西日本の集中豪雨で多くの地域が被害を受けています。

 

私の地元広島の呉でも連日のように被害が報道されています。

 

 数日前に、私が想像していた以上に被害は大きいように感じます。

 

当たり前の見慣れた風景が、全然別の風景に変わってしまっていました。

 

「広島は山も海も身近にあって恵まれているなぁ」と思っていましたが、こういう状況になると海や山などが凶器に変わるんだと思い知らされました。

 

日常の何気ない毎日に刺激が欲しくなる時がありますが、今回の様な事があると、何も起きない平凡な日常のありがたさが身にしみます。

 

色んな事が当たり前ではないことに気づかされますが、こういう状況ではとにかく祈ることしかできない無力さを感じます。

 

私の身近な人々もいろんな不便を強いられて乗り切ろうと頑張られています。

 

被害にあっていない私などからは、軽々しい言葉はかけられませんが、精神的にも物理的にも、一日も早い回復を祈るばかりです。

 

合掌

 

広島の大雨の影響で、広島から東京に移動できなくて、患者さまや東京のスタッフに多大なご迷惑をおかけしたことをこの場を借りてお詫びさせていただきます。

 

 

新幹線や飛行機が止まってしまうのかどうかは結果論になってしまいます。

「止まってしまうのだったら、もっと早く帰ったのに……」

「できればぎりぎりまで、予定通りのことをしていたい」etc

 

決断するということはリスクを伴います。

動いても動かなくてもリスクはあります。

そしてどうしても結果から「あーしておけばよかった」、「こーしといた方が正解だった」と後悔してしまいます。

 

結果は誰にもコントロールできません。

自分でコントロールできるのは、その決断に至るまでのプロセスの考え方と、起こってしまったことに対する誠心誠意の後始末だけだと思います。

 

「プロセスの考え方」として自分の決断には、私利私欲がなかったか!?損か得かよりも正しいか正しくないかと考えたか?!たとえ結果が思う方向に行かなくても、そういう決断までの考え方で、自分の中での後悔を最小限に抑えられるか?等十分に考えつくしたうえで決断したのか?ということが大切なんだと思います。

どんな結果が出ても必ず後悔はあると思います。

プロセスとして決断の考え方が変えられないものであれば、あとは起こってしまったことに対して全力で後始末をしていくしかありません。

 

人間関係において、「あの人がしたことなら仕方がないか」「あの人の為なら協力しよう」と思ってもらえる「信頼貯金」を蓄えていくことは、どうにもできない出来事に対する自責の念を和らげてくれる助けになります。

平時の際に「信頼貯金」をしておかなければ、有事の際に一挙に信頼関係は崩壊してしまいます。

 

しかし、お金においても人間関係においても貯金をしていくことは心に油断ができるので難しいものです。

「人は追い込まれないと頑張れない!!」というのが私の心情なので、貯金をするよりも借金を返していく方が結果的には簡単です。()

貯金はしなくても怒られませんが、借金は返さないとひどいめにあいます。()

貯金と借金返済では必死さが10倍以上違います()

 

人間関係において、「自分はこの人に借りはない」と思って貯金をしていくことは難しいですが、「自分はこの人にお世話になっている、借りがある」と思って接すれば、借りを残したまま生きていくのは生きづらいので、少しずつ借金を返していこうという言動につながってくるのだと思います。

 

親鸞聖人が「善人でさえ幸せになれるのだから、悪人はなおさら幸せになれる。」ということを言われていますが、自分のことを善人だと思ってしまうと、「自分は他人に対して無借金だ」というスタンスで生活しますが、自分のことを悪人だと思っている人は、「自分は、周りの人や社会に対して借金がある」というスタンスで生活していけばどちらの方がより幸せになれるかということなのではないかと思います。

 

どんな決断にも後悔はつきものですが、後悔を伴う結果に感情的に流されないで、決断までの考え方と結果に対する後始末の覚悟が、決断に勇気を与えてくれることを今回の出来事から学ばさせていただきました。

 

 

 

仕事をする一番の目的は「お金」「給料」であることは否定できないでしょう。

「何のために仕事をするのですか?」と聞かれれば、「生きていくため」「生活するため」と答える人が大半だと思います。

働かなくても生活できるのであれば、無理に働かない、という人がいても不思議ではないでしょう。

 

次に「何のために学校に行くの?」と子供に聞かれたら「義務教育だから」「勉強を学ぶため」「お友達を作る為」などいくつかの理由が出てくると思います。

 

クラブ活動で、例えばバスケット部の生徒に「何のために練習しているの?」と質問すると「バスケットボールがうまくなりたいから」「レギュラーになりたいから」といった答えが多いと思います。

 

仕事において「お金」「給料」を意識しても自分でコントロールできない要素が大半です。

自分でコントロールできないことに意識を向けていると、自分でコントロールできることがおろそかになってきます。

ビジネスの世界で「仕事の報酬は仕事」という言葉があります。

ある仕事で結果を出した人には、次にもっと責任のある仕事が任せられるということです。

目の前の仕事で相手の期待以上の結果を出していけば、仕事の難易度が上がってきて結果的に「給料」上がってくるという流れです。

「自分の仕事の報酬は何か?」ということを意識していくことで仕事へのモチベーションも違ってきます。

 

学校へ行く目的も、「義務教育だから」「勉強を学ぶため」などの無意識でも頭に浮かぶ以外の、社会に出てからどう役に立つのかを伝えていくことが親や先生の役目のような気がします。

「何のために勉強するの?」にしても子供の心に響く答えを伝えていくことが大人の役目のような気がします。

 

クラブ活動にしても、最近の企業ではレギュラーで活躍していた学生よりも、控えの選手であっても前向きに向き合っていた学生の方が評価される時代みたいです。

才能に恵まれてレギュラーになった人も立派ですが、頑張ってもレギュラーになれなくても気持ちを切らさないで頑張った学生は、仕事においても思い通りにいかない状況でも根気強く頑張れる人が多いという論理らしいです。

会社としては、バスケットのうまい人を採用したいのではありません。

バスケットとどう向き合ってきたかということを見たいのだと思います。

 

仕事も学校もクラブ活動も生き方を学ぶ場所なのだと思います。

人間にとって一番大切なことは「どう生きていくか?」ということだと思います。

 

仕事も学校もクラブ活動も「目に見える報酬」と「目に見えない報酬」があります。

「目に見える報酬」にばかり目を向けていると生きるのがつらくなりがちです。

本当の宝物は「目に見えない報酬」の中にあるのだと思います。

 

サンテグジュペリの「星の王子様」の「本当に大切なものは目では見えない」という言葉を、こんなところでも思い出してしまいます。

 

 

 

 

YouTubeで無期懲役の受刑者の特集をしていました。

一生服役する人にとっての「生きがい」について考えさせられました。

 

私の中で夢や希望や目標などがなければ、生きるのはしんどいと思っています。

「こうなりたい」「これを手にしたい」「誰かに認められたい」etc等々

 

今の平和な時代において、人にとって一番しんどいことは「生きるために生きる」ことだと思っています。

戦時中や生きることが奇跡的であったり大変な時代においては、「生き抜くために生きる」ことが目標になる時もあったと思います。

そんな時代でも夢や目標等のある人とない人とでは、生き方に大きな違いがあったことと思います。

 

ナチスのユダヤ迫害についてのベストセラー本の「夜と霧」の中で、未来に夢や希望を持てなかった人から死んでいったと書かれていました。

あの過酷な状況下においても、作者のフランクルは自分の体験を本にするという「希望」が生き抜く原動力だったと書かれていました。

 

今の日本では、「何としても生き抜いてやる!!」ということが目標にはなりにくいです。

物質的にはほぼ満たされていて、幸せへのヒントは精神的なものの中にしかないような気がします。

 

先ほどの無期懲役の受刑者たちの心の支えが「宗教」になっている人が多いと言われていました。

目に見えるものに幸せを見出しにくい時代には、精神的なものに幸せを求める時代になってくるように思います。

人は苦しい時に宗教に救いを求めていきます。

今の時代は、満たされすぎて、ある意味逆に生きることが苦しい時代なのかもしれません。

 

物では幸せを感じにくい時代において、人から認めてもらうこと、人の役に立つこと、自分の行いを自分で評価できることなどが、自分の存在意義を実感できる幸せな瞬間なのではないかと思います。

 

あるビジネス雑誌に、これからの企業は「何のために働くのか?」を社員に伝えていけない企業は淘汰されていく!ということが書かれていました。

社員に「人が働く理由」を納得させれない企業は、「同じ給料ならできるだけ楽をしたい」という社員が増え、社員レベルが低い会社になり、お客様からも評価されなくなってくるという論理らしいです。

 

人が頑張るには「頑張る理由」が必要なように、人が生きていくためには「生きていく理由」を持っている人間は強いのだと思います。

「人が生きていく理由」それを「使命」とか「ミッション」と言い換えるのだと思います。

自分の使命に気づいた人が「幸せ」という目に見えないものを手にすることができるのだと思います。

 

 

 

毎日雨が降ってじめじめしていますが、6月は梅雨の期間ですが、経営者にとって、6月は賞与月です。

経営者にとって賞与は給与と違って大きなプレッシャーになります。

と言いますのも、給与は毎月決まった金額ですが、賞与はいろんな要素が絡んで変動的になります。

 

決まった金額だったら受け取る方も変な期待はしません。(笑)

しかし、貰うまで金額が分からないとなれば、30人以上のスタッフがいれば、一人一人がいくらの金額をイメージしているのかは、私には想像もつきません。

となると、賞与の金額を見て「思ったより多かった」と思う人と「思ったよりも少なかった」と感じる人が出ます。(もちろん「思った通りだった」という人もいますが……)

 

私の友人の中には、そういう悩みを持つのが嫌で、全員の金額を一律にしているというクリニックも多いです。

私の中では、給与と賞与は違う性質のものだと思っているので、個人個人のスタッフのモチベーションの意味でも、色んな評価を加味して金額を変えるべきだと思っているので、賞与のたびに苦悩が付きまといます(笑)

社員にとって仕事をしている一番の理由が「お金」や「休み」であることは、否定できないことなので、経営者としては世間相場よりも多めに出していく努力をしていかなければなりません。

 

一方、人間というものは自己評価と他者評価を比べると、どうしても自己評価の方が高くなってしまうものです。

スタッフの中には「十分もらっています」と言ってくれる貴重な人はいますが(笑)、そういう人でも心の根底には「もっと欲しい」「もっともらっても当然だ」という気持ちがあるのが普通です。

人は無意識下では「損か得か?」という基準で動くことが多いです。

損得の中でもお金は魔力があります。

「お金が要らない」と言い切れる人は少ないと思います。

私自身、「お金」のことを考え出すと、不安になったり、欲望がうごめきだす()ので、お金のことは極力、意識的に考えないようにしています。

しかし、給料や業者への支払いなど、お金のことを一切考えないわけにはいかないです。赤字になったら経営していけません。

お金のことを無視して経営していくことはできません。

しかし、お金にとらわれて経営していると大失敗をして足元をすくわれてしまいます。

 

「お金のことを極力考えない」というのはきれいごとではなく、そういうスタンスで経営していかなければ結果も悪い方向に向かってしまう、という苦い経験から意識的に努めてそうしています。

「お金」は「目的」ではなくて、「結果」です。

お客さんや周りのスタッフから評価されていれば、お金もあとからついてきますが、周りから評価されなくなってくれば、当然、お金も逃げていきます。

 

賞与のお話から経営的な話に流れてしまいましたが、「お金とは何ぞや?」「お金は目的なのか?それとも結果なのか?」ということは常に意識しながら生きていかなければ、お金には魔力があるだけに、道を誤ってしまう大きな引き金になりかねないと日々感じています。

色んな人と接していて、その人が幸せかどうかは、お金との接し方を見ていると何となく感じることも多いです。