少し前に、「頑張りたいけど何を頑張ればいいのかわからない」、「何のために頑張っているのかしっくりこない」、等仕事に対してマンネリ化的な気持ちが続いていました。

そんな時に、スタッフに感謝すべき大きな出来事がいくつかありました。

 

最近、自分の中で、「幸せとは感謝している時のことを言う」ということを意識しているのですが、スタッフに感謝するべき出来事があって、スタッフのお陰で自分は感謝出来て幸せを感じさせてもらっていると思った時に、そのスタッフのことがすごく大切な存在に思えてきました。

 

スタッフあってのクリニックなので、意識的にスタッフに感謝していこうということは心掛けているつもりなのですが、ついつい意識していない時は、「自分中心な利己的な考え方をしているなぁ~」と反省していく毎日です。

 

学生時代は人間関係が苦痛でした()

若い時には、優越感を競い合うような生き方が中心でしたし、ほぼ100%無意識で本能的に自分中心的に生きていたからだと思っています。

今でも無意識的には、自分中心になりがちですが、自分中心で生きていく向こう側には幸せは存在しないと思い始めたので、意識をして感謝して生きる割合が年々増えてきている気がします。

 

感謝の種類にもHaving Doing Beingの3種類があります。

Havingとして、人から何かをもらえればうれしくて誰でも感謝の気持ちになるでしょう()

次に、Doingとして誰かに何かをしてもらえれば、やはり感謝の気持ちは自然と湧き上がってきます。

しかし、HavingDoingは、即効性があり、感謝の気持ちが湧きやすいですが、いつもこれらを期待していると逆に満たされない気持ちが強くなって不幸になってしまいます。

 

最終的な幸せは、お互いが「あなたがいてくれるだけでありがたい!!」というBeingの存在でありたいと思います。

 

これは相手に対してだけでなく、自分に対して自己肯定感を持つために、お金やブランド品を持っているから(Having)とか、自分は英語が話せるからとか何かで認められたから(Doing)自分に自信がある、という自己肯定感では、自分より持っていない(Having)人や、行っていない(Doing)人がいなければ、自信が保てなくなります。

それでは、自己肯定感という名の優越感をもつことになります。

優越感とは、HavingDoingは誰かと比較した時に持つもので、相手によっては劣等感にひっくり返ってしまいます。

 

本当の自己肯定感というのは、相手に左右されるのではなく、自分に対して自分の負の部分を認めて受け入れたうえで、自分の存在Beingに価値を見出すことだと思います。

 

同様に相手に感謝するレベルの最高峰は、HavingDoingをしてもらったからではなく、「あなたが存在してくれているだけで幸せだ!!」と思える存在になることのような気がします。

 

これって恋愛では特に意識することかもしれませんが、家族やスタッフ、お客様等恋愛以外の場所でもたくさん感じれる人生が幸せな人生と言えるような気がします。

 

恋愛や家族ではそう感じられる人数には限りがありますが、仕事を通じてそういう存在が増えていけばいくほど、幸せで充実した人生だったと思えるのではないかと思います。

(学校の先生をイメージすると分かりやすいかなぁーと思います)

 

人間関係は面倒だし信頼関係を構築するのに時間がかかりますが、人間関係からしか幸せはやってこないとしたら、そこにエネルギーをかけていくしかないように思います。

 

 

久しぶりのブログの更新になりました.

申し訳ありません。

 

頭の中では「早く書かなければ!!」と焦っていたのですが、どうしても何も書けませんでした😢

 

日常にあった事実を書くだけなら何か書けたのかもしれませんが、そんなものは誰も読みたくないのではと思うと、自分の心が動かなければ何も書けないことに気づきました。

 

何か出来事があって、「私の心が動いてこう感じました。皆さんはどう思いますか?」

というのが、私がブログを書いたり朝礼をしている理由だと思っています。

私は神様ではないので、毎回正しいことを書いたり話したりすることはできません。

失言をして信用を失う可能性もあります。

それでも、自分の言葉で話すことに意味があると思っています。

 

「そうだな!」と思ってもらえればうれしいですが、「いや違うだろう!」と思われることも勉強になります。

相手に共感してもらえればうれしいですし、相手に違和感を感じてもらっても相手が考えるきっかけになれば、それはそれで反面教師として相手の役に立っているのではないかと思うようにしています。

 

私の言葉に違和感を感じて、その人が私を攻撃してくる恐怖もなくはないですが、その恐怖に向き合っていくことで、少しずつ勇気が養われていくのではないかと思っています。

勇気とは怖がらないことではなく、怖いけどあえて前に踏み出すことだと思っています。

 

今回ブログが更新できなくて、感じることの大切さを痛感しました。

感じることは気づくこと!!

感じたらできるだけ文章にしたり、言葉にして発信していきたいと感じました。

 

 

人は必ずミスをします。

ミスをしたら反省して改善すれば成長できるのですが、他人からミスをとがめられると多くの人は言い訳をします。

 

「泥棒にも3分の理」と言われるように、ミスした方にも何らかの言い分があります。

「聞いてない」「忙しかった」「自分なりには一生懸命」……等々

そして自分以外の誰かや環境のせいにして責任を転嫁します。

私もそうですが、これが無意識で生きている人間の行動です。

誰かのせいにすれば、自分が変わらなくてもいいので楽なのです。

 

しかし、責任を自分以外のものに向けた時には、矢印を自分に向けた時と比べて、成長は一切しないうえに、怒りや疲れは数倍浪費するというおまけまでついてきます。()

失敗した時に、矢印を他人に向けるのは放っておけばそうなりますので簡単です。

 

もっと成長したい、怒りを抑えたい、前向きに生きたいなどの意思があるのであれば、無理やりにでも矢印を自分に向けていかなければなりません。

 

会社は経営者の器以上には大きくならないと言われています。

器を大きくしていくためには、少しでも多くのことを自分にも責任があるのではないかと矢印を自分に向けていくことを多くしていく必要があるのだと思います。

 

有名なコンサルタントが経営者に「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも全部社長のせいと思え!」と言われていたらしいですが、立派な経営者になりたかったらすべてのことを自分に矢印を向けろ!という意味だったのではないかと思います。

 

さすがに電信柱や郵便ポストのことで矢印を自分に向けることはできませんが、目の前の出来事ぐらいは自分の成長に役立てる考え方をしていきたいと思います。

 

性善説と性悪説があります。

人は生まれながらにして善なのか悪なのか?

 

社員教育をしていく時に、「人は生まれながらにして、元々頑張りたい生き物なのかそれとも目を離すと楽をしたい生き物なのか?」どちらのスタンスで接していくべきなのか悩むことがあります。

もちろんケースバイケースで、その人によって違ってくると思います。

 

自分も人間だから(笑)、自分はどっちだろう??と考えた時に、頑張った先の頑張る意味が見えた時は自主的に頑張っていると思います。

しかし、頑張る意味が見えない時には、楽をしたり手抜きをしている自分に気づきます。

 

そう思うと、頑張るか頑張らないかは「頑張る理由」によって違ってくるように思います。

だとすれば、頑張っていない人には、「頑張る理由」を示していかなければ頑張れないのだと思います。

 

私はスポーツジムに行っていますが、運動後に体重計に乗って体重が減っていると充実感を感じることがあります。

特に痩せたいと思ってはいませんが、運動を頑張った結果で痩せると自分の頑張りの一つの指標として体重計は「頑張る理由」になりやすいなと感じることがあります。

 

私の周りには老若男女問わず、いつもダイエットを目標にしている人が多数います(笑)

そういう人の多くは、心から痩せたいのではなく、「頑張る理由」や「目標」が欲しいだけなのではないかと思うときがあります。(勘違いでしたらごめんなさい)

 

ダイエット以外で、私が「頑張る理由」や「目標」が欲しいだけなのではないかと思うもう一つのことが英会話です。

私自身、ホームステイを2回したことがあるのですが、2回とも私の周りのほぼ9割が女性の方で、当時は「女性はまじめだなぁ~」と思っていましたが、男性には仕事があるから英会話自体を頑張るというよりも、仕事の延長で英語が必要な人は英語を頑張るが、女性は英語自体が目的なんだろうなと両者の違いを感じています。

 

英語を勉強すること自体が目的の人と、仕事で必要だから必要に迫られて英語を勉強する人とでは習得速度は何倍も違うだろうと今は分かります。

ダイエットをしたり英会話を習う先に「何のために?」という理由の違いで、継続する人と継続しない人の差が出るのだと思います。

痩せなければ死んでしまうとお医者さんから宣告されたり、楽天のように英語を話せないと会社をクビになるとなれば、最短で英語を習得できると思います。

 

仕事もダイエットや英会話と同じで、「何のために頑張るのか?」という「頑張る理由」の差が結果に結びついてくるのだと思います。

 

「頑張りたいけど頑張れない!」という人は、やみくもに気合と根性で頑張るのではなく、頑張る理由を捜すことの方が大切な気がします。

自分の中で頑張る理由が腑に落ちた時に、今までにないパワーがわいてくるのではないでしょうか?

 

私は高校生や大学生の時に「いい人だね」と言われるのがすごく嫌でした。

当時は、「いい人」というのは、他に褒めることがないからとってつけたようにしか聞こえなかったです。

若い時は「かっこいい」とか「個性的だ」とか言われる人がうらやましくて、「いい人だ」というのは、なぐさめ程度にしか感じていませんでした。(笑)

 

それが、最近でも時々「いい人だ」と言われると、すごくうれしく感じる変化に気が付きます。

「いい人だ」は、今の自分にとっては最高の褒め言葉の一つぐらいうれしくなります。

 

しかし、心のどこかでは自分は決していい人ではなく、いい人を演じているだけだと感じるところもあります。

高校生ぐらいの時に、いい人を演じていたのは、自分に自信がない裏返しだし、他人から嫌われたくないからいい人ぶっていたような気がします。

今でも学生時代の名残りで、いい人を演じる癖が続いているような気がします()

そう感じると、人生ってどういう役を演じるかで他人からの印象って決まってくるように思います。

 

歯科医院を開業して数年たった頃に、同級生から「少しずつ院長らしくなってきたね」と言われて、自分では一切そんなことは気にしたことがなかったけど、周りの目にはそう映っているんだと不思議に思ったことがあります。

そう思うと、自分は「いい人」を演じたり、「院長」や「父親」を演じているうちに、少しずつそれらしくなってきているのではないかと思うようになってきました。

 

私は自分のことをネガティブで、人見知りで恥ずかしがり屋だと思っています。

リーダーシップのかけらもないし、人前で話をするのは苦手だと思っていました。

しかし、立場上、リーダーぽく振る舞わないといけないし、人前でも話をしなければなりません。

嫌々でもそういうことを繰り返していくうちに、それらしく見えるようになってきているのに気が付きました。

そう思うと、人って、その役を演じているうちに誰でもそれらしくなっていくのだと思うようになってきました。

 

自分の人生は自分が主役です。自分がどの役を選ぶのも自由です。

後ろ向きで暗い性格の役を選ぶのも、前向きではつらつとした役を選ぶのも自分の意志で決められます。

そうだとしたら、今世において、自分がなりたいと思う役を演じて少しずつその役に近づいていけたらいいのではないかと思います。

 

高倉健さんが「貰った役の人に少しでも近づくために自分を律している」ということを読んだことがありますが、人生自分の好きな役を演じることが可能なのであれば、自分をどういう役に設定するかは自分次第なのではないかと思います。

 

「青山健一」という役を自分のなりたい人間に設定して、その役を演じながら少しずつ設定上の「青山健一」に近づいていくのが人生なのかなぁ~と感じる今日この頃です。

そうして、死ぬときに役者のように自分の設定した「青山健一」に近づけたかどうか振り返っていきたいなぁ~と思います。

 

潜在意識は、現実も想像も区別がつかないと言われているので、想像上の自分を現実の自分にしてしまえばいいんだと思っています。