8月22日生まれ | いずみ先生のひとりごと

いずみ先生のひとりごと

相模原市中央区東淵野辺(最寄駅;古淵)でピアノと音楽の個人レッスンをしている辻田いずみのピアノや音楽についてのブログです。


≪8月22日生まれの音楽家たち≫
今月末までは音楽祭出場者応募が
少ないので
(応募少数の場合は次回から無期限延期。
今のところ延期する気満々しょぼん)
ほぼこの記事をも
掲載させていただきます。

音楽ジャンルは問いません。
ジャズ、ロック、民族音楽など
なんでもござれ!!です
(ただし会場の都合で
和太鼓の大はNG)
年齢性別国籍も問いません。

お教室の発表会替わりなどにもどうぞ。
(ワタクシの教室では
それも兼ねています)
詳しくはワタクシのホームページ
音楽のごった煮と称した
オジヤ音楽祭」のページにて。

ではお待たせしました
本日分をどうぞラブラブ

音譜ドビュッシー(クロード・アシル・ドビュッシー;Claude Achille Debussy)
  1862年8月22日~1918年3月25日(享年55歳)
  フランス;サンジェルマン=アン=レー
  作曲家。
  交響詩「海」、「ダフニスとクロエ」、
  ベルガマスク組曲、前奏曲集など

  今月のピアノ教室及びアロマルーム「YURAGI」の
  オリジナルブレンドエッセンシャルオイルは
  彼がモデルの香りになっています。

  ドビュッシーは音楽の印象派と
  認識されている方も多いかと思いますが、
  一部の方々は印象派という呼び方は
  お嫌のようで後期ロマン派と分類するようです。
  音楽の歴史も絵画や建築の名称と
  同じ呼び方をすることが多いため、
  それを嫌った方々かと思いますが。

  8歳でピアノを習い、10歳でパリ音楽院に入学、
  ピアニストになるつもりで
  ピアノ科に属していましたが
  2度の賞を獲得した後、
  2年続けて取れなかったために
  その道を諦めます。

  16歳の時に初めて作曲、
  酷評に悩まされ続け、
  認められるようになるのは22歳の頃。
  27歳の時にパリ万博でガムランに衝撃を受けます。

  プライベートでは2度結婚をしていますが、
  2度目は不倫の末、
  今でいう「出来ちゃった婚」でしょうか。

  その不倫に悩まされた最初の奥さんは
  自殺未遂を起こしています。
  (だから捨ててしまったという
  ちょっとトンデモナイ男です)
  その報いでしょうね、
  そのことで多くの友人も
  彼から離れていきました。  

  日本との関わりといえば交響詩「海」
  葛飾北斎の「富嶽三十六景神奈川沖浪裏」から
  インスパイアされて作曲しました。
  その浮世絵は書斎に飾ってあり、
  その絵と共に写っている写真も残っています。
音符だよ。2つ のデコメ絵文字 音符だよ。2つ のデコメ絵文字 音符だよ。2つ のデコメ絵文字 音符だよ。2つ のデコメ絵文字 音符だよ。2つ のデコメ絵文字 音符だよ。2つ のデコメ絵文字 音符だよ。2つ のデコメ絵文字 音符だよ。2つ のデコメ絵文字 音符だよ。2つ のデコメ絵文字 音符だよ。2つ のデコメ絵文字
音譜シュトックハウゼン(カールハインツ・シュトックハウゼン;Karlheinz Stockhauzen)
  1928年8月22日~2007年12月5日(享年79歳)
  ドイツ;メトラート
  作曲家。電子音楽「テレムジーク」「少年の歌」、
  2人のピアニストのための「マントラ」など

  ドイツ生まれの現代作曲家です。

  4歳のときに母親が精神を病み入院しますが、
  ナチスの政策の一環で安楽死させられます。

  父親は1945年に戦地へ赴き
  そのまま行方不明に。
  その父親は大学講師で
  ピアノを弾いていたということから、
  彼も6歳から習っていたようです。

  1947年にケルン音楽大学の
  ピアノ科に入学、そこで作曲を勉強、
  1952年にはフランスに渡って
  パリ国立音楽高等学院に入学、
  メシアンやミヨーにミヨーに作曲を学びます。


  彼の功績と言えば
  世界で初めての電子音楽を作曲したこと、
  セリエル音楽を主導したこと、
  直感音楽を提唱したことなどが
  挙げられるでしょうか。

  日本とも関わりがあり、
  上記に挙げた「テレムジーク」は
  雅楽や東大寺のお水とりの音が使われています。

  ただ彼の音楽は彼自身が哲学を学んだこと、
  敬虔なクリスチャンであることから
  少し難解かもしれません。