あらやす日(本)誌 -95ページ目

オリンピックを政争の具にした韓国のサッカー選手~彼自身も道具

ロンドン五輪の男子サッカー3位決定戦で、
勝利した韓国側の選手がピッチ上で「独島(竹島)は韓国の領土」であることを、
ハングル語のメッセージとして掲げた。

もしメッセージが英語で書かれていたら、
この選手はその場で即刻取り押さえられて強制退場処分だっただろう。

この選手の行為は。
オリンピックの歴史に残る暴挙だ。

オリンピック委員会によるこの選手のメダル剥奪は妥当な罰であり、
国際サッカー連盟主催の公式試合でもこの選手を出場停止にすべきだろう。

オリンピック委員会だけでなく、
韓国政府に対しても襟を正すように諭さないと、
同じようなマネををする国や選手が出てくるので、
今後のオリンピックの開催にも影響を与えかねない。

1936年、ナチスが国威高揚に利用したベルリン五輪でさえ、
ここまで露骨なことをナチスは国民にさせなかったし、
今以上に多くの領土問題をかかえていた当時において、
この種の破廉恥な行為をする選手もいなかった。

今、
ナチスよりも露骨な国家主義の亡霊が、
アジア大陸にうろついているようだ。

今、アジアでもっとも危惧すべきは、
外国の国家主権を傷つけてまでも、
自国の国家主権を拡張する国家主義だろう。


1968年のメキシコ五輪のときに、
アメリカの二人の黒人選手(メダリスト)が黒手袋をはめて拳をあげるパフォーマンス(人種差別撤廃を意味する行為)をして、即座に選手村から追放された。

この黒人選手の拳をあげるパフォーマンスは、
公民権運動の盛んだったアメリカ人にしかわからない行為だったいう意味で、
また、アメリカの内政問題だという意味でも、
今回の竹島問題の政治的メッセージよりもその罪は軽いだろう。

この黒人選手はそれなりの責任と意志を持って行なったと思うが、
今回、政治的メッセージを掲げた朴鍾佑選手は、
事の重大性さえ把握していなかったのではないだろうか。

朴鍾佑選手に渡されたメッセージの書かれたパネルは、
観客から手渡されたもので、
何となく計画・組織的な臭いのする行為だ。

残念ながら、
韓国人の良識のなさ、
知的レベルの低さを象徴する行為として、
世界は見るだろう。

これは一個人の問題ではなく、
韓国政府の国民教育に最大の問題があると言わざるをえない。

教育に責任があるという意味で、
恥ずかしい行為をさせられたという意味で、
朴鍾佑選手もメッセージを掲げるための一種の道具であり、
韓国という国家の犠牲者なのだろう

今回の事件は、
オリンピックの威信を傷つけたという罪と、
韓国という国家または社会、権力層が一国民である選手を、
領土拡張の道具として使ったという罪、
この二つの罪があり、それぞれ断罪すべきことだ。

そして、
道具として使われてしまった(?)この選手の人権意識の低さは、
韓国政府の国民教育の結果であり、
その旧態依然たる帝国主義的な教育方針をあらためるべきだろう。

過激な国家主義を抑制する力は、
国家を超えた人権意識を持った国民による民主主義だけかもしれない。

日本でさえこうした民主主義の理想は発展途上にあるのだから、
1980年代まで多くの政治犯を刑務所に送って国民の人権を無視してきた韓国にあっては、
まだまだ発展途上だ。


戦前・戦後の韓国支援の算定~インフラ・ノウハウ・経済支援の全容調査必要

昨今の韓国の対日姿勢を見ていると、
韓国側の強硬な姿勢は、
温和な日本外交とは対極的な様相にある。

この差異はどこから来ているのか?

それは、
今までの日韓関係の正確な歴史的な位置づけが不明確だからではないだろうか?

特に、
弱腰で、自虐的で、偽善的で、隠蔽好きな日本側に大きな問題があるように思われる。

日本が戦前・戦後に旧・朝鮮に対して行った全貌、
朝鮮半島の近代化の基礎となったハード面とソフト面の両面で、
そのすべてをできうるかぎりわかりやすく金銭等に評価する必要が出てきているようだ。

もちろん、
相殺すべき負(マイナス)の側面も出てくるだろうが、
正(プラス)のほうがはるかに負の側面を凌駕しているだろう。

戦前においては、
日本が朝鮮半島で行った莫大なインフラ投資額(港湾・鉄道・道路・プラント等)、
ハングル語の普及と識字率の向上や、
中国の属国的体制=封建的体制の打破などによる社会的・文化的側面の近代化、
これらの日本の施策による朝鮮半島の飛躍的な人口増加率、
工業・農業生産性の向上率などを明確にして評価すべきだろう。

もし、朝鮮半島において日本による統治時代がなかった場合、
旧・朝鮮は封建的な体制をそのまま温存していた可能性が高く、
または、
南下政策を取っていたソ連の影響下で朝鮮半島全体が共産化していたら、
朝鮮半島の人口は今よりも半減して、
北朝鮮的な共産党独裁体制が敷かれていたと、
個人的には推測している。

日本が行った朝鮮半島での市民平等的な統治政策は歴史上希有なことであり、
当時の西欧列強が行った不平等と搾取によるアジア植民地政策とはまったく異質なものだった。

ただ、
当時の欧米列強の世界的な帝国主義的領土拡張政策の中で、
欧米諸国によるアジア侵略の防波堤として、
欧米諸国の国家の成長モデルを日本的にソフトに模倣したことは、
欧米諸国と共に世界史的な観点で反省すべきところだ。

こうした事実関係は批判に耐えうるようにさらに検証して、
今後の歴史の一コマとして後生に残すべき先人の遺産だろう。

また、
戦後においては、
日本の大手企業を通して行われた技術的ノウハウの提供は金銭には代えがたい貴重なものであり、
また、
日本国家が韓国に直接行った金銭的な経済的支援は4000億円以上(1965年の日韓基本条約締結時の経援助額:現在時価額約2兆円超は含まず)、
★韓国へのODA一覧
最近締結した韓国と約5兆円の為替のスワップ支援(ウォン安=円高維持による韓国経済支援)等、
これらすべてを客観的に評価して公的に提示する必要がある。

こうした朝鮮半島へ継続的な支援資金は、
背後でそれぞれの支援を後押しした日本の政治家・官僚・経営者のものではなく、
国民の血税と汗と知恵の結晶そのものであることを肝に銘じたいものだ。

ねつ造や誇張ではなく、
韓国の昨今の発展が、
少なからず日本の継続的な支援によって達成されたという事実を、
正当に評価して正確に歴史的に検証してゆく必要がある。


こうした歴史的な検証作業なくして、
外見上、日韓関係、日本と朝鮮半島との関係の良化はありえないだろう。
(実質的、客観的に日韓関係の良い連携を認識している知的層は朝鮮半島にも多いだろうが…)

そして、
日本の行ったさままざな支援に対して歴史的な役割を与え、
まずは日本の教科書を改訂し、
韓国の教科書にもこうした日韓関係の歴史を正確に反映してゆく必要がある。

韓国に限らず、
今後は外国への支援額のうち一定の割合を割いて、
こうした効果測定を行い、歴史的なスパンで検証作業してゆく予算を確保すべきだろう。


日本は伝統的に、
恩着せがましいことをするのが嫌いな民族で、
しかも、
戦後のエセ(反日的)左翼による組織的な自虐史観形成運動に染まっているとはいえ、
堪忍袋の緒は切れかけている。

しかも、
経済成長が止まって領土と資産の防衛を再認識しつつある日本にあって、
また、韓国側の一方的な攻撃姿勢の中にあって、
日本側の過去の正確な清算(前記の評価)に加えて、
今後は見返りのある対等的な経済的支援を行わざるをえないだろう。

 

誰のための利益追求か?~日本企業は世界の模範

会社がつくる製品・サービスは、
当然、顧客のためのものだが、
会社のかせぐ利益は、
まずは、
従業員とその家族、
次に、協力関係会社の従業員とその家族のためだというのが、
日本の経営者の伝統的な経営観だった。

大手企業から見れば、
協力会社は中小零細企業であり、
こうした中小企業は日本の約7割の雇用を支え、
イノベーションの温床にもなっている。

それは、
世界の模範になりうる高邁な社会性のある経営観だと小生は思う。

そして、
この経営観が日本の経済力の源であり、
日本の強みだった。

江戸時代の思想家であり、経営学者の世界的な先駆者ともいえる石田梅岩(1685年~1744年)は、商人の社会的な責任をいち早く説き、成功したら利益は徐々に薄くしてゆくべきだと言った。

石田梅岩は商人の暴利を戒め、社会の公器として商業活動をとらえようとした。

この経営観は日本の多くの経営者が共有する日本的な思想だろう。

20世紀の日本の経済界ではこの思想が支配的だったと思う。、

しかし、
21世紀に入って株主の利益を最優先する思想が導入され、
この思想にかぶれた大企業の経営者が日本でも多く生まれはじめた。

その結果、
そうした企業は内部的には正規雇用を減らし、非正規雇用を増やし、
協力会社などにコスト低減圧力をかけてコストを削減し、
身内を犠牲にして株主のために内部留保を高めている。

特に、
株主に敏感な上場企業の内部留保は200兆円を超えている。

バブル崩壊後、日本の株主持ち合いの解消で株主になった多くの外国人投資家は、
高配当要求に拍車をかけている。

株主優先主義は、
日本にとっては大きなマイナス効果を生んだと個人的には思う。

株主のために利益を追求する経営観は邪道だ。

資産運用として株式投資を日本人が西欧諸国並に行っているならば、
株主優先主義は少しはプラス方向にぶれただろうが、
政府も金融業界も国民への株式投資教育には消極的だ。


経済界を牽引する日本の上場企業の経営幹部は、
企業の社会性について、ここでもう一度原点に立ちどまって、
伝統的な日本的経営の良さを再認識してほしいものだ。

とはいえ、
その地位が任期の限られた円満退職までの腰掛けであり、
株主にどれだけ貢いだかで自分の退職金が決まる評価軸では、
目先のことしか目に入らない近視眼的老眼になってしまうのだろう。

とはいえ、それは一部の大企業であって、
日本企業の9割以上を中小企業が占めている。

中小企業の経営者の多くは、
伝統的な日本的な経営観をいまだに堅持していると思う。




男もフルーツパフェが食べたい

先日、よく行くお店で久しぶりにフルーツパフェを食べた。

何十年ぶりだろうか?
前に食べたのがいつだかまったく思い出せない。

パフェを注文したその店は、
最近では珍しい駅前の純喫茶で、
最近、本(下記)でも紹介された。

お店のご主人いわく、
小生のような中年の男性客も意外とよくパフェを頼むという。

甘党は女性の特権ではなく、
男性も若い頃よりも甘い物を好むのではないだろうか。

しかし、
中年男は、
パフェを自由に好きなときに食べられない。

周りの視線を気にして、
男が頼みにくいのがパフェ類だろう。

通いなれた昔ながらの純喫茶だと、
気兼ねなくパフェを頼める。


純喫茶コレクション
純喫茶コレクション難波里奈

パルコ 2012-03-30
売り上げランキング : 84465


Amazonで詳しく見る
by G-Tools






卑劣な「腕折り」等の反則行為~オリンピック・柔道で礼儀を指南すべき

今回のロンドン五輪の柔道では、
犯罪的ともいえる、無礼な振る舞いが目立っている。

70キロ級・女子柔道の日本・田知本VS中国・陳飛の一戦で、
二人の選手が共に場外に出てしまい、
審判の「待て」で試合を中断する直前の局面、
取り組みを中断した田知本が陳飛から離れようとしている状況下で、
中国・陳飛は立知本の腕を離さずに腕をねじる「腕折り」を行っていた。

それまでも陳飛は執拗に田知本の腕を攻め立てていたので、
最後の仕上げだったのだろう。

この執拗な暴行・傷害行為で、
田知本の片腕(左腕)はだらりと垂れ下がったような状態になり、
力が入らず、ほぼ使えなくなってしまった。

一瞬目を疑ったが、
それは明らかに故意に負傷させることをねらった反則行為に見えた。
オリンピックで犯罪的な行為を見るとは…非常に気分を害するシーンだった。

さながら、
傷害罪か暴行罪の現行犯の犯罪を見てしまったような嫌な気分になった。

見間違えであってほしいと今でも思う…しかし、
目に焼き付いているから見間違えではないのではないか。


故意に相手の腕を負傷させる「腕折り」や、
顔面を負傷させて鼻血を出させるなどの意図的な反則が、
女子柔道にも出てきている現実は悲しい。


男女を問わず、
中国人選手と韓国人選手の一部(全員ではないが)は、
モラル面で大きな問題がありそうだ。

反則を犯しても勝つことを是とするチームの指導方針が異常だ。
それは、
その国の指導方針と言われても過言ではないだろう。

試合に勝ったらどの程度の恩恵が国から与えられるか知らないが、
選手もコーチも、国も「恥」を知るべきだろう。

試合中はその反則行為が死角になって見えない等で、
審判が瞬時に判定できないのは仕方ないだろう。

ならば、
後から試合後にビデオチェックをして、
悪質な行為を行なった選手には何らかの罰則を科すべきだろう。

卑劣な反則行為の中で、
微妙なグレーゾーンは勝敗の訴求的無効にして再試合を行うも良いだろう。

悪質な故意犯は、
サッカーのようなレッドカードによる一時的退場でも生ぬるく、
オリンピック委員会や国際柔道連盟は、
悪質な選手を世界のスポーツ界から永久追放するだけでなく、
傷害罪や暴行罪の刑法を適用する場面さえ想定すべきだろう。

このような措置を断固として講じないと、
悪質な行為がどんどんエスカレートしてゆき、
しまいに柔道は悪意に満ちたケンカになってしまうだろう。

日本の国技ともいえる柔道そのものを冒涜し、
オリンピック競技からはずすことを考えているのかと邪推してしまう。

柔道は勝敗を決める技以上に、
相手への「礼儀」が一番大事であることを知らしめるべきだろう。

反則行為を行う選手にとって、
柔道場への入退出時の「礼」や、
試合開始と終了後の相互に行う「礼」は単なる手続きにすぎない。

「優秀」さの尺度~優しさを最優先する評価

現代日本の大人の多くは、
社会人と呼ばれ、
会社などの組織の構成員となり、
また、
経営者も、小説家でさえも、
多くの利害関係者との協業で仕事をしている。


会社で優秀な社員は、
顧客の満足と引き替えに適正な利益をあげる。

顧客を不幸にして暴利をむさぼる社員を「優秀」とはいわない。

優秀な公務員も、
国民の満足と引き替えに税金を徴収する。

国民を不幸にする公務員は、
たとえ東大を出てハーバード大学大学院を国費で卒業しても、
「優秀」だとは定義できない。

「優秀」さとは、
効率的なサービスと利益の追求の背後にある、
他者への「優」しさが「秀」でていることなのだろう。

しかし、
学校でも家庭でも、
戦後の教育観は、
「社会」「国」の中での「他者」との共存共栄を軽視または無視・論外にして、
学歴・偏差値に代表される数値による個人間の「競争」を煽ってきた。

親も教師も、
社会に出たら上司も経営者も政治家も、
効率最優先で、
「優しさ」を口にしなくなった。

他者への思いやりが、
競争の激しい社会にあっては、
マイナスになるという不当な評価さえあるのが現実だろう。

そのために、
「優秀」さの本質だとも言える、
他者への「優」しさが失われしまったようだ。

その結果、
にんべん=人間味のない「優秀」さを最優先した社会が広がってしまう。

それは憂いであり、
憂国につながる。

人の評価に他者への「優」しさを盛り込むべきだろう。

そして、
この「他者」については、
いきなり人類皆兄弟的な他者観からはじめるのではなく、
子供に教える場合の優先順位は、
まずは切っても切れない関係である親などの親類から、
友人などの身近な人々へと徐々に枠組みを大きくしてゆくのがフツーだろう。

大人になれば、
郷土の人々、顧客や仕事上協力関係にある人々、
そして、
国民、人類へと自然と他者の外延は拡大してゆくだろう。















増税を前提にした財政支出=景気を刺激しない政策

増税路線が国会で承認された後に、
整備新幹線などの財政支出の話が出てきた。

このような、
まず増税ありきで、
次に財政支出では景気を良い意味では刺激しない。

これはリカードの等価定理とか、
リカード=バローの中立命題と言われ、
ほぼすべての経済学の教科書に載っている理論だ。

この理論では、
財政支出で国民の所得が増えても、
将来の増税に備えて人々が「消費」ではなく「貯蓄」に回すために、
景気刺激効果が発生しないと言う。

急激に増加した貧困層ならばすぐに「消費」に回すから景気対策になる、
と想定している可能性もあるが…。

このリカードの等価定理は、
経済学者だけでなく、
一般の経済学部の大学生でも当然知っている理論で、
公務員試験でも出題されている経済学の基本的な理論。

なぜ?
日本は経済学のイロハであるこの種の理論を無視して、
景気回復をあえてしないように仕向けるのか?

★日本は近隣富裕化政策を実施~経済も自虐史観だった

やはり、ここにも経済の自虐史観を感じててしまう。

アメリカの経済学界の大御所、
ノーベル賞経済学者のクルーグマン氏は、
緊縮財政では不況は乗り切れず、
財政支出でさっさと不況を乗り切れ!と言う。

さっさと不況を終わらせろ
さっさと不況を終わらせろポール・クルーグマン Paul Krugman

早川書房 2012-07-20
売り上げランキング : 64


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

↑本来ならば講談社あたりで出すべき本だと思うが…圧力があったのか??
 早川書房から出るとは(早川さんに失礼だが)…。
 クルーグマンはSFファンだから早川さんを気に入っているのかもしれない。


クルーグマン氏は、
財政支出による需要拡大を重視するケインズ経済学の継承者なので、
意外な発言ではまったくないが、
有効だと思われるあらゆる政策を駆使して不況を乗り切ることは、
まったくその通りで正論だと思う。


それでは、さて、
その財源?

財源がなければ国債を発行すればいいのだ。

国債は今のような100年に一度あるかないかの有事に対して、
増税の前に発動する最終兵器的な武器であることは、
疑いのない定義だ。

3年間で合計100兆円の国債を発行しても、
経済成長が軌道に乗ればその元が取れるだけでなく、
増発した分も含めて約1100兆円の国債を無事償還することも不可能ではないだろう。

少なくとも、
今の政策のように国民の金融資産で相殺=増税で償還するよりも、
伝統的で正論的な方法ではないだろうか。

武器を持ちながら、
使用しようとしない今の自虐的な日本では、
たとえ、
コンドラチェフの大波が来てもうまく乗れないだろう。

★昇り龍は「コンドラチエフの波」に乗るか?






昇り龍は「コンドラチエフの波」に乗るか?

スターリンによる大粛正の時代、
えん罪で処刑されたロシアの経済学者コンドラチエフは、
各種経済統計の分析から、
経済・景気の大きな波が技術革新や革命的な出来事を契機にして、
半世紀(約50年)ごとに繰り返されるという経験則をとなえた。

ちなみに、
設備投資のサイクルだと言われる約25年の周期は、
クズネッツの波と言われる。

アメリカの経済学者ベリーは、
コンドラチエフの波の中に、
2つのクズネッツの波があると分析し、
この2つの波の間にコンドラチエフの波のピークがあるとして、
前回のピークは1980年代前半としている。

1980年代後半、世界の東西の壁(冷戦構造)が崩壊して、
日本はバブル期だった。

ベリーの分析(週刊エコノミスト:2012/7)では、
ここ10年以上は世界的な景気後退期で、
今年2012年くらいからコンドラチエフの上昇の波動がはじまると言う。

奇しくも、
今年の日本の干支も辰年で、
まさしくコンドラチエフの波に乗った昇り龍か。

日経平均値を見れば、
今年3月に1万円の海面を超えて、
龍が少し顔を出した感じだ。

今回のコンドラチエフの波は、
いかなる技術革新、社会的な革新的な変化によってもたらされるのか?

個人的に思うに、その大きな波は、
濡れ手で粟のごとき暴利をむさぼる非生産的・拝金主義的な金融戦争を終焉させて、
IT技術の深化による英知の民主主義的な結集をうながし、
そして、
社会善を目指して、
より生産的な分野、再生エネルギー技術などの新技術への集中投資によって、
技術革新と社会革新が行われてゆくのではないかと、
期待している。








日本を解体しつつある「労働者派遣法」拡充の大改正

海外の多くの先進国では外国人の移民を受け入れて、
非正規雇用的な雇用で低賃金の労働力を確保している。

アメリカではメキシコ等から、
ドイツではトルコからと。

しかし、
言葉の障害から外国人労働者を受け入れることのできない日本は、
労働者派遣法の大改正にともなう派遣の拡大によって、
日本人を正規雇用と非正規雇用に分けるという暴挙を断行してしまった。

非正規雇用的な低賃金労働は、
雇用者の人種や国籍が違えば、
矛盾を内包しながらもある程度スムーズに受け入れられただろう。

発展途上国から来訪した出稼ぎの移民が先進国で稼いだお金は、
母国では物価の違いから数倍の価値が出てくるが、
日本国内ではこの恩恵はありえない。

労働者派遣法の拡大は、
家族主義的な平等経営と職業に貴賎無しという日本の美徳を、
破壊しつつある大嵐ではないだろうか。

多くの人がすでにその過ちに気づいているので、
派遣拡大路線は止まり、縮小路線に入っているが、
すでにふくらんでしまった派遣業界を急激に縮小することもできず、
また安易な人権費削減で味をしめた企業の抵抗もあって、
まだ元には戻っていない。

今回の派遣法拡大の最大の戦犯は、
国会で法改正を支持した国会議員の存在以上に、
この法改正を背後で強力に後押ししした大手企業の経営者たちだろう。

悪法を元に戻すことは可能だが、
一度、破壊された倫理観、労使の絆を元に戻すのは難しい。

傷ついた多くの日本人の心を癒やすのは難しいだろう。

しかし、
この程度のことで、
日本の強みともいえる、
伝統的な世界観、倫理観の神髄が完全に破壊されることはないと思いたい。

隔世遺伝的に良い伝統を引き継いでゆくであろう若い人々の活躍を大いに期待したい。




オスプレイの事故率は低い~特殊部隊用は別格だが…

オスプレイは開発当初は「空飛ぶ恥」「未亡人製造機」と言われたが、
産経新聞等の報道やwikipediaの情報によると現時点での事故率は、
通常のヘリコプターよりも総じて低いようだ。

Wikipediaを信用すればだが…。


オスプレイは、
ヘリコプターのCH-46(チヌーク)やCH-53Dの後継機とみなれ、
いずれの機種も古参で老朽化が激しく、
事故率が今後さらに増加するおそれのある機体だ。

普天間基地は海兵隊の基地で、
ヘリコプターはCH-46(チヌーク)が主力。

CH-46やCH-53Dの事故率は、
アメリカ海軍配備のオスプレイよりも高い。

普天間基地の海兵隊に配備されるオスプレイは、
アメリカ海軍配備のオスプレイの事故率で比較するのだが妥当だろう。

ただ、
アメリカ空軍配備の特殊作戦任務に使用されるオスプレイは、
高度で困難な任務を遂行する必要があるため、
その事故率は非常に高い。

事故率だけでなく、
事故の態様も検討してみる必要があるだろう。

オスプレイの事故を検証してみると、
事故は垂直離着陸時(固定翼モードへの切り替え時等)におきる確率が高そうだ。

オスプレイは、
ヘリコプターのように垂直離着陸ができ、
固定翼モードに切り替えることでプロペラ機にように空を飛ぶ。

垂直離着陸は通常は基地内で行うものだから、
事故は基地内で起こる可能性が高いと言えるのではないだろうか。


オスプレイ配備への反対の真意には、
そもそも事故率や事故の態様はどうでもよく、
極東でのアメリカ軍の軍備増強が問題なのだろうか。

とはいえ、
普天間基地配備の古参のCH-46ヘリ、24機を新型のオスプレイに変更したところで、
極東の軍事バランスに与える影響はないに等しいだろう。

思うに、
今、アメリカが新型機オスプレイに配備する理由は、
CH-46ヘリの老朽化=事故率の増加のおそれと、
新型機の配備で普天間基地の存在を盤石のものにして、
辺野古への基地移転に備えることにあるのだろう。

その意味で、
オスプレイ配備反対の胆は、
普天間基地存続反対の意思表示なのではないかと個人的には思う。

オスプレイ配備という小局のせめぎあいではなく、
本題であり、胆である普天間基地問題、沖縄の基地問題を、
正々堂々と議論する必要があるのではないだろうか。