あらやす日(本)誌 -42ページ目

「集団的自衛権」~砂川判決・日米安保条約に織り込み済み!?

日本の外務省のサイトに掲載されている日米安保条約の「前文」を見ると、

【日米安保条約 前文】

日本国及びアメリカ合衆国は、
両国の間に伝統的に存在する平和及び友好の関係を強化し、
並びに民主主義の諸原則、個人の自由及び法の支配を擁護することを希望し、
また、両国の間の一層緊密な経済的協力を促進し、
並びにそれぞれの国における経済的安定及び福祉の条件を助長することを希望し、
国際連合憲章の目的及び原則に対する信念、
並びにすべての国民及びすべての政府とともに平和のうちに生きようとする願望を再確認し、
両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、
両国が極東における国際の平和及び安全の維持<に共通の関心を有することを考慮し、
相互協力及び安全保障条約を締結することを決意し、
よつて、次のとおり協定する。
以下…条文

●外務省サイト(日本語)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hosho/jyoyaku.html

英語では下記。

Japan and the United States of America,
Desiring to strengthen the bonds of peace and friendship traditionally existing between them, and to uphold the principles of democracy, individual liberty, and the rule of law,
Desiring further to encourage closer economic cooperation between them and to promote conditions of economic stability and well-being in their countries,
Reaffirming their faith in the purposes and principles of the Charter of the United Nations, and their desire to live in peace with all peoples and all governments,
Recognizing that they have the inherent right of individual or collective self-defense as affirmed in the Charter of the United Nations,
Considering that they have a common concern in the maintenance of international peace and security in the Far East,
Having resolved to conclude a treaty of mutual cooperation and security,
Therefore agree as follows

●外務省サイト(英語)
http://www.mofa.go.jp/region/n-america/us/q&a/ref/1.html

【参考】”Recognizing ”の意味
「recognize」は、日本語では軽く「確認」としているが、もっと強い意味、法律的な意思表示としての「承認」と書き換えてもおかしくない。



日米安保条約を締結することの意義について説明しているこの前文では、
国連憲章(the Charter of the United Nations)にのっとり、固有の権利(inherent right)として「個別的又は集団的自衛権」(individual or collective self-defense)があることを日米相互で確認(=承認)している。

「又は」とは…?いずれかということか?という疑問があるが、
いずれにせよ、
砂川事件判決(1956年)の翌年の1960年に批准された日米安保条約(条約更新)では、
「集団的自衛権」をしっかり明記して日米相互に認識(確認=承認)しており、
砂川判決の「自衛権」には「個別的自衛権」だけでなく、
「集団的自衛権」も入っていると考えてもまったく不思議ではない。
しかし、
そもそも、
砂川事件は日本の「自衛権」を争ったものではないので、
最高裁はついでに当然の国家固有の権利として自衛権を言っているだけだとも言える。
とはいえ、
もし、
砂川事件判決で「自衛権」が個別的自衛権のことであり、
自衛権に集団的自衛権が入っていないと明確に判決文に書いてしまったら、
その翌年に批准された日米安保条約は憲法違反の条約になってしまうのだ。

もちろん、
国連憲章や日米安保条約で国家固有の権利として集団的自衛権を容認していても、
それを日本国民、日本政府が否定し、日本の国内法で否定しても、
日本だけ特別な自衛権解釈をしてもそれも国家固有の権利だ。

片翼の自衛権ともいえる個別的自衛権のみの自衛権しか持とうとしない日本に対して、
国連やアメリカが公式に日本を非難する権利はなく、
ましてや、
個別・集団的自衛権=両翼の自衛権を日本が持つことを恐れている中国の場合、
片翼の自衛権を非難することは到底ありえない。


【参考】砂川事件判決の前後関係
1956年、日本は国連に加入した。国連憲章第51条ではすべての国には固有の権利として個別的自衛権・集団的自衛権があるとしている。
1959年、砂川事件判決で最高裁は「自衛権」を認容した。
1960年、集団的自衛権を文言(前文)に入れた日米安保条約を更新。
すなわち、
国際関係上は、
国連加盟で集団的自衛権行使OK

砂川事件判決で「自衛権」容認

日米安保で集団的自衛権行使OK
という流れが砂川事件判決の前後5年で確立している。
国際関係上は「集団的自衛権」の問題はもはや存在せず、
日本の国内問題として「集団的自衛権」を問題しているのが現実だ。
政府・最高裁は当然国際的な視野に立って「自衛権」に集団的自衛権まで視野(完全な容認ではないにしろ)に入れていたと見るのが素直な解釈ではないか。

【参考】国連憲章第51条
…国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。…省略


砂川事件判決が個別的自衛権だけを念頭に置いているという解釈があるが、
実際の判決文は「自衛権」と単に記されているだけであり、
また、前後して批准された国連加盟、日米安保条約の存在を考慮すれば、
自衛権に個別も集団もないという解釈も成立する。


日米の「集団的自衛権」を一方的に単純に反対している方は、
日米安保条約にも当然反対しているのだろう。


現在の政府見解(安保法制のコンセプト)である「限定的な集団的自衛権」が違憲ならば、
何ら限定もない集団的自衛権を単純に容認している日米安保条約も違憲だということになる。


国連憲章や日米安保条約では集団的自衛権を国家固有の権利としているが、
日本は集団的自衛権の行使については、
全面的な行使容認ではなく「限定的」に行使しようと考えている。

日本政府は、
集団的自衛権の行使について、
「我が国の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険」
という、抽象的だが厳しい要件=限定をつけている。
この要件は、
自国の存立を全うするために必要な自衛措置=自衛権を容認した、
砂川事件判決を踏まえたもので、
「法の支配」を尊重する法治国家としての憲法解釈の連続性を維持していると思う。

また、
”国民の権利が根底から覆される”事態に対処するための、
必要最小限度の武力行使は許容されるとした1972年の政府見解とも合致している…

たしかに、
算数とは異なって政府見解等の文言の国語的な解釈には揺れがあり、
たしかにそうも言えるだろうが、
戦後日本が国家政策として世界の戦争に巻き込まれないように、
国家固有の権利である集団的自衛権に触れないようにしてきたことは間違いなく、
その歴史、先人の知恵を素直に認めて、
今、この国家政策の転換期にあることを公論として提議すべきだろう。

砂川判決においても導入された重要な判例法理である「統治行為論」等のごまかしで、
憲法改正論議自体をこれ以上先伸ばしてはいけないのだ。


【参考】統治行為論
国家統治の基本に関する高度な政治性を有する国家の行為(統治行為)については、法律上の争訟として裁判所による法律判断が可能であっても審査の対象から除外し、裁判所は憲法違反=違憲判断をしないという判例理論。
日米安全保障条約の合憲性判断については、統治行為論によって裁判所の審査対象外となった(砂川事件判決)。
日本国憲法の基本理念の一つ、三権分立(国会・立法の独立、裁判所・司法の独立、行政の独立)を裁判所自らが破ったともいえる判例理論だが国内外の多くの学者はこの判例理論を認めている。なお、海外では憲法の違憲・合憲だけを判断する憲法裁判所を独自に設置している国も多い。


【蛇足】なぜ、集団的自衛権を容認し行使もできたのに今まで日本政府は避けてきたか?

当然、アメリカが関わる戦争に本格的に巻き込まれることを日本は避けたかったからだ。極めて明快で単純な論理だ。砂川事件、日米安保条約更新時、ベトナム戦争が泥沼化しつつあった時代で、アメリカから非公式に打診されてきたと思われる、ベトナム戦争への日本参戦の要請を日本は政治的判断として拒否するために、平和憲法を利用し、国家の当然の権能としての集団的自衛権を行使しなかったのだ。その後も、湾岸戦争、イラク戦争、アフガン戦争等への本格的参戦を日本は拒否してきた。
そもそも、日米安保条約は特に日本周辺の「極東地域」(前文)の安全保障に限定しているように読めるから、日米安保条約を根拠にして集団的自衛権を極東以外の地域に拡大するのは無理?なのかもしれない。
とはいえ、嘉手納基地等の沖縄の基地、佐世保弾薬庫基地、横須賀基地等の米軍基地は兵站基地としてアメリカの戦争を支えてきたことは紛れもない事実であり、アメリカは日本との同盟の恩恵を十分受けてきた。

今、明白な脅威として軍事大国・中国が台頭し、アメリカが孤立主義に向かいつつあり、中国は日本が弱腰と見れば無法なことをしかねない状況にある。
たしかに無制限な集団的自衛権容認は諸刃の刃。しかし、限定的な集団的自衛権容認ならば、今後も戦後日本が貫いた戦争拒否の基本姿勢に大きな変化はなく、中国等の脅威がもたらすであろう「我が国の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険」に備えることができる。もし、それが違憲だというならば早急に憲法改正が必要だ。

安保法制反対、20数万人署名の軽さ

今、日本にはいまだに日教組の組合員が30万人弱もいる。

そこにきて、
NHKいわく、「安保法制反対で20数万人も(?)署名が集まった」
と言われても…。

「兵站」は戦争の一部〜文民の軍事的無知、歴史は繰り返す

弾薬・食料・燃料等の軍事物資の補給等の後方支援は、
ロジスティックス=兵站と呼ばれ軍事行動全体の9割を担う、
と言われている。

実際、現実には、
情報戦争、経済戦争の比重が大きくなっている現代的な戦争において、
戦争における「兵站」の役割は全体として希薄化しているだろうが、
古典的な戦争においては最重要な要素だ。

【蛇足】
現代の戦争は目に見える古典的な戦争と、目に見えにくい情報戦争、経済戦争がある。自称イスラム国でさえも、目に見える軍事行動よりも、インターネットの活用等=情報戦争、
石油基地の確保等=経済戦争に大きな力点を置き、全精力の半分をこれらの現代的な戦術にコストをかけていると言われている。


大東亜戦争(太平洋戦争)時、
日本はこの兵站を軽視または無視して、
戦死者の半数以上が戦わずに餓死・病死し、
弾薬不足の中で銃剣だけで無謀な攻撃もした。

いまだに現代日本でも相変わらず兵站は軽視され、
兵站を「戦争」とはまったく別の次元として考える人が多い。

朝鮮戦争、ベトナム戦争時、
日本国内の基地はアメリカ軍の重要な兵站基地になっていたので、
現代的な戦争論でいえば、
日本は最前線に兵を出さなかったが、
朝鮮戦争、ベトナム戦争等のアメリカの戦争に参戦していたと同視できるだろう。

アメリカ軍の佐世保基地(長崎)は、
東洋最大規模のアメリカ軍の兵器庫であり、
朝鮮戦争・ベトナム戦争だけでなく、
その後のアフガン戦争、イラク戦争の最前線に弾薬等の重要な物資が日本から補給されている、
と見るのが常識だ。

日本は戦後、多くの戦争に加担しており、
今現在もアメリカの戦争、
アメリカが支援する国の戦争に加担していることを率直に認めるべきだろう。

日本はまやかしの平和神話を妄想していることを再認識して、
すでに行われた戦争加担行為を認めて、
現実的な安全保障法制等を考えてゆくべきだろう。

1930年代くらいから1945年の終戦に至るまでの、
いわゆる15年戦争における大きな教訓は、
現代にもつながる兵站の軽視だけでなく、
一般官僚、政治家らは軍事的知識や国家戦略のビジョンを公論として共有できず、
そもそも、彼ら、文民=シビリアンは軍事的才覚が乏しく、
「軍部」と言われる海軍・陸軍の軍人組織=軍人の官僚組織を文民統制できなかったことだ。

そして、
朝日新聞等のメディアが戦意を煽る画一的な情報を流して世論・政治家を煽って、
戦争へと導いた。

メディアは議論のための客観的な情報を提供せずに、
戦争を後押ししたこと(これも文民統制?)も大きな教訓だ。

これらの教訓を踏まえた上で、
日本の安保法制を構築してゆく必要がある。

普通の民主主義国ならば議会承認だけで、
国家の安全保障に制約や条件はほとんどないのだが、
特異な戦後日本の体制では安全保障問題はなかなか多難だ。

今や、日本の軍=自衛隊は、
中国の暴走機関車=人民解放軍とはまったく異なり、
文民統制下にあり、快くこの体制を許容しているので、
政治と世論がしっかりしていれば…
そもそも、
日本の戦前も、戦後の多くの戦争においても、
戦争のプロであり、最前線で多くの犠牲を強いる「軍」は戦争には慎重で、
政治家や世論=文民(シビリアン)が戦争を強く後押ししした。
それが歴史の最大の教訓なのかもしれない。

三浦瑠麗氏の著書「シビリアンの戦争――デモクラシーが攻撃的になるとき」(岩波書店)によると、多くの戦争(イラク戦争等)が「軍」ではなく政治家等のシビリアン=文民によって主導された事実を紹介している。

戦前日本の兵站の軽視・無視も、
軍事のド素人、軍事に無知な政治家・官僚・財閥・メディア等、
戦争を主導した文民の発想だったと言える。
(軍事学の後進国になっている現代の日本は…
 昔よりも文民(シビリアン)の知性は劣化している。)

【蛇足】
先の大戦を文民が主導したとすれば東京裁判での軍人の戦犯は単なる実行犯であり、本当の真の主犯、黒幕ではないということになる。
ドイツではナチス(ナチ党)に戦争責任を負わせたが、連合軍=勝者は日本では軍・政治家・官僚に責任拡大させた。しかし、経済界はドイツ、日本では戦犯にしていない。真の黒幕は経済界に残って日本も経済復興。
今や、経済界の頂点に民間の国際金融グループが君臨して、「金」を現代の兵器にして国よりも(国を動かす)最大の権力機関になっている。

中国と韓国の共通点=欧米金融資本支配と反日政策

1989年、
中国は、天安門事件を境に外国資本の直接投資が活発になり、
その後中国は大きく経済成長したが…
その成長の半分を支えているのが外国からの投資。

1987年、
韓国は民主化宣言の直後、経済危機に陥って欧米の外国資本を受け入れ、
韓国のほとんどの銀行が欧米資本に支配され、
国策企業サムソンの株式の半数弱も外国資本になった。

21世紀に入って、
欧米の金融資本は日本でも中国・韓国と同じような経済支配をねらった。

小泉&竹中時代に郵政民営化によって日本独自の金融構造もその一端が崩れて、
巨額の預金が民間市場・外国資本に流れた。

また、
同時期に、
欧州的な株式持ち合いを悪と断じ、
英米的な株主重視経営を善とする扇動の中で、
国家の金融政策を担う日本銀行を政府から切り離そうとする法改正も行われ、
欧米資本が一気に席巻する危機に陥った。

バブル崩壊とこのグローバリズム=欧米の金融・経済植民地主義で、
日本の民族資本は毀損し、
外国資本がこの時期に日本に大挙して参入してきた。

しかし、
日本の欧米資本支配は、
想定よりも大きく進まなかったと思われる。

その後、
世界各地で欧米の金融・経済支配構造を定着させてゆく途上、その過程で、
サブプライム&リーマン・ショックがおきて欧米のグローバリズムは大きくつまづいたが、
日本は無傷に近かった。

そして、
その前後で中国と韓国が反日政策を強化したことは注目に値する現象だ。

反日政策とは…

歴史観、自国民擁護、民族主義の衣で装っているが、
その実態は、
欧米金融資本の支配構造を維持するために、
日本の金融・経済・文化等の影響力を排除する政策なのだろう。

沖縄を狙い撃ちか?~年金情報へのサイバー攻撃

サイバー攻撃で流出した日本年金機構の個人情報約125万件のうち、
その半数以上、約74万件が沖縄事務センターの情報だった。

沖縄の人口は約140万人なので、
件数=人数と単純に数えれば沖縄県民の半数以上の情報が奪われたことになるが…。

たぶん、
この件数は人数ではなく、
情報の個数なのだろう。

一人で複数の情報(氏名、年齢、年金額など)を持っていただろうから、
人数で数えれば30万人分くらいなのかもしれないが、
それでも沖縄県民の5人に1人以上という計算になる。

今回のサイバー攻撃は、
沖縄の個人情報を狙い撃ちにした巧妙な計画的な犯行だった可能性が高いだろう。

また、
流出した個人情報には和歌山・事務センター情報も約1万件入っている。

和歌山県といえば、
中国に日本人約3,000人の使節団を引き連れて行った衆議院議員・二階俊博氏の選挙区だ。

ニュース記事によると、
今回流出した年金情報は沖縄、和歌山の他は東京の年金情報だと言うが、
この地域属性以外の特性を持った情報がねらわれる可能性があるだろう。

それらが特定の公務員が加入する共済年金の情報、
警察・消防・防衛関連などの個人情報だったら…
日本の安全保障に関わる重大な問題だ。

アメリカでも日本のこの年金情報流出事件とほぼ同時期に、
約400万人の公務員の個人情報がサイバー攻撃によって流出している。

当然ながら、
アメリカは中国、ロシア等によるサイバー攻撃の可能性を前提に調査しており、
日本においても同様の調査が行われていることは間違いないだろう。

今、この時期にサイバー攻撃があれば、
中国が疑われるのは当然だが…そのように仕組んだシナリオの可能性もあるだろうが、
文民統制できない中国の人民解放軍が暴走している可能性の方が高いかもしれない…
しかし、
これで親中的な関係者がいる沖縄や和歌山の人々に嫌われたら、
中国にとっては逆にマイナス効果…?。
それとも、
裏切るなよ…という中国からのメッセージか。

【蛇足】
インターネット、ネットワークの最大の目的は情報共有であり、
能率性・効率性を優先して何でもデジタル化してネットワーク化してしまう現代、
能率性・効率性が悪くても情報共有したくない重要情報はデジタル化しない方が安全だ。

中国のナチス化〜世界が協働して生む悪

今、奇しくも、
中国ともっとも深い関係にある国はドイツだろう。

ドイツは中国に悪しき歴史の知恵を貸しているのかもしれないが、
中国はドイツ以上にナチス台頭の歴史をよく研究しているようだ。

ドイツでナチスが台頭した1930年代、
世界大恐慌の中で欧州の共産化に拍車がかかることに歯止めをかける意図もあって、
イギリス等の近隣諸国は宥和政策=ナチスの政策を認容する政策を取った。

今、世界の諸外国は中国の賄賂・便宜、巨大消費市場に目がくらんで、
当時のナチスのように中国の覇権主義を認容している。

南シナ海の公海上に埋め立てで建設している中国の軍事基地には、
最近、兵器類が搬入されたという。

すでにブータンは国土の10%以上を中国に奪われ、
日本も尖閣諸島をねらわれている。

経済・金融等の目に見えない領域で、
アジア、アフリカ等の多くの国が中国のえじきになっている。

中国国内では、
ナチスのユダヤ迫害のようにチベット・ウィグル等の少数民族が迫害されている。

中国の数々の暴挙を国連や諸外国が止められない現実は、
まさしくナチス台頭の時代とそっくりだ。

日本といえば…
江戸幕府の幕臣さながらに憲法護憲論者が世界の変化に背を向けて、
平和神話を支える憲法の空の呪文(前文と第9条の平和主義への固執)を唱え、
結果的に中国の覇権をバックアップしている。

今、中国をナチスにたとえる向きがあるが、
ナチスは当時の不況にあえぐドイツ国民の多くが熱狂し賛同して政権を奪取したが、
中国は共産党一党独裁で人民を支配している国であって、
中国バブルが崩壊すれば…人民解放軍の暴走に歯止めがかからずに…
人民統制のためにナチスよりもさらにナチス的な凶暴な牙をむく素地がある国かもしれない。

この中国リスクが安保法制を急がしている最大の要因であることは間違いないだろう。



国会での安保法制論議〜与野党共に核心を避ける議論

安全保障法制の議論が国会で行われ、
メディアや専門家はこの議論を解説しているが、
この議論は妄想的で抽象的な有事のイメージを前提にしているため、
核心的な現実の事象、現実の脅威がぼかされている。

安倍政権も具体的に国や地域を出して議論できないので、
与野党共にぼやけた議論になり、
それをそのまま受け流して解説(?)するメディアも核心からそれてぼやけたことしか出さない。

少し想像すれば具体的なイメージを持てるのだが…。

さて、
核心的な現実の事象、現実の脅威とは、
すなわち、
世界最大の軍事国家になりつつある中国、
そして、
国内政治を重視して一国平和主義的な孤立主義に向かいつつあるアメリカ、
この環境変化が日本の安全保障の強化をうながし、
日米安保の強化、安保法制整備が急務になっているのが現実なのだ。

言わずと知れた…
以心伝心…
余白・言外でモノを言うという日本らしい状況だが…

週間ST「ナオミ」の癖〜安倍首相のアメリカ議会演説について

英語新聞のジャパン・タイムズが英語学習者向けに毎週発行している「週間ST」に、
「世の中の問題を議論する~ダイアログ(会話)」というコーナーがある。
ここでは、
日本人の女性ナオミと外国人男性のデヴィッドが、
そのときどきの政治・社会問題を英語で会話する。

2015/5/22号のテーマは、
安倍首相のアメリカ議会での演説だった。

ナオミは政府や既存の考えに常に批判的で、
特に安倍首相を感情的に嫌っている知的?感情的?な女性(書き手は男?)だが、
日本に帰国した安倍首相の表情が得意げ・満足げだったことを、

「He always does - that's was one of his irrigating habits」
訳は、
”いつものことよね。彼(安倍首相)のしゃくにさわる癖の一つだわ。”
と。
※「He always does」=いつものこと
 「irrigating habits」=しゃくにさわる癖

ナオミは、
安倍首相の”しゃくにさわる癖”をいくつも見つけているようだ。

はて、
さて、
安倍首相の表情を見てそこまで思うのはナオミの勝手だが…
英語学習誌の紙面でそこまでいうのはいかがなものか。

また、
演説の成果として「ケーキのひとかけら」が配布されたが、
ケーキそのものは「安倍首相が自分で独占した」ともいうが、
日本は民主主義国家であり独裁者の国家ではなく、
私利私欲で安倍首相が動いているとは考えられない。

ナオミは民主主義国家、日本に生きていない人か?

最後に、
「彼(安倍首相)の本当の意図は、
世界の軍事大国として日本の地位を高める計画を発表すること」だと。

簡単な会話で簡単に済ませられない深いテーマだが、
紋切り型でこの一連の会話は終わってしまう。

この「計画」とは、
安保法制のことだろうが…なんとも説明不足。

たぶん、
週刊STのこのコーナーでは、
ナオミは昔からこの紋切り型の批判、安易な論調でやってきたのだろうが、
今までの生ぬるい戦後体制ではしっくりいっていたのだろう。

しかし、
安全保障問題の議論は慎重にすべきであり、
現代日本ではナオミの安易な紋切り型批判そのものが、
「irrigating habits」=しゃくにさわる癖に思え、
非常に浮いて見えるようだ。

それは日本社会の変容の一端、
変容の「ひとかけら」なのだろう。

アシアナ航空機事故とオスプレイ事故

最近、二つの航空機事故がおきた。

ひとつは日本での事故で、
広島空港で韓国・アシアナ航空が事故を起こした。
危うく多くの死者が出るところだった。

もうひとつはアメリカでの事故で、
アメリカ軍のオスプレイがハワイで訓練中に墜落して1名死亡した。

たしかに、
オスプレイは試作段階、運用開始初期の段階で多くの事故を起こして、
「未亡人製造機」と言われたが、
本格運用後は…
既存の多くのヘリコプターとオスプレイの事故率を比較すると、
オスプレイの方が安全性が高いとのデータがある。

オスプレイは軍用機で乗員はプロの軍人で、
訓練等では非常に高度な運用をしている。
これに対して、
民間の旅客機は安全で確実な飛行を行っており、
事故になれば多くの一般人の被害者が出る。

オスプレイの事故は軍事機密になる可能性があり、
その事故の原因究明が公表されることはないかもしれないが、
広島空港でのアシアナ航空機の事故原因は公表されるべきものだ。
しかし、
アシアナ航空機事故はいまだに解明されていないが…
パイロットの単純ミスの可能性が濃厚だ。

オスプレイの事故は問題視するが、
アシアナ航空機事故はうやむやにする、
それは現在の偏向した世論だろう。

日本の「戦後」はいつ終わるのか?〜新憲法で終止符

世界で最後の「戦後」を社会に温存しているのが日本かもしれない。
だからこそ、
隣国の中国、韓国は日本に内在する「戦後」意識を攻め続けるのかもしれない。

日本の「戦後」が終焉したときに世界の「戦後」は終焉し、
自虐的な「戦後」意識を消し去ることで、
思い込みの主観に満ちたねつ造・誇張がない、
客観的な歴史検証が始まり、
70年前に終わった悲惨な戦争の歴史を客観的に認識できるのだろう。

さて、
日本の「戦後」は本当に終わるのか?

戦争の歴史は永久に記録されるが、
これから戦後80年、戦後90年、戦後100年…
日本の「戦後」は永久に続くのか?

それは、
戦後日本に生きる多くの人々が、
謙虚に問い続けてきた謙虚な疑問だろう。

歴史から戦争の歴史を消し去ることはできないが、
70年前の日本の同盟国=敗戦国だったドイツやイタリアは、
とっくの昔に「戦後」意識を脱却し、
ドイツやイタリアは周辺国に日本のように謝罪を強要されていない。

ドイツ、イタリアの場合は地続きの欧州大陸にあって、
東西冷戦の最前線に位置したという地政学理由も大きかっただろうし、
ドイツは東西に国を分断されたことが戦後の大きな償いになったのだろう。

日本の戦後は…
「戦後」の終焉を先伸ばしにせずに今この時代に、
明確に「戦後」に終止符を打つ意思を持つべきだろう。

終止符は日本自身ではなく、
外国に打ってもらうべきものだ、
というのが戦後を支えてきた建前的な姿勢だろうが、
その本音は…
日本人自身は主体的意思で戦後を引きずり続け、
安全保障をアメリカに依存して経済繁栄だけに専念してきたように思える。

戦後を終わらせるのは、
戦後を克服したいという日本の主体的意思だけでなく、
70年前の敵対国だったアメリカ・イギリス等の明確な「許し」が必須では…
しかし、
戦争の当事者だったアメリカやイギリスは、
戦後早々に日本の再軍備、軍事的独立を催促していたから、
特別な「謝罪」「許し」はすでに不要なのだろう。

日本憲法の精神には言外に、
「謝罪」と「許し」、
その総称としての「戦後」体制の永続が謳われているように思われる。

戦後早々に起きた国際環境の変化、
中国の共産化によって70年前の戦争当事者の中国・国民党は台湾に逃れ、
朝鮮戦争、東西冷戦の中で中国、旧・ソ連(ロシア)は日本の仮想敵国になった。
そして、
日本憲法前文にある「平和を愛する諸国民」の概念は崩壊して絵空事になり、
1950年代以来、日本の憲法はその存在基盤を大きく喪失していると思われる。

【蛇足】
日本国憲法の前文にある第二段落の最初の文言、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」とは、日本は軍事力を放棄して国の安全保障を”平和を愛する諸国民”の軍事力に依存して平和を守ってゆくことを意味している。”平和を愛する諸国民”は、日本以外の諸国民を指している。
しかし、今、”平和を愛する諸国民”は、日本憲法を実質的に制定した連合軍、特にアメリカ国民を主に指しているのであって、東西冷戦時の東側諸国、今の中国やロシアのことではなく、また多くの日本人を拉致した北朝鮮や竹島の不法占拠を続ける韓国でもない。実際、ベトナム戦争・イラク戦争・アフガン戦争などを戦ったアメリカも”平和を愛する諸国民”とはいえない。
実際、”平和を愛する諸国民”を持つ大国はこの地球上に存在しない?…70年間、戦争をしていない日本こそ、”平和を愛する諸国民”だろう。


日米安保同盟の強化は、
戦後の日本を次の段階に進ませる手段であって、
それ自体が目的ではないのかもしれない。

日本は、
中国の脅威と対等に向き合える政治的・経済的な安定的な基盤をつくって、
非民主主義的に制定された明治憲法や現憲法ではない日本独自の憲法、
民主主義的な合意の元で新憲法を制定してゆくことが、
日本の最大の政治的課題だろう。

この新憲法をもって、
日本の「戦後」は終焉するのだろう。