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地球温暖化推進委員会

全てのエコNPO・NGO団体に神の裁きを!

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 元旦、一年の計はこの日にあると昔から言われているので現在運転免許のゴールドライセンスの更新3枚目の獲得を目指し記念撮影の為、諫早市の高速機動基地に出向いた。公安の皆様も正月休みのようで格納庫のシャッターは閉じられていたが、油断は出来ない。新年早々白い悪魔にお年玉をくれてやる事は無いのだ。

 後2年間、無事故無違反なら3枚目のゴールドカード獲得である。プラチナ会員になるとマイルサービスでも付く様なサービスがあれば違反は減ると思うんだけどなあ。

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 N4翁の関節炎の治療が完了して目出度く退院の運びとなった。心停止の原因究明よりもこちらの作業の方が大手術だったのだ。恐らく17年間と言う時間が翁のスイングアームピボットのベアリングのシールを劣化させ、雨水の浸入を許した。雨水は内部の4個あるベアリングのボールとローラーを全て腐食させて化石状態にしてしまったのだ。N4翁の脚から摘出されたニードルベアリングの内側はまるで古代魚のヒレの化石のそれであり、内部カラーと摩擦を起し異音を発しつつ断面がかまぼこ型に削れていったのである。銀色に光る平面化した傷跡が生々しい。腐食と劣化したグリスの熟れの果てがこの姿である。痛む関節に苦悶の嗚咽を出しながら良くぞここまで私に尽くしてくれたものだ。霧島往復が限界だった事が良く解る。

 赤い男爵の志ある整備士の手によって翁の関節部は全て完全に整備され目出度く退院となったというわけである。心停止の原因はやはりこちらも限界を超えたプラグの電極の異常変形であった。こんなプラグは見た事がない。状況を知らずに見たら新型の楕円電極かと勘違いする事請け合いである。

 翁を受け取り、リハビリの為に新品のリアタイヤの皮むきを兼ねてR34を東進する。佐賀あたりで走行距離が100キロを越したので高速に乗ろうかと思ったが予想より皮の剥け具合がいまいちであったので高速は後回しにて佐賀大和ICそばにある”うしや”でハンバーグ定食でランチした。基本的にオーブンで焼き、その後鉄板で追い焼き(?)するので食感がフワフワである。刻み玉葱ベースと思われる和風ソースとあいまってご飯が進む。これで775円(ご飯大盛り無料)なら納得である。

 佐賀大和から引き返し、リアタイヤの皮むきが完了したことを確認して最後の大村IC~長崎多良見ICまで高速に乗る。リアサス全体の動きが良くなったからだろう。路面から伝わる振動がかなりマイルドになっている。段差を通過する度にピヨピヨと鳴くカリメロは何処かへ行ってしまったらしい。

 さて早速明日の出勤からZZR400N4翁にはいつもの仕事に戻ってもらう。まだまだ死なせるわけにはいかないな。
 昨日の朝、ZZRのエンジンを起動しようとしたがエンジンが掛からない。セルモーターは確実にクランキングしているがガソリンの爆発が起きていないように見える。急いでいたが備えのFZ1GTにスイッチして出掛けたので問題は無かった。帰宅後、電装品の動作やら前日に掃除で外したスプロケカバーの内側の配線を確認したが何も発見出来なかった。これはもう素人の手に余ると考えて素直に毎度御馴染みの赤い男爵にSOSを送り、車体の搬送を依頼した。

 仕事の後に工場に寄ってみたら丁度プラグチェックの最中でプラグもバッテリーも程よく傷んでいたらしい。しかし工場でブーストして電圧を掛けてもエンジンは起動しない。怪しさ満載状態で工場長は超御機嫌だった。まるでトレジャーハンティングを楽しむ冒険家である。

 それに加えて先日からリアサスのリンク部周辺からスイングアームが動くたびにキュキュッと異音が出る様になり、グリスアップで一旦は消えた音がまた日を追うごとに大きくなってきている。一度完全分解してのOHになってしまった。ついでに中央部のみが異常磨耗したリアタイヤも交換品目に追加となる。

 ZZRで今年の9月下旬からほぼ一ヶ月の間で1日500km以上の行程を走るツーリングを4回行い、3000km以上走行した事を工場長に告げると

”なんでフェザーに乗らんのですか?ZZRはもう近場のチョイ乗りで良いでしょう。どうして老体に鞭打つような事をするんです?”と聞く。

整備士一同がニヤニヤ笑っているのが見える。

”治せる間は道具としての寿命を全うさせてやるのが筋と言うものです。工場長が治せない、もう無理だと言うまでは乗り続けますよ。”と言うと、

”ボクは治せないとは絶対に言いませんよ。たとえ整備料目的の悪徳工場と言われても。”と笑う。

私達の問答を聞きながら作業をする若い整備士達が背中で笑う。

私はEG6の面倒を見てくれている同志の”かーべーたん”も含めていい整備士に恵まれているらしい。

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 KCBM。 カワサキ コーヒー ブレイク ミーティングの略称でバイクメーカーのカワサキがカワサキバイクオーナー達の親睦を深める為に設けたイベントである。今年の11月が本年最後のミーティングイベントで会場が佐世保市のハウステンボスであった。

 当然ZZRオーナーズ倶楽部もこのイベントは見逃せないお祭りで近隣から一斉に集まる新旧のカワサキバイクを鑑賞出来る機会である。この会場ではコーヒーの無料サービスがあり、専用カップを買えばコーヒーは何杯でも飲める。しかも専用カップは年間各地で行われるKCBMで使用可能なのでイベントを追いかける人にはかなりお得なシステムである。今回は私を含め5名がこのイベントに参加した。

 前夜より秋雨前線の南下で夜半は酷い雨であったが朝には雨は上がり、福岡方面では青空が見えていたらしい。しかし天候の急変等も鑑み、福岡組は車で移動を決定。私は一人お天気レーダーと睨めっこした結果、ZZR400N4で会場入りする事に決めた。

 予測通り移動中は全く雨は降らなかった。倶楽部メンバーと現地合流してダラダラしていると雨がポツポツ当たってきたものの、KCBM名物じゃんけん大会には止んでしまった。メインステージではキャンギャルのお姉さんと司会者がトークでお客を楽しませている。カワサキは本社が兵庫県にあるらしく、司会者とキャンギャルの乗りは関西芸人のようでテンポよく話を進めていく。なかなか美人のキャンギャルがコテコテの関西弁でツッコミを入れるのが意外性があって面白い。

 じゃんけん大会では美人キャンギャルと会場のお客がじゃんけんをして勝ち抜くと景品がもらえるシステムだったがこのキャンギャルが意外にじゃんけんが強く、客を全滅させる事が多かった。彼女は”皆殺しのアベ”と呼ばれているらしい。客が全滅するとその回のじゃんけんは仕切り直しになるので負けた客にとってはラッキーなのである。他愛もない遊びではあるがなかなか楽しかった。ちなみに我が倶楽部は全滅を繰り返し、何も収穫は無かった。

 イベント終了後は天候も今ひとつであったので佐世保駅周辺でランチタイムとなった。以前から噂を聞いていた海軍カレーの店をチョイス。”海軍カレーふくろう”の金曜カレー定食である。海上自衛隊の護衛艦”くらま”の厨房にいた自衛官が退役してから始めたお店らしい。艦内で食されるレシピそのままのカレーらしい。食器も専用のステンレストレーである。肝心のお味は始めはコクと甘みを感じるが3口目くらいからじんわり辛くなってくる。美味い!盛り上がったご飯が日本の領土。ルーが領海。ジャガイモが周辺諸島。サヤエンドウが護衛艦になっている。なかなか洒落ている。牛乳かオレンジジュースを選択できてこれで800円はお得だと思う。天気が良ければ佐世保バーガーをテイクアウトして弓張岳展望台でランチしようと思っていたがこれはこれで良かった。

 食後倶楽部メンバーの皆さんは蜂の家のビッグシュークリームを土産に買っていた。ひょうたん型のソースの容器は未だ健在であった。

 天気に恵まれなかったのでツーリングと言うわけには行かなかったがこういうイベント参加もこれまた楽しいものだな。

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 亡父から子供の頃に聞かされていた海軍航空隊の叔父の事を思い出し自分なりに調査した結果、空自のOBの方が特攻隊の遺族会の関連HPを運営しているのを見つけそのリストに叔父の名を見つけた。昨年暮れの話である。更に調べると叔父達の最後の地となったのが鹿児島県霧島市国分である事が解った。かつての海軍航空隊第一国分基地跡には特攻隊員の慰霊碑がある。霧島市が毎年4月に慰霊祭を行っている。

 自分が調べたネット上の情報が正しいのかどうかは実際自分の目で確かめるしかない。ZZRにETCを実装した事も有り季節も良いので現地調査に出る事にした。知覧の様な立派な特攻祈念館があるわけではないが、沖縄旅行で沖縄戦の戦没者慰霊碑に戦没者の名が刻まれていたのを憶えていたので慰霊碑に叔父の名があるかも知れないと考えた。

 当日のコースは長崎市から島原半島に走り、多比良港より有明フェリーで熊本県の長洲港に渡る。K46からR208で玉名バイパス経由でR3に出る。植木ICからゲシュタムジャンプして鹿児島県の隼人東ICまで一気に南下する。隼人東からR10で数分東進すれば陸上自衛隊国分駐屯地の案内が出る。宅地を少し走れば駐屯地の正門前に出る。この正門の正面に帝国海軍航空隊の特攻隊員の慰霊碑がある。

 慰霊碑の前に立ち、合掌した後に背面に回ると立派な銅板で出来た隊員の名簿があった。暫し叔父の名を探す。名前の順番が階級なのか出撃順なのかは解らない。五十音順ではないので叔父の名を見つけるのに少し時間が掛かった。叔父の名を銘板に確認したので近所のスーパーに行き、酒とオハギを買って祭壇に供えた。やっと叔父を探し出せたのである。遺族会の方と霧島市にはこの場で御礼申しあげたい。

 再度叔父に手を合わせた後、周囲の風景をカメラに収めた。かつて叔父が見たであろう風景とはかなり異なるとは思うが同じ土を踏んでいるのである。
昼時を少し外してしまい鹿児島で何か地元の物でも食べようとしたが、周辺にはコンビニ程度しか見つからず、諦めかけたところ豚骨ラーメン屋を見つけたので入店した。薩摩ラーメンと思いきや、博多ラーメンのチェーン店で今月から尾道ラーメンと室蘭ラーメンの期間限定フェア中であった。
薩摩の地で博多ラーメン店の尾道ラーメンor室蘭ラーメンって??あまりに滑稽に思えたので少しお店のおばちゃんに絡んでから普通の豚骨ラーメンを注文した。多分薩摩隼人に愛されている味ではないだろうか。

 復路のフェリーの時間があったので午後3時前に帰路についた。鹿児島での滞在時間は2時間だった。出発は朝7:50で帰宅したのは夜9:30。もし観光目的なら日帰りはかなり苦しい。

 初めて見た錦江湾は阿蘇とはまた異なる独特な地形をしている。土地と風土が人を作る。今度はゆっくり時間を作って再訪したいものだな。