前回の続き。

 

競走生活14戦9勝・2着5回。

連対率100%で現役引退したサンデーサイレンス。

 

1990年9月。

ハンコックⅢ世氏は、本馬を自身の

ストーンファームで種牡馬入りさせる予定でした。

 

高額な種牡馬シンジケート(種付株)を組む

計画を進めていましたが、地味な血統背景や

見栄えのしない馬体から、米国の馬産家からは

敬遠されていました。

 

対照的に、

本馬のライバル「イージーゴア」は、

新種牡馬として人気を博します。

 

 

ストーンファームの拡張に伴い、

借金を抱えていたハンコックⅢ世氏に

権利の全てを売って欲しいと打診したのが、

社台グループ総帥「吉田善哉」氏である。

 

ハンコックⅢ世氏は、断る理由もなく、

当時の日本円「約16億5千万円」で

吉田氏にサンデーサイレンスを売却。

 

 

同年10月、サンデーサイレンスは来日。

日本では当時の史上最高額

25億円の種牡馬シンジケートが組まれることに。

 

本馬は、社台スタリオンステーションでの

種牡馬生活がスタートしました。

 

 

初年度の種付け料は、1100万円。

 

かなりの高額のため、繁殖牝馬は集まらず。

 

社台グループは自身が所有する最高級の

繁殖牝馬にサンデーサイレンスを種付けし、

初年度は、77頭と交配。

 

2年目は84頭、3年目は99頭と交配したが、

爆発的な人気とはならず、この時点では

特に注目されず、平凡な存在でした。

 

 

しかし、ここから伝説の開幕へ。ビックリマーク

 

 

今でも伝説として語り継がれる

サンデーサイレンス初年度産駒の活躍を

紹介しましょう。

 

まず、初年度産駒のトップバッターは、

北島三郎オーナー所有のキタサンサイレンス

 

この馬が、産駒としてデビューした

サンデーサイレンス産駒の第1号です。

 

まさか、十数年後にサンデーの孫として、

キタサンブラックが誕生するとは、

さすがに北島オーナーも

この時は、想像していなかっただろう。

 

 

1994年6月18日札幌芝1000m新馬戦。

このレースを見事勝利し、最初の勝ち名乗り。

 

同年7月31日札幌3歳S。

プライムステージが本馬産の最初の重賞制覇。

(当時は、現2歳を3歳と表記していた頃)

2着にキタサンサイレンスが入り、

本馬産のワンツー決着。

 

同年12月11日朝日杯3歳S。

フジキセキが優勝し、最初のG1制覇。

 

同年12月24日ラジオたんぱ杯3歳S

タヤスツヨシが優勝。

 

その結果、

1994年の新種牡馬ランキング1位を獲得。王冠1

 

 

初年度産駒の活躍から、

一気に本馬への需要は高まり、

種牡馬生活5年目(1995年)には、

142頭の繁殖牝馬と交配。

 

初年度産駒が4歳(現3歳)になる1995年。

 

サンデーサイレンスが日本競馬を

制圧する年となる。

 

まず、皐月賞はジェニュインが優勝し、

2着タヤスツヨシとなり、本馬産のワンツー決着。

 

オークスは、ダンスパートナーが優勝。

 

ダービーは、タヤスツヨシが優勝。

 

初年度から、牡牝クラシックの頂点を極める。

 

同年12月朝日杯3歳S(G1)

バブルガムフェロー(2年目産駒)が優勝。

 

この年は、本馬産が重賞11勝(G1・4勝)

 

1995年は、わずか2世代の産駒だけで

全日本首位種牡馬、中央競馬首位種牡馬の

ダブルリーディングサイアーを獲得。王冠1

(もちろん、史上初の快挙)

 

ここから2007年までの13年間

全日本首位種牡馬・中央競馬首位種牡馬に君臨。

まさに、一時代を築き上げた日本種牡馬界の神。

 

産駒の活躍により、種付け料は高騰。

 

1999年(種牡馬9年目)には、2500万円。

2002年(種牡馬12年目)には、3000万円。

 

それでも、毎年繁殖牝馬は殺到した。

 

6年目は183頭、7年目は171頭、

8年目は185頭、9頭目は199頭、

10年目は197頭、11年目は223頭と右肩上がり。

 

 

本馬の活躍は、海外でも取り扱われ、

日本版ノーザンダンサー」と評されました。

 

 

1996年には、米国競馬の殿堂入り。

20世紀米国名馬100選の第31位に選ばれる。

(ちなみに、ライバルのイージーゴアは第34位)

 

サンデー勝ったね、ふふふ・・・にひひ

 

 

サンデーサイレンスの気性の激しさは

種牡馬となっても変わらず、

社台スタリオンステーションのスタッフから

「ボス」と呼ばれていた。

(今で言うなら、北海道のビッグボスですね)

 

そのボスも、近くにメジロマックイーンが

いるときだけは、大人しかったらしい(笑)

 

 

ここで、中央競馬での本馬産の重賞成績と

G1成績とG1勝ち馬を紹介したい。

 

まずは、産駒の重賞成績はこちら。

 

獲得賞金がエグいですね(驚愕)

これは、重賞だけの金額ですからね。

 

 

次に、産駒のG1成績はこちら。

 

中央のG1を、71勝しています。

(芝70勝・ダート1勝)

 

G1勝ち馬一覧がこちら。

 

ゴールドアリュールは、この他に

交流重賞G1を3勝。

(東京大賞典・JDD・ダービーGP)

 

ハーツクライ・ハットトリックは、

海外G1も勝利。

 

上表に載っていないステイゴールドは

香港G1を勝利。

 

 

種牡馬サンデーサイレンスの主な記録

 

リーディングサイアー

連続リーディングサイアー

通算勝利数

通算獲得賞金

通算重賞勝利数

通算G1競走勝利数

年間勝利数

年間重賞勝利数

年間G1競走勝利数

年間獲得賞金額

通算クラシック勝利数

1週勝利記録(2004年5/8,9に15勝)

 

 

中央競馬・地方競馬あわせて

通算勝利数は「3721勝

これは、当時の世界最多記録。

 

現在は、サウスヴィグラスの

4964勝が最多記録(2021/11/16現在)

※現在も記録更新中

 

 

産駒の通算獲得賞金

795億7951万7000万円

 

年間獲得賞金額

92億2004万4000円」(2005年)

 

それまでの年間獲得賞金額は、

1995年ノーザンテーストの

「21億4451万5000円」

 

それを、約4.5倍ほど更新したわけですから

とんでもない記録でございます。

 

 

 

2002年5月初旬。

本馬は、馬房内で右前脚を壁にぶつけて

怪我をし、この年の種付けを中止。

 

細菌が感染し、右前脚に炎症を発症。

イギリスからフレグモーネ(炎症)の

専門医を招き、3度に渡る切開手術を行い、

一時は回復しました。

 

しかし、右前脚をかばったために、

8月初旬、今度は左前脚に蹄葉炎を発症。

(蹄の内部に炎症が起こり、激痛を発する)

 

24時間体制で、看護が行われました。

 

社台グループの関係者の間では、

安楽死の議論も行われたが、本馬が過去に

何度も生死をさまよい、崖っぷちから奇跡的に

生還したこともあり、彼の生命力に期待し、

安楽死の措置は取らず、鎮痛剤の投与をする日々。

 

 

サンデーサイレンスは、痛みと

最後まで闘い、懸命に生きようとしたものの

残念ながら、8月19日衰弱性心不全により他界。

 

享年16歳。

 

まだまだ、競走馬の寿命としては

若く、少し早い旅立ちでした(泣)

 

 

彼の死に、日本中央競馬会理事長は

公式声明を出し、哀悼の意を表されました。

 

声明の一部抜粋

「非常に悲しく思います。私は競馬及び馬産に

おける彼の子孫達が成功することを祈ります」

 

 

サンデーサイレンスの遺体は、

社台スタリオンステーションを

見下ろす丘の頂上に埋葬され、

今も子孫たちの活躍を見守っています。

 

 

 

彼は、母の父としても非常に優秀で

中央競馬では、2006年に

リーディングブルードメアサイアーを獲得。

 

2006~2019年まで、

母父首位種牡馬、14年連続1位

 

 

彼がいなくなった現在でも

日本の競馬を支えているのは、

サンデーサイレンスの孫や曽孫たち。

 

ディープインパクトを筆頭に

ハーツクライやダイワメジャーなどの

サンデー系産駒の活躍により、

日本競馬の今がある。

 

 

 

産駒の特徴としては、

スピード・勝負根性・闘争心・瞬発力など

競走馬として必要不可欠な要素は、

多くの馬たちが兼備している。

 

さらに、身体能力の高さ、

距離に対する守備範囲の広さなども。

 

一方で、マイナス面もあり

気性の荒さ、脚部不安などに

悩まされる産駒も多かったですね。

 

 

今後、このようなスーパー種牡馬が

現れるのかどうかは、さておき、

サンデーサイレンスが平成の日本競馬の

発展に貢献したことは、決して忘れることはない。

 

 

これからも、私たちは

彼の子孫たちを応援し、共に歩んでいきます。

 

 

最後に、

アーサー・ボイド・ハンコックⅢ世氏による

サンデーサイレンスとの思い出の映像をどうぞ。

(全部、英語です。ご了承ください)

 

 

 

 

 

今回はここまで。

 

 

2回に渡り、読んで頂き、

ありがとうございました。

 

 

サンデーサイレンスのお話は、

これにておしまい。

 

また、別の機会にサンデーの企画が

出来ればいいなと思っています。

 

 

では、次回をお楽しみに。