「仕事は楽しいことは少なく、大変なことの方が多い」と言っていたスタッフがいました。

これって「仕事」を「人生」に置き換えてもよく聞くフレーズだと感じました。

 お釈迦さまは、仏の悟りをひらかれた際の第一声は「人生は苦なり」でした。

「生きることは苦しいこと」と言われています。

生まれてから死ぬまで四苦八苦という8つの苦しみが待っている、ということですが、仕事においても人生においても自分の思い通りにはならないことが大半です。

楽しいことは一瞬ですが、苦しいことは継続するので、どうしても苦しいことの方が記憶に残ってしまいます。

自分自身の人生を振り返っても、楽しいことと苦しいことを天秤にかけると、どうしても苦しかった記憶が勝ってしまいます。

苦しかったことは長く記憶していますが、楽しかったことはいつの間にか忘れています。

 

スタッフから「仕事は楽しいことは少なく、大変なことの方が多い」と言われた時に、リーダーとしてどういうコメントをするべきなのかを考えた時に、日本のように恵まれた国において、「生きていくために仕事をする!!」という動機では、なかなか社員の気持ちは動きません。

生きていくため以外で仕事をしていく「意味と価値」をトップとして伝えていかなければなりません。

有名な経営者が、「これから生き残れる会社は、社員に『働く意味』を伝えていける会社だけだ!」と言われていました。

 

当クリニックでは、「何のために仕事をしているか?」ということを半年に一度,すべての社員に考えて書いてもらうことを10年来続けています。

 

ある社員の中のコメントで

「『お給料が必要だから』という理由は働くべき理由の大部分を占めていますが、残りはすべて「仕事を通して成長したい」と感じているからだと思います。

社会人になって4年がたとうとしていますが、嬉しかったこと、嫌だったこと、それを乗り越えた時の達成感、後輩指導で悩んだことすべてが人としての成長に繋がっていると感じています。

人として成長するためには、仕事はとても重要な材料だと思います。」

と書かれていました。

 

このコメントの内容を私の意見で言っても他の社員の心には響かないと思いますが、仲間のスタッフの中で、ましてや社会人として3,4年目の人からこのコメントが出たことが凄いことだと思います。

50歳を過ぎた私がこの発言を発しても「ウザイ!!」となりかねませんが(笑)、仲間のスタッフからのコメントであれば、心を動かされたスタッフも多かったのではないかと思います。

 

「環境は人を育てる」と言われますが、こういう発言をしてくれる仲間がいることは、組織にとっても仲間にとっても、とてもいい刺激になり切磋琢磨できるのだと思います。

人は弱い存在です。

「出来れば楽をしたい」という気持ちと「成長したい」という気持ちが常に葛藤しています。

そんな葛藤している時に、身近で頑張って成長している人の存在が、背中をヒト押ししてくれるものです。

トップの私も、いろんな場面で、仕事をする意味と価値を伝えていきたいと思います。

 

 

 

「幸せって何だろう???」と考えることがあります。

 

例えば「あなたは幸せですか?」と聞かれたら、自分はどう答えるだろうか?と考えることがあります。

逆に「あなたは不幸ですか?」と質問されれば、必ず「私は不幸ではありません!!」と答えます。(笑)

「不幸でない=幸せである」という方程式は成立しません。

自分の中で心がけていることは、「日本に生まれてきたこと自体で既に幸せなことだ」「家族が元気でいることはありがたいことだ」と意識して思うようにしています。

「不幸でない=幸せである」という方程式は成立しませんが「幸せ感=感謝の程度」という方程式は成立するように思っています。

 

日本に生まれたことや家族が健康で元気なことに、どれだけ感謝できているかと言われれば、頭の中では「ありがたいことだ!」と思おうとしているが、心からそう思えるのは、自分が日本から離れた時や、家族が健康でなくなった時ではないかと思います。

人間は失って初めてその価値に気づくような気がします。

それなら失う前に持っているときに感謝できる人間になるにはどうすればいいのでしょうか?

 

生きていることに感謝するためには、自分なりの死生観を持つことが大切だと言われています。

大切な人を失った経験のある人は、そういう経験がない人よりも死について深く考えている人が多いと思います。

一生懸命生きるためには、本気で死について考える必要があるように、幸せになりたければ、真剣に不幸について考える必要があるような気がします。

 

「不幸な人生、不幸な人というのはどういう人のことを言うのか?」ということを考えれば、どういう人生が幸せな人生なのかということにもつながるような気がします。

「幸せ感=感謝の程度」という方程式が自分の中にはありますが、どうすれば心から感謝の気持ちを持てる人になれるのかはよくわかりません。

失って初めて感謝するのではなく、失う前に感謝できる人になるためにはどういう生き方をしていけばいいのでしょうか?

 

岡村孝子さんの歌に♪♪~幸せなんて言葉が、あるからそれと気づかずに~♪♪という歌詞がありますが、「もっと、もっと~~」と思えば、いつまでたっても幸せは感じないですし、すでに自分は満たされている,恵まれている、守られていると思えれば今この瞬間から幸せに感じれるのだろうと思います。

 

幸せって求めるものではなく、必死で「今を生きていく」過程で、振り返った時に結果として感じるものなのかと感じる今日この頃です。

 

 

 

 

 

 

どの組織においても、求人が年々難しくなってきています。

飲食店やコンビニ、スーパーなどでもアジアの外国の方が定員であることが当たり前になってきています。

社会の目もブラック企業などに厳しく、「働き方改革」なども含め、経営者はどんどん経営が厳しくなってきています。

経営者と労働者の比率から言っても、経営者よりも労働者の方が多いので、労働者目線の法律が通りやすいのもうなずけます。

お客さんは来ているのに、働く人がいなくて閉店に追い込まれる店も増えてきていると聞きます。

 

男性が強くて女性がか弱いという時代が終焉したのと同じように(笑)、労働者が弱者で経営者が強者という公式は、近い将来逆転する日が必ず来ると思います。

私の周りでも、社員の顔色を見て言いたいことを我慢している友人が大半です(笑)

どの企業も求人が難しくなってきている昨今では、離職率を下げる努力をしていかなければなりません。

 

社員の退職理由の1番目が「人間関係の悩み」というのはどの職場においても同じでしょう。

その時「人間関係って何だろう???」と考えていくと、自分の思うような言動をしてくれない人が多い職場は人間関係の悪い職場で、自分の思うような言動をしてくれる人が多い職場は人間関係のいい職場なのかと思います。

自分の思うような言動をするかしないかの対象が院長であったり、先輩や後輩や同僚であったりしますが、人と人が接する以上は、相手は自分の思い通りには動いてくれない場合が多いです。

その範囲が自分の許容範囲か否かでストレスは違ってくるのだと思います。

 

昔は家庭においても学校や社会においても、理不尽なことがまかり通っていました。

それが今では、パワハラ、マタハラ、セクハラなど社会が整理されてきて、理不尽な言動は許さないぞという流れから理不尽なことが昔よりも少なくなってきています。

環境が整備されていくことは望ましいことですが、無菌状態に近づけば近づくほど、人間の抵抗力は落ちていく傾向にあります。

社会が正しい方向に向かっても、自分の抵抗力が弱まっているのであれば、人間の「幸せ感」は変わっていないか、むしろ減ってきているのではないかとも思います。

 

辞められては困るから厳しく接することが出来ない、厳しくできないから社員も成長もできない、社員のレベルが低いとお客さんからの評価が下がる、という悪循環にはまってしまいます。

この流れを変えることが出来た組織だけがお客様から評価される組織になっていくのだと感じる今日この頃です。

 

 

 

 

 

久しぶりの投稿になります。

 

日々大小いろんなことが起きています。

そのたびに心(感情)が動き、自分の気持ちと向き合いたい、整地したいと思うのですが、実際にはキチンと向き合うことなくまた日々の日常の生活に戻ってしまいます。

そう考えると、気づきというのは読書と似ているなぁ~と感じました。

たくさん本を読むことも大切ですが、読んだ本をそのままにしないで、キチンと感想を書き上げていくことで、その本から学ぶものも多くなってくるように思います。

子供の時に、読書感想文の宿題が出るのがすごく嫌でした。

本を読み切るだけでも大変なのに、その上に感想文を書くことがとても面倒でした。

 

人生も同じかもしれません。

日々生きていくだけでもいろんなことが起きて大変なのに、その1つ1つのことと向き合っていたらとても疲れてしまうので、読書のように読みっぱなしで次の本に向かう方が楽なような気がします。

 

しかし、同じような本をたくさん読むよりも、少しの本でも自分の頭の中で整理していく方がより自分の知恵になるような気がします。

人生においては、知識よりも知恵の方が役立ちます。

知識を増やすよりも、確実に知識を知恵に替えていく努力が大切だと思います。

 

いろんな本を読んだり、いろんな経験をすることも知識の蓄積にはなりますが、本からの気づきにを自分の経験と照らし合わせて考えたり、いろんな経験と向き合ってじっくり考えることで生きていくうえでの知恵に変わっていくように思います。

 

急がば回れ、と言われますがじっくり立ち止まって考えることは、結果的に近道なのかもしれません。

数学的には2点間の直線が最短距離と感じますが、現実の社会においては直線で身につけたものは、知恵にはなりにくいのかもしれませんね。

 

 

 

 

今週の日曜日は参議院選挙があります。

政治家を見ていると組織をまとめる難しさをすごく感じます。

政治家一人ひとりには、それぞれの考え方があるでしょうし、志もあると思います。(そう信じたいです)

しかし、所属する党の方針というものもあります。

自分の考えと党の考え方が食い違ったときに、自分の考えを貫くのか、党の方針に合わせるのかどちらかの選択を迫られます。

何でも自分の考えを通そうとされると、党にとっては迷惑ですし、何でも党の方針に合わしていると投票した人からの信用を失います。

 

自民党を例にとって考えると、自民党員の人数だけいろんな考え方があるでしょう。

それぞれの立場から、それぞれの視点から自分が正しいと思う意見が出てくると思います。

視点を変えれば、どの意見も正しいし、どの意見も間違っています。

そして、最終決断を下すのは、幹部の人であり、安倍総理になります。

上の人間は決断したら責任が伴います。下の人間には、責任が伴いません。

責任のない人が正論を振りかざすのは、正しいことなのだろうか??と思うことがあります。

 

自民党に属する以上は、トップが決めたことには従わなくては組織は成り立たなくなってきます。

与党はどんな決断をしても批判される立場にあります。

野党が与党を批判するのは、責任がないから簡単です。

与党にとっての最大の敵は、野党ではなく与党内にいる抵抗勢力だと思います。

与党内にいながら、党の方針を批判されることほど、厄介なことはないと思います。

 

政治に限らず、どんな組織においても、トップの決めたことに異を唱える人は必ずいます。

責任の伴わない立場で正論を言うことは簡単です。

中には不満分子を集めて、輪を乱して混乱させようとする人もいます。

会社においても、トップのやり方に不満があるのであれば、その職場をやめて自分の思う組織を作るなり、職場を変えればいいことですが、不平不満を言いながらその職場に残る抵抗勢力の社員はどこにも存在します。

 

組織において「2:6:2の原則」ということがよく言われます。

下の2割は、必ず抵抗勢力になってしまうのだと思います。

トップが意識を向けるのは、下の2割を排除していくことではなく、上の2割を成長させて、真ん中の6割が下の2割に影響されるのではなく、上の2割に影響される環境を作っていくことなのだと思います。

 

人間は誰しも自分が一番かわいい存在です。

だから自分の意見を主張することは簡単かもしれません。

その時に、その主張は自分のためなのか?それとも他人のためなのか?で、周りの人への伝わり方が変わってくるのだと思います。

それは、言葉ではなく普段の言動から周りの人は見ていると思います。

 

政治家の使命は日本をよくすることであり、そのための議論をしてほしいものですが、何か足の引っ張り合いであったり、まずは当選ありきのための活動のような気がしてしまいます。

 

「水清ければ魚棲まず」ということわざがありますが、人間は弱い存在だから、きれいごとだけでは世の中は回らないと思います。

人間社会は足の引っ張り合いや批判しながらも、少しづつでもいい方向に向かっていっていると信じたいものです。