「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」山中鹿之助(幸盛)



人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。 
 急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なく心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
 堪忍は無事長久の基 怒りは敵と思え。
 勝つ事ばかりを知って負くる事を知らざれば害その身に至る。
 おのれを責めて人を責むるな。
 及ばざるは過ぎたるより優れり。


徳川家康



普段から何を普通と思って生きているかで、壁や辛いことがあった時の対処能力が違ってくるように思います。

「何でも来い!」「Welcome trouble」「何があっても絶対に逃げない」と決意しながら生きていければ後は幸せしか待っていないんだと思います。

弱気になった時にはなかなかそう思えるものではないですが、元気のいい時にこそ、意識的にこう思う習慣を身に着けていきたいなと思います。

そして、いつの日か、意識下では楽な道よりいばらな道を選択する生き方を選ぶ人間になりたいな。

そのためには、何が必要なのか、何が足りないのかを真剣に考えていきたいです。







気持ちが不安定で、右脳的にエネルギーが停滞している時には、左脳的な作業をしても効率が悪くなります。

別の言葉でいえば、どうしても何かにとらわれていて集中できない場合には、気持ちが入らないのでいい仕事はできません。

では、そんな時には何をすればいいのだろうか?

例えば

☆掃除

そんな時こそ、心を落ち着ける一番の方法は掃除をすることではないでしょうか?

掃除することで周りもきれいになり、自分の心も安定してきます。



☆頭を使わない単純作業

単純作業をしていくことで時間が少しずつ悪い「とらわれ」を薄めてくれます。

集中できる時には時間がもったいないですから、こういう時に気分転換にすればいいのです。

人は感情の動物ですから、いつもベストな状態ではありません。

野球でもそうですが、自分がベストではない時に自分をどうコントロールして持ちこたえられるかが、1流選手と2流選手の違いだと思います。

日常においても、いい時には誰がやってもいい結果は出るのですから、集中できない時こそ、いい環境でない時こそ、そこをどう乗り切れるかで、トータルの成長が違ってくるのだと思います。

何か嫌な事があったり、頭にきたことがあったら、今を見ないで未来を見るようにしています。




今は腹立たしいが、この腹立たしい出来事は、未来に成長や成功するために、何か活かすことはできないか?と考えれば………




出るは出るは、いろんなプラスの要素が………




こう考えれば、少しは前向きに嫌な事を受け入れられるんだと気付いた今日この頃でした。

最近、何かを始める時に意識することが3つあります。

一生をかけて取り組んでいくテーマだと決意しているか。

必ず壁が来ることを覚悟しているか。

必ずリバウンドが来ることは覚悟しているか。

これらを考え、一生する価値があり、壁があっても諦めない理由があり、以前のように戻ったとしても再度続ける意思があるか、を自分に問いかけてから何かを始めます。

初めから、これらのことをしっかりと自分の中で整理できていることは、少ないですが、これら3つが自分の中で腑に落ちないことは、決して継続できないと思っています。

ダイエット然り、英会話然り、ブログ然り、仕事然り………

何かを始めてからも、これら3つのことは常に自分に問いかけながら頭を整理しながら行動しています。


人は簡単に物事を始めることはできますが、続けるためにはそれ相当の納得できるワクワクできる理由が必要なのではないでしょうか?

「愛」の反対語は「無関心」だとマザーテレサは言っています。

だからと言って、過干渉と愛とは違うと思います。

部下や子供を持ったら、愛が必要になってきます。

「無関心」が良くないからと言って過干渉になってくれば、部下や子供は反発してくるでしょう。

野球のコーチが、選手を指導しすぎることによって選手が壊される例は後を絶ちません。

子供にしても干渉しすぎて子供がぐれたり、親子関係がぎくしゃくしたり、依存心が強くて1人前になれない大人になってしまうでしょう。


愛、無関心、過干渉……世の中すべてに言えることですが、すべてはバランスの問題だと思います。

私自身、社員も小さい子供もいますので、教育に関しては考えることが多々あります。

教育で大切なことは「愛」だということは間違いないでしょう。

根底に「愛」があれば、何をするかの方法論は、多少の間違いがあってもいいと思っています。

「教育」とは何かと聞かれば、社員や子供が未来を強く生きていける人間にする手伝いをしていくことではないかと思います。

彼らが、自立するために、干渉する必要があるときは干渉し、見守っていた方がいいと思った時には、見守っていればいいと思います。


無関心と見守るとはやっていることは同じように見えても思いが違います。

ある意味、手を差し伸べる方が断然簡単なのです。


よく言われる例で、困っている人にお金や食べ物を与えることは簡単です。

しかし、本当の愛は、食べ物を与えることよりも、今後食べ物を獲得できる方法を身につけさせることだと言われています。

与えられることに慣れてしまえば、与えられない状況に不平不満を言い、自分の頭で考えない人間になってしまいます。


ティーチィングよりもコーチィングが大切というのは、教えることよりも気づかせることの方が何倍も大切なのです。

私自身、子供時代に親からもっとかまってもらえていたら、もう少しは優秀になれたのではないかと思った時期もありましたが、今では私の判断で自由に生きさせてくれたことで、自分の頭で考えれるようになったことをとてもありがたく思っています。


社員や子供から、無関心や野放しにされていると感じられれば干渉する割合の修正が必要かもしれませんが、彼女らが、愛されている、見守られているという信頼関係があるのであれば、彼女らの潜在能力を信じていく方法の方がいい結果に結びつくと思います。