人が成長していくためには「自分と向き合う」時間が必要だと思います。

 

「自分と向き合う」という言葉はよく耳にしますが、どうすれば自分と向き合えるのか、そもそも「自分と向き合う」とはどういうことなのかを自分の中で定義しなければ、「自分と向き合う」ということが言葉の遊びになってしまいます。

 

私の中で「自分と向き合う」というのは、自分の中の弱い部分、ズルい部分、汚い部分など普段目を背けているところをじっくり見ていくことではないかと思います。

 

殆どの人間は、自分は善人でもないけど悪人でもない普通の人間であって、「どちらかというといい人だ!」ぐらいに思っています(笑)

 

しかし、何か自分の身に不幸が起こったり、予期せぬことが起きてしまうと、人間の本能の弱い「エゴ」の部分が露呈されてしまいます。

そんな時に、「人間ってそういうものだ!」と簡単にスルーしてしまうのか、自分の弱い「エゴ」部分を見つめて深く受け入れていくのかで、その人の人間力に差がついてくるのだと思います。

 

人間には性善説と性悪説がありますが、「人は生まれつき弱い生き物だ」という性弱説が正しいような気もします(笑)

弱いからダメなのではなく、弱い部分を認めながら一生懸命生きていくのが正しい生き方なのではないかと思います。

 

自分のことを好きになるというのは、着飾った自分のかっこいい部分だけを好きになるのではなく、自分の弱い「エゴ」の部分を認めながら、そこを改善しようとしている自分を含めて好きになることで本当の自分を受け入れることが出来るのだと思います。

 

 

 

 

 

私はクリニックのトップなので、開業してからこれまでに、真面目に仕事している社員から「○×さんにビシッと注意して変わるように言ってください!!」というリクエストを受けることが多々ありました。

 

クリニックの院長といっても、クリニック内の全てのことを把握しているわけではないので、仕事のできる真面目な社員から問題がある社員の改善点を指摘されると、すべての社員にできる人になって欲しいから、出来ない人にビシッと注意してきました。(笑)

「やっぱり院長がビシッと注意してから○×さんは変わりました!」というようなことを言われて、勘違いしていい気になっていた時期がありました。(笑)

 

しかし、院長を26年やってきたり、子育てをした経験から、私が「ピシッ!」と言ったくらいで相手が変わることはない、と思うようになってきました。

変わったように見えるとしたら、また怒られると怖いから変わったふりをしているだけではないかと思うようになってきました。

 

院長だからとか父親だからとか、力で相手を抑えても決して相手は変わらない、と信じるようになってきました。

人は誰かによって変わるのではなく、自分で変わりたい、変わるしかない、と自分で気づいた時にしか変われないと思っています。

 

かといって、歯科医院のトップとして、注意するべき状況を見てみないふりをすることはできませんので、そんな時に、注意するのは、相手を変えようと思って注意しているわけではなく、周りのスタッフとの信頼関係を損なわないために、注意するべき状況では注意している気かがします。

 

力づくで相手を変えることはできないが、相手が変わりたくなるきっかけやヒントを伝えていくことは、トップとしてやっていかなければならないと思います。

例えきっかけやヒントを提示しても、それを受け入れるか受け入れないかは本人が決めることです。

水飲み場に連れていくことはできても、水を飲むかどうかを決めるのは本人の意志であって、他人が無理やり水を飲ませることはできないのと一緒です。

 

人は自分で気づくまでは、同じ失敗を繰り返し続けるのだと思います。

教育とは、相手が気づくまでヒントを出し続ける気の遠くなるような行為のことなのかもしれません。

 

 

 

自分の価値観や先入観を変えていく第一のステップは「気づく」事だと思っています。

 

社員と面談をしていて、入社して3年以上の社員に「貴方はマンネリ化していますか?」と質問するとほとんどすべての社員が「マンネリ化していません」と答えます。

確かに、上司から「マンネリ化していますか?」と聞かれて「ハイ!今マンネリ化しています!」と答えたらクビになるかもしれませんから(笑)そんなことを答える社員はいないと思います。

でもここで、自分の中で「マンネリ化してる」と感じる人と「マンネリ化していない」と感じる人ではどちらが成長するのかな~?と考えることがあります。

「マンネリ化していない」と思っている方は、今の現状を変えなくてもいいですが、「マンネリ化している」と感じている人の中には、どうすれば今のマンネリ化から脱却できるかということを真剣に考える人もいるのではないでしょうか?

その方法として、職場を変えるのか、自分の仕事の内容をレベルアップさせるのか、仕事のやり方を工夫するのかなど、何らかの行動に出る人も出てきます。

まずは、自分がマンネリ化していることに気づいたら、日々同じようなことをしていないかを反省するきっかけになります。

 

ソクラテスの言葉に「無知の知」という言葉があります。

その言葉の意味は

『無知であるということを知っているという時点で、相手より優れていると考えること。また同時に真の知への探求は、まず自分が無知であることを知ることから始まるということ』

 

自分は「できている!」と思った時点で努力しなくなります。

自分は「いい人間だ」と思った瞬間にそれ以上良い人間になろうとは努力しなくなるような気がします。

 

自分の目指す場所によって、現状に満足するのか、足らない部分に気づくのかが違ってくるような気がします。

 

「無知の知」

「知らないこと」を恥ずかしいと思うのではなく、「知っている」と満足していることを恥ずかしいと思う生き方をしたいものです。

 

 

 

当クリニックでは、「クレームから逃げない!」「クレームを次に活かす!」ということをテーマに話し合うことがあります。

 

 人ならだれでも、クレームをもらえばへこみますし逃げたくなります。

しかし、クレームほどその人を成長させてくれるチャンスはないと思っています。

クレームはピンチではなくチャンスなのです。

もちろん、クレームにつながるような言動は行わないように細心の注意を払う必要はありますが、それでもクレームになってしまった場合には、全力でクレームと向き合うべきだと思っています。

 

人はなかなか変わることが出来ない生き物です。

痛い目に合わないと現状維持で満足してしまいます。

だからこそクレームをもらった時には、自分を変えるチャンスなのです。

 

知識では人は変わりません。

気づけば人は変わります。

気づきが知恵になります。

知識は感情が動かなくても記憶できますが、気づくためには心が動かなければなりません。

感情が動くことで深く気づけるのです。

 

嫌なこと、望まないことが起これば嫌でも感情が発動します。

その感情を後ろ向きなエネルギーにするのか、前向きなエネルギーにするのかで未来が違ってきます。

 怖いから逃げる。

 嫌な現実から目を背ける。

 これは人間の本能です。

 無意識で生きればそういう行動になります。

 

 しかし、未来を明るくしたいのであれば、感情に流されて無意識で行動してはいけません。

怖いからこそ向かっていく。

嫌なことこそ向き合う。

 この繰り返しで少しずつ、勇気と知恵が身につくのだと思います。

マザーテレサが言うように、人生を変えたければ、習慣や考え方を変えるしかありません。

 

当クリニックの社員の意識が高いのは、クレームと前向きに向き合える社員が多いからではないかと思っています。

 

 

 

 学校の勉強には正解がありました。

 

社会に出てからは、何が正解かわからないことがたくさんあります。

自分が正しいと思っていても折れないといけないこともあります。

正しさを追求すれば、最終的には衝突して大きなひずみが生じます。

人間は正しいから納得するわけではありません。

その人が感情的になっていれば、事実を捻じ曲げてでも自分を正当化してきます。

また、何が正しいかは、それぞれの立場や、フォーカスの当て方によっても違ってきます。

 

世の中には理不尽なことがいっぱいあります。

 

もしかしたら、私が理不尽なことを言ったとしても、耐えてくれているスタッフがいるかもしれません。(笑)

たとえそうだとしても、決して私が理不尽なことを言うたびにスタッフが辞めていくわけではありません。

きっと我慢してくれているのだと思います!!(笑)

 

理不尽とは「道理に合わないこと」という意味で、自分の道理に合わなければ自分が理不尽と感じ、相手の道理に合わなくても相手が理不尽と感じています。

 

世の中には、案外、お互いが納得することの方が少ないのかもしれません。

お互いが理不尽に感じている時に、お互いの正しさを議論しあっても決して解決はしないし、溝が深くなるだけだと思います。

 

理不尽の対処方法として、妥協したり、折り合いをつけることがあります。

そういう際にも、お互いが5分5分で妥協できれば理想ですが、現実には7:3とか8:2とか、妥協というよりはどちらかが我慢していることが多いのが世の常のように感じます。

 

 理不尽なことがあった時には、相手に妥協するのではなく、自分自身の感情とどう折り合いをつけて納得するかということが、最終的な着地点のような気がします。

 

 自分にとって譲れないことは何なのか、大切にすべきことは何なのか、そういうことを考えながら折り合いをつけていくことで自分の「軸」が形成されてくるような気がします。

 

 世の中から理不尽をなくすことが出来ない以上、理不尽に対する自分の受け止め方を持っておくことは生きていくうえで、不可欠なことのような気がします。