「愛」の反対語は「無関心」だとマザーテレサは言っています。

だからと言って、過干渉と愛とは違うと思います。

部下や子供を持ったら、愛が必要になってきます。

「無関心」が良くないからと言って過干渉になってくれば、部下や子供は反発してくるでしょう。

野球のコーチが、選手を指導しすぎることによって選手が壊される例は後を絶ちません。

子供にしても干渉しすぎて子供がぐれたり、親子関係がぎくしゃくしたり、依存心が強くて1人前になれない大人になってしまうでしょう。


愛、無関心、過干渉……世の中すべてに言えることですが、すべてはバランスの問題だと思います。

私自身、社員も小さい子供もいますので、教育に関しては考えることが多々あります。

教育で大切なことは「愛」だということは間違いないでしょう。

根底に「愛」があれば、何をするかの方法論は、多少の間違いがあってもいいと思っています。

「教育」とは何かと聞かれば、社員や子供が未来を強く生きていける人間にする手伝いをしていくことではないかと思います。

彼らが、自立するために、干渉する必要があるときは干渉し、見守っていた方がいいと思った時には、見守っていればいいと思います。


無関心と見守るとはやっていることは同じように見えても思いが違います。

ある意味、手を差し伸べる方が断然簡単なのです。


よく言われる例で、困っている人にお金や食べ物を与えることは簡単です。

しかし、本当の愛は、食べ物を与えることよりも、今後食べ物を獲得できる方法を身につけさせることだと言われています。

与えられることに慣れてしまえば、与えられない状況に不平不満を言い、自分の頭で考えない人間になってしまいます。


ティーチィングよりもコーチィングが大切というのは、教えることよりも気づかせることの方が何倍も大切なのです。

私自身、子供時代に親からもっとかまってもらえていたら、もう少しは優秀になれたのではないかと思った時期もありましたが、今では私の判断で自由に生きさせてくれたことで、自分の頭で考えれるようになったことをとてもありがたく思っています。


社員や子供から、無関心や野放しにされていると感じられれば干渉する割合の修正が必要かもしれませんが、彼女らが、愛されている、見守られているという信頼関係があるのであれば、彼女らの潜在能力を信じていく方法の方がいい結果に結びつくと思います。