一般に「経営者は孤独だ」と言われます。

実際に孤独だなと感じることはあります(笑)

しかし、経営者に限らす自分の考え方をわかってもらえない時には、誰しも孤独を感じるのだと思います。

経営する人と勤務する人間では、求められることが違います。

経営していくには、今日のことだけでなく、1年後5年後のことも予測しながら日々のかじ取りをしていきます。

一方、勤務している人間は、1年後や3年後のことよりも今日と明日のことを考えて仕事しています。

多くの社員にとっては、1年後に組織が成長していることよりも、今日問題が起きないことの方が大切です.

1年後に給与が上がるよりも来月の給与が上がることの方が大切です(笑)

これは避難しているのではなく、人間とはそういうものなのです。

 

私を含め、多くの人は10年後の日本のことよりも、1年未満の日本のことに関心があるのではないでしょうか?

しかし本来の政治家は、1年未満のこと以上に将来的な日本について考えていることと思います。

学校の先生と生徒では立場が違えば見えている世界が違います。

いい先生とは生徒に気に入られる人ではないでしょう。

プロ野球の監督と選手でも同じです。

選手に理解されなくても、監督の判断で推し進めていかないといけないことは多々あると思います。

 

人間の本性として、自分を理解してほしい、認めて欲しいという承認欲求があることは否定できません。

例え理解してくれなくても、自分が正しいと思う言動を決断していく時に大切なものは何なのか???

安倍総理は何を心の支えとして、抵抗勢力がいても日々決断をしているのだろう??と質問してみたくなります。

 

自分の言動が周りに理解されない時、「何のために自分はこんな思いをしても決断しているのだろう??」という自分への問いかけの繰り返しでしか、「信念」というものは育まれないような気がします。

「経営者は孤独だ」とか、「分かってもらえなくて辛い」「少しは理解してほしい」と考えるのではなく、「今、自分の信念が試されている!」と人生の根っこの部分が深く根付いていることに意識を向けることがリーダーとして大切な気がしています。

 

 

 

この世とあの世の違いは、なんでも思い通りになるのがあの世で、思い通りにならないのがこの世だ、と言っている人がいました。

そして、思い通りになることに飽きた魂が、魂の成長を望んでこの世に舞い降りてくる、

ということも付け足されていました。

 

「100回買って100回とも当たる宝くじ」には喜びはないし、「大吉しかないおみくじ」で大吉が出ても全然面白くないのと同じで、多くの魂が、この世に舞い降りて、自分の思い通りにならない時の向き合い方によって魂が成長するのだと言われていました。

 

仕事でもプライベートでも、自分の思い通りにいかないことが目の前に合わられると、イライラしたり感情的になったりしがちです。

しかし、そういう状況を望んでこの世に生まれてきているのだとしたら、自分が望んで入った状況に不平不満を言うことは

神様からすると笑ってしまうことなのかもしれませんね。

 

この世において、順調な時に幸せを感じたりうれしくなるのは、順調じゃない時があるからであって、

どちらも感謝できる生き方をしていきたいものです。

「晴れてよし曇りてもよし富士の山」という格言がありますが、順調じゃない時、自分の思い通りにいかない時に、どういう姿勢で向き合うかで、順調な時の喜びの質も違ってくるのだと思います。

 

そうは言っても、やはり自分の思い通りに物事が進まない時に気持ちを前向きにさせてくれる合図が、「やるしかない!」「動くしかない!」という決意や覚悟のような気がします。

気持ちの浮き沈みには関係なく、「やる!」「動く!」と決めることで、目の前の出来事も変わってくるのではないでしょうか?!

 

この世に生まれる前に、既に自分ですべてのシナリオも決めて生まれているのだとしたら、「この出来事から何を学ばせようと自分は考えたのだろう??」と考えていくことで前向きに向き合えるような気もします。

 

 

 

自分の想定外の出来事が起きた時に、矢印を相手に向けて「あいつが悪い!」と思うと感情的になり怒りやイライラが溜まってきます。

一方、そういう時に矢印を自分に向ければ、自分の中の怒りやイライラは激減します。

「相手が悪い!」と思えば、相手を責め続けますが、「自分も悪かった」「自分にも改善すべき点がある」と考えると、気持ちを早く切り替えます。

 

しかし、頭ではそう分かっていても、感情と理性が戦えば、感情が勝ってしまいます。

感情に流されないで、理性的になる第一歩は、自分を客観視してみることでしょう。

一旦、自分と感情が同化してしまうと、すぐに感情をコントロールすることが出来なくなります。

そんな時に、「青山君怒ってます。怒ってイライラしてきています!」というように、自分を俯瞰した状況で別の自分がアナウンサーのように解説していけば、自分と感情の同化が少しづつ解離してきます。

自分と感情を一体化してしまうと、魂の存在が機能しなくなってしまうので、怒っている自分と冷静な自分を分離するための作業が、自分のことを他人のように観察していくことだと思います。

「自分の体も自分の感情もすべては天からの借り物だ」というスタンスで、感情や体と同化している自分を滑稽に感じていくことで少しづつ理性的な人間に戻れるような気がします。

怒っている時に幸せに人はいないでしょう。

人は幸せになる為に生きているのだとすると、怒りをコントロールできるスキルは幸せになる為には不可欠なスキルなのかもしれません。

 

怒りは相手を壊す前に自分を壊してしまいます。

アンガーマネージメントのセミナーや本が人気があるように、感情のコントロールで悩んでいる人が多いです。

私もその一人ですが……

人生に失敗があるとすると、感情と自分が同化している時に行った決断や行動などから生じるのだろうなぁ~と予測しています。

人はそれを「魔が差した」という表現を使うのかもしれません。

 

 

アドラー心理学では「人間関係の悩みは全て対人関係である」と言われています。

 

そして、対人関係の悩みを解決するために大切なことは「他者は仲間である」と心から認識する事だと言われています。

「他者は敵である」と考えることで、言動が悪い方向に流されてしまうのです。

 

リーダとして成長していくためには、全てのことを「自分にも責任がある!」と自分に矢印を向けることが大切だと言われていますが、相手に矢印を向けてしまうと「相手は敵」になってしまいます。

何があっても「相手は仲間である」と思うためには、矢印を自分に向けることを習慣にしていかなければいけません。

 

社会で生きている限りは、必ず他者と接していかなければなりません。

対人関係での悩みを減らしていきたいのであれば、「他者は仲間である」と心から思えるようにしていくためには、矢印を自分に向けたり、常に感謝の気持ちを持つことが必要なんだと思います。

自分に矢印を向ければ、自分に対しては甘くなるのが人間ですし(笑)、感謝していればイライラする感情も軽減できます。

 

矢印を自分に向けたり、感謝するのは相手のためではなく、自分が人間関係で悩まないようにしていくための処方箋なんだと思います。

 

自分にとって不都合や不愉快なことがあると、ついつい相手を責めたくなってきますが、そういう感情に流されて「相手のことを敵」だと思ってしまうと、悩みや苦悩がスタートしてしまうので、そういう時こそ、矢印を自分に向けたり、無理にでも感謝の気持ちを絞り出すことで、「相手は味方」だと考えれるようになり、対人関係の悩みを減らしていけるのだと思います。

 

アドラーの言うように「人間関係の悩みは全て対人関係である」が正しいのであれば、生きていくうえで日々の悩みを減らしたいのであれば、「相手は味方」という考えを自分の中にしみこませる習慣を習得するしかないのかと思います。

 

 

 

少子化により、年々求人が難しい時代になってきました。

以前、薬剤師の人材派遣会社の人が、「薬剤師が不足していて、年々薬剤師の募集の給与が高くなっていくし、経営者の方も辞められたら困るから言うべきことも言えなくなってきていて、お互いに悪循環になっているのよね!」と言われていました。

飲食業の経営者や美容院の経営者からも同じようなことを耳にしたことがあります。

本当は注意するような出来事が起きても、「注意すると辞められるかもしれない」という恐怖心で、言うべきことが言えないから、スタッフレベルが低下する悪循環に、はまりやすくなっているのがどの業種にも蔓延していて、非常識な従業員のSNSへの投稿事件などが起きてしまう一因ではないかと分析していた人がいました。

注意すると反発する、嫌なことがあったら辞める、逃げる、楽な道を追い求める、………

そういう若者ばかりではないですが、今の若者も「何のために頑張るのか?」「何のために働くのか?」「何のために生きているのか?」といった「頑張る理由」が見つけられない人が増えているのかもしれません。

 

『神さまは不幸の姿、形で人間の前に「幸せ」を与えてくれる』とか、『成功の神様には後ろ髪はない』とか言われていますが、一見、不幸そうに見える出来事の裏側に幸せが存在していて、不幸な姿、形で判断して初めから逃げている人には、幸せも受け取れない仕組みになっているようです。

マラソンや山登りなど、一見するとしんどいことだらけですが、多くの人がそのしんどさの向こうに「幸せ」を求めて挑戦します。

マラソンや山登りも「損か得か?」と言われれば、決して得な行為ではないかもしれませんが、人間の幸せは「損か得かを超えたところ」に存在するような気がします。

学生時代に、膨大な時間とエネルギーをつぎ込んでまでクラブ活動に熱中するのも、大人の考える損得勘定で判断談すれば、決して得な行為とは思えません。

 

子供の時には「好きか嫌いか」「熱中できるかできないか」などの判断基準が、大人になってからは、「損か得か」のそろばん勘定での判断基準への移行が、多くのやりがいや幸せをも奪って行っているような気がします。

 

仕事をしている目的が「お金の為」「給与の為」と思ってしまうと、自分のやっている行為とお金とを短絡的に結びつけて考えてしまいます。

「仕事は生活のために働いている」という事実は、どんな人も100%体の中、脳みその中に染み込んでいます。

「無意識」でも染み込んでいることを「意識下」でまで考えてしまうと、仕事のやりがいや喜びを見いだせなくなってきます。

心から嫌いな人に対して、意識下においてまでも「嫌い」と考えると、相手への嫌悪感などで自分の気持ちをコントロールできなくなってしまうのと似ているかもしれません()

「仕事とは生活のために働いている」という事実はそのままにしておいて、それ以外の理由を捜していくことが、仕事のやりがいや喜びにつながっていくのだと思います。

「生活のために仕事をしている」ことは、意識しなくても人の頭の中から消えることはありません。

人間の損得勘定も生きている限りはなくすことはできないと思います。

だからこそ、意識して「生活のため以外の仕事の理由」や「損得勘定以外の行動する理由」を捜していくことでしか人は頑張れないような気がします。

仕事を頑張る意味と理由は、自分で見つけていかなければ誰も教えてくれるものではないのですが、苦労して見つけた理由ほど大切に自分の中での自分軸になってくれるような気がします。