせる安倍晋三首相は、とんだ道化を演じていることに気づいているのだろうか。
強大な軍事力を背景に、他国の関税や規制を都合よく取っ払わせて、自国のグローバル企業の海外戦略を後押しする米国の新帝国主義にねじ伏せられ、誰がどこから見ても、米国の言いなりとしか思えない日米の合意文書を発表した。
その4月13日、甘利経財再生相は記者会見で「参加が遅れた分だけ交渉相手国も多く、主たる交渉国である米国の注文も多い」と、言い訳がましい感想を述べたが、これも嘘っぱちだ。
民主党政権で参加への合意が交わせなかったのは、最初から米側の注文が多かったからであり、遅れたから注文が増えたわけではない。
そのことは、前政権で中枢部にいた政治家がよく知っている。
野田政権当時の民主党政調会長、前原誠司は、3月11日の衆議院予算委員会で、「あまりにも米国側の要求が不公平だったから交渉参加を表明できなかった」とTPP事前交渉の中身を披瀝した。
「車の関税をすぐにゼロにしないで猶予期間を設ける、安全基準は米韓FTAのように枠を設ける、保険ははじめは、がん保険等だけかと思ったら、学資保険の中身を変えるなどと、いろいろ言い出した」
日本においては、完成車に対する輸入関税はゼロだが、米国では乗用車で2.5%、トラックだと25%もの関税がかけられている。だから、ピックアップトラックで稼ぐフォードなどは日本のTPP参加に強く反対してきた。
日本政府と米通商代表部による事前協議は昨年2月以降、水面下で続けられ、乗用車への2.5%の関税を5年超、トラックの25%はなんと10年も残すことを米側は要求してきた。
こうした要求に対し、野田政権は「イエス」と言わなかったと前原は言う。ところが安倍政権はこれを受け入れ、このたびの下記の合意にいたった。
「米国の自動車関税がTPP交渉における最も長い段階的な引き下げ期間によって撤廃され、かつ最大限に後ろ倒しされること、及び、この扱いは米韓自由貿易協定(FTA)における米国の自動車関税の取り扱いを実質的に上回るものとなることを確認する」
これまでの参加各国のTPP交渉で「10年以内の関税撤廃」という方針がほぼ固まったという。それから判断すると、「最も長い引き下げ期間」「最大限に後ろ倒し」という文言によって、10年間、米国の自動車輸入関税は据え置き、あるいはそれに近い条件となることを日本側が呑んだと考えられる。
自動車での譲歩は本来なら、交渉の本番にそなえ、いざという時の取引カードとして大切にとっておくべきものだろう。その重要な武器を入り口で取り上げられたのでは、丸腰で戦いにのぞむようなものだ。
米側の言い分はこうだろう。とりあえず、うるさい米議会のお許しが出るように、自動車の件だけは譲歩してくれないか。あんたところのコメなどを高関税のままにするということになると、議会はよけい強硬になって、どうにもならない。だからそれは、今後の交渉のなかで話し合おうじゃないか。
経済にはいたって貪欲な日本人を侮ると痛い目にあうことも米国人は十分に知っている。軍事こそ在日米軍による占領状態を続けても、貿易では摩擦を繰り返してきた。だからこそ、規制緩和、市場開放を要求する構造協議を必死になって続け、小泉構造改革という果実も得たのである。そして最後の仕上げがTPPということなのだろう。
日本という国をアメリカ型ルールの押しつけで、ようやく社会まるごと再占領するチャンスが訪れたといえるのではないか。
自由貿易交渉で米側の要求に屈した身近な先例は米韓のFTAであろう。簡単に言うならFTAは2国間、TPPは多国間の協定で、いずれも物品だけでなく、金融、投資、政府調達、労働、環境など幅広い分野にわたって自由な経済交流にとっての障壁を取り除き、連携するのが目的だ。
韓国がどれだけ不利な条件をのまされたかは、米韓FTAの内容を仔細に分析すれば明らかだが、2012年11月に韓国メディアで報道された事実は、米韓FTAの実態を韓国国民が実感するのに十分すぎるほど衝撃的だった。
韓国政府は、CO2排出量が少ない軽・小型車の購入者に50万~300万ウォンの補助金を支給し、排出量が多い中・大型車には逆に50万~300万ウォンの負担金を課すという制度を2013年7月に導入する計画だったが、米韓FTAが禁じる「貿易の技術的障害」(TBT)に該当するという米側の指摘により、2年後に先送りした。
あえて言えば日本の「エコカー減税」に似た制度だが、CO2排出量の多い米国車が「負担金」を課せられるのを嫌がり、米国側がFTAのなかの条項を持ち出したかっこうだ。
その結果、韓国は、車の排出量や安全の基準について米国の方式を採用しなければならなくなった。つまり、環境や安全を自国の基準で守ることができなくなったのだ。
それにしても、この制度を「貿易の技術的障害」(TBT)とする判断がよくわからない。低炭素の自動車を普及させる政策は良いことであり、それが市場アクセスの障害だというのは、米自動車業界の自己中心的なソロバン勘定による屁理屈に過ぎない。
こういうことで、国の主権が制限されるとしたら、「自由貿易協定」という美名に隠された米国の新たな植民地政策と言っても差し支えないのではないか。これとほぼ同じような協定がTPPという名で結ばれようとしているのだ。
この「低炭素車協力金制度」に対し、米国側が米韓FTAの投資家対国家紛争解決条項(ISD条項)に基づき、制度の停止・変更、または損害賠償を求める訴えを起こす可能性も指摘されていた。
ISD条項は、ある国家が制定した政策によって、海外の投資家が不利益を被った場合に、世界銀行傘下の「国際投資紛争解決センター」という第三者機関に訴えることができる制度を定めている。
審理の焦点は「政策が投資家にどれくらいの被害を与えたか」という点に絞られ、「政策が公共のために必要かどうか」は考慮されない。
この条項は、米国、カナダ、メキシコの「NAFTA」(北米自由貿易協定)でも導入されているが、公益と投資家の利益が真っ向から対立し、矛盾を露呈している。
たとえば、カナダでは、PCB廃棄物を米国に運んで処理していたアメリカ系企業がカナダ政府の廃棄物輸出禁止措置で事業を継続できなくなった。企業はこの措置で不利益を被ったとしISD条項を盾にとって提訴した。仲裁廷はカナダ政府に賠償を命じた。
メキシコでは、アメリカの企業が、ある市で廃棄物処理施設の建設許可を得ていたメキシコ企業を買収した。 市民の建設反対運動が起きたため、市は建設中止命令を出した。 操業停止に追い込まれた米企業は提訴した。 仲裁廷は、市の対応が国際法に違反しているなどと認定しメキシコ政府に賠償を命じた。
TPPにこのISD条項をねじ込めば、米国は自国企業と株主が訴訟を武器として利益をはかる仕組みをつくることができる。
TPP交渉の中身はつまびらかにされておらず、多国間の協定でもあり、米韓FTAやNAFTAと必ずしも同じようになるとは限らないが、これまでに米国が結んだ自由貿易協定の経過や実態を見る限り、主導権を握る超大国アメリカの企業に有利に運ぶことは避けられそうにない。
新 恭 (ツイッターアカウント:aratakyo)
TPPは「自由」という名の「縛り」である
総選挙では、膨大な農業票をあてこんで、いかにもTPP交渉参加に反対であるかのごとくふるまい、政権をとるや、手のひらを返すように玉虫色の日米共同声明を出して、「聖域なき関税撤廃が前提でないことが明確になった」と芝居じみた宣言のもと、TPPを進めようとする。
この欺瞞に満ちた安倍外交について「首相の姿勢を評価する」(朝日)、「満額回答」(産経)などと、大メディアはこぞって歓迎し、財界と農協の意見を前面に押し出して、いかにも自由貿易か、農業保護か、という単純な問題であるかのような印象をふりまいている。
TPPというのは、「自由」という名の「縛り」であるという側面について、しっかり伝えている記事にはほとんどお目にかからない。
多国間の関税や非関税障壁を撤廃する新ルールを設ける。その代わりに、各国がその文化、社会、精神的伝統を土台に長年かかってつくり上げてきた独自ルールを捨てることになるかもしれない。それは、国の政策的自主性、自由度を犠牲にするに等しい。
別の表現をするなら、世界をまたにかけてマネーを追い求める企業のために、その邪魔になる壁は取り払おうという合意でもある。
大メディアは、経済を成長軌道に乗せるのにTPP参加が必要であり、そのためには国内の規制改革にともなう一時的な痛みを甘受すべきだと主張する。しかし、新ルールづくりは、アメリカンスタンダードに近づけてゆく作業であるに違いない。
医療分野について考えてみよう。日本医師会も農協と同じで、既得権を死守しようとする集団であり、国のかたちを変革し時代に適応しようとするムーブメントに逆行する存在として筆者はつねに批判的に書いてきたが、下手をすれば世界に誇る国民皆保険制度が崩壊するのではないかという危惧においては、同感である。
そもそも昨今の「医療崩壊」といわれる状況をつくり出した元凶は、小泉政権の米国追随、新自由主義的政策による医療制度改革といっていいだろう。
小泉政権は2003年からサラリーマンの医療費自己負担率を2割から3割に引き上げ、算定方式も月収ベースから賞与込みの年収ベースに変更した。そして、06年には高額療養費の自己負担限度額を引き上げた。
その一方で、小泉政権は病院や開業医に対する診療報酬を大幅に引き下げたため、地方の病院を中心に経営が急速に悪化、閉院が相次いだ。同時に断行された臨床医研修制度改革により、従来は大学の医局によって配属先の病院を決められていた研修医が自由に病院を選択できるようになった。
結果として、大都市圏の先端医療設備を有する病院に若手医師が集中し、地方の大学病院や公立病院では医師不足が社会問題化した。
その影響で医療現場は過酷さを極め、医療訴訟の増加で産科、小児科、脳外科医の医師たちが現場から立ち去るケースが目立ち始めた。
医師の偏在により、大都市と地方の医療格差が広がり、エスカレートする人手不足によってますます医療ミスが起きやすくなるという悪循環を招いている。
このうえに、米国が要求する株式会社の医療参入、混合診療の解禁を認めたら、国民がほぼ同水準の医療の恩恵に浴し、かろうじて保ってきた社会の安定はそれこそ一気に崩れ落ちる危険性がある。
小泉ー竹中改革が、米国から毎年突きつけられる年次改革要望書に沿って行われ、その代表例が郵政民営化であったことは今や多くの国民が知るところとなった。
郵政民営化で特に狙われたのが簡保であり、米政府、議会の背後で強力なロビー活動をしていたのが米保険業界であった。
高齢者を中心に患者の治療費自己負担率を引き上げることに力点が置かれた小泉医療改革において、もっともその実現を渇望していたのが米保険業界だったことは明らかだ。
小泉首相直属の規制改革・民間開放推進会議の理論構築を担っていた八代尚宏は著書「規制改革」のなかで、「患者の自己負担率が高まれば…自己負担分をカバーするための民間保険が登場する」と書いている。
米国の病院ビジネスから見ると、高所得者の多い日本は魅力的な市場だが、いまの制度のままでは儲からない。
そこで当然、米国は株式会社の参入とともに、日本で禁止されている混合診療の解禁を求めてくることは疑いようがない。
混合診療とは、保険の適用範囲分は健康保険で賄い、範囲外の分を患者自身が支払うシステムだ。
日本の現行の制度では、保険適用の一般的な診療か、適用外の自由診療かの、どちらかしかない。もし、患者から保険適用外の費用を徴収する場合は、初診にさかのぼり全てを自由診療として、全額患者負担としなければならない。
もともと小泉規制改革で持ち上がった混合診療には、保険外診療の枠を広げる、すなわち患者の自己負担を拡大して、国の負担を大幅に減らそうという魂胆があった。しかし、それは日本の財政問題であると同時に、米国の医療、保険業界の狙いとも一致していた。
株式会社が病院を経営するというだけなら、形式的に非営利というだけの医療法人の場合と、儲けの度合いにおいてはさしたる変わりはない。
問題は混合診療であり、それが認められてこそ、高所得者向けの医療に特化することができる。米国の思惑はそこにある。
逆に、金持ちを除く日本国民からみれば、混合診療の解禁により、政府が財政難を理由に、保険給付範囲の線引きを見直すのではないかという不安がある。
今は健康保険で賄っている医療費までも、「保険外」となるかもしれず、おカネのない人は、ある人に比べて受けられる医療が著しく制限される可能性がある。
従来から米国は日本政府に次のような要求をしてきている。
「病院経営に対する株式会社の参入拡大が必要だ。構造改革特区制度で株式会社の参入が可能となっているが、その範囲は非常に限定的であり、実施の条件を緩和し、日本の構造改革特区制度を一層拡大するよう提言する」「混合診療の解禁、ドラッグラグの縮小などを求める」…。
混合診療、株式会社の参入、ドラッグラグの縮小。これらの要求から、米国の医療、保険、製薬業界などから米議会、政府を通して働きかけられる強い対日圧力が伝わってくる。
さてここで米側要求に頻繁に出てくる「構造改革特区」について説明するために、もう一人の重要人物に登場願わなければならない。橋本内閣から小泉内閣にかけ約10年間にわたりこの国の規制改革の推進役を担ってきたオリックスの総帥、宮内義彦だ。
04年10月、小泉政権が構造改革の一環として成立させた改正構造改革特区法が施行され、神奈川県は05年5月に株式会社が病院を開設できるよう特区を申請した。
そして誕生したのが高度美容医療を専門とする「セルポートクリニック横浜」という病院で、それを経営する(株)バイオマスターという医療ベンチャーには、オリックスや三菱UFJ、日本生命の投資会社が主要株主として名を連ねている。
ただし、混合診療は特区でも認められておらず、このクリニックの業務は、先端技術を駆使した乳房再生やシワ取りなど自由診療分野に限定されている。
その意味では、宮内にとって十分満足できるほどではなかったにせよ、株式会社医療機関が開業できる特区の設置は、一歩前進ではあっただろう。
同時に、オリックス生命という保険会社を持ち、高額医療機器のリースなどを手がける宮内が、利害関係者でありながら国の規制緩和を推進する旗頭としての役割を同時に担っていたというのは、国民からみて胡散臭さが漂っていたことも確かである。
ところで、宮内がオリックス(前身はオリエントリース)を単なるリース会社から総合金融企業グループに成長させた原動力、M&Aはいうまでもなく米国仕込みの手法である。大が小を食ってより大きくなってゆく、マネー競争社会を絵に描いたような巨大化のプロセスは、オリックスの歩みそのものでもあった。
そういえば、「医療の質も金次第」と米国医療を評していた医師がいる。岩田健太郎。現在、神戸大教授だが、かつて米国で働いていたころに見聞した米国医療の実態を「悪魔の味方ー米国医療の現場からー」という一冊にまとめている。
米国は、公的医療保険が高齢者と貧困層にしか適用されず、それがカバーできる範囲も制限だらけである。その他の人々は民間保険に加入することになるが、おカネがなくて無保険状態の人が約4600万人に達しているのが現実だ。岩田は次のように書く(一部省略)。
◇◇◇
あるヒスパニックのエイズ患者さんが入院してきました。保険は貧困層公的保険のメディケイドしかなく、薬物中毒の既往があります。典型的な「医者に嫌われる」患者さんのパターンです。合併症を繰り返し集中治療室と一般病棟を数か月行ったり来たり。治療費は膨れ上がって、普通の人には一生かかっても
払える額ではありません。支払いは公的保険のメディケイドです。研修に来ている医学生はこういいました。「こんな患者のために私の払っている税金が使われているなんて、たまらない」
要するに、米国の人たちは、こういう気分なのでしょう、がんばって所得を得たものが、そのがんばりに報われる権利がある。
◇◇◇
アメリカ人のメンタリティの一端をあらわす話である。
さて、オバマ大統領は2010年3月、医療保険制度改革法案を成立させたが、その内容は、補助金を支給して未加入者に民間医療保険契約をさせようというもので、見方を変えれば、税金で新たに数千万人の顧客を創出して、民間保険業界を潤す政策ととらえることもできる。
医療制度改革に向けてスタートを切った当初は、公設の医療保険組織の設立を求める声が多かっただけに、いわば骨抜きの中身といえ、その実効性には疑問符がつく。実際、改革は進んでいるとは言い難い。
議会にロビー活動を展開し抜本的な医療改革を妨げてきたのは、保守的な富裕層である。先述したようなアメリカ人によく見受けられるメンタリティが作用しているのだろう。
医療において、米国は世界一の先端性を誇っている半面、その恩恵をたっぷり享受しているのはもっぱら富裕層だけであり、その他多くの国民が先進国らしからぬ医療環境に置かれているといえる。
日本には「医は仁術」「助け合い」という精神的風土があり、米国のようにはなりたくないという点で、大多数の国民の意見は一致するはずである。
新 恭 (ツイッターアカウント:aratakyo)
アベノファンドの大博打
このところテレビでは、スイスから一時帰国していた日本人ファンドマネジャー夫婦が殺害された事件の話題でもちきりだ。
銀座にいくつもマンションを持ち、ずいぶん派手な生活をしていたということも耳目を集める要素だろう。投資ファンドのマネジャーというのはそんなに儲かるのかと思うのが人情というものだ。
金融専門家の説明を聞いて、得心した。天国か地獄か、紙一重の世界に住む人なのだ。
税金や秘密保持のうえで有利なスイスなど、いわゆるオフショアで、大金持ちから私募で巨額マネーを集め、一獲千金めざして勝負をするのがヘッジファンド。その腕利きマネジャーともなると、動かす資金のスケールが違う。
たとえば100億円を投資家から預かったファンドマネジャーは3億円の年間手数料をもらって、株などで運用する。それで50億円のもうけが出たら客と折半して、25億円をゲットする。
被害に遭った人が具体的にどのような仕事ぶりだったのかは知らないが、見ようによっては、博打の世界だ。大失敗すると破産か、訴訟か、刃傷沙汰の「暗黒」が口を開けて待っている。
そういう職業を選ぶ以上、ある程度のリスクは承知のうえだろう。それでも、こんな悲惨な事件に巻き込まれるとは誰も想像しまい。
さて、いちど無能の烙印を押された人物に再び日本のマネジメントを託すわが国民は、そうとうリスクの高い大勝負をしていることになる。
実のところ安倍首相にとって、日銀の尻を叩いて円安・株高の流れを保つことが夏の参院選に向けた唯一の政権維持手段になっている。すなわち気まぐれなマーケットの反応が頼みの綱なのである。
だから、国会で代表質問がはじまっても、答弁は官僚作成の答弁書をそのまま読み上げるだけで、中身はほとんどゼロといっていい。
アベノミクスの効果を過大に見積もった税収水増しの当初予算案をつくり、財政規律は守っているように見せかけてはいるが、その実、今年度の補正予算への前倒し計上は抜かりなく、国債増発でジャブジャブと公共事業にカネを注ぎ込む体制を整えた。
要するに、昔ながらの自民党利益誘導政治が完全復活したということである。国土強靭化や老朽インフラの補修という名目に隠された旧来型の公共事業がこれから先、うんざりするほど復活してくるだろう。
インフレターゲットを頭から否定するわけではないが、、これではお札を日銀にどんどん刷らせ、選挙に勝つための軍資金に充てようとしているようなものだ。
一方、エネルギー改革に必要な発送電分離や家庭向け電力販売の自由化について今国会への法案提出を見送るなど、原発維持、電力会社の利権確保を是とする安倍首相の特権勢力寄りの体質もまた、この国の先行きを視界不良にしている。
アベノミクスという大博打が当たればいいが、下手をすると、とんでもない奈落に突き落とされる。
掛け声も勇ましく船出したのはいいが、途中で航路に迷い、船長が疲れ果てて仕事を投げ出すことだって考えられる。
アベノミクスが日本の「暗黒」へのとば口にならぬよう願うばかりだ。
新 恭 (ツイッターアカウント:aratakyo)