「お客様は神様です」と演歌歌手の三波春夫さんが言いました。
若い時に、外国人の知り合いが「Customer is always right.」と教えてくれました。
スターバックスには 「Just Say Yes」 といったポリシーがあるそうです。
一方、年々クレーマーが巨大化してきているということが、日々ニュースに取り上げられます。
「サービスされる人(お客)とサービスする人の理想の関係って何なんだろう??」と考えることがあります。
お金を払う人が上で、お金をいただく人が下なのであろうか?
お金を払うのだから、気持ちよく対応してもらう権利があるのだろうか?
お金をいただくことは、従順になる義務を含んでいるのだろうか?
ポイントは「お金」なのだろうか?
お金をいただく以上は、できない我慢をすることが仕事の難しさなのだろうか?
「お金」を払う人が威張る権利があって、お金をもらう人が下手に出る義務があるのだとしたら、給料を払う人が威張って、給料をもらう人はへつらうのが普通なのだろうか?
最近の求人難では、決してその原理は当てはまらない公式だ(笑)
雇い主と雇われる人との理想的な関係は「働いてくれてありがとう、働かせていただいてありがとう」で、最悪の関係が「雇ってやっているのに、なんだその態度は…、(安い給料で)働いてやっているのに感謝の気持ちのかけらもないのか…」だろう。(笑)
そう考える、お店の人とお客との理想的な関係は「買っていただいてありがとう、売っていただいてありがとう」で、最悪の関係が「お客だと思って偉そうにしやがって……、買ってやったのになんだその態度は…」ではないか……(笑)
頭を下げる下げないとか、どっちが上か下という問題ではなく、お互いに相手をリスペクトする必要があるのではないか?
昔の物質優先の価値観では、お店とお客の上下的な関係において「お金」は重要なファクターだった気がするが、最近の価値観では「お金」のために威張ったりへつらう関係になることは、特に若い人には受け入れがたくなってきているような気がします。
今の時代の日本のような恵まれた環境では、お金のために頭を下げるということが昔ほどは受け入れにくい人が多いのではないかと感じます。
いろんなお店で接客を受ける時に、どちらがお客さんかわからないような横柄な態度をとる店員さんもたまにいます。
こういう人は仕事に対しての向き合い方が何か違うような気がします。
働く人からすれば、仕事は、生活をしていくための給料をもらうためにします。
しかし、人間的な成長という視点からすると、仕事の時ぐらい他人に奉仕したり、自分を抑えなければ、人は無意識に生きてしまい、傲慢になったり自分勝手な勘違い人間になってしまいます。
人間誰しも大なり小なりプライドがあります。
仕事とはいえ、納得できないことに頭を下げたり、自分の感情を押し殺すことはストレスですし受け入れがたいことです。
人は「幸せになる為に生きている」のであれば、幸せになる為には「感謝する気持ち」「相手を尊重する気持ち」「自分への執着を手放す努力」などは欠かせないと思います。
しかし、これらのことを日常のプライベートの生活から学ぶことは難しいのではないかと思います。
自分がお客になって売り手に感謝するよりも、自分が売り手になって相手に感謝する方がより心がこもるし、自分が売り手の時に、お客に嫌な対応をされて自分の感情を押し殺しても相手の満足のために頑張ることで「自分への執着を手放す」修行になってくるように思います。
お給料をもらっているから、相手がお金を払っているから、プライベートではできないような我慢をしないといけないと考えるのか?
それとも、仕事の時ぐらい自分を律した言動をしなければ、いつ自分を律することが出来るのか?!と考えるのかで、やらされている感と自主的感が違ってくると思います。
自分はお給料のために卑屈になっていると考えるのではなく、自分の成長のために自分から好んで自分を律しているんだと思えれば、「今日も利己的な自分、自分勝手な自分を律することが出来た!!」と成長を実感できるのではないかと思います。
そう考えれば、相手が自分のお客さんになろうとなるまいと、支払われるお金の金額の大小にかかわらず、相手に誠意を尽くしたり気持ちよく対応することが自分事になってくるのではないでしょうか?
逆に、お客さんに対して横柄な態度をとっている人を見れば、お客さんに対してさえ自分を律することが出来ないこの人は、今後どんな不幸な人生を歩んでいくのだろうかと思えて、腹が立つのではなくその人に対して同情の気持ちが芽生えてくるのではないだろうか?
嫌々やらされていることは、被害者意識が芽生えて得るものも少ないですが、自分の意志でやっていると思えた時にそこから学ぶことが出来るのだと思います。
仕事を頑張る理由の一つが、自分が勘違い人間にならないため、傲慢な人間にならないため、自分への執着を手放すため、等々……
仕事だと思えるから、普段できない我慢もできるし、自分の感情をコントロールできることも可能になってくる気がします。
仕事って無意識でやってはいけないのです。
無意識はプライベートで十分です。
「憂鬱でなければ仕事でない」と幻冬舎の社長が言っていましたが、仕事がしんどいのは意識して仕事することで、自分をどこまで律することが出来るのかに挑戦するのが仕事の意味と価値のような気がします。
仕事で嫌なことがあっても、そのことを受け入れるのも、お寺で座禅を組んだり滝に打たれるのも、やらされているのではなく、全ては自分を成長させるための手段だと考えれば、前向きに受け止め成長するチャンスになるのではないかと思います。